第76話 1人じゃないよ
エヴィアーナ公爵令嬢ことガラテア嬢がやって来てからと言うもの、オリンピア嬢は変わった。
それまでは俺達と一緒につるんでいて、いつもニコニコしていたのに。俺のアホな冗談で涙が出るまで笑ってくれたのに。ディーンやヴァリアンナ嬢、テオドラ嬢やバルトロマイオスも呼んで、何度も丸いテーブルを囲んで、『カロカロ』の大皿料理を分け合ってはしゃぎながら食べたのに。みんなの家族も一緒に、長期休暇を使ってあちこちに旅行にも行ったのに。フェニキア公爵家の別荘に泊まった時には、2人で手を繋いでダンスを踊ったのに。
今や、暗い顔をしてガラテア嬢の後ろをまるでメイドのように従っていくようになった。
どう見ても、誰が見ても、『親しくお付き合いさせて頂いている』関係じゃない。
これじゃオリンピア嬢はガラテア嬢の女奴隷で、人間の形をしたサンドバッグそのものじゃないか。
しかもガラテア嬢のまとう強烈な香水の所為だろうが(他に原因が見当たらない)、級友や担任の先生の態度が急激に変わっていく。
最初は『リュケイオン学園の生徒として不適切な行動です』『貴族として相応しい振る舞いではありません』と叱ってくれていた先生達も、こっそりとオリンピア嬢を庇ってくれていた他の級友達も、段々とガラテア嬢の味方になっていったのだ。特に顔の良い男子生徒はまるで下僕のように従っている。
「だってデルフィア侯爵令嬢……傷物なんでしょう?」
「仕方ないだろ、彼女は傷物なんだから」
まるで集団を洗脳していく生の現場を目の当たりにするようだった。
だけど一番の問題はそれじゃない。
オリンピア嬢が一切……無抵抗と言っても良いくらいに、ガラテア嬢に反抗しない事だ。
「役立たずの傷物!どうしてわたくしの言うことが出来ないのよ!」
「……申し訳ございません……」
「傷物の一族なんかわたくしのパパに言えばどうなるか、分かっていないのかしら?」
おい、同じ貴族派じゃねえのか!?何て事をするんだ!
我慢の限界に達した俺は無言で、2人の間に割って入った。
いつもなら止めに入るレクスも今日は止めては来ない。
オリンピア嬢は俺の大事な婚約者だ。
こんなクソ女に傷つけられて震えているのを、もはや黙って見過ごす事は出来ない。
――それに、俺達の準備は『完了』したからな。
「何を邪魔するのよ!こ、この犯罪者!」
俺はじっとオリンピア嬢を背後に庇って、至近距離でガラテア嬢を睨んだ。
凄い傷痕が顔にあるので、俺が黙って睨むと大体の人間は怖がるのである。
「……なっ、何よ……何を……!」
そして大体こう言う攻撃的な人間は、カウンターには凄く弱いのだ。
相手を言動行動その他諸々で傷つける事は得意でも、少しでも相手から傷つけられると痛い痛いと惨めに泣き叫ぶ。
「犯罪者?僕の婚約者を傷物と侮辱したのは何処の誰でしょうか?その何処の誰かは、侮辱罪と言う犯罪がある事はご存じないのでしょうか?」
「な、生意気よ!わたくしのパパに言いつけてやるんだから!!!」
「つまりガラテア嬢には簡単な問題を解決する能力も無いと、ご自分からそうおっしゃるのですね?」
「~~~っ、きぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!!」
また教室の床にひっくり返ってジタバタが始まった。
まるでひっくり返った亀が暴れているようだ。
今まで可哀想だから言わなかったけど、この女、豚のようなデブだし。
マグヌスの幸せそうな太り方とは違って、不健康でだらしがなくて脂臭くて……見ていると苛立って不快になる、そんなデブなんだ。
……その理由は明確だ。
笑顔が反吐が出そうなくらいに汚いからだ。
誰かを蔑んで嘲って虐げて大喜びする幼稚で下等な性格の悪さが、露悪なまでにむき出しになっているんだよ。
けれど……くっさい香水に頭をやられた級友達はそうは思ってくれなかったらしい。
「レーフ公爵令息、その言い方はあんまりだと思います!」
「そうですよ、エヴィアーナ公爵令嬢が可哀想でしょう!?」
うん、頭と性格がとっても可哀想な女だとは俺も思うよ。
級友共よ、どうしてこんな基本的な事に気付かないんだ?
