ヴァンパイアキス
志築いろは
第1章 ついてない日はとことんついてない
第1話 『はい』は一回
「エルザ・バルテルス! 貴様、何度同じことを言わせれば気が済むんだ!?」
クルースニク
ヴァンパイアおよびグール退治を専門とする団体支部の隊長室で、アルヴァー・ストークマンは声を荒らげた。
赤色の短髪をがしがしと掻いて、これでもかというほど深いため息をひとつ落とす。
耳のふちを飾るいくつものシルバーピアスが、髪色を反射してキラリと光った。
「だいたい、お前は昔っから……」
腕を組み、ぶつぶつと小言を連ねる彼は、残念ながら隊長ではない。
支給される白色の制服の襟に施された金のラインは一本。つまりは副隊長である。
「って、聞いてるのか!? エルザ・バルテルス!!」
夕日を背にしたアルヴァーの怒号が、部屋中に響き渡る。
南西に面した大きなガラス張りの窓から差しこむやわらかな夕日とは対照的に、その声色はおもわず肩をすくめてしまうほどだ。
ところが、そんな彼の怒気もなんのその。
怒られているはずの女は、なぜか堂々と応接用の二人掛けソファを陣取ってタバコをふかしていた。
「はいはい、ちゃんと聞こえてるって」
「『はい』は一回!」
「は~い」
煩わしそうに、エルザは長い金髪を手ぐしで掻きあげる。そうしてアメシスト色の瞳を細めると、小さなあくびをひとつこぼした。
「毎度毎度、なんでそんなに団体行動ができないんだ!!」
「あたしは他人とつるむ気はない」
待機終了間際に呼び出されたかと思えば、これである。
飽きもせず幾度となく繰り返されたセリフに、エルザは何十回目になるかわからないお決まりの答えを返してやった。
「お前はまたそうやって!」
なおもなにか言いつのろうとするアルヴァーにあきれながら、エルザは肺に入れた紫煙を深々としたため息と一緒に吐き出す。
白い煙が、ふわっ、とアルヴァーの眼前に広がった。
「一人のほうが、都合がいいときだってあるのよ」
「げほっ、つるむつるまないの問題じゃない! 要はチームワークだっつってんだろーが!!」
自身はひと口だって吸えないタバコの苦い煙にむせながらも、アルヴァーは右足を一歩踏み出してエルザに詰め寄った。
何度言っても聞く耳を持たれないが、それでもめげずに彼女に言い聞かせる。
一方でエルザは、アルヴァーの小言をうんざりとした気持ちで聞いていた。ソファの背もたれに体を預けて、木目調の天井を仰ぎ見る。
「隊長が黙認してんだからいいじゃない」
「いいや! そういう問題じゃない! お前が自覚するまで、俺は何回でも何十回でも言ってやるからな!」
そう言ってアルヴァーは、エルザの前にあるローテーブルに勢いよく両手をついた。振動で、テーブルに置いたエルザの携帯灰皿が、カタン、と音を立てる。
――はぁ、めんどくさい男ねぇ。
たしかにエルザ自身、組織というものに属していながら単独行動ばかりしている自覚はある。だがなんだかんだ、うまいことやってこれているのも事実だ。これまでも成果を上げこそすれ、団体に不利益をもたらしたことはないと自負している。
「はいはい、これだから現場を知らない坊っちゃんは」
「坊っちゃん言うな!」
吠えるアルヴァーを尻目に、エルザは携帯灰皿を手に取り短くなったタバコの先端を押しつけた。
制服の胸ポケットにそれをしまい、ため息をつきながらゆっくりと立ち上がる。スカートの上に舞い落ちたわずかな燃えカスを、エルザは細い指先でパタパタとはたいた。
「こら! まだ話は終わってないぞ!」
エルザが帰ろうとしていることを察知して、アルヴァーはすかさず彼女の肩に手を伸ばした。
だが彼の手が届く前に、エルザはうっとうしいといわんばかりにアルヴァーのつり目気味なエメラルド色をにらみつける。そしておもむろに、わずかに膝を曲げて腰を落とした。
次の瞬間、アルヴァーの顔面に向かって勢いよく右足が蹴り上げられる。
「っ!?」
黒い革のブーツが風を切る。
風圧でアルヴァーの前髪が揺れる。
エルザの足はしなやかな動きで、彼の鼻先寸前でピタリ、と止まった。
反射的に息をつまらせたアルヴァーに、エルザは勝ち誇ったように笑みを浮かべてみせる。
「本部で幹部やってる父親のおかげで、楽できるものねぇ、坊っちゃん?」
「いいいいいいまはそれ関係ねーだろ!!」
微動だにできぬまま懲りずに反論するアルヴァーだが、どういうわけか視線が不自然に泳いでいる。
蹴り上げたままの足の向こうで顔を赤くしているアルヴァーを、エルザは眉間にしわを寄せて訝しんだ。
「あんた、なに赤くなってんのよ」
「べべべ、別に!? 赤くなんてなってねーよ!」
そうは言いつつも、アルヴァーはエルザから視線をそらしたままである。
「……なんだってのよ、気持ち悪いわね」
「んなっ!?」
「二人とも、またやってるのかい?」
「「ルティス!」」
アルヴァーの不審な挙動に眉根を寄せていれば、静かにひらいたドアからルティス・ブロムダールがあきれたように声をかけてきた。
襟のラインは金が二本、言わずもがな
つい先ほど部下から受け取ったばかりの報告書に目を通しながら、彼はうなじの上でひとつにまとめた淡い水色の髪を揺らしつつ、なに食わぬ顔で二人の横を通りすぎた。
そのままアルヴァーの背後にある執務机につくと、ルティスはエルザに向かってふわりと微笑んでみせる。
「……エルザ」
「なに?」
「とりあえず足、下ろそうか」
「そそそそそうだ下ろせ! 中見えてんだよ!!」
ルティスの言葉に便乗してきたアルヴァーの鼻先を、エルザは今度こそ靴底で蹴ってやった。
制服とともに支給されるブーツの底は銀製である。軽く当たっただけでもそれなりに痛い。
その証拠に蹴られた本人は、顔面を押さえてその場にうずくまっている。
「ちゃんと下はいてるし。バーカ」
涙目で床からにらんでくるアルヴァーに、エルザは小さく悪態をついてやった。
さっきからそれでこの男は顔を赤くしていたわけだ。理由がわかったとたん、なんだかますますいらだちが増してきた気がする。
「ったく……、あたしはもう帰る」
「あ、ちょっと待ってエルザ」
代わり映えしないアルヴァーの小言にいちいち付き合ってやるのもばかばかしくなり、エルザはするりときびすを返した。
今日の勤務時間は終わったのだから、さっさと帰るにかぎる。
しかし、どうやら我らが支部隊長はそれを許してくれないらしい。
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