第16話 エルフ、ではなく、とある店長の話
『良かったら今度は知り合い連れてきますよ』
きっかけは、些細な一言からだった。
テラドリームの店長に就任した私は、元々業績の悪かった店舗の売上を上げることに使命感を覚えていた。
別にこのまま売上が下がって不要店舗認定されて閉店しても、そもそもがこんな危機的状況になるまでまともな改善策を講じなかった前店長に責任がある。
だから無理をしてお店を守る必要はなくて、私は最低限店長としての役割をまっとうすればそれで良かった。
異動の辞令に際して、人事部長からも言われていた。
言ってしまえば当初の私の役割は、売上回復見込みのない店舗を波風立てずにクローズさせることだった。
だけど、しばらく勤務してその気持ちに変化が起きた。
たった一人だけ、泥水のような濁りきった中にいながら、水面まで浮上しようとしている人がいた。
他の社員や準社員がそれなりでしか仕事をしていない中、彼は表面上適当にこなしている雰囲気を醸し出しつつ、誰よりも仕事に対して熱心で真摯だった。
次第にその熱は周囲に伝わって、ついには彼を慕ってお店で働きたいと言ってくる人間が出てくるようになった。
その子は結局準社員まで上り詰めて、今では切っても切れないメイン戦力になった。
『ねえ、どうして連くんはそんなに頑張るの?』
ある日、私は疑問に思って訪ねた。
給料は安い。残業代は店長のさじ加減。休日返上の自己啓発という名の強制参加イベント多数。
そんな悪条件でこの程度の会社に尽くす理由なんかあるんだろうか。
『頑張ってないでしょ。頑張るってのは、あんたみたいな人を指して使う言葉っすよ』
平然と彼はそう答えた。
『だってそうでしょ? 今までの店長は、目先の客数欲しさに他店だったら出禁にすべき態度の悪い常連客を容認してきた。でもあんたは違う。然るべき対応を取ってくれた。目先の利益にこだわらず、店の長期的利益を視野に入れて。あんたは自分の評価が低くなるのにも構うことなく、店を――ひいては俺たちスタッフを救ってくれた』
私は、ひどく打ちのめされた。
邪魔な常連を間引いたのは、お店はクローズするための段階的措置だった。
徐々に客数を減らして、お店で働くスタッフ全員が『これなら閉店しても仕方ない』と思ってもらえるよう、私が取った施策だ。
決して彼が言うような高尚な意図があったわけじゃない。
でも彼は、そんな私の本音なんて知るよしもなく、事もなげに言った。
『もし、あんたの目から見て俺が頑張ってるように見えるんなら。それは、あんたのためだよ。俺は、自分が受けた恩くらいは返したい。借りを作るのは、性に合わないんすよね』
恥ずかしそうに頬をかく彼の顔を見て、思わず泣きそうになってしまった。
高校、大学と、それなりの学校で過ごしたけれど、そこで何かを得られなかった。
ふらふらとしながら、適当に面接を受けて採用され、この会社に入った。
やることもないので出世のチェックリストをこなしていたら、二十代で異例の昇進とかいうことになった。
そして、今の店に配属になった。
本当に、私の人生は空洞だった。
他の皆が恋に仕事に趣味に熱中している時に、私は淡々とユーチューブでヒカキンを垂れ流しながら、空虚な自分の人生の腹いせにバッドバタンを連打する毎日だった。
何のために生きてるんだろうか。
きっと一生答えが出ないと思っていた難題に、一筋の光明が差したような気がした。
「八雲野くん。今日のタスク片付いた?」
翌日から私は、彼の呼び名を変えた。
今まではなんとなく名前で呼んでいたけれど、分別を付けるために苗字で固定した。
バックヤードからなあなあの雰囲気を排除して、緊張感を出す意図があった。
彼は彼で思うところがあったのか、ちょっと不思議そうな顔をしていたけれど、私の真意を悟ったのか、すぐに順応した。
……けど、これには本当はもっと浅くてシンプルな理由があった。
彼には、謎の包容力がある。
それも、女性にばかり通用するたちの悪いものが。
里市芽さんや時々打ちにくる録加来さんを見ていればわかる。
二人とも、言っては悪いけれど八雲野くんなんかには釣り合わないような美人だ。
だけど、現実として二人は彼にゾッコンだ。
そういう性質を持っているとしか思えない。
磁石のN極とS極みたいに。一度出会ってしまえば、彼から離れられなくなる。
私はそれがわかっていたから、自分から距離を取った。
だって、うっかり甘えてしまったらきっと、彼は簡単に受け入れてしまう。
ああ見えて、それなりに打算的な彼のことだ。
職場の上司に迫られたら、その後の職場環境を考えて、受け入れるだろう。
断って睨まれるのは、きっと彼にとって面倒で迎えたくない未来だ。
だから、適当に相手をして手籠めにしてしまう方が楽。
おそらく、彼ならそう考えるだろう。
でも、私はそれが嫌だった。どうせ彼と繋がるのなら、上司という邪魔なフィルタ抜きで、一人の女として見てほしかった。
私は、その日が来るまで自分の想いを封印しようと思った。
この店の売上を回復させ、上昇させる。
誰が見ても繁盛店だと言えるようになったその時に。
『良かったら今度は知り合い連れてきますよ』
藁にでも縋る思いで日々の営業を続けている時、ふと比較的新しめの常連さんにそんなことを言われた。
彼はあからさまに私がいる日に狙いを定めて来店しているようだった。
まあ、私は店長だし、基本的に店舗にいるのだけれど。
不思議と、ホールに出る時間が多い日に限って、彼は姿を見せた。
『本当ですか!? 嬉しいです! ぜひよろしくお願いします!』
胸と下腹部。振り返った時のお尻。嫌な視線が突き刺さる。
彼の狙いがどこにあるかは、明白だった。
そっちがそういう態度なら、こっちも利用するまでだ。
私は手っ取り早く彼の関心を利用して、客数を増やそうと思った。
一日につき一人や二人増えたところでといった感じだけど、塵も積もれば山となるだ。
ほんの少しでいい。売上が上がるのなら。
私は、だいぶ視野が狭くなっていたんだと思う。
まるで、恋する乙女だった。
『那賀押さん。俺、あなたのこと好きなんですよね。付き合ってくださいよ』
だからだろうか。
他人の好意を利用した報いが訪れたのは。
それは、さすがに驚きだった。下心込みで好意を持たれていたのはわかった。
枯れた人生とはいえ、それなりに見た目が良かったらしい私は、学生時代何度か告白を受けて、気まぐれに付き合って、行くところまで行った経験はある。
故に、異性の感情の機微は最低限読めた。
とはいえ、客と店員。
いい大人なんだから、そこの線引はしっかりしてるはず。
そんな一般論が誰にでも通じると思い込んでいた私に落ち度があった。
悩むふりをして、私は申し訳無さそうな顔を意識して、やんわりと拒絶した。
『そうですか……。じゃあ俺、もう店には来れません。俺を振ったあなたがいる店だと思うと、つらくて。知り合いも全部引き上げさせます』
それは困る。
私は、きっとここでも悪手を打ったんだと思う。
最初は一人、二人だと思っていた彼の知り合いは、既に両手では数え切れないほどテラドリームの常連になっていて、客単価だって一万円を割ることがなかった。
店舗運営をしていく上で彼と彼の知人たちの存在は既に必要不可欠な存在。
どうする。どうすればいい。悩むわたしに手を差し伸べるように、彼は言った。
『那賀押さん。最後に、次の新装で入る北斗七星の六を打たせてくれません? 俺、昔からあの機種大好きなんですよね。それ打たせてくれるなら、今後も通うし、知り合いにも引き続き声をかけますよ』
苦渋の決断だった。私は長い時間考えた。彼は、私の返事を待つまでの時間を潰すように、スマートフォンをいじりだした。
彼は、私に惚れ込んでる。だから、今回も私が不利になるようなことはしないだろう。
あとになって振り返れば、それはかなり甘い考えだったとわかる。
口約束でしかないけれど、言い含めておけば今回の取引の内容を誰かに漏らすことはない。
『わかったわ。次の新装で、あなたに六を打たせて上げる』
『本当ですか那賀押店長? テラドリームの次の新装開店で、北斗七星の設定六を俺に教えてくれるんですか?』
『ええ。二言はないわ。その代わり今後もよろしくね』
彼は、珍しく感情を表に出すように笑った。
ここも、ちょっと冷静なら違和感に気付けたはずだ。
彼は、私を名前で呼ぶようになってからはずっと『那賀押さん』と呼んでいた。
それが唐突に『那賀押店長』と呼んだこと。そして、強調するように店名を言ったこと。
全てが彼の策略どおりに進んでいたことを知ったのは、私を訪ねて警察が店に来てからだった。
スマートフォンに一連のやり取りを録音していた彼は、新装当日に警察にかけこんだ。
設定漏洩は大きな罪だ。堂々と射幸心を著しく煽る行為であり、判明すれば営業許可の取り消しだってありえた。
奇跡的に今回は初犯ということで、始末書の提出と厳重注意で済んだ。
けれど、今回の私の軽はずみな行動に対する処罰は重い。
クビ……にはならないだろうけど、降格と異動処分くらいあるだろう。
ああ、せっかくお店が軌道に乗り始めたのに、こんな終わり方ってないよ。
「ううん。むしろ、空っぽな私には似合いの末路かな」
できもしないことをやろうとした天罰だ。
そう思うと、彼のもとに向かう足取りも軽くなった気がした。
「やあ。待ってたよ、那賀押さん。来てくれると思った」
いつものスカジャンを来た彼は、サングラスを外していた。
そこには、見ているだけで腹の底まで覗かれてるみたいな、恐ろしい瞳が光っていた。
街外れにある海べりの倉庫。ドラマなどでよく見る、いかにもなロケーションだ。
「何の用?」
「決まってるじゃん。わかって知らない振りするのは、いい加減しんどいよ」
バレてる。私が徹底的に彼を利用していたことを、本人は知っていた。
にもかかわらず彼は、私に利用された。それは何故? 訝しむ私の疑問に答えるように、優雅なまでに余裕のある表情で彼は告げた。
「俺さ、那賀押さんみたいな一途な人が堕ちる姿を見るのが好きなんだよね。だから、はめたんだ」
「破壊願望ってこと? いい趣味してるわね」
季節は夏だっていうのに、海から吹く風は冷たかった。
ゆっくりと、彼がわたしに近づく。
「そうでしょ? 絶望に歪んで心がぶっ壊れた女を、抱き殺す。それが俺の趣味。どう? 最高にクールじゃない」
一種の屍姦だと、私は思った。
「でも、那賀押さん、全然堕ちてないよね。意外だなあ。てっきり店長としての立場危うくなれば、泣いて下がってくるかと思った。ええっと、じゃあ他には、何かあったっけ」
言いながら、彼は右側頭部に人差し指を当てた。
「売上? 違うなあ。楽しい労働環境? これもちょっと違う。ああ、わかった。――あいつだ」
にやりと、悪魔みたいに笑った彼と目が合った瞬間、恐ろしい勢いで心臓が跳ねた。
「あの八雲野って男だ。那賀押さん。あんたあいつに惚れてるから、あいつが無事ならそれでいいんだ」
「ち、違うわ。そんなことない。彼は単なる一社員よ。それ以上でもそれ以下でもないわ」
「ああ、そっかそっか。よ~くわかったよ。そりゃ、俺の告白も断るよねえ」
ニヤニヤしながら彼は、スマートフォンをいじり始めた。
「ああ、もしもし。俺、俺。ちょっとさあ、ボコボコにして欲しい奴がいるんだよねぇ。えっと、いつも行ってるパチ屋のうざい野郎の店員いるだろ。そうそう、そいつ。後、そいつと仲良さそうにしてる若い女の店員と、常連の女。そう。名前は、里市芽菜々女と、録加来紫砂」
「な、なんで――」
「俺がこんなこと知ってるかって? はは、那賀押さん。あんたやっぱ、箱入りだろ? 冷静に考えて、当たり前みたいに平日の昼間からパチ屋に入り浸る奴が真っ当な職に就いてる訳ないじゃん!」
てか、この格好見て気付けよな。
彼は得意げに言った。
まずい。まずいまずい。どうしよう。私のせいで、皆が、連くんが……!
「お、お願い! 何でもするわ! 何でもするから、皆には手を出さないで!」
「あはは! いい、いいねえ、那賀押さん! やっと俺好みの展開になってきた♪」
腰に縋り付くように手を回す私を見下ろしながら、彼は舌を出しながらけたけたと笑った。
「脅しでこれなら、実際に仏様になったやつらを連れてきたらどんな反応するんだろうなあ。楽しみだ、けひひ♪」
「やめて……お願い、お願いよぉ……」
気付けば、私の頬を涙が伝っていた。
無力で。媚びへつらって、許しを請うことしかできない。
これが、ずっと人生をサボった報いなんだろうか。それにしても、あまりに非情だ。
「なんでも、する……なんでも、するからぁ……っ」
泥水だって啜るし、望めば裸で街中を徘徊でもしてやる。
だから、お願い、それだけはやめて!
「――ほんとに? 言質、取ったからな?」
私の願いが神に届いたんだろうか。
目の錯覚? 幻聴?
自分の神経を疑ったけど、それはどんなにまばたきを繰り返しても私の視界から消えることはなかった。
「なんでてめぇ、ここにいるんだ? 俺の手下どもを向かわせたはずだけど」
「手下? ああ、こいつらのことか?」
「なっ……っ」
初めて、彼が焦った。
無理もないよね。だって、突然現れたその人の足元に、気絶した知人がまるで風に乗ったみたいに運ばれてきて、落ちたんだもん。
「なんでここに? って言ったよな。教えてやるよ、女ひとり自分の力じゃ落とせないクソガキ君」
そう言いながら、その人――
「俺たちに黙ってくだらねーことした店長連れ戻しに来たに決まってんだろうが!」
連くんは、声を荒らげた。
何なの、君。冴えないおっさんのくせに、これ以上私のこと惚れさせて、どうしたいの?
「ばか、ばか。連くんの、ばかぁ……っ」
不思議と、心の中には春の日差しみたいな温かな感情が宿っていた。
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※お知らせ※
4日~6日→毎日2話ずつの投稿となり、6日の投稿をもって完結となります。
せっかくのGWなので、期間中に全て投稿することにしました。
また、投稿時間も当初の19時→18時5分に変更してあります。
以上、ご周知くださいm(_ _)m
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
【あとがき】
こんにちは、はじめまして。
拙作をお読みくださりありがとうございます。
毎日18時5分に更新していきます。
執筆自体は完了しており、全21話となっています。
よろしければ最後までお付き合いくださいm(_ _)m
※※※フォロー、☆☆☆レビュー、コメントなどいただけると超絶嬉しいです※※※
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