ランナーズ1.5
十乃三
第1話 十一月
1
あれほど深く色づいた緑が色褪せて、常緑樹と落葉樹がまだら模様に窓の外を彩る季節になった。
領南高校に入学して最初の半年はあっという間だった。そこからさらに一ヶ月―。高校駅伝が終わって、ようやく陸上部全体にシーズンオフがやってきた。
わたしたち短距離陣は夏前から新しい体勢がスタートしている。三年生は春の高校総体県大会で引退。よほどの実力がない限り、夏のインターハイまでは残れない。そんなわけで、わたしたちが三年生と一緒に練習したのは二ヶ月にも満たない短い期間だった。開校以来、領南で全国大会を経験しているのは一人。たった一人しかいない。わたしたちと入れ替わりに卒業した長距離の先輩だ。
長距離陣は秋になっても三年生中心の練習が続いていた。駅伝に向けての練習。長距離の三年生にとって最後の公式戦。
一方、一、二年生には新人戦が控えている。秋の最大目標。陸上競技が個人競技である限り、それは種目に関わらずそうだと思っていた。
「新人戦なんて興味ないよ」とあいつはあっさり言った。少なくとも、あいつにはそうなのだ。間違いなく本音。
六限目終了の鐘をわたしは窓の外を眺めながら聞いた。一日の最後の授業が古文だなんて、ため息が出るくらい滅入った。テスト以外で古文の知識が必要になる場面なんて、たぶんこの先百年生きたってないはずなのに。
私の席は窓際の五番目。斜め前には藤井くんが座っていた。陸上部で唯一のクラスメイト。掛け値なしの優等生。古文の授業なのに、きちんとノートをとっている。
うちの高校にはサッカー部もラグビー部もない。そのせいか、十一月の校庭はどこか緩んだ空気に包まれている。わたしたち短距離陣は基礎中心のメニュー。例えば短い距離のダッシュを正しいフォームで行う反復練習。持久力をつけるためのインターバル。筋力トレーニングもじっくりやる。ほとんどが単調で、すぐに結果の出ない地味な練習ばかりだ。
駅伝が終わった長距離陣もようやく新しい体勢に移行した。メンバーをグループ分けして、一週間の半分はグループごとの自主練習。短距離とはだいぶパターンが違う。
グループごとに差がつくだろうな―。北澤はそんなことを言ったらしい。夜野くんの話を了子経由で聞いた。
その日もわたしたちの練習は一時間で終わった。
制服に着替えて体育館裏の駐輪場までいくと、ちょうど北澤が帰るところだった。長距離と帰りが一緒になるのは、せいぜい月に一度か二度。北澤が一人だったのは初めてだ。初めての偶然。
「あら」
「よぉ」と北澤。相変わらず素っ気ない。
「いま、帰り?」
「あぁ」
「中垣たちは?」
「どうかな。まだ練習してるんじゃないか」
「中垣より早く上がるなんて珍しいね」
「しかたない。先生からストップかかったから」
「一緒に帰ろうよ」
「あぁ」
本当に素っ気ない。
まだ、五時前。それでも空はすっかり夕暮れだった。誰もいないいつものサイクリングコースをゆっくり並んで走った。いつもなら例外なく中垣がいて、他の部員も一緒にいる。北澤とふたりきりになるのは初めてだ。
「遠見はどうしたんだ?」
「あぁ……、今日はちょっと」
「ちょっとなんだ」
「ちょっとはちょっとよ。いろいろあるのよ。女の子には」
「ふーん」
「なに? 気になるの」
「いや。まったく」
きっぱり言い切った。疑いなく信用できる言葉。
了子は夜野くんを待っているはずだ。了子が夜野くんとつきあい始めたのは九月だ。二学期が始まってすぐ。きっかけは夏休みにみんなで行った海。合宿のときに話を聞いて、了子はすぐに実行した。だから、今頃了子はどこかで夜野くんを待っているはずだ。
「いつもどれくらい走ってるの?」
「朝十キロ。放課後は最低十五キロ」
「最高だと?」
「先週の土曜日は朝と放課後で四十キロだったな」
「四十キロ?」
数字がイメージできない。わたしの表情に北澤がちょっと笑ったように見えた。
「茅ヶ崎まで行って戻ってくるとだいたい三十キロだ。朝と合わせて四十キロ」
「茅ヶ崎」
相模川の向こう側。行くなら電車。自転車でさえ行ったことがない。
「何時間走るの?」
「二時間半ちょっと。三時間はかからない」
「二時間半?」
「だから土曜日以外は時間的に無理なんだ」
「やりすぎなんじゃない?」
「だからさ」
先生に止められたわけだ。
「明日は?」
「新々コースに行く予定」
「新々コースって?」
なんだか『新』の数でいくつでもコースが増えていきそうだ。
「二十キロあるから普段は土曜日以外行かないんだけど、和泉先輩が二人なら五時半までに戻ってこれるって言うから」
「また先生からストップかかるんじゃないの?」
「その時はその時」
「じゃ、今度の日曜日は?」
勢いで訊いていた。
「日曜?」
「練習するの?」
「いや、まだ決めてない」
「じゃあ、どこか出掛けない?」
「出掛ける? どこに? 誰と? なにしに?」
カチンときた。
どこに? なにしに? そこはまぁいい。でも、誰とってなに? 疑問の余地はあっただろうか?
