第6話
修学旅行が近づくにつれてクラスの雰囲気は浮かれて始めていた。美桜も例外ではなく、普段よりほんの少しだけテンションが高い。しかしそのことに気づくのはクラスメイトの中ではきっと自分だけだろう。
思いながら黒板の前で明宮と楽しそうに話す美桜の様子を見つめる。
会話の内容は聞こえないが、たいしたことではないだろう。今日は美桜が日直だ。日誌を渡すついでにちょっと話したくなったというところだろうか。
美桜のことを待っていようかと思ったが、どうやら長くなりそうだ。
「帰るか」
三奈はため息を吐いて立ち上がると鞄を持って教室を出た。
暖房で暖まった教室とは違い、廊下の空気は冷たい。掃除の後だからということもあるのだろう。
三奈はマフラーに顎を埋めるようにしながら階段を降りて昇降口に向かう。その途中で「あ、高知さん」と声を掛けられた。視線を上げると廊下の向こうから松池瑞穂が歩いてくる姿があった。
「今から帰るの?」
「悪い?」
「悪くはないけど一人は珍しいなと思って」
松池はそう言うと首を傾げて視線を三奈の後ろに向けた。
「御影さんは?」
「あの人と話してる。なんか長くなりそうだから先に帰ろうと思って。学校なんだからイチャつくなって感じなんだけど」
「そっか」
松池は苦笑する。そんな彼女を見ながら三奈は「先生も行くんだっけ?」と聞いた。松池は不思議そうな表情を浮かべる。
「修学旅行」
三奈が言うと彼女は「ああ、うん」と頷いた。
「一応、今は高知さんたちのクラスの副担任になってるから」
「へえ……。嫌じゃないの?」
「え、なにが?」
キョトンとした顔で松池は言う。
「あの人と美桜が一緒にいるのを見るの」
すると松池は「ああ」と頷いた。そして微笑む。
「嫌じゃないよ。わたしはサチが幸せならそれが一番だから」
「……どっかで誰かが言ってたようなセリフ」
「そう?」
「先生、あの金髪の人の影響受けすぎてない? 大丈夫?」
「うーん。柚原さんの影響ならいっぱい受けてるかも」
松池は笑ってから「でも、本当にそう思うよ」と続けた。
「わたしはどんな形であれ、サチの近くにいられたらそれが嬉しいし。サチが笑ってくれてたらそれが幸せだから」
「ふうん。完全に吹っ切れた感じなんだ?」
しかし松池はそれには頷かなかった。複雑そうな表情で笑う。
「高知さんは?」
「無理」
「みたいだね」
松池は苦笑すると「でも、高知さんは偉いよ」と柔らかな表情で言う。
「ちゃんと二人のこと見守ってくれてる」
「当たり前でしょ。親友が悲しむのは嫌じゃん」
三奈は答える。松池は「そうだね」と頷いたが、その表情はやはりどこか複雑そうだった。その表情にイラッとして「なに?」と眉を寄せる。
「え、何が?」
「なんかその顔ムカつく。あと、やたら上から目線で言われてる気がしてムカつく」
「あ、ごめんなさい」
驚いたように目を見開いて謝る松池に、三奈は深くため息を吐いた。
「先生さー」
「え?」
「そういう感じで他の生徒とも話してるの?」
「他の……? ううん。わたし、あんまり生徒から話しかけられないし」
三奈は眉を寄せながら彼女を見た。
松池の人気は今でも変わらない。生徒でも彼女のファンは多くいるし、教師の間にも密かにファンがいることは知っている。最近では雰囲気が柔らかくなったと評判だ。それなのに未だに生徒から話しかけられることはないと彼女は言う。
たしかに彼女が生徒に囲まれていることを見たことはない。授業以外の場で生徒と話しているところも美桜以外では見たことがなかった。あの明宮すら最近はやたら生徒に囲まれているというのに。
「なんで?」
思わず素で聞くと彼女は「なんでと言われても……」と首を傾げた。
「やっぱりわたしはちょっと変だから」
「変っていう自覚あるんだ」
思わず三奈が呟くと彼女は苦笑した。三奈はそんな彼女に呆れた眼差しを向けながら「まあ、そんな理由じゃないと思うけど」と肩をすくめる。
「え、違うの?」
「知らない。じゃ、わたし帰るから」
三奈はそう言うと松池の隣を通り過ぎようとした。しかし「あ、待って。高知さん」と再び松池に呼び止められてしまった。
「なに。まだ何かあるの?」
「うん。あのね、金瀬さんのことなんだけど」
「……金瀬?」
三奈が眉を寄せると松池は「同じクラスの」と付け加えた。
「いや、知ってるし。バカにしてんの?」
「だよね」
松池は笑ってから「金瀬さん、まだ友達できてないみたいだってサチが言ってて」と心配そうな表情を浮かべて言った。
「あー、みたいですね」
「やっぱりそうなんだ」
「だったら?」
「高知さん、ちょっとお話してみてくれないかな」
「は? なんで?」
「なんでって……」
松池は困ったような顔で「わたし、生徒の中で頼めるのって高知さんしかいないから」と続けた。
「美桜がいるじゃん」
「御影さんは頼む前に話しかけてくれたみたいなんだけど」
「無視されたんだってね」
三奈の言葉に松池は頷いた。
「だったらそれでいいじゃん。本人が誰かと仲良くなるの拒否してんだから」
「でも、それじゃダメだと思うから」
そう言った松池の表情は真剣だった。
「ダメ?」
「うん。ダメだよ。周りを拒絶してたら自分全部を否定するようになっちゃうから。そうなったらね、大人になってもずっとそれが続くの。それはとても苦しいことだよ」
「……そう思うんだったら先生が話しかけたらいいでしょ」
「わたしが話しかけも意味ないよ。わたしじゃ彼女の友達にはなれない」
「わたしだってなれない」
「でも気になるでしょ?」
「は?」
「高知さんは優しいから」
「はあ?」
思い切り眉を寄せると松池は八重歯を見せて笑った。
「だって最近の高知さん、金瀬さんのこと心配してるみたいだし」
「なに言ってんの?」
「授業中、よく見てるでしょ。彼女のこと」
「見てない」
「そう?」
「そうだよ。つうかウザすぎ。もう帰る」
「うん。さよなら、高知さん。気をつけてね」
松池はそう言うと笑顔で手を振った。三奈は舌打ちをして昇降口に向かう。
別に心配などしていない。ただ、あの日の美桜との会話を聞かれたにも関わらず何も反応がないのが気にくわないだけだ。
下駄箱から靴を取り出してバンッと叩きつけるように置くと三奈は深くため息を吐いた。
「なんでわたしが……」
なんだか無性に腹が立つ。その理由はやっかいな相手を押しつけられそうになっているからだろうか。それとも美桜や松池が最近よく三奈のことを『優しい』なんて言うからだろうか。
――わたしは優しくなんてないのに。
イライラしながら校舎を出てバス停へと向かう。
気分転換にどこか寄り道して帰ろうか。そういえば駅前のカフェで期間限定メニューが出ていた気がする。本当は美桜と行こうと思っていたが、もう一人で行ってしまおうか。
そんなことを考えながら歩いているとバス停が見えてきた。バス停の先客は女子生徒が一人しかいない。下校ラッシュも過ぎてバスは快適に乗れそうだ。
しかし、その先客の姿を見て三奈は思わず「げ……」と声を漏らした。それが聞こえたのだろう。先客が振り返る。しかし彼女は何も反応を示さない。ただ無表情に三奈のことを見ているだけだ。
そこにいたのは金瀬だった。
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