第21話 鬼(トッケビ)


 


「ねぇ、リュウギ。このまま一生一緒にいたいな」


 同じ布団で横になっていた下着ソッチマ姿の女が、琉戯の顔に手を伸ばす。

 

 その女の手から、煩わしそうに逃げた琉戯はそっけなく答えた。


「そうだな」


 それでも、琉戯の態度が照れからくるものだとわかっている女は、微笑ましそうな顔をしながら——切ない言葉を放つ。


「でもいつか私はあなたより先に死ぬのね」


 自嘲する女に、琉戯は一瞬言葉を詰まらせるが、まるでなんとも思っていないかのように告げる。

 

「それが自然の摂理だろう」

「もう、こういう時は寂しいって言ってよ」

「俺は想像もしたくないんだ。お前がいなくなることを」


 その言葉に、女は戸惑う。


 琉戯の本音だったが、そんな甘い言葉を使うような男ではなかったからだ。


 琉戯自身も動揺しているようで、すぐに「ごめん」と自分を恥じるように告げた。


 そんな琉戯の横顔を愛おしそうように見ていた女の目には、涙が浮かんでいた。


「リュウギ、ありがとう。私、あなたのためなら……」


 そして年月としつきは流れ、一度別れて再会した頃には、女はすっかり面変わりしていた。


「どうしてお前が」


 同胞を襲撃した時、女は空色の鮮やかなチョゴリを着ていた。


 その色が好きだと琉戯が言ったことを、果たして女は覚えているのか——琉戯にはわからないが、以前の女とは違うことなら琉戯にもわかっていた。


 女は真っ赤な紅を差した唇を大きく開いて告げる。


「私にはどうしてもやらなければいけないことがあるの。だから、あなたとは一緒にいられない」

「——おい、待て!」 


 女に手を伸ばした瞬間、琉戯の世界は暗転した。


 そして再び視界が開けた時、自室のベッドの上だとわかって、琉戯はため息を吐く。


「また……あの夢か」


 もう二度と見たくない夢ほど、頻繁に見てしまうことに、今日もうんざりしていた。






 ***






 槍の警備を頼まれた私——アキは、ジンくんやとおるくんとお爺ちゃんのお屋敷で槍を見守っていたけれど——私が一人になったタイミングで現れた璃空りくうさんに、槍を奪われたのだった。


 それから二日後。


 スーツのおじさん人形だけになったダンスホールには、屋敷にいる全ての人が集合していた。


 そこで私が璃空さんのことを説明すると、みんな——とくに長老さんが難しい顔をして話を聞いていた。


「長老さんは璃空りくうさんと知り合いなんですか?」

「ああ……もしその璃空が、わしの知っている璃空なら……」

「長老さんの知ってる璃空さん?」

「そいつはわしの力を奪った——化け物だ」

「長老さんの力を?」

「話せば長くなるが、いいか?」

「うん、聞きたい」


 それから長老さんはひとつ咳払いをして、語り始めた。


「大昔の話だが……わしには一人だけ弟子がいたんだ。しかも人間のな。術師としては化け物じみた才能があった。そして弟子そいつは大切な人を守るために強くなりたいと言っていた。自分の力は、その大切な人とやらのためにあるのだと。だからわしも助力を惜しまなかった。それがある日、あいつは豹変した。わしの力を奪って逃げたんだ」


 一息に言った長老さんの言葉は、いつになく重いものだった。


「長老さんの力を?」


 そう訊ねると、長老さんはなんだか悲しそうな顔でため息を吐いた。


「ああ。あいつは、名前を奪うことで相手の力を奪うことができるんだ」

「名前と相手の力を……」

「そうだ。あいつはわしの名を奪ったことで人外になった。なぜそんなことをしたのかは、いまだにわからないが……わしはあいつから名前を取り戻すために、あらゆる情報収集をした。だが今のわしではあいつには勝てない。だから人形を作った。あいつに対抗するために……が、見ての通り、わしの人形はあいつの力には遠く及ばんようだ」


 長老はがっくりと肩を落とすと、そんな長老の背中を、ジンくんが慰めるようにポンポンと叩いた。


「……問題はあの槍を何に使うか、だよね? えっと、長老さんの力って、どんなものだったの?」

「長老はトッケビなんだ」


 私の問いに、ジンくんが答えた。


 トッケビって……知ってる!


