第26話 試練の前夜

 食事も一段落すると、夫人は召使いと共に食堂を退出していった。


 食堂に残ったのは剣士と領主の二人だけだ。



「さて、明日についての事を話しておこうか」



 領主の言葉に、来たぞ、と剣士は身構えた。


 昨夜の晩餐はついつい浮かれて浴びるほどに酒を痛飲して、見事に二日酔いとなってしまった。


 だが、今夜は軽く舐める程度に呑んだだけで、意識ははっきりとしている。


 仕掛けてくるかもしれない相手を前に、さすがに酔っぱらうのは危険過ぎた。


 もちろん、礼儀の点から怪しまれないように、少しばかりは口に運んだが、酔いを感じる程の事でもない。


 どんな言葉が出てくるのか、神経をより集中させた。



「先日、話していたように、明日の夜には『試練の山』の山頂を覆っている雷雲も薄れてくる。そして、山頂の祭壇にて、試練を受けてもらう。……いや、受ける資格がある、と言い直そうか」



「つまり、止めるなら今の内だ、と?」



 剣士の質問に、領主は無言で頷いた。


 試練はあくまで自らの意思によって、受けるかどうかを決めるということだ。


 ただ、監督役である領主からは、受けてもヨシ、という許可が出ただけだ。



「まあ、君なら、何も問題ないということだよ。樹海を一人で踏破し、村人からも認められ、我が妻とも致さなかった・・・・・・ようだしな」



 不敵な笑みを浮かべて投げ付けられた言葉に、さすがの剣士も身構えた。



(やはり、夫人とのいざこざは察していたか)



 村人との件もそうだが、淫魔サキュバスが人の姿に化け、襲ってきた。


 剣士はそれらをことごとく退けたが、その痕跡を消している余裕はなかった。



(まあ、領主と村人は結託しているだろうし、俺が誘惑を跳ね除けて撤収したなんて、すぐに分かる事だ。夫人の件にしても、破邪の護符を張り付けてあるし、すぐに普段との違いに気付く)



 当然の事だと剣士は考えた。


 問題は領主の実力と、いつ仕掛けてくるかと言う事だ。


 そんな剣士の思惑など見透かすがごとく、領主はニヤリと笑った。



「安心しろ、剣士ラルフェイン。今この場で仕掛けるのは、私の矜持が許さぬ。どうせなら、ド派手な舞台の方がいい」



「……どういう意味で?」



「まあ、はっきり言えば、今のお前では試練を受けることはできても、それを突破する事はできない、という事だ」



「安く見られたもんだ。俺は本物の勇者になって帰ると、仲間に約束しているからな。ここじゃ、嘘はご法度なんだろ? なら、ちゃんと勇者になって帰るさ」



 どのみち、下がると言う選択肢はない。


 仲間との約束もあるが、今はそれよりなにより、あの木こりの老人を解放してやることで、頭がいっぱいになっていた。


 あれが勇者の成れの果てであってはならないし、あまりにも報われなさすぎる。


 自分がああならないためにも、あるいはああなりたくないがゆえに、勇者はどこまでも皆からの羨望を集める憧れの存在でなくてはならない。



(そう、伝説は伝説のままで! 色褪せぬ英雄像を保持しなくては、次に続く者がいなくなる!)



 剣士自身もまた、勇者と言う存在に憧れる者だ。


 如何なる難敵にも挑み、どんな難題をも乗り越え、人々に勇気と正義を示し、誰よりも力強き英雄、それが“勇者”と呼ばれる存在。


 その伝説に余計な追加文を差し入れる事は、剣士自身が気に食わないのだ。



(伝説の大英雄『剛腕の勇者』の伝承はそのままで。伝説が色褪せる事があってはならない。俺があの人を解放し、そして、正式に勇者の“肩書”を背負う)



 肩書とは背負うもの。


 老人から言われた台詞が、ズシリと肩に圧し掛かっていたが、すでに臆する事はなかった。


 目の前の邪魔者を打ち倒し、試練にも打ち勝ち、そして、今度は自分が伝説を築いていく。


 もう剣士には一切の迷いはない。



「……いい面構えになった。ここへ訪れた時よりも数段な。だからこそ、試練を目の当たりにして、恐れおののく様が見てみたくなった」



 それは今まで感じた事もない“圧”であった。


 肩にかかっていた重みとは違う、別の何かの圧力が剣士の臓腑に抉り込んできた。


 思わず吐き気を催すほどの気持ち悪さ、気味の悪さが目の前の男から発せられた。



(やはり一筋縄ではいかんな。だが、俺は逃げない! 戦ってやるさ!)



 そんな試練や、あるいは罠が仕掛けられようとも突破する。


 それだけだと、剣士は自分自身に言い聞かせた。


 そんな怯まぬ態度が逆に気に入ったのか、領主は拍手を送ってきた。



「いいね、その表情、気迫、申し分ない。まあ、今夜はゆっくりと休むがいい。そして、万全の態勢で臨め。明日の夜は、決して眠る事の出来ぬ一夜となるだろう。明後日の朝日を拝めるかどうかは、お前の“心”次第だ」



 そう言って、領主は席を立って食堂を出ていった。


 一人になった剣士は、どっと疲れが汗と共に拭き出した。


 下着がぐっしょり濡れる程の汗であり、それだけ圧を加えられていたのだと、今更ながらに感じた。


 そして、手元のあった杯を握り、グイっと注がれていた水を飲み干した。



「ッッップハァ~、体中がガラガラに枯れていた感覚だ。本当に明日までの命かもしれんな」



 さらにもう一杯水を飲み、ようやくに落ち着く事が出来た。


 さてどうするかと考えたが、特に思い浮かぶことはなかった。


 唯一つ、気になる点があった。



「……明日の夜には山に登る事になる。だが、最後に爺さんにもう一度、稽古を付けてもらうか」



 元・勇者の老人と手合わせをしたい。


 少なくとも、あの老人の本気を見せてもらってこそ、それを閉じ込めた相手の力量を図れるのではという考えがあった。



「まあ、明日、山に登る前に、もう一度、雑木林に行ってみるよう」



 そして、剣士は席を立ち、自身の寝室へと向かった。


 今やここは敵地のど真ん中と言っても良かったが、ああも啖呵を切った以上、試練の場で何かを仕掛けてくるのだろうとも考え、安心して眠る事にした。



淫魔サキュバスも言っていたが、精神の乱高下こそ、最高の馳走だと。なら、明日の試練を見て絶望させ、その上で狩り取ってくるだろう。……もちろん、思惑通りにはいかせないがな」



 絶対に生き残ってやる。


 そう意気込みながら、今は体力を回復するべく寝台ベッドに身を投げ出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る