約束の刻限

「…………予定より早いなあ。このまま帰ったら、彼に怒られるもしれない」


 陽がすっかり傾き、薄暗くなった部屋で、亜麻色の髪をしたアンディと呼ばれている少年は呟いた。


 正確には、つい先ほどまで、人間の少年の姿をしていたのだが、どういうわけか、今は人間の手のひらほどの大きさになっている。


「うーん、二度目・・・だと耐性も出来て、効力も短い、とかかな……」


 本来の部屋の持ち主との約束の刻限にはまだ早い。

 さて、どうしたものかと、彼は顔に手を当てて悩んでいた。


「……とりあえず、寝ているように見せかけとこう……」


 こうなってしまった以上、仕方がない。

 結論を出すや否や、不在を隠す為の仕掛けの準備に取りかかる。


 部屋にある書物などをベッドの中に置き、布団を被せると、枕元に手持ちの葉を数枚散らばせた。

 すると、この部屋の主である亜麻色の髪をした少年の姿に変化する。


 実体はないので、近付けば偽物だとばれてしまうだろう。


 実は、この屋敷の人間や妖精たちの多くは、アンディが本物ではないと知っているので、仮に就寝中に見せかけた偽物だと気付かれても、一見問題ないようにも思える。


 だが、アンディのふりをしていた彼にとっては、この屋敷で唯一知らないはずの少女に見破られるのが一番問題なのだ。


 いずれ、共に過ごした相手が本物の弟ではなかったと分かってしまうだろうけれど、少なくとも今夜は穏やかに眠っていて欲しい。


 協力者でもいたのなら、不在を知られない確実性は増すかもしれないが、残念ながらそのような存在などはいない。


 何か良い案はないものかと、彼が辺りを見渡していると、廊下を何かが通り過ぎようとしていた。


 彼と同じくらいの大きさの、赤茶色の髪をしたそれは、この屋敷に住む屋敷妖精だった。


 人間と永く共に暮らすかれらは、妖精の中でも特に人間に近い感覚を持ち、屋敷の仕事をするという性質上、割となんでも出来る万能型だ。


 ただ、特出して何かが出来るというわけでもないので、 言い方を変えれば、器用貧乏という少し残念な表現になる。


 屋敷妖精は、自身の身体とぴったりの大きさのほうきを嬉しそうに抱えているのだが、そのような大きさのものが流通などはしていないので、誰かが妖精の大きさに合わせてつくったのだろう。


 もしかしたら、昼間にクラリスが抱えていた紙袋の中身はこれであったのかもしれない。


「……ねえ、手伝ってくれない?」


 目の前で、ほうきで付近を掃いてみたり、ほうきにまたがって飛んでみたりしている屋敷妖精に、彼は声をかけた。


 話しかけられた屋敷妖精は、きょとんと不思議そうに首を傾げている。


 彼が誰か分からない、というわけではない。

 姿形が変わったとしても、妖精はその性質上、互いの認識が出来るからだ。


 首を傾げた理由は“何の用?”である。


 妖精が妖精に何かを頼む時、対価として一般的なものは“人間がつくったもの”である。

 そして、アンディのふりをしていた彼が持っているのはある少女のお手製のお菓子だけ。


 手放すことは可能な限り避けたいが、残念ながら彼は他に持ち合わせがない。


 彼は、パイクッキーをどこかからひとつ取り出すと、屋敷妖精に向かって水平に差し出した。

 人間の手のひらにのる大きさのものであるそれは、妖精にとってはひとつ抱えるので精一杯である。


「今夜、いないことを気付かれたくないんだ」


 彼が頼みを口にすると、目の前にいる屋敷妖精はこくりと頷き、抱えていたほうきを見えないどこかにしまいこんで、パイクッキーを受け取った。


 受け渡しが完了すると、彼は一息ついた。

 これで、今夜は彼女に不在を知られる確率は減るだろう。


 安堵した彼の瞳は、パイクッキーの後ろに見える赤茶色の何かを捉えた。彼がやりとりをした屋敷妖精は目の前にいて、そのパイクッキーを抱えているので違うだろう。


 ──となると、違う屋敷妖精ということになる。


 驚いた彼が周囲をぐるりと見渡せば、いつの間にか辺りには何人もの屋敷妖精たちが集まっていた。

 美味しそうな匂いにつられてやってきたらしい。


 どうやら、協力してくれるつもりであるようだ。


 協力者が増えたのは大変ありがたいが、この分だと、持ち帰れるお菓子は少なくなりそうである。

 彼は、心の中で小さく溜め息を吐いた。

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