 確か、日本語じゃないよね?


「トッケビ!? ドラマでしか見たことないけど、実在したの?」

「アキ……楽しそうだね」


 ジンくんは無表情だけど、私は思わず興奮してしまう。


「だって、妖怪とか、トッケビとか……実在するんだね。ジンくんの他にも」

「お前も化け物だろう」


 御剣みつるぎ老人に指摘されて、私は全力で否定する。


「違います! 私はこれでもれっきとした人間の女子高生なんだから」

「妖怪を二匹も連れて、何が普通の女子高生だ」

「妖怪を二匹? なんのこと?」


 私がうんざりしながら訊き返すと、老人はジンくんに指をさす。


「そこにおるだろう」

「ジンくんはわかるけど、もう一人って?」

「そこのお前も、人間じゃないはずだ」


 老人がジンくんの次に指をさしたのは、泰くんだった。


 目を白黒させる泰くんを見て、私は慌てて言い返す。


「と、泰くんは違います! ……それより、槍はどうするんですか? このまま諦めるわけにいかないんじゃ?」


 私が訊ねると、お爺ちゃんは残念そうな顔をする。


「そうだな。予定が変わって、あの槍は持ち主に返すことになったのでな……なんとしてでも取り戻さないといけない」

「持ち主? あの槍、お爺ちゃんのじゃなかったの?」

「ああ……昔拾った物だ」

「落とし物を自分のものにしたんだね。大富豪なのに、せこいねお爺ちゃん」


 私が言うと、ジンくんや泰くん、さらにはメイドさんたちの視線がいっせいにお爺ちゃんに集中する。


「あ、あれほどの物が落ちていたんだ。誰だって欲しくなるだろう」

「そもそもあの槍はなんなんですか?」

「あの槍は、〝死神の槍〟だ」

「死神……? 死神って存在するの!? やだ、会ってみたい」


 私がミーハー全開で言うと、泰くんがぎょっとした顔をする。


「アキさん……死神が怖くないの?」

「えー? 別に。妖怪も死神も似たようなものでしょ?」

「いや、だいぶ違うと思うけど」

「とにかく、璃空さんをなんとしてでも探さないと!」






 ***






「泰くん、ごめんね」


 槍を取り戻す会議のあと、お爺ちゃんの屋敷をあとにした私やジンくん、それにとおるくんは、暗い歩道橋を歩いていた。


 そして私が泰くんに謝ると、泰くんはメガネの下で大きく見開いて首を傾げる。


「どうして謝るの?」

「変なことに巻き込んじゃったから」

「ぼ、僕は大丈夫だよ。それより、驚いたことがたくさんあったね」

「そうだね。長老さんには悪いけど、すごく面白かったよ。だって、鬼に死神だよ? ジンくん以外にも妖怪はいるんだね」

「死神は妖怪じゃないと思うけど……」


 ちょっと緊張した様子の泰くんを不思議に思っていると、泰くんはかしこまって告げる。


「あの、アキさん」

「どうしたの? 泰くん」

「もしさ……ぼ、僕が人間じゃなかったら、どうする?」

「え? なんの話?」

「もし僕が妖怪だったら、アキさんは……」


 泰くんが言いかけたその時。


「いた! 泰兄さん!」


 歩道橋の反対側に國柊くんの姿が。


 國柊くんは私たちを見つけるなり、走ってやってくる。


「え? 國柊?」

「國柊くん、どうしたの? 血相を変えて」

「実は、琉戯兄さんが……」

「琉戯兄さんがどうしたの?」

「琉戯兄さんが、いなくなったんだ!」


 國柊くんの言葉に、泰くんは目を丸くする。


「いなくなった?」

「うん。昨日からどこにも見当たらないし、SNSのメッセージにも反応がないんだ」

「琉戯兄さん、寝てるだけじゃないの?」

「それが……今日はソロで写真集の撮影があるのに、現れなかったんだよ」

「なんだって!?」


 大声で仰反る泰くん。


 ……ソロで写真集の撮影って、なんだかアイドルみたいだよね。


 でも難しい顔してる國柊くんにそんなこと言えなくて、私は当たり障りのない言葉をかける。


「でもどうしていなくなったんだろう」

「とりあえず、琉戯兄さんのマンションに行ってみよう」


 泰くんは提案するけど、國柊くんはかぶりを振る。

 

「マンションはもう行ったよ。マネージャーに鍵を開けてもらったけど、も抜けの空だった」

「もしかして……またあいつらかな?」

「たぶん、俺もそう思う」

「とにかくアキさん、そういうことだから。ごめん、先に帰ってくれる?」

「私も手伝おうか?」

「もう遅いし、アキさんに迷惑をかけるわけにはいかないよ」

「じゃあ、そういうことだからアキ姉、ごめんね」

「リュウギさんが見つかったら、教えてね」






 ***





 

「ただいま」


 結局、泰くんとは途中で別れて自宅に帰ってきた私——アキだけど。


 リビングに入るなり、たもるお兄ちゃんは調理の手を止めて私の方にやってくる。

 

「おかえり、アキ。遅かったな」

「うん、ちょっと色々あって」

「ジンくんは一緒じゃないのか?」

「……知り合いに話があるから、あとで帰るって」

 

 知り合いというのは泰くんのことで——琉戯さんを探す手伝いがしたいのか、残ると言って聞かなかったのである。


 ジンくんは子供だけど妖怪だし、泰くんがいれば大丈夫だと思って置いてきたけど——お兄ちゃんには今の説明で大丈夫だったかな?


 けど、意外にもお兄ちゃんは、ジンくんを置いてきたことについて何も言わなかった。


「そういえば、お兄ちゃんはお爺ちゃんに言ったの?」

「何がだ?」

「お爺ちゃんのところで私をバイトさせないよう、お願いしに行ったんでしょ?」

「ああ。当然だろう? もう御剣家に行くのはやめなさい」

「でもさ、なんでわかったの?」

「何がだ?」

「私のバイト先が、御剣のお爺ちゃんのところだってこと。私、どこでバイトしてるのかなんて言わなかったのに」

「聞かなくてもわかるだろう。この辺でお屋敷と言えば、御剣家くらいしかないだろ」

御楯みたて家のお婆ちゃんの屋敷もあるよ」

「……違ってたら、順番に訪ねるつもりだった」

「ふうん……でもさ、槍は盗まれちゃったんだよね。せっかく警護を任されたのに」

「槍? 今回のバイトは、槍の警護だったのか?」

「そうだよ。璃空りくうさんって女の人に盗まれちゃった」

「璃空だと?」

「お兄ちゃん、知ってるの?」

「……いや、知らない」

「お兄ちゃん?」

「もう御剣家には近づくなよ」

「なんで!?」

「ただの女子高生のお前に何ができるんだよ」

「ジンくんや泰くんが助けてくれるし」

「周りを巻き込むのはやめなさい。迷惑だから」

「お兄ちゃんは、すぐそうやって反対するんだから」

「お前のためを思って言ってるんだよ」

「いいもん、反対されたって探すもん」

「お前は……いつまで経っても子供だな」


 お兄ちゃんの説教が始まりかけたその時。


 私のスマホに着信が入って——私は慌てて電話を受ける。


「あ、電話! リュウギさんからだ。もしもし? ……って、電話、切れちゃった」


 國柊くんがいなくなった時に連絡先を交換していたわけだけど、リュウギさんの電話はそれ以降かかってくることはなかった。






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