3-3 シヤマの民
「力任せにいき過ぎるのがこの子の悪い癖でね」
不機嫌そうに口を尖らせている少女の頭をぐりぐりと撫でながら、白髪の老婆がエリオとピーノへ片目を瞑ってみせた。
彼女の恐るべき魔術によって難所を越えたものの、山間の地に夜がやってくるまでもうそれほどかからないだろう。どこか野営のできる開けた場所を求めて集団は足早に進んでいた。
案内がてらエリオとピーノもそのまま彼女たちに同道しているのだ。
ピーノは無表情に親友の腹を小突く。
「言われてるよ、エリオ」
「おれのことじゃねえだろうが。それにだ、おれみたいな木こりから腕力を取ったら何も残らねえぞ」
「それもそうだね」
「おい、とりあえず『そんなことないよ』くらいは言ってくれ」
二人のやり取りに、老婆が顔中を皺だらけにして笑った。
「あんたたちは本当に仲がいいんだねえ。うん、いいことだ」
ここまでの道すがら、老婆の名がユエであり、一行の長老といえる存在なのだと二人は教えてもらった。
まるで孫のような傍らの少女はハナというのだそうだ。
実際には血の繋がりはないそうだが、彼女たちにとってそんなのはさほど重要でもないらしい。
そして美しい褐色の肌を持つ彼女たちは自らを〈シヤマの民〉と名乗った。
大陸に点在する聖地を訪ねて祈りを捧げ、円環のごとく終わることのない巡礼の旅を続けるよう運命づけられた流浪の民。
そういった禁欲的な生き方をしている人たちがいることも、話す言葉がまるで違う人たちがいることも、今までこの地しか知らず生きてきたピーノにとっては想像の埒外といってよかった。
日が傾きの度合いを増し、周囲を紅く染め上げていく。
しばらく歩き続けていた一行はようやく野営に適した場所へたどり着いた。近くには流れの緩やかな川もあり、飲み水の確保にも困らない。
男たちは疲れも見せずすぐに天幕の設営へと取り掛かった。惚れ惚れするほどの手際の良さであり、あっという間に今夜の寝床が八つも組み上げられてしまう。
だがその作業が終わるか終わらないかのうちに、何人かは楽器を手にとり、いかにも愉快そうに音を奏でだした。
楽器といってもピーノとエリオにわかるのは笛と小さな太鼓くらいのもので、ぴんと張った糸が何本もついているようなものなどこれまでお目にかかったことがない。けれどもとても綺麗な音だ。
野営地の真ん中には集められた薪を組み上げており、そこへ火が起こされた。
吸い寄せられるようにハナが近づいていき、どんどんと勢いが強くなる火を背にしてそのまま彼女は踊りはじめた。
「音楽と踊りこそがあたしたちにとっての生きる糧なのさ」
目を細めてハナを見つめながら、長老ユエがぽつりと言う。
「一つ所に定住することなく、生まれてから死ぬまで流れ続ける日々には喜びよりも苦難の方がずっと多い。でも、音楽と踊りがあればどうにか暮らしていけるってもんだ」
それがあたしらシヤマの民さ、と彼女は微笑んだ。
ピーノは先ほどから気になっていたことを訊ねてみることにした。大陸中を流浪する民と出会うなど、望んでも得られる機会ではないのだから。
「じゃあ、ユエ婆ちゃんがさっき見せてくれたようなすごい力は、シヤマの民のそういう厳しい生き方と引き換えにして手にしたものなの?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える」
火の爆ぜる音が合いの手のようにして、楽器から奏でられる音と絡みあう。
ハナの踊りはいよいよ動きの迫力を増していった。
「踊りによって自然の力を借り、人知を超えた術として行使するのはたしかにあたしたちにしかできないことだ。でもシヤマの民であれば無条件で誰でもできるわけじゃないよ。ごくわずかな踊り手だけが自然に認められ、交わって融け合い、その偉大な力をほんの少しだけ貸してもらえるのさ。水、土、風、草木や光、そういったものからだね」
「あれ、火はどうなんだよ?」
今度はエリオによる何気ない質問だったが、長老ユエはわかりやすく顔をしかめてしまう。
「うーん、火かい。そいつは昔から禁忌とされている術なんだ。使い方を誤れば、火はすべてを燃やし尽くして灰にしてしまう。あたしたちのような小さき者が使いこなせるだなんて思い上がっていい力じゃないんだよ」
彼女の意外なほど厳しい調子に、エリオもそれ以上は聞こうとしなかった。
代わりに傍らのピーノへと笑いかける。
「踊れなきゃだめだとさ。残念だが、おれたちには無理そうだなあ」
「高望みだね。たぶん見られただけでも幸運だったんだってば」
齢を重ねて熟練の羊飼いへと成長し、いつかはこの土地で死を迎える。
そんなピーノの人生にとって、奇蹟に等しい力が振るわれる場面に居合わせることができた今日という日は本当に劇的で、この先もずっと特別であるのは間違いない。
「くれぐれも他の人たちには内緒にしといておくれよ。あんたたちなら大丈夫だろうが、念のためにね」
もちろん長老ユエから釘を刺されるまでもない。
親友であるエリオと共有した素晴らしい一日の記憶を、彼は大事に胸の中へしまっておきたかった。
「口外するつもりはないから心配しないで」
どうせ言ったところで誰も信じてくれないだろうしね、と冗談めかして肩を竦めたピーノに、エリオも「はは、違いない」と同調する。
最後の一欠片といった夕焼けも山の向こうへと消え去り夜の闇に取って代わられた頃、踊り続けてひとまず満足したのか、頬を上気させたハナが真っ直ぐピーノたちのいる場所へとやってきた。
《────》
そんな彼女が居丈高に、エリオとピーノへ向かって何ごとかを口にする。
二人はさっそく長老ユエに通訳を求めた。
白髪の老婆は苦笑いを浮かべ、少し言い淀んでしまう。
「ははあ、これはまた何か悪口でも言われてたっぽいね。別に構わないのに」
「な、今さら気にするかっての。で婆ちゃん何だって?」
エリオに促され、いかにも気まずそうな表情で彼女が訳してくれた。
「田舎者のあんたたちにもわたしが踊りってもんを教えてあげるから、さっさとこっちへ来い──だとさ」
言い終えた長老ユエはすぐに「この子に悪気はないんだよ」と少女をかばう。
「どうにも口が悪いのは育ててきたあたしたちのせいだろうから、二人ともハナを怒らないであげとくれ」
「いいや、怒る理由なんてどこにもないよ」
まるで意に介さない様子でエリオが鷹揚に答える。彼のこういったところを、ピーノは幼い頃から本当に好ましく思っていた。
「それじゃあピーノ、揃って不格好な踊りでも披露してくるか」
「せっかく彼女に教わるんだから、少しだけでも上手くなれるといいな」
そんな軽口を叩いている彼ら二人へ、ハナが「つかんで」とばかりに両手を差しだしてきた。
エリオとピーノがおずおずとその手を握れば、途端に彼女は相好を崩し、ぎゅっと力を込めて握り返してくる。
初めて見せてくれた彼女の笑顔は、あの素晴らしい踊りよりも美しい。
あまりに美しすぎてピーノはしばらく見惚れてしまった。
◇
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう、そういうものだ。
シヤマの民きっての踊り手であるハナの教えを受け、飲み込みの早いピーノはそれなりに格好がつくところまで上達した。
相方のエリオはややぎこちなさが残る出来に終始したが、それでも周りから二人へと喝采が送られた。
「どうだいあんたたち、食事くらいは振る舞わせておくれ」
長老ユエからしきりにそう誘われるも、さすがにエリオもピーノも家族の待つ家へ帰らなければならない。
丁重に固辞し、去りがたい気持ちを押し隠しながらシヤマの民の皆へとさよならを告げる。
代々受け継がれてきた土地と仕事を守っていくことになるエリオとピーノ、そして巡礼のため流浪の旅を続ける一族。
互いの生き方が正反対である以上、きっともう二度と出会うことはないだろう、とこの場にいる誰もが感じているはずだったが。
随分と柔らかい表情を見せてくれるようになったハナだけは違った。
別れ際に彼女が口にした言葉の意味を、長老ユエが二人に教えてくれたのだ。
「またね、とこの子は言ったのさ」
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