第15話 左大臣
「なるほどね……クズだね……」
一夜はユディから話を聞き出した後、その顔を布で隠し、再び言ノ葉の力で姿を見えないようにして、兵たちにバレることなく城を抜け出した。
⟡.· ⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ⟡.·
その数十分後、今度は上層部へと舞い降りた。
「ここだね」
一夜が足を向けた先は、質素な王族たちの部屋とは対照的に、煌びやかな装飾が施された扉のある部屋だった。
コンコンコン――――
「誰だぁ?」
ノックをすれば、一呼吸置いてからのっぺりとした声が返ってきた。
「……東雲一夜と申しますが」
その名前を聞いて焦ったのか、その人物はゴトン!ガタン!!と物音を立てながら、扉の方へ駆け寄り、勢いよくその扉を開けて、作ったような笑顔を向けてきた。
「これはこれは……!お初にお目にかかります。私は左大臣のレイフルールと申します。先刻は出先におりましてお出迎えすることが出来ず……。あっ、右大臣の奴が失礼を致しませんでしたか?」
その男はでっぷりとした腹を揺らし、髪の毛はぴっちりと七三に分けられていて、油でぴっちりと固められている。それに香水だろうか、やけに甘ったるい香りをまとっていた。
手を揉みながらこちらに擦り寄ってくるその声に、一夜は正直不快感を抱いていた。
(こいつの声、身体にねっとりとまとわりついてくるようで嫌だな……僕を利用しようとしている意思が強烈に伝わってくる)
一夜が初めてこの国に舞い降りた時、城で出迎えてくれたのは、右大臣のライトニッヒだった。
スノウたちのことが心配になって、ランを二人の元へ送り込んだのも、このライトニッヒの指示によるものだと後から聞いた。
ライトニッヒは、このレイフルールとは真逆で痩せ型の高身長の男性だった。
さっきの言い方だと、このレイフルールはライトニッヒに対してあまり良い印象を持っていないようである。
一夜が尋ねたのは、この左大臣レイフルールの執務室だった。
「ええ。右大臣のライトニッヒ様には、とても良くしていただいてますよ?」
少しだけ煽るように返してやると、思った通り、レイフルールは負けじと自身の株を上げようと口を開いた。
「ほう……あの若造があなた様を満足させられるとは。奴から何を送られたのですかな?私めは、奴よりも遥かに上等な物をあなた様へ献上することが出来ますぞ!!」
腹を揺らしながら、そう自慢げにふんぞり返っている姿に、呆れて言葉も出てこない。
ライトニッヒの話によると、左大臣と右大臣とでは基本的に左大臣の方が権威が高く、王族に次いで強い権力を有しており、右大臣は左大臣の補佐的な役割を果たしているのだとか。
それに加えて、国王はどちらかというと象徴的な意味合いとしての存在であるため、内政に関して強い影響力を持ち、実質この国を動かしているのはこの左大臣レイフルールであるという話もしていた。
だが、レイフルールの左大臣就任には不可解な点があるというのだ。
レイフルールが左大臣に就任したのはここ最近のことで、それまでは前左大臣の補佐を担当する役職に就いていた。
ところが、どういう訳か国王が急に前左大臣を免職させ、後継に若くして頭角を現してきていたライトニッヒではなく、長年補佐役として燻っていたレイフルールを指名した。
その任命後に国王が病に伏してしまった為、その真相は未だに分かってはいない。
その前左大臣は、ライトニッヒのことを目にかけて、ずっと指導をしてくれていたらしく、「師匠の仇はいつか必ず……」と息巻いていた。
同時に、「左大臣にはお気をつけください」とも。
「ライトニッヒ様からは、守護神となったことに対する感謝の言葉と、この地域に伝わる伝統的なお菓子をいただきましたよ。とても美味しかったです♪レイフルール様は、それよりももっと素敵な物をくださるということですか?」
一夜のその言葉に、レイフルールがピクりと眉を上げた。
「ええ!もちろんですとも!!一夜様は何をご所望でしょうか!!」
レイフルールは興奮した様子で扉から身を乗り出し、顔をずいっと近づけてくる。
「うっ……」
失礼だとは思っていても、身体がつい反応してしまうほど、あまりにも酷い臭いだった。
生臭い口臭と、汗が染みたまま放置された布のような体臭が鼻をツンとさせる。
恐らくそれらの臭いを隠すために香水を必要以上につけているのだろう。
様々な匂いが混ざり合って、もはや悪臭でしかないそれに思わず顔を背けてしまったが、その行動が良くなかった。
「ぐっ……神でさえ私からそのように顔を背けるか!!私を見下してきたあの女どものように!!こちらが下手に出れば調子に乗りやがって……!!」
「わっ!?痛っ……ちょっ……!!」
ビリッ――!!
レイフルールは怒りに任せて一夜の細い腕を掴み、自身の部屋に引きずり込むと同時にソファへ押し倒した。
そして一夜の上に跨ると、その顔を隠している布を力一杯に引きちぎってしまった。
(やっぱり最初から黙らせておくべきだったかな……)
「神と言えども、所詮は魔族!!どうだ、身動きが取れまい?この魔封じの指輪を身につけていれば、貴様などこの程度だ。ぐふふ……よく見たら綺麗な顔をしているではないか!このまま貴様を奴隷として傍に置いておくのもまた一興か……」
そうニヤリと笑みを浮かべて得意げになっているが、実際のところ一夜はただ単に、レイフルールの体重が重すぎて身動きが取れなくなっているだけだった。
「……何も変わってませんけど」
「くく……強がりおって」
「いや、本当に」
あまりにも落ち着き払っている一夜の態度に、レイフルールも流石に動揺した。
「そ、そんなはずは……!貴様、今すぐ立ち上がれ!!」
レイフルールは一度一夜の上から降りると、改めてその指輪の効力を試そうと、一夜に対して手をかざし、高々と命令して見せた。
ただ、それを受けても一夜は命令通り立ち上がることはなく、身を起こすと足を組んで座り直し、レイフルールに冷たい視線を浴びせるだけだった。
それにたじろいでいるレイフルールを他所に、一夜は考え事をしていた。
もしかしたら、言ノ葉の権能ってああいった道具による精神支配のような力の上位互換的な位置にあるのではないか。
ユディのような例外はあったものの、言葉をかけるだけで、相手の精神を無視してその行動を支配することが出来る。
それに他の魔法や物質にも鑑賞することが出来る、まさに神の力。
この世界の能力って、より上位の力をつ相手には効かないのではないか。
(たぶん僕に効くとしたら、初めて出会った時にクロカがやろうとした不意打ちの物理攻撃くらいじゃないかな?)
それに、ユディであっても、この布を外して相手と目を合わせた上で言ノ葉を掛ければ、言うことを聞かせることは出来た。
きっとこの布を掛けた状態では、相手に伝わる力も半減してしまうのだろう。ということは、精神力が強い者や、魔力耐性の高い者には耐えられてしまうことになる。
なら、この力の効果を余すことなく発揮させたいのであれば、面隠しの布を外して、相手と視線を合わせる必要がある。
(まずは相手の動きを止めて、それから布を外せば確実に視線は合わせられるね……)
だけど、あんまり人と目を合わせるの得意じゃないし、無理やり言う事聞かせるのも嫌だから、そうするのはユディの時みたいに仕方がなく必要な時だったり、今みたいに話が通じなさそうな奴と対峙した時だけにしよう。
(さて、そろそろこの人との時間も終わりにしようかな。ユディの動き止めたまま閉じ込めちゃってるし)
「き、貴様一体どんな魔法を使ったんだ……!!魔族がこの指輪に抵抗出来るわけが無い……だってこれは伝説級のアイテムなのだぞ……そんなはずが……」
「あの、勘違いしているようですけど、僕は魔族ではありませんよ?だからその指輪は効かなくて当然なんです。それに、性別も無いので、あなたが期待していたようなことは出来ませんよ?」
「何だと?であれば貴様は―――」
『黙れ』
今の一夜は面隠しを付けていない。
純度の高い言ノ葉の力を受けたレイフルールの口は、一夜が言葉を放ったと同時に縫い合わされたように固く閉じられた。
突然のことに混乱し、自身の口をその指でこじ開けようともがいているが、無駄である。
「あなたとのお話はこれで終わり。後は僕が貴方から一方的に話を聞く時間です」
『黙って僕についてこい』
今になって目の前にいるその存在が、自分が思っていたよりも強力な力を持つ存在であることを実感したのか、レイフルールは怯えた様子で目を見開いていた。
一夜はその目としっかりと視線を合わせて言ノ葉を掛けた。
するとレイフルールの瞳からはたちまち光が失われ、ただ一夜の後ろをついて回る人形と化した。
「うん、しっかりかかったね。それじゃあ、破かれちゃった面隠しをまた作って……」
『作成』
「……あれ?」
言ノ葉を唱えても面隠しが生成される気配が一切感じられない。ここには麻を素材として作られた布地が無いようだ。
「仕方がない。このまま城内を移動するしかないか……あれ、そういえばスノウ達にも素顔は見せてないから、怪しまれたりとか……まぁ服装は同じだから気づいてくれるよね」
城に居る兵士や、城下で見た街中の民たちの服装とも違うため、きっとスノウたちや兵士たちにも印象に残っているだろう。
一夜はそう考え、後ろでまるでゾンビのように脱力しながらもその手足を動かして自分の後をついて来るレイフルールを引き連れ、執務室を後にした。
「自分でそうさせといてあれだけど……けっこう絵面やばいな……これ……」
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