第44話 分かたれた道
『大外ドングラス! ドングラスがすごい脚で来た! ドングラス! ヴァイスか?! ドングラス! 豪快に差し切った!!』
絶望的だと思われていた皐月賞への切符を手にした航と裕一。
大仕事を果たし、ウイナーズ・サークルで勝利の喜びにひたるドングラス陣営の裏で――
「回避だとォ!?」
「権利を取ったのに。なんで……」
ヴィエリ、テスティモーネを管理する美浦のトップトレーナー
「ざけんなッ! 皐月賞に出ても、俺じゃ勝てないって言ってんのか!!」
ヴィエリが鬼の形相で周囲に当たり散らし、景虎はショックのあまり言葉を失う。
「みな色々思うところがあるかもしれないが、より確実にタイトルを獲らせるためだ。どうかわかってほしい」
弥生賞3着で収得賞金が心許ないテスティモーネは青葉賞へ。
ヴィエリについては、NHKマイルカップの結果を見極めてから日本ダービー出走を判断したいと。
智徳が淡々と今後のプランを語る。厩舎で集まったスタッフたちに一通り説明を終えると、馬の様子を確認しに馬房へ向かった。
(阪神開催の菊花賞。淀3000m以上に馬への負担が重いことから、三冠達成がかかりでもしないかぎりは、ハインケス、コターシャンともに菊花賞を回避して、天皇賞(秋)に向かうことになるだろう)
智徳の読みが正しければ、菊花賞は本命馬不在。
景虎にとって菊花賞がGⅠ戴冠の最大のチャンスになる。
テスティモーネの現在の収得賞金額は900万円。
菊花賞は1600万を超えていればほぼ間違いなく出走できるので、セントライト記念で優先出走権を得なければならない状況を避けるためには、青葉賞2着以上が必要になってくる。
(出し惜しみはなしだ。全力の仕上げで青葉賞を勝ちに行く。ダービーのことは考えない)
競馬に携わる人間にとってクラシック競走出走は大変名誉なことであり、誰しもが目指す夢舞台。クラシックに出る気がないのなら、優先出走権のかかったトライアルレースに出すなという批判は当然内外から出てくる。
批判の矢面に立たされようとも、智徳には譲れないものがある。
(一つでも多くGⅠを勝つ、一円でも多く賞金を稼ぐ)
そうすれば好条件の種牡馬入りが期待できる。
種牡馬としての需要がない馬でも、長く現役を続けていれば、愛着がわいたオーナーが引退後も面倒を見てくれたり、キョウエイボーガンのように引き取りたいと申し出てくるファンが現れるかもしれない。
(競走馬は現役の時が一番大事に扱われる。引退すれば、穏やかな余生を送れる保証なんてどこにもないんだ)
調教師の手から離れた後、第二、第三の馬生も大切にされるかどうかは、引き取り先に左右されるため、競走成績上位馬や知名度の高い馬ほど競走馬引退後の生存率は高くなる。
美浦に籍を置きながら、智徳は外厩主導であれこれ決める天栄のやり方を頑として受け入れず、『餌やり師』『登録係』に成り下がることをよしとしない。
自厩舎の馬のためなら、あらゆる可能性を探る。考えられることはすべて検討材料となる。
(ヴィエリはC/C型、テスティモーネはT/T型だと、入厩前、サウザーから報告を受けている)
サウザーファームでは生まれてきた仔馬に対してさまざまな検査を行っているが、そのうちの一つにエクイノム・スピード遺伝子検査がある。
これは筋肉抑制因子であるミオスタチン遺伝子の型から競走馬の距離適性を推測するもので、とりわけ智徳は、遺伝子検査でマイルまでと出ていたヴィエリに関して以前から「本質的にマイラー」だと主張していた。
無論、距離が持つ持たないは、気性や体高、胴・脚の長さなど他の要素も絡んでくるため、必ずしもミオスタチン遺伝子だけで決まるものではない。
しかし非力な馬でも楽にスピードが出せる日本の高速馬場では、筋肉量が多く、無酸素運動能力優位のC/C型が活躍できる距離幅は狭く、1000~1800mまで。中距離以上では速筋比率が高いがためにレース中余計に消耗してしまい、GⅠレースともなれば、ことごとく距離の壁に跳ね返されている。
皐月賞はヴィエリが大の苦手としている小回り・コーナー4つの右回りコース。
前走共同通信杯よりパフォーマンスが落ちるのは必至。
それなら大箱ワンターン、左回り、マイルと、好条件が揃ったNHKマイルカップの方が勝機は大いにある。
「まずマイルカップを勝ってから。マイルカップを勝ってからだヴィエリ」
噛みつかれる危険を顧みず、ヴィエリの前に立つ智徳。
敵意むき出しのまなざしを真正面から受け止めると、
「手前替え以外にも――一歩目をしっかり出していれば、もっといいスタートが切れたはずだ。リズムよく運んでいるように見えても、少し掛かっていた。能力の差で負けたんじゃない、完成度の差で負けたんだ」
なぜ負けたのか。
シャルルとの差を埋めるためにはどこを修正すべきなのかを言って聞かせる。
「お前はまだまだ不完全だ。不完全だからこそ完璧を目指せ。そうすればもっと強くなれる。強くなってもらわなきゃ困る」
厳しいことを言うのは期待の裏返し。
智徳が目指す理想像にはまだほど遠いが、逆転は可能だという確信を抱いていた。
「必ずリベンジさせてやる」
2021年4月15日。
皐月賞に向かうと思われていた朝日杯覇者のヴィエリ、優先出走権を持つテスティモーネの出走回避が物議を醸す中。
18日、中山競馬場で行われる、第81回皐月賞の枠順が確定した。
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