キャロットケーキと偽物疑惑①
「……ジェームズ。これ、アンディに渡しておいてくれる?」
一旦、自室に戻ったシェリアは、アンディの分の砂糖菓子入りの瓶とクッキーの包みを持ってくると、手のひらにのせてそっと差し出した。
「ご自分で渡されなくて、宜しいのですか」
ふと、先ほどのクラリスとアンディの様子が脳裏を過り、シェリアは目を伏せると、
「……ええ、邪魔をしたら悪いもの」
ジェームズの問いかけに、こくりと頷いて微笑んだ。
王都に行く前、ジェームズを介してアンディにお菓子を渡していたので、シェリアは今回もそうすることにしたのだ。
アンディは、今、入浴中らしい。
湯から上がったあとは、厨房であれこれ楽しそうに準備して待ち構えているクラリスによって、当分、解放されないだろう。
クラリスは、人参をすっていたけれど、キャロットケーキでもつくるのだろうか。
……確か、アンディは人参が苦手だったはずだが。
「では、こちらはお預かりしましょう。責任を持ってお渡しいたします」
シェリアを安心させるように微笑むと、ジェームズは、それ以上何も訊かずに受け取ってくれた。
いつもと何も変わらないジェームズの対応が有り難く、シェリアは心の中でそっと息をついた。
◆
雨は、一向にやむ気配はない。
シェリア以外は誰もいないしんと静まり返った書庫には、打ち付ける雨音と彼女の足音だけが響いている。
『…………きっと、あの子が満足したら帰って来るかもしれない。他に方法はないだろう』
それは、あの雨の夜、聞こえてきた両親の会話だった。
本の背を眺めながら歩いていたシェリアは、立ち止まるとそっと瞼を閉じた。
──あの会話は、
シェリアがアンディだと思っていたあの子は、きっと、アンディではなかったのだろう。
様子が違ってみえたのは、シェリアの思い過ごしではなかったらしい。
シェリアは、見つめると深い森に迷いこんだような気持ちになる瞳を思い出す。
それは、忘れていた遠い記憶に繋がるような。
椅子に腰掛けてぱらぱらと捲っていた本には、他の“かれら”の棲む地でも、人間と入れ替わる逸話があるのだと記されている。
本当に、満足したから帰ったのだろうか。
残念ながら、シェリアには知ることが出来ない。
けれど、何か違う気がする。
シェリアは思う。
──もしも、知っている人間がいるとしたら、それは、入れ替わりにいなくなって帰ってきた、アンディ本人かもしれない。
◆
その後も何冊か本を手に取り、ぺらぺらと捲ってみるもののあまり集中は出来ず、シェリアは書庫を出た。
雨は相も変わらず降り続いている。
ざあざあと響く音は、アンディのふりをした、名前も知らないあの子が現れた夜を思い出させる。
ほんの少し前までこの屋敷にいたはずなのに。
──もしかしたら、もう二度と会えないのだろうか。
脳裏に一緒に過ごした光景が蘇り、シェリアは立ち止まって瞼を閉じた。
渡した菓子にほとんど手をつけず、大切そうにしまいこんでいたのは、もしかしたら、帰ることが決まっていたからかもしれない。
シェリアは、ポケットの中の砂糖菓子の瓶を無意識に握りしめた。自分用に取り分けてあるものだけれど、とても食べる気にはならなかった。
「──あれ? ねえさん」
背後から声をかけられて、シェリアが振り返れば、そこにはアンディがいた。
「どうしたの? こんなところで」
書庫と自室を繋ぐ廊下の途中で立ち止まっていたシェリアに、アンディは問いかける。
「……ええ、少し考えごとをしていたの」
シェリアの瞳に映るアンディは、心なしか少し疲れているように見える。
久し振りに屋敷に帰ってきたからだと考えられなくもないが、先ほど玄関で会った時はこのような様子ではなかったはずだ。
クラリスが原因、だろうか。シェリアは、人参をするクラリスの姿を思い出した。
シェリアとアンディの母親であるクラリスは、ふたりが心配させるようなことをした時に、苦手なものと好きなものを混ぜたご馳走をつくるのだ。
責め立てたりはしない。
ただ、心配させた分を味わって欲しい、という考えであるらしい。
シェリアも、昔、ケーキにクッキー、ポタージュにパスタとあらゆるものにスピナッチが塗り込まれたテーブルの前に座って、とても苦い思いをしたことがある。
あれは、いつのことだったか。
なにかが思い出せそうで、思い出せない。
「そうなんだ。……とりあえず、通してくれる?」
シェリアが思わず顔を上げると、目の前に扉があった。どうやら、アンディの部屋の前で立ち止まっていたらしい。
「ごめんなさい」
シェリアが慌てて横に移動し道を開けると、アンディは扉に向かいドアノブを回す。
「……アンディ」
部屋に入ろうとするアンディに、シェリアは慌てて口を開いて呼び止めた。
まだ伝えていないことがあるのだ。
「……おかえりなさい」
シェリアの声に振り返ったアンディは、一瞬、目を丸くして酷く驚いたあと、
「……ただいま」
そう言って、部屋の中へと消えた。
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