……違う。
疑いようもなくあの悪魔の薬の影響だろう。
どうして俺達が無事なのかと言うと、魔剣の力で『香水の影響を受けないように』支配しているからだ。
「あっ……その……ああっ……」
オリンピア嬢がどうしようかとうろたえているので、俺は彼女の手を引いてさっさと教室を出て行った。
「ごめんなさい……」
到着したのは人気の無い大講堂の裏手側である。
俺が立ち止まるなり、オリンピア嬢は謝罪の言葉を呟いた。
「本当に……ごめんなさい」
「うん、僕は怒っている」
――ビクリとオリンピア嬢が震えた。
「僕は君の婚約者なのだから、君が困ったら『助けて』って頼って欲しかった。君だけが我慢して辛い事をただ一人きりで耐えているなんて理不尽、絶対に許せないのに」
かつてのデボラと同じだろ、そんなの。
1人きりで悲惨な環境に耐えていて、誰にも助けてって言えなかったばかりにどんどんと悪い方向へ転がっていって。
そして一度は、オリンピア嬢だって最悪の結末を選ぼうとしたんだ。
「あ……」
ポロリ、とオリンピア嬢の目から涙がこぼれた。
「……あっ、あああっ……ううっ……!」
うずくまって泣きじゃくる彼女にハンカチを渡して、俺は言った。
「――バルトロマイオス君、オリンピア嬢がガラテア嬢にここまで虐げられている事をデルフィア侯爵は知っていらっしゃるのですか?」
超絶シスコンの彼は、とーってもとーっても激怒していた。
我慢できなくなって真っ先に物陰から飛び出してきたくらいに。
「いえ……何も。恐らく父様も、ご存じありません……。僕でさえ何も気づけなかったのですから!」
ハッと顔を上げたオリンピア嬢の目の前には、頼もしい味方が沢山いた。
「既に吾輩が改良した中和剤を今頃レクスとディーンとヴァリアンナ嬢が学校中に噴霧しているのである」と言って、ヴァロはニヤッと笑った。
「まあまあヴァロ様、流石なのですの。でも、大元のあの香水はどういたしますのなの?」
俺達総出で頑張って、ヴァロやテオドラ嬢に頼んで改良した中和剤を量産し、マグヌスに頼んで学園内に運び込んで貰ったのだ。
ちょっと製造に失敗して性能が悪い人工魔晶を使った特製の装置で(超大型の殺虫スプレーのような形をしている)、ブシュー!と霧状にした中和剤を大量に辺り一帯に一気にまき散らすのだ。
とても鞄に収まる大きさと数じゃ無かったから、学園御用達の商人のマグヌスが協力してくれて本当に助かったよ。
「それならこっそり手に入れて来たよ」俺は小さな香水瓶を、魔法で作ったこれまた小さな結界に封じている有様を見せた。「これは動かぬ証拠だからさ。……ご丁寧に『魔力刻印』でエヴィアーナ公爵家の紋章まで刻まれているしね」
同じ血族数百人規模の魔力を何百年もかけて刻印出来るのは1つ2つがやっとだと言う代物なので、偽造はほぼ不可能とされている。
故に、大貴族の家に代々伝わる家宝か、それに匹敵する重要な宝物に刻まれる事が多いのだ。
ちなみにカインに頼んで、魔剣の力でくすねて(食べて)貰ったから、今は俺が持っている。
「そろそろここに、調査員が派遣されてやって来ると聞いているんだけれど……」
俺は辺りを見渡した。
『来たようだぞ』
――ゆらり、と足音もなく黒ずくめの人影が木陰から現れた。
「『黄金のリンゴは誰の手に』」
「『最も美しい女の手に』」
符牒が合っている。俺は彼の手に結界ごと香水瓶を渡した。香りに有毒な成分が含まれているのは間違いないので、むき出しのまま渡す事は出来なかったから。
それほど強固な結界ではないので、開封も難しくは無いだろう。
人影は結界ごと丁寧にブツをしまうと、無言で俺達に一礼して、消えるように立ち去っていった。
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