第24話 口付け

 山裾に太陽が沈みかけた頃、領主が颯爽と馬に乗って帰宅した。


 領主の夫人、客人の剣士、門番が二人、昨日と同じく皆揃ってのお出迎えだ。


 その光景に領主は笑みを以てそれを受け止めた。



「今日も皆でお出迎えとは嬉しい限りだ。ほれ、夕食を獲ってきたぞ」



 そう言って領主は、馬に括り付けていたシカをポンポンと叩いた。


 血抜きはすでにされているようだが、それなりの重さがあった。


 昨日はウサギであったので夫人が運んだが、今日のシカはさすがに難しそうであった。


 それを汲み取ってか、門番の一人が鹿を担ぎ上げ、厨房の方へと運んでいった。



(しかし、これは欺瞞だ)



 笑顔で応対する剣士であったが、警戒心はマシマシであった。


 ここへ来たときは、聖地の管理者たる領主とその夫人、真面目な門番という組み合わせであった。


 だが、裏の話を知ってからは見る目が変わった。


 かつての勇者『剛腕』の成れの果てが領主であり、その最愛の人である『光の盾』が夫人なのだと言う。


 しかも、門番は人間ではなく、魔法人形パペットと言う事も知った。



(だが、それすらも嘘! 本当に倒すべき相手は目の前にいた!)



 元々演技と言うものが苦手ではあったが、剣士も命懸けの駆け引きに乗っからざるを得なかった。


 なにしろ、本当はこの聖地がすでに魔族に乗っ取られていたからだ。


 夫人は淫魔サキュバスであり、試練を受けに来た勇者候補をたぶらかしては、覚めぬ夢へと追い落とし、その精をむさぼっていた。


 そして、領主の方は魔王なのだと言う。


 聖地の乗っ取りも、未来の勇者を叩き潰しながら、復活までの時間を稼ぐと言う、一石二鳥を狙っての策だと言う事だ。



(ゆえに、下がると言う選択肢はない! 魔王の威名に恐れをなし、すごすごと引き下がるようでは勇者足り得ない!)



 勇気と覚悟を示してこその勇者であると、剣士は考えている。


 撤収するにしても、挨拶代わりに一太刀浴びせてからでもいい。


 ゆえに、大胆な一手を考え付いた。



「領主さんよ、確か、この聖域で手に入れたものは、そちらに申告しないといけないんだったよな?」



「ああ、その通りだよ。して、今日の散策では何を手に入れたのかな?」



 何を出してくるのかとワクワクしているようも見えたが、これもまた欺瞞ではないかと勘繰ってしまう剣士であった。


 だが、口にした以上、引っ込める事は出来たい。


 剣士は領主に近付き、そして、その頬に“口付け”をした。


 これにはさすがに意外であったようで、領主も夫人も目を丸くして驚いた。



(だが、嘘ではないぞ。紛い物だが、“貴婦人の愛”を受け取ったのだからな)



 実際、剣士は地下室にて、夫人から口付けを貰っていた。


 歪んだ愛情、むしろ、食欲の対象ではあるが、その心を差し出され、無理やりだが受け取るハメになった。


 受け取ったからには、申告しなくてはならない。


 表面的には、妻の浮気を間男が夫にバラした、という形になる。



(さて、牽制の意味も込めての口付けだが、これにどう反応する!?