「わたしとよ! 了子も一緒ならいいでしょ?」
つい弾みで了子の名前がこぼれた。でも、その勢いに北澤はちょっと押し込まれたみたいだ。
「どこに行くんだ?」
「映画は?」
「映画か……。そういえば、藤井がなんか面白いの見たって言ってたな」
「なに?」
「うーん……。ゾンビが出てくるヤツと―」
「却下」
「他にも何本か聞いたけど忘れた」
「いいわ。じゃあ、東京で見ようよ」
「わざわざ?」
「いいじゃない。地元で見られる映画なんて限られてるし。決まりね」
わたしはさっさと結論まで持って行った。返事はなかったけど、嫌ならはっきり言うヤツだ。憎らしいくらいに。だから、たぶんOKだ。
翌日、そのことを了子に話した。
今日は昨日よりも少し風があって肌寒い。まだ練習前だというのに、もう太陽が西の端に接している。冬がひたひたと足音を響かせて近づいてくる。グラウンドに向かう足が重い。
「それで? 私も一緒に行くわけ?」という了子の確認にわたしは頷いた。
「いいわよ」
了子はあっさり返してきた。
「夜野も一緒なら」
「え?」
「決まってるじゃない。そうでなきゃあんたたちにつきあう理由がないわ」
反論の余地はない。
「……わかったわよ」
「ひとつ貸しよ」
わたしは気にしない。でも、夜野くんに知られることを北澤がどう思うか―。いや、むしろ逆か。
「夜野くんは大丈夫なの?」
「平気よ」
ちょうどよかったと言わんばかりだ。本当に了子はわたしを置いて、どんどん前に進んでゆく。
2
日曜日の朝。
寒さがピンと張り詰めていた。空には雲ひとつなかった。
平塚駅で九時の待ち合わせ。
わたしは二十分前に着いた。でも、一番ではなかった。
「おはよう」とわたしから言った。彼は軽く右手を挙げて、「おはよう」と返してきた。
「ずいぶん早いのね」
「うん。……少し早く目が覚めたから」
夜野くんはちょっと戸惑うような口調で言った。
わたしは腕時計に目をやった。もどかしいほど針は進んでいかない。わたしは夜野くんと時間をつぶす話題を探した。夜野くんとはほとんど話したことがない。
「了子とはいつも一緒に帰ってるの?」
「駅伝が終わってからはほとんど」
つまりグループ練習に移行してからだ。
「夜野くんは誰と組んでるの?」
「斉藤」
斉藤くんは大村くんと同じ伊勢原出身だ。帰る方向が違えば、待ち合わせも楽だ。納得できた。
「どんな練習してるの?」
わたしは思いつくありったけの話題で場をつなごうと覚悟した。「先生からは走り込みを指示されてるんだ」
「どれくらい走ってるの?」
「一日の合計でノルマは二十キロに決めてる」
「二十キロか」
北澤はもっと走ってたっけ―。
「北澤と比べたらぜんぜん少ないよ」
わたしの考えを悟ったように、夜野くんは言った。わたしの質問以外から聞く初めての言葉。
「夜野くんは北澤に勝ちたいと思ったことないの?」
「勝てるわけないよ」
「どうして?」
「まさか。わかってるでしょ。北澤は誰にも負けないよ。たとえおれたちがどんなにがんばっても、それ以上にがんばるのが北澤だから。北澤は練習量で誰にも負けたくないんだ。レースでの勝ち負けよりそっちの方が悔しいのかも」
そう言う夜野くんの言葉には、想像ではない確信に近い信憑性が感じられた。
「なんでそう思うの?」
「駅伝で必ず全国大会に行く」
「え?」
「北澤はそう言ったんだ。だから一番努力するに決まってる。青井ならわかるんじゃない?」
わたしは言い返せなかった。
陸上は個人競技だ。もし、がんばる理由があるとしたら、それは自分のためだ。それしかない。でも、あいつは違う。夜野くんの言うとおりだった。わたしにもわかっている。彼が中垣を執拗なくらい鼓舞し続けるのも、たぶんそういう理由だ。
どうしてあいつはその舞台に陸上競技を選んだんだろう? チームで勝利を分かち合いたいなら、それにふさわしい舞台は他にもたくさんある。野球、サッカー、ラグビー、バスケ、バレー―よりどりみどりだ。考えて出る答えじゃない。知りたければ訊くしかない。
「あら、早いわね」
ちょうど、そこへ了子がやってきた。軽く右手を挙げたその姿は見慣れたセーラー服姿とは別人だった。膝丈のレンガ色のスカートがやけに大人びて見える。装飾を抑えた白いブラウス。その上に羽織ったエンジ色のコート。ブラウンのシューズは革紐の編み上げ。わたしはジーンズにスニーカーだ。少し恥ずかしくなった。了子が少し年上に見えた。
「姉貴の服を拝借してきたの」
わたしは呆気にとられていたのかもしれない。すぐに了子がそう耳打ちした。わたしにも姉はいるけれど、服を借りようなんて考えもしなかった。
ともかく、了子が来て無用な緊張感からは解放された。
「遅いわね」と了子が腕時計に目をやった。北澤が来ない。でも九時までまだ三分ある。
「まさか忘れてないわよね」
あり得るともあり得ないとも言えない。間違っても部活で遅れることはないけれど、今回みたいなケースはどうだろう? わからなかった。
そして北澤は飄々と現れた。ちょうど九時になるところだった。ランニングシューズにジーンズ、胸に領南高等学校の文字が刺繍された緑色のヤッケ。まるでちょっとそこまで買い物に出てきたみたいな格好だ。
「なに、その格好。それで東京まで行くつもり?」
了子が叱りつけるような口調で言った。もはや一番最後にきたことなどどうでもいいようだった。
「おかしいか?」
「おかしいわよ!」
了子の剣幕に、北澤は困惑した表情でわたしを見た。
「揃ったことだし、行こうよ」
わたしは北澤に笑顔で応えながら、了子に言った。
「あれ、中垣たちは?」と北澤はわたしを見た。
「あんたバカ?」と間髪入れず、了子が北澤を睨んだ。
「……まぁ、よくはないかもしれない」
北澤は数秒考えたあとでそう答えた。
ともかく、北澤が普段着で格好よく決めてくるなんて、わたしは最初から思っていなかった。むしろ想像していた通りでよかった。
最初は銀座に出る予定だった。
「学校のヤッケなんか着てる奴と銀座を歩けるか」
了子の一言で行く先は新宿に変わった。
東海道線で藤沢まで行って、小田急に乗り換えて新宿。電車賃も銀座に出るより安い。わたしたちには大事な経済事情だ。
歌舞伎町の映画街で『駅 ステーション』を観た。高倉健主演。名前は知っている。でも、見るのは初めてだった。画面には大人の存在感がにじみ出ていた。相手役の倍賞千恵子もすてきな役者だった。わたしはこの時、初めて映画に興味をもった。
四人の感想はそれぞれだった。了子は退屈と言った。夜野くんは役者よりもストーリーに感激していた。夜野くんが積極的に話す様子はちょっと意外だった。それは北澤も感じたみたいだ。その北澤は途中から寝ていてストーリーをよく覚えていなかった。待ち合わせ前に湘南平まで走ってきたらしい。往復十キロはあるだろうか? 距離はともかく、コースは相当ハードだ。急な坂が数キロ続く。わたしたちは小さなため息をついた。
まだ、お昼過ぎだった。
駅ビルのマイシティでお昼ご飯。親以外とこんなふうに外食するのは初めてだった。わたしはお蕎麦くらいで軽く済ませたかったけれど、珍しく北澤がトンカツを食べたいなんて主張するから、結局和幸でトンカツを食べることになった。北澤はキャベツを三回、ご飯を二回おかわりした。夜野くんもキャベツとご飯を一回ずつおかわりした。男と女のスタミナの違い。それを思い知らされた。バカみたいだ。
食事のあとは新宿御苑に向かった。夜野くんの提案。これも意外だった。今日一日で夜野くんの知らない一面を何度も見ている。北澤もそう感じているようだった。
十一月の半ば。日中でも少し肌寒い季節になっている。了子は何気なく夜野くんと手をつないで、まるで挑発するかようにわたしたちの前を歩いた。
「なぁ、夜野と遠見ってつきあってるのか?」
しばらくして、北澤は不思議そうな顔でわたしに訊いた。本当にバカだ。北澤がバカなのか、男そのものがバカなのかはわからないけれど、ちょっと注意してみれば簡単にわかりそうなものなのに。
「知らないわよ」
「そうか……」
思い過ごしとでも思ったか―。つきあってもいないのに、手なんかつなぐわけないだろうに。
わたしはまた小さなため息をついた。
晩秋の新宿御苑はカラフルだった。あふれる色に彩られていた。池の水面に映る青空と雲。芝生は茶色と緑のまだら模様。赤や黄色や茶褐色に染まった葉は風に落とされて地面を覆うように散らばっていた。
「こんなところで練習できたら気持ちいいだろうな」
「あんたバカ?」
北澤の呑気な声に、前を歩く了子が振り返って呆れ顔をあらわにした。
「やっぱり考え直した方がいいんじゃない?」と今度はわたしを見て言う。わたしは慌てた。
「ちょっと!」
了子はからかうような笑顔を返してきた。
「ねぇ。少し別行動にしようよ」
男二人はキョトンとした。わたしは顔がカッと赤くなっている自分を自覚した。
「じゃ、一時間後に門のところで待ち合わせね」
了子はこっちが混乱しているうちに、夜野くんの手を引いて走り出した。その姿は見る間に紅葉する樹木の先に消えてしまった。
「遠見は夜野のことが好きなのか?」
北澤が呑気に言う。たしかにその通りだけど、たぶんはっきり口に出すまでわからないだろう。
「あのふたり、つきあってるのよ」
わたしが言うと、北澤はしばらくその意味を咀嚼するように考えていた。
「なるほど」
北澤にとって理解と納得は同一のようだった。
「中垣たちには内緒だからね」
その返事にも少し間を要した。
「その方がいいなら」
北澤にとってはどちらでもいいのだろう。そんな答え方だった。
「これからどうする?」
わたしは北澤に訊いた。ちょっとドキドキしていた。
時間まで昼寝して待ってる―。
北澤なら言いかねない台詞だ。
わたしが提案すれば、嫌とは言わないこともわかっている。わたしはずる賢い駆け引きを始めている自分に気づいていた。
「日本庭園に行ってみないか?」
「え?」
北澤があっさり答えを出したので、わたしは混乱した。
「いや、面倒ならその辺で昼寝して待ってても―」
「いいよ。行こうよ」とわたしは北澤の背中をぐいっと押し出した。本当はフランス庭園に行ってみたかった。でも、北澤の背中でわたしがどんな顔をしていたか―。それは絶対に見られたくなかった。
松の木、桜の木、柳の木、黄色い銀杏の葉と赤く色づいた楓の葉。小径の端にはススキが穂先を向け、カモは池の水面に悠然と線を引いてゆく。
人の姿はほとんどなかった。時間の流れがスローダウンしてゆく。わたしたちはぶらぶらと小径を散策した。
「新宿にもこんなところがあったのね。知ってた?」
「名前だけなら。来たのは初めてだ」
北澤の口調には高揚もなく、その逆もなく、あまり感情がこもっていないように思えた。わたしは自分だけが舞い上がっている気がして、急に恥ずかしくなった。
「了子たちはどこに行ったのかしら?」
どうでもよかった。でも、他に思いつく言葉がなかった。
「いい組み合わせかもな」と北澤が独り言のように言った。
聞き違いかと思った。
「本気で言った?」
「もちろん。二学期に入って夜野がちょっと変わった感じがしてたんだ。付き合い始めたのってその頃か?」
びっくりしながらうなずいた。そんな繊細さがあるなんて思ってもみなかった。
恋にそんな力があるのだろうか―?
よくわからなかった。
「遠見から言ったんだろ?」
それもうなずいた。
「あのふたりはうまく影響し合ってるんだろうな」
「わたしと北澤ならどう?」
ほとんど反射的。後悔はなかった。むしろ絶妙。このタイミングで言えてよかった。どんな答えが返ってこようと傷つきはしない。わたしも。そして、たぶん北澤も。
でも、北澤からの答えはなかった。じっと黙ったまま、考え込んでいるようだった。橋の上で立ち止まったまま、池の水面を見つめていた。それだけ真剣に考えてくれているのかもしれない。わたしはそう思うことにした。
「わたしは北澤が好きだよ」
北澤はびっくりしたように振り返り、わたしを見た。たぶん、本当にびっくりしたのだろう。
否定されると思った。仕方がない。
それでもよかった。
大切なのは前に進むこと。次の一歩が硬いアスファルトなのか、ぬかるんだ泥なのかはわからない。でも、立ち止まらず進む。答えが出れば、いち早く次の一歩を踏み出せる。
「青井は強いな」と北澤はぽつりと言った。わたしはじっと北澤を見つめた。
「青井は中垣を好きなんだと思ってた」
「え?」
思いもしなかった。
「お前ら、仲いいじゃないか」
「仲なんてよくないわよ」
「そうかな」
「そうよ」
「でも、中垣はどうかな」
「あいつだってわたしのことなんてなんとも思ってないわよ。思ってるわけないじゃない。ムカつくことばっかり言って」
「男って好きな相手にはそんなもんだよ」
その言葉にわたしはどきっとした。胸が痛くなった。
「北澤もそうなの?」
わたしは北澤にそんなことを言われたことがない。不安のうえに悲しい気持ちが覆い被さってきた。
そんなわたしに北澤はいままで見たことのない笑顔を返した。
「おれがあいつに同調して同じこと言えないだろ」
その言葉の意味をわたしは咀嚼した。でも、頭のなかで答えが出る前に教えられた。
「初めて会ったときから青井が好きだった」
わたしはいま自分がどんな顔をしてるか、それを考えただけで恥ずかしかった。北澤から目を離し、気がついたら下を向いていた。耳たぶが熱い。たぶん真っ赤だ。
それからわたしたちはぎこちない時間を過ごした。池の周りを散策しながら、交わした会話は核心から何光年も離れていた。
約束の時間に待ち合わせ場所まで行くと、すでに了子と夜野くんが待っていた。
わたしを見る了子の表情がくるりと変化するのがわかった。それから了子は北澤に視線を向けた。北澤はその目を避けるように逸らした。最後に夜野くんを見る。変化なし。
「まぁ、そうね」
了子はすべての反応に納得したようだった。
帰りの電車はなんとなくみんなが言葉少なな感じだった。久しぶりに一日遊んで疲れていたこともある。そもそも北澤は黙っていても平気なタイプだし、夜野くんもそれに近そうだ。了子は了子で気を遣っている感じがしたし、わたしも気持ちが落ち着かないままだった。
そんな感じで、行きとは逆の経路をたどって平塚駅まで帰ってきた。
「また、あした」
電車ではほとんど寝ていた北澤が、走って帰ると言って、真っ先に駅を飛び出していった。電車のなかで駅からの数十分、なにを話せばいいだろうと考えていた自分がバカみたいだった。
「こんな日だっていうのに、変わらないのね。あのバカは」
走り去る北澤の背中に向かって、了子はため息をついた。
実はわたしは少しほっとしていたのだ。新しい関係のなかでなにを話せばいいのかわからない。あるいは北澤も同じだったのかもしれない。
「じゃ、わたしたちも帰るから」
ふたりはここまで自転車だったらしい。結局、駅からはひとりで帰ることになった。
夕暮れの街。街灯がともった道をわたしはぶらぶらと歩いた。陸上で記録を出したときとは違う充足感がある。家族に言うのも恥ずかしい。それは初めて経験する気持ちだった。
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