第14話 ふさわしくない場所


 リリアンは自分の部屋に戻ると、息を吐いた。広く、綺麗な部屋を見て、自分にふさわしくないと感じる。


 柔らかなベッドに横たわり、自分の手のひらを眺める。

 この体は間違いなく自分のものだ。だが、身に着けている物や周りにあるものは、自分のものではないようにずっと感じていた。寝起きをする部屋も、毎日着る制服も、一緒に住む家族でさえも……。


「あれから何かわかったかしら?」


 声をかけられ、リリアンは飛び起きる。椅子に座る少女が一人。黒い髪に黒い服。紅い瞳が猫のように細められて、こちらに向いている。


「レジーナ様、どうしてここに……」


 彼女は「ふふん」と鼻を鳴らすと脚を組む。


「私は特別なの。どこにでも行けるのよ」


 そう言いながら部屋を見渡して、鼻の上に皺を寄せる。


「……狭い部屋ね。まあ、子爵家の娘ならこれくらいなのだろうけど」


 不満そうに呟くと、リリアンの方に目を向けた。


「それで、どうなの?」

「え?」

「真実を知りなさいと言ったわよね。私が教えたこと以外に、何か知ることはできたのかしら」


 レジーナに神について調べるように言われてから、自分なりに調べている。だが、図書館で調べたときも多くの情報を得ることができなかった。


「どうやったら神について知ることができるのでしょうか?」


 その問いにレジーナはあきれたようにため息を吐く。


「そんなことも考えられないようじゃ駄目よ。でも、そうね……。神について調べるのなら、その周辺のことを知る必要があるわ。何が浮かぶかしら?」

「象徴、御使い、教会……」

「そうよ。関連のあるところから調べていけば、神に関することも必然と出てくるわ」


 メアリーに御使いについて聞いた。そういったことでいいのだろうか。そんなことを考えながら、リリアンは口を開く。


「レジーナ様は、神についてどう思いますか?」

「それを聞くのは反則ではなくって?」


 レジーナはそう言いながらも、顎に指を当てて、考えるように首をかしげる。


「そうね……可哀想な人、かしら?」

「可哀想な人?」

「あとは自分で考えなさい」


 リリアンは神に会ったことがない。その目で見て、人となりに触れたわけではない。だが、神に会ったことがあるという御使いたちは誰もが素晴らしい方だと言っていた。誰一人として可哀想だと言った人はいない。


 先日の悪魔の司書の言ったことが正しいとすれば、悪魔もまた神に会ったことがあるのだろう。そうなると、レジーナの言っていたことが嘘だとは限らない。


「そういえば。あなた、変な人間と友達なのね」

「変な……?」

「ルシル、と言ったかしら? 平民臭い頭の悪そうな人間よ」

「ルシルは特待生として学園へ入ってきたのですよ。頭はとても良いはずです。……それにしても、レジーナ様はいろんなことを知ってらっしゃるのですね」

「言ったでしょう? 私はどこにでも行けるの」

「まあ、そうなのですね! すごいです!」


 褒めると、レジーナはまんざらでもなさそうに「ふふん」と鼻を鳴らした。


「でも、ルシルは私の友達ではないですよ」

「どういうこと? 親しそうにしていたじゃない」


 リリアンは視線を下げて、自嘲するように微笑む。


「私は誰かと友達になるわけにはいかないんです」


 レジーナは眉をひそめて首をかしげた。


「どうして?」

「……私はここにいていいのか、わかりませんから」


 自分の存在は周りに不幸を与えている。今の家族も……前の家族も自分がおかしくしてしまった。


「私は本来ならいてはいけない場所にいます。それが周りの人をおかしくしてしまっているんです。だからいつか、ここから……」

「そこが気持ち悪いって言ってんのよ」


 顔を上げると、レジーナがこちらを蔑むような眼で見ていた。


「無責任にもほどがあるわ」


 彼女は腕を組んで質問を投げかける。


「あなた、この世から消えてなくなりたいと言っていたわね?」

「はい」


 リリアンが即答すると、レジーナはわざとらしく大きなため息を吐く。そして、背筋を伸ばしてこちらを睨みつけた。


「いい? すーっと消えていなくなるなんてこと、できるわけないのよ。たとえ死んだとしても、関わってきた人間が残る。その人の中であなたが消えることはないわ。もう生まれる前には戻れないの。現実を見なさい」


 その言葉は痛いほど刺さった。

 本当は誰かと関わる前の自分に戻れないことはわかっていた。自分のしてきたことが消えないこともわかっていて……目を逸らし続けてきた。


「レジーナ様はどうしたら良いと思いますか?」

「……自分で考えることを放棄する人間はもっと嫌いよ」


 彼女は苦虫を噛み潰したような顔をする。だが、はっきりと言った。


「前に言ったでしょう? 考えなさい。そして、行動しなさい。神に祈ったって何も変わらないんだから、行動するしかないのよ」


 まるで言い聞かせるような言葉だった。それはリリアンだけに向けられたものでないように思える。

 レジーナは神を否定し続けている。どうして彼女はそれほどまでに神を否定するのだろうか。


「……あなたにはまだ、それができるはずよ」


 そう言うと、ふわりと浮かび上がり姿を消した。


 レジーナがいなくなると、リリアンはベッドの上に倒れるように横たわった。

 今まで、自分の存在が悪いことだと思って生きていた。そう簡単に考えは変わらない。レジーナが前に言っていたことを思い出す。


「……顔を上げて、周りを見る」


 そうすれば、何かが変わるのだろうか。


 息を吐くと、誰かが扉をノックした。慌ててベッドから降りて身なりを整える。


「はい、どうぞ」


 返事をすれば、アレクシスが部屋に入ってくる。彼はリリアンの顔を見ると、少しホッとした表情を見せた。


「どうしたのですか?」

「いやちょっとな……帰ってきたリリーの様子がおかしいように思えたって、母様が言っていたんだ」


 家に帰ってきたとき、ルシルのことが頭から離れなかった。けれども、それに気づかれないように振る舞ったつもりだった。


「大丈夫ですよ。何でもありませんから」


 リリアンはそう言って笑ってみせる。けれども、アレクシスは納得していないようだ。

 彼はじっとこちらを見ると「そうだ」と何か思いついたように声を出した。


「リリー。明日、久しぶりに一緒に教会へ行こう。最近は一緒に行くことは少なくなっていただろう?」


 この家に来てから、リリアンは頻繁に教会に通うようになった。


 願いがあったからというのもあるが、何よりこの家が神を強く信仰していたからだ。リリアンはよくナタリアやアレクシスと一緒に教会へ通ったものだった。

 気遣ってくれる義兄にリリアンは頬を緩ませる。


「はい。一緒に行きましょう」


 妹の笑みにアレクシスは嬉しそうに笑った。




 教会に着いて、アレクシスはリリアンの隣で祈りを捧げる。

 目を閉じてステンドグラスに祈りを捧げている彼をこっそり盗み見た。義兄は自分に自信がある。どのようなときでも、負けずに努力することができる人だ。……こんなに前向きな彼にも、神に導いてほしい悩みでもあるのだろうか。


「…………」


 何かあったら、リリアンはいつもここに来ていた。自分のことを神様が導いてくれなくても、祈っていれば周りの人を幸せへ導いてくれるのではないかと考えていた。

 だが、レジーナは神に祈ることを無駄だと言った。どうして彼女は頑なに神を否定するのだろうか。

 まだまだ知らないことはたくさんあるだろう。神についても知らないことがあるのかもしれない。正確に神のことを理解できていない自分に対して、神は導いてくださるのだろうか。


 ……私には祈ることしかできないのに。


 リリアンが祈りを捧げていると、メアリーが近づいてきた。


「いつも熱心ですね」


 アレクシスはメアリーに挨拶をするとこちらを見た。


「リリー。俺は先に外へ行っているよ」


 気を使ったのか、彼はそう言って教会から出ていった。

 アレクシスが出ていくのを見送ると、メアリーは隣に座ってリリアンを見上げた。


「今日はお兄様といらっしゃったのですね」

「はい。義兄が誘ってくれたので……」

「とても素敵ですね」


 彼女はそう言って微笑んでから、少し憂いの表情を見せた。


「リリアン様はご家族には悩みの相談ができていますか?」

「……どうしてですか?」


 思わずメアリーから視線を逸らした。だが、彼女は気にすることなくこちらを見つめている。


「あなたはよく一人で教会にいらっしゃいます。来ていただけるのはとても嬉しいです。……ただ、神にしか相談できないことがあるのかもしれないと思いまして」


 リリアンはその言葉に口を閉ざした。

 自分の思いを人に話すことができなかった。神の言葉を聞けるのは御使い。そして、その言葉を届けるのが象徴だ。本当に導いてほしいのであれば、相談すべきだ。

 けれども、相談することはできなかった。……自分が本物の貴族でないことを知られるのを恐れていたからだ。


「人に話せないことはあると思います。それを神に話すことで、気持ちが楽になるのでしたら、それでいいと思っています」

「話さなくてもいいんですか?」


 驚いて顔を上げると、メアリーは当然のようにうなずいた。


「もちろんですよ。その代わり、私にできることがあったら言ってください。……私はリリアン様の力になりたいと思っていますから」


 その瞳は本当にリリアンのことを心配しているようだった。

 自分は人に話せないことばかりだ。それでも自分を心配してくれている人がいる……それがどれだけありがたいことか。


 胸元をぎゅっと握り締める。そして、ゆっくりと口を開いた。


「……私の大切な人たちが、幸せにあるようにと祈っているのです」


 顔を上げることができない。彼女がどんな表情をしているのかを見たくないからだ。


「どうしてそう思うのでしょうか?」


 リリアンは胸の前で両手を組む。そして懺悔をするように、言葉を絞り出す。


「私が、みんなを不幸にしているのです」


 メアリーは何か考えるようにリリアンを見つめた。そして、柔らかく微笑む。


「きっと、そう思ってしまう理由があるのでしょうね」


 その言葉で、リリアンは自身の過去のことを思い出す。


 ……それは、ずっと向き合うことができなかった、幼稚で愚かな幼いころの記憶だった。


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