アンディのささやかな計画①

 書庫の窓際のテーブルで、アンディと向かい合うように腰かけたシェリアは、フォークで一口サイズに切り離したキャロットケーキを口の中に放り込んだ。


 しっとりとした味わいが広がっていき、思わず口角が上がる。


 昨晩、アンディが帰ってきてすぐに、シェリアとアンディの母親であるクラリスは仕込みを開始し、一晩寝かせ、今朝焼かれたものであるらしい。


 そんな話を眉を顰めた不機嫌そうなアンディから聞きつつ、クラリスの昨晩の様子を瞼に浮かべ、シェリアはせっせと食べ進めていたのだが──気のせい、だろうか。


 ケーキの数が少ないように思えて、思わず首を傾げた。


「…………人参を練り込んだスパゲッティの麺を人参とトマトのスープで煮込むなんて、お母様あのひとは加減というものを知らない。人参のポタージュに、人参入りのパンに、……ローストビーフに人参ソースなんてかける必要ないのに」


 アンディのぼやきに苦笑いしながら、シェリアは指差しでキャロットケーキを数えてみると──やはり少ないようだ。


 アンディがシェリアに協力を求めて差し出してきた時は、一番端の欠けたものとは別に五切れあったはずだ。


 欠けたものは、本人証明の為にアンディのお腹におさまった。

 たった今、シェリアが二切れ食べたので、残りは三切れのはずなのに、何故か目の前にあるのは一切れだけ。


 四切れも食べた覚えはないけれど、無意識に食べていたのだろうか。それとも、見間違いで、初めから三切れとアンディが食べた分だったのだろうか。


 もしかしたら、まだ、王都から帰ってきて疲れを引きずっているのかもしれない。


「…………減ってる」


 シェリアが考えこんでいると、喫驚したアンディの声が聞こえ、ぱっと顔を上げた。


「…………何度確認しても減らなかったのに、なんで……?」


 なんだか、とても残念な言葉がアンディから発せられた気がするけれど、聞き間違いだろうか。


 やはり、疲れているのかもしれない。


 シェリアは、一瞬、思案したあと、フォークを手に取るとキャロットケーキを一口サイズに切り離し、口の中に放り込んだ。


 キャロットケーキの甘さが染み渡るようだ。

 うん、きっと気付いていないだけで疲れていたのだ。


 自らの結論に頷いたシェリアは、屋敷の外の雨音に、無意識に窓へ視線を向けた。

 外では、変わらず雨が降り続いているようだ。


「──雨の日には、水色の髪をした“かれら”が丘から遊びにきているって話があるね。雨が長引くのは、“かれら”が楽しくなってしまったからだとか」


 聞こえてきた声の方を向けば、アンディと視線が重なった。


 アンディが『丘』と呼んだのは、シープリィヒルにある『妖精丘』のことで、人間が立ち入ることの出来ない“かれら”の領域である。


 書庫にある書物には、どうやら妖精の国へと繋がっているらしい、記されている。


 このシープリィヒルにいる“妖精かれら”は、丘にある扉が開く時期に、この地と妖精の国を自由に出入りすることが出来る。


 普段はその丘にいるという水色の髪をした妖精かれらは、雨の日に現れては、シープリィヒル内を飛び回るらしい。

 そして、かれらが喜ぶと雨が長引く。


 降りやまない雨は、水色の髪をした“ひとならざるもの”の仕業であると言われているとか。


 昨日から降り続く雨の一因に、もしかしたら、妖精かれらがいるのかもしれない。

 そう思えば、シェリアの心は浮き立つけれど、今はそれよりも、目の前の饒舌なアンディだ。


 向かいに座る弟は、どうやら本物らしいが、シェリアはどうしても訝しげに見てしまう。


 今まで、血の繋がった他人のようなもので会話なんて殆どなかったはずなのに、饒舌に話しているのだから、当然かもしれない。


「───丘にある“かれら”の国への扉が開くのは、もうすぐらしいよ、ねえさん。妖精の国あちらは人間の国とは時間の流れが違うそうだから、……もしも逢いたい誰かがいるなら、急いだ方がいいと思う」


 自分と同じエメラルドグリーンの瞳に、射抜くように見つめられ、シェリアは咄嗟に目を反らした。

 見透かされそうな気がしたのだ。


「あちらでの時間の流れは出鱈目なんだって。もしも逢いたい相手があちらに行った場合、ねえさんが生きている間に戻ってくるかは分からないよ。むしろ可能性が限りなく低いといってもいいかもしれない」


 “逢いたい相手”と言われて、シェリアの脳裏に浮かんだのは、アンディのふりをしていたあの子だった。

 どこに行けば逢えるのかも分からないけれど。

 

 何故、アンディは、こんなことを話すのだろう。


 そう思ったシェリアは、顔を上げてまっすぐアンディの瞳を見つめた。

 すると、そこにあったのは、シェリアが王都から帰ってきた日に見たのと同じものだった。


 ──ああ、確かに本物のアンディだ。


 こちらを見透かすように見つめるエメラルドグリーンの瞳に、シェリアはそう確信した。


 屋敷の外では、ざあざあと雨が降っている。


 シェリアは、アンディの瞳をじっと見つめてみるけれど、残念ながら、アンディが何を考えているのかもこの発言の意図も、読み取ることは出来なかった。


 確かにアンディの言う通り、シェリアは、にぶいのだろう。


 社交デビューの為に王都へ行くまでは、この領地でのあらゆる現象が、領地の外では滅多にないことを知らなかった。


 窓辺にミルクとクッキーを置く儀式めいたことも“かれら”の存在も、この領地の外では、遠い過去の遺物や空想上の存在に過ぎず、笑い飛ばされることもあるだなんて、思いもしなかったから。


 あの雨の日に帰ってきたアンディが本物ではなかったと気付いたのも、家族の中では一番遅かっただろう。


 シェリアは、口を開こうとするものの、何を話そうか迷っていた。


 訊ねたいことはたくさんあった。


 例えば、どうして入れ替わろうと思ったのか。

 入れ替わっている間、何があったのか。


 あの子は、一体誰なのか。

 何処で出逢ったのか。


 それと、突然、入れ替わりなど画策したのだから、本来ならば姉としては怒るべきなのかもしれない。

 けれど、交流などなかった姉に怒られても、アンディも困るだろう。


 雨がざあざあと降る音は、アンディのふりをしたあの子を思い出させる。

 シェリアが瞼を閉じれば、脳裏には一緒に過ごした時間が甦る。

 まるで、どこかで逢ったことがあるかのようだった。


 ───『本当に覚えてない?』


 ふいに、アンディの言葉がシェリアの頭をよぎる。


「───アンディ。もしかして、私は何かを忘れてるの?」


「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」


 シェリアの言葉に、小首を傾げたアンディは、まるで謎かけみたいな答えを差し出した。


「これは、部外者である僕が言っていいか分からないんだ。多分、ねえさんが何を訊いても、答えられない。ぼくらが“かれら”を、妖精なまえで呼んではならないのと同じように、“かれら”の施した仕掛けにも、触れることは出来ないんだ」


 何も教えられないけれど急げだなんて、随分と無茶苦茶だと、シェリアは思う。


 でもきっと、今動かなくてはならないだろう。

 雨が上がってからでは、手遅れかもしれない。

 

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