第20話 早くも始まる後悔(※sideアンドリュー)

(……あれは……メレディア?だよな?彼女に似た別人なんているはずがないし……。だけど……)


 昼の休憩時間がそろそろ終わるという頃、僕はいつもの友人たちと連れ立って教室に戻ろうと一階の廊下を歩いていた。

 窓から中庭が見渡せるところまで来ると、何気なく外を見る。いい天気だ。いつも何組もの生徒のグループが集まっている場所だが、もうほとんどが引き揚げたのだろう、テラス席も人が少なかった。


 その時、その中にいたとりわけ目立つ美女に、僕の視線は釘付けになった。見事なまでに艶めく長い金髪を水色のリボンで飾って屈託なく笑っているその人が、自分の元婚約者であることに気付くのに数秒かかった。


「アンドリュー様?いかがされましたか?」

「…………いや……、……先に行っててくれ」


 友人の一人に声をかけられたが、目が逸らせない。僕は窓越しに食い入るようにメレディアを見つめる。


 数人の令嬢たちと楽しそうに言葉を交わしながら、椅子から立ち上がるメレディア。……何だ?あの雰囲気。あの弾けるような笑顔。……え?僕の知っているメレディアとはまるで別人じゃないか。

 メレディアは完全無欠の公爵令嬢と周囲から言われるだけあって、いつも本当に完璧な立ち居振る舞いを見せていた。見た目の美しさも群を抜いているし、所作の一つ一つは社交界の誰もが見とれるほどだ。立っているだけで神々しいほどだった。王太子であり彼女の婚約者でもあるこの僕でさえ、時に圧倒されてしまうほどに。


 だが今目の前で、大輪の花が春風に吹かれているかのような、心から楽しげな柔らかい笑顔を見せる彼女のなんと輝いていることか。僕にあんな笑顔を見せたことなどただの一度もない。いや、たぶん誰も見たことないんじゃないだろうか。いつものアルカイックスマイルとは全然違う。……ほんの少し、ふっくらしただろうか。元々触れれば折れそうなほどのか細さだったが、今の程よく丸みを帯びた彼女の胸や腰の曲線は、ますます女性らしい魅力が増している。肌艶もすごくいい。それでいて手足はやはりしなやかですっきりと細い……。


「………………。」


 いつの間にか僕は窓に貼り付く勢いで彼女を凝視しては、その変化を分析していた。

 長く休んでる間に、一体何があったんだ?僕から婚約を解消されたことがショックで引きこもっているのだとばかり思っていたのに……。むしろ以前よりはるかに元気そうじゃないか。あんな風にクラスメイトたちと一緒に休憩時間を過ごして、笑い合っているなんて。以前のメレディアには絶対になかったことだ。


 その時、校舎に戻ろうとしているメレディアの視線がふいにこちらに向いた。さっきまでの素敵な笑みを急に引っ込めると、僕に向かって仕草だけで挨拶をする。


「っ!!」


 何故だかものすごくどぎまぎして、僕は慌てて彼女から目を逸らすと逃げるようにその場を離れた。


(……何をやっているんだ、僕は……)


 今さらメレディアに見惚れている場合じゃない。彼女はもう僕とは関係ないのだから。

 教室に戻り、午後の授業を真面目に受け、そして早く王太子宮に帰らなくては……。


 さっき見た楽しげな彼女とは正反対の現実が、そこで僕を待っているとしても。


(……自分の選んだ道だ)


 僕は自分に言い聞かせるように心の中でそう呟いた。







「……ア、アンドリューさまぁ……。私もう嫌です……嫌……。どうして私ばかりがこんな辛い目に遭わなくてはならないのですか?こ、こんなの、もう……無理です……耐えられません……っ」

「……。」


 盛大にため息をつきたいのをグッと堪える。まただ。毎日毎日、同じことの繰り返し。

 立ち尽くす僕の前で膝をつきポロポロと涙を零すエルシーは、助けを求めるように僕のトラウザーズをギュッと握りしめながら恨めしげな目で僕を見上げている。連れ戻しに来た侍女たちはうんざりした顔を隠そうともせずに、そんなエルシーの姿を部屋の入り口で眺めている。


「……毎日言っているじゃないか、エルシー。王太子妃教育はまだ始まったばかりだ。泣き言ばかり言わず、もっと意欲的に取り組んでおくれよ。この時間がもったいないとは思わないのかい?ほら……、先生方を待たせているんだろう。早く部屋に戻って……」

「いやいやいやぁぁ!どうしてそんな風に突き放すんですか、アンドリュー様……ひどいわ……ひどすぎる……。あ、あんなに私のことを、可愛い可愛いと言っていたのに……。嘘だったんですか?私への愛は……。そんなに軽いものだったの……?」

「……。だから、それも毎日言っているだろう、エルシー。君を心底愛しているからこそ、僕は君との婚約を貫いたんだよ。あのメレディアを切り捨ててまで。そうだろう?だから君にその分しっかり頑張ってもらわなきゃ、父上にも母上にも示しがつかないし、このままでは僕らの将来は……」

「私はつい先日まで一介の男爵令嬢だったのですよ?!こんな短期間に無茶苦茶な量の知識を詰め込めと言われたって無理に決まってるじゃないですか!!も、もっとゆっくり、毎日少しずつにしてくれなきゃ……、何も覚えられないよぉぉぉ!!あぁーーーーん!!」

「…………。」


 ドアのそばに立っていた侍女の一人が、ついに大きなため息を漏らした。他の侍女も憮然とした表情だ。気まずさと焦りで頭を掻きむしり叫びたくなる。

 大きな声を上げたくなるのを必死で抑えながら、僕はエルシーを諭す。


「だから……、毎日少しずつじゃ間に合わないんだってば、エルシー。言ってくれただろう。死にもの狂いで頑張るって。二人の未来のためだって。……ほら、部屋に戻ってくれよ」

「ひぃぃぃ~ん……。ひどいわ……、ひどい……。冷たい……。アンドリュー様まで……。ひっく……」

「…………僕から、先生に言ってあげるから……。今日は後少しだけ進めたら、もう休ませてあげるようにって。……ね?」


 侍女たちの視線が痛い。きっと僕のことも軽蔑しているだろう。だけど他にどうしろって言うんだ。エルシーの教育が始まって以来毎日この調子なんだ。励ましたり宥めすかしたり、強めに怒ってみたり、いろいろやったさ。だけど本人ができないと言い張る以上、もうどうしようもないじゃないか。たとえこの子を椅子に縛り付けたとしても、ずっと泣いているだけじゃなんの意味もない……。


 こんなことになるなんて。

 困難を乗り越える日々はまだ始まったばかりだというのに、僕の頭の中にそんな思いが芽生えはじめていた。




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