私たちは血塗られた大人の世界を知らない。破壊と再生の物語
明日乃たまご
Ⅰ章 新世紀
第1話 お嬢さま、脱走!
――ズンズンチャッチャ、ズンズンチャッチャ、ドゥーン――
アップテンポの音楽が大音響で空気を震わせる室内……。無数の小さな照明が色を変えながら忙しく点滅を繰り返す。
その中央で、
ただ踊るだけだ。音楽が大きすぎて声は届かない。それでも、仲間と一緒に踊るのは楽しい。同じ場所で同じリズム、身体を動かすだけで、心の波が同調する。
「ヒャッホー!」
ルミルは心のままに叫んだ。その時だ。音楽が止まり、照明の点滅も止まる。一緒に踊っていた友達のホログラムも消えた。そこは緑一色のバーチャルスタジオだった。
「何をするのよ、ママ!」
ルミルは吠えた。視線の先には出入り口に立った母、
「ルミル、たまには、まじめに勉強したらどう?」
いつの時代でも、母親というのは子供の機嫌を損ねる天才だ。それは、子供が母親の機嫌を損ねる能力と同等なのだけれど、親子共にそのことに気づくのは難しい。
本宮ルミルは17歳。家庭は裕福だが、本人は体力、知力、女子力共に普通の女子高生だった。何をもって普通というのか、ここでは問題ではない。とにもかくにも、彼女は現代社会というゲームの参加者の一人だ。
「ママ、勉強、勉強ってうるさいわ。友達と遊んでいる時ぐらい、自由にさせてよね」
「やることをやったら自由になさい。まずは昼食よ」
杏里は先に立ってダイニングルームに向かう。
「みんな、また後でね」
ヘアピン型ウエアラブル端末にむかって別れの挨拶を投げる。
『ホーイ』『またね』『いっちゃうのぉ』『バイバイ』
友人の声を聞いた後、端末をインターネットラジオに切り替える。脳内に送られてくるラジオの音楽は、お気に入りのロックバンドの最新アルバム曲だ。
夕食はハンバーグだった。それを胃袋にかき込むと、母親の顔を見なくて済むように2階の自分の部屋に逃げ込んだ。機嫌を悪くしても、母親の言うことが間違っていないことは理解している。理解できるからこそ、心が泡立つ。
「問題は話すタイミングと言い方なのよ」
自分を正当化しながら学習端末のスイッチを入れて、社会科学のテキストを開いた。そのテキストには、地球環境の回復に努めなければならないとか、異種族との文化交流を図って理解を深めなければならない、といった堅苦しい文字が並んでいる。
温暖化ガスの増加で地球環境が悪化したのは人類の罪だが、それはルミルにとっては人生というゲームで与えられた既存のステージだった。嘆いてみたところでステージが変わるわけではない。
オーヴァルと呼ばれる異種族は、20年ほど前から地球上のゲームに突然参加した人工生命体で、人類と3年に及ぶ戦いを繰り広げた。結果、人類とオーヴァルの間で和解が成立したが、その戦いで人類は40億の命を失った。
人類は大きな犠牲を払ったが、その代償として手に入れたオーヴァルの森によって砂漠化が止まり、有毒物質による汚染地帯の環境も改善し、地球は復活しつつあった。
学習端末の記憶支援ソフトはインターネットラジオの音楽を強制的に止め、ずかずかとルミルの頭に踏み込んで、真っさらな脳細胞に、政府公認の知識を強制的に書き込んでいく。そうした学習機能は、いつも正論を振りかざす母親の真面目な顔と重なった。
「異種族の文化なんて、たったの20年前に始まったばかりじゃない。もともと、誰がこんな世界をつくったのよ」
ルミルの疑問に学習端末が応えることはない。
大人は自分たちの失敗を棚に上げ、その後始末を子供たちに押し付けているのだと思うと、また腹が立った。
学習端末の隣には、オーヴァルの木で作られた高さ20センチメートルほどの人形がある。それは父親がオーヴァルの国を旅した時の
ルミルは人形を手に取った。見た目に可愛らしいオーヴァルの赤ん坊だが、その性格は凶暴で人を襲うこともあるという。
「都市伝説よね。こんなちびっこにびくつく方がおかしいわ」
ルミルは人形を置いた。そして、自分が母親にびくついているのだと気づいた。
「もう、ママったら……」
腹の底から熱い憤りがふつふつと湧き上がってくる。
気持ちのコントロールができなくなったルミルは、セキュリティーを切って窓を開け、スカートを
§
庭のセキュリティーセンサーが反応して、ルミルの脱走風景は母親のウエアラブル端末に届けられた。「またか……」と杏里はため息をつく。休日は娘とゆっくり話し合って愛情を育みたいと思うのだが、顔を合わせるとついつい小言が先になって、親子の間には反発しあう空気が生まれる。娘の言うことにも耳を傾けなければいけないと分かっていても、ルミルの反抗的な態度が次の小言の原因になってしまう。
§
広い庭では、セキュリティーロボットのシンゴさんとアサさんが花壇を作っていて、仲のよい老庭師夫婦のようだった。季節は秋で、来春のためにスイートピーや菜の花の種をまく準備をしているのだ。ちなみに、シンゴさんとアサさんというのは、名前ではなくヒューマノイドの製品名だ。
「ルミル様、どちらへ?」
人のよさそうな顔のアサさんが駆け寄ってきてたずねた。
「
ルミルは正直に応えてシンゴさんとアサさんに手を振る。
向日葵は杏里の妹だ。杏里が真面目で几帳面なのに対して、向日葵は明るくおおらかな性格だった。言い換えれば、能天気でアバウトだ。ルミルは、そんな叔母の性格が自分と似ていると感じていて、母親より親近感を覚えている。
寡黙なシンゴさんは立ち上がっただけで、広い庭を横切るルミルを見送った。
ルミルは、大きな車庫から自分のドローンを引っ張り出して飛び乗った。それを動かすには、行先を命じるだけでいい。
「向日葵叔母さんの家に行ってちょうだい」
『かしこまりました。離陸準備をしますので、シートベルトの装着をお願いします』
ドローンに搭載されたオートパイロットシステムは母親のような堅物で、簡単には言うことを聞いてくれない。ルミルが妥協してシートベルトを締めると、ドローンは六つのプロペラを前後左右に展開して離陸した。
ドローンは50メートルほどの高度を時速30キロで飛んだ。ルミルのドローン以外にも、数台のドローンが飛んでいる。それを持っているのは裕福な人間たちだ。
秋の景色は美しかったが、空気は冷たく部屋着で飛び出したルミルを後悔させた。
その日、ルミルの運は悪かった。薄暮の中、ドローンの進路にムクドリの巨大な群れが現れたのだ。それでも、進路をドローンのオートパイロットシステムに任せておけば問題はないはずだったが、若さに任せて「突っ切れ!」と命じたものだから、ドローンとムクドリの群れは正面衝突することになった。
周囲をムクドリに囲まれてから慌てた。
「あっちへ行って」
手を振って追い払おうとしたが無駄だった。
オートパイロットシステムは機体を上下左右にコントロールして懸命に小鳥との衝突を回避したが、パニックに陥ったムクドリたちが無茶苦茶に向きを変え、数羽がドローンのプロペラに巻き込まれ、その一つを止めてしまった。
「あら、たいへん」
言ったものの、ルミルは落ち着いていた。
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