第6話 異界入り②

 松山の叔父の勝己かつみは、長く都会で暮らしていたが、五年前の離婚を機に退職して岡山に戻り、起業したという。

 今やその事業も軌道に乗り、小型のクルーザーを購入して、独身生活を楽しんでいる。

 美雨は間近で船を見るのも、もちろん乗るのも初めてで、何もかもが新鮮に映っていた。軽く勝己に自己紹介をすると、穂香と陽翔が船に乗り込み、樹と由依が何気なく手を繋ぐように乗った。

 大地に手を差し伸べられ、美雨は戸惑いながらその手を取って船に乗り込んだ。

 操縦室は後方にあり、船の甲板には数人が座れる、ソファーのような座席が備え付けられている。

 これで、美しい海原と晴天の空を優雅に眺めながら、短い船旅を楽しめると思うと、美雨の胸は踊った。


「ちょっとせまいかもしれないけど、ごめんね。でも、無人島までは、三十分くらいかかるんだ。その間、海原と風を感じられて気持ちいいよ」

「いや、そんな事ないっす。めちゃくちゃ座りやすいし、お洒落じゃんね?」

「うん! 樹くんと乗れて由依嬉しいな」

「穂香ちゃんこっちあいてるよ。俺の隣にどーぞ」

「陽翔くん、ありがと。ほんと晴れて良かったぁ。バーベキューも楽しめそうだね」


 船に乗り込んだ六人と船長の勝己が楽しそうに話す様子を見ていると、美雨の隣に大地が座った。なんとなくお互いの距離を開けながら、美雨は、愛想笑いをする。


「船に乗るのは初めてだから緊張するな」

「俺もさ、最初はそうだった。でも叔父さんは操縦も上手いし大丈夫だよ。予報じゃ、今日明日は晴れで、波も穏やかだって言ってたし」


 大地の言う通り海は穏やかで、キラキラと真夏の太陽の光で水面が光っている。

 けれど、あたりを見渡してみても、自分たちが乗ったクルーザー以外は、一隻いっせきも見当たらない。

 この広い海原に、賑やかな自分たちの他に誰もいないと思うと、少し恐ろしくも感じる。勝己は元々都会の人間で迷信を信じていないようだった。お盆の時期も、関係なくクルージングを楽しんでいるのだという。

 漁師のようにお盆の時期に殺生をしなければ、特に何も言われないさ、と勝己は笑っていた。


「今、何時かな……あれ?」


 体感時間で言えば、三十分はとっくに過ぎているような気がして、友人たちと楽しく会話していた美雨は、何気なく腕時計を見た。

 時計の針が、ぐるぐると物凄い速さで回転している。故障したのかと思ったが、美雨は胸騒ぎがした。

 突然、穏やかだった海に波が立ち始め、風が強くなってくると、甲板の上の六人も異変を感じて周囲を見渡した。


「ね、ねぇ……なんか、おかしいよ。いつまでたっても、島なんて見えてこないし、波が強くなってきてる」


 美雨が不安を口にすると、穂香や由依も船にしがみついた。勝己は、急激な天候の変化に、操縦室に戻るように指示したが、とても六人が入れるようなスペースではない。

 なにより、もう揺れる船の上を立って移動できるような穏やかな波ではなくなっていた。


「いやぁ、怖い!」

「きゃぁぁ!」

「しっかり船にしがみついて!」

「波が入ってくるっ……手を離すな!」

「一つに固まれ、お互い離すなよ!」


 波に翻弄ほんろうされた小型クルーザーの甲板に、打ち上げられた海水が入ってくる。

 六人は船に捕まり、一箇所に集まって互いの体を寄せ合って、波に攫われないよう腕を絡ませる作戦を立てた。

 穂香の手を樹が掴み、樹が由依を引き寄せる。大地が美雨を連れ、陽翔の手を取る。陽翔が美雨の片方の手を掴んで引き寄せようとした瞬間、大きな波が船を襲った。


「美雨!」

「望月さん!」


 水圧に押し流され、掴んでいた美雨の腕がするりと抜けると、陽翔と大地は声をあげた。波に攫われた美雨の体は、そのまま荒れた海に落ちていく。

 深く落ちた美雨は水面に向かおうとするが、服を着たままの体は重く、体の自由は奪われ、海の中で上下がわからなくなりパニックになった。

 もかげばもがくほど、酸素が失われていき、美雨の体に力が入らなくなる。


(――――苦しい。私、死ぬのかな。みんな大丈夫かな)


 体はゆっくりと深い水底に落ちていく。

 荒れた水流は何故か穏やかになり、太陽の光が小さく、遠くなっていく。

 美雨は水の泡と小さな魚をぼんやり見た。

 死を覚悟した彼女の瞳に、影がよぎった。

 地上の光を背に、銀の髪がヒレのように水流に泳いでなびいている何者かいる。

 まるで、白龍が天から降りてくるように、誰かが、美雨の方へと向かってきた。

 それは、嵐の中で美しい人魚が王子を助けたように、魚をかき分けてきた『あの人』が、美雨の指先に指を絡めると引き寄せた。


(――――夢、かな?)


 美雨の体を引き寄せた異形の美青年は、そっと唇を合わせる。

 新鮮な空気が美雨の肺に入ってくると、酸素を求めるように、彼の背中に手を回した。

 異形の青年は、美雨の後頭部を支えながら、新鮮な空気を美雨の肺に送り、ゆっくりと回転しながら上昇していく。

 美雨はその心地よさと安心感に、身を任せながら意識を手放した。

 

(――――やっと、あの人に逢えた)

 


 美雨を抱いた異形の青年は、ゆっくりと陸へ上がり、裸足で砂を踏みしめる。

 背ビレと銀と黒の鱗は跡形もなく消え去り、長い銀の髪は、鮮やかに黒く染まって自然に纏められていく。紋付き袴は、現代風の黒い和服へと変わった。

 彼の衣服も髪も、先ほどまで海の中にいたとは思えないほど、乾ききっている。

 彼は腕の中で気を失う美雨を静かに見つめると、妖艶に微笑んだ。

 そして座礁ざしょうした小型のクルーザーから、濡れた体を震わせて降りる、青ざめた人間たちを見つめた。

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