1章 マダム・ジゼルの館

1-1 家族みんなで昼食を

 ごうん、ごうんという重い響きが背中越しに聞こえてきた。

 市場の外れにまで買い物しに出掛けていたおかげで、ピーノは館へと帰りつく前にセス教の大聖堂で鳴らされる鐘の音を耳にする羽目となった。

 昼であることを知らせる鐘だ。


「まずいね、これは」


 歩幅が徐々に広がり、やがて地面すれすれを滑るように駆けていく。すれ違う人があまりの速さに驚き、慌てて振り返ってみてももうすでに彼の姿はそこにない。

 大通りから四輪馬車がどうにかすれ違えるくらいの裏通りへと抜け、さらに奥まった場所へ。ひっそりと佇む三階建ての建物にまで走りに走ってようやく戻ってきた。


 目立たぬよう設えられている正面玄関ではなく通用口へと回りこみ、廊下を進みながらわずかに乱れた呼吸を整え、ピーノは食堂の扉を開く。


「おっせぇぞピーノ!」


 予想していた通り、さっそく野次が飛んできた。

 さほど広いとは言えない食堂内には一本の長い机が置かれている。

 相当に古くあちこちが傷んでいる代物だが、毎日欠かさずきちんと手入れはされているため食卓として使うのに何の問題もなかった。


 机にはすでに大皿へ盛られた料理が並んでおり、着席しているのは二十一人。

 年齢こそ幅があるものの、そのすべてが女である事実がこの館の特殊さを端的に示している。

 先ほどの野次の主、金髪のソフィアは左側の列中央で頬杖をついて座っていた。


「ほらほらー、うちの姫もおまえのことを呼んでんだろうが」


 そう言って彼女は先頭を指差す。

 見ればこの館で最年少の少女であるレベッカがぶんぶんと手を振っていた。そしてもう片方の手で隣の空いた席を叩きだす。

 ピーノによく似た色合いの赤毛の女の子であり、二人が並んでいるとまるで兄妹のようだ、と誰もが言う。


「な? だからさっさとあそこに座れって」


 これ以上のおあずけはもう耐えられん、とソフィアはわざとらしく口を尖らせた。


「わかった。みんな、遅れてごめん」


 素直に謝ってレベッカの横へと体を潜り込ませる。

 しかしここへ来た当初のピーノの態度はまるで違うものだった。

 朝と夜には揃って食事をするのが難しい、だからせめて昼食はできるかぎり全員で。それがこの館における流儀だと事前に教えられていたにもかかわらず、「ぼくを待つ必要はない」と何度も撥ねつけていたのだから。

 そのたびにソフィアあたりから怒られ続け、ようやく今ではそのような無粋なことを口にしなくなった。


 席に着いたピーノに対し、ソフィアがにっと笑いかけてくる。

 常日頃からこのようながさつそのものの振る舞いを見せる彼女だが、ピーノは知っていた。

 ひとたび着飾れば、ソフィアは貴族令嬢や上流階級の娘たちになど引けをとりはしない。容姿のみならず、教養や礼儀作法においてもだ。


 マダム・ジゼルの館。誰が名づけたのかはわからないが、この館は誰からもそう呼ばれる。

 主のマダム・ジゼル、副長として支えるコレット、彼女たち二人によって設立された娼館であり、また同時に身寄りのない少女たちを育てる孤児院でもある。


 通りに面している娼館とその裏に隠れるようにして建つ孤児院とを繋ぐのが、昼食をとるためにみんなが集っている食堂だ。

 マダム・ジゼルやコレット、ソフィアたち七人の娼婦、レベッカら十四人の身寄りのない子供たち、ついでに一人の小柄な用心棒。

 総勢二十二人が揃って食卓を囲む。大きな家族として。


 ひとたび食事が始まればえらく騒々しいのはいつものことだった。

 あまりの賑やかさにピーノは慣れたはずの今でも圧倒されてしまう。女性ばかりの食事など、これまでの人生で経験してこなかった光景なのだから無理もない。

 ソフィアあたりはものすごい勢いで料理を口に放りこみながら、同じくらいの勢いで向かいに座るクロエ相手に喋り倒している。


「あのねあのね、ピーノあのね」


 傍らのレベッカも年上のお姉さんの真似をしてなのか、食べ物で頬を膨らませたまましきりにピーノへと話しかけてくる。

 これはよくない傾向だ、と彼は心中で密かに嘆息した。


「落ち着いてレベッカ。まずちゃんと口の中のものをよく噛んで飲み込もう。それからゆっくりお話をすればいい」


「うん!」


 素直に頷き、言われた通りに幼いレベッカがもぐもぐと口を動かしている。

 しかし「かーっ、わかってねえなー」と横槍が入れられた。またソフィアだ。


「肉が少ないにせよ、目の前に美味しそうな料理が並んでんだぞ? がっつかなきゃ失礼にあたるってもんだろ」


「あら悪かったわね、肉が少なくて」


 今度はピーノからみて対角に座るコレットが参戦してくる。

 この館の経理と料理、そして健康管理まで一手に引き受けている有能な彼女には誰も頭が上がらない。

 主であるはずのマダム・ジゼルでさえしばしば叱責されているほどだ。


「いやー、そういうつもりじゃないんだよー」


「じゃ、どういうつもりなのか納得いくまで説明してもらおうかしら」


「勘弁してくださいコレット姉さん!」


 大袈裟に謝るソフィアの姿に、一同から笑い声が上がる。

 ただ、彼女の正面にいるクロエだけは無理をして作ったような笑顔だったのが気にかかった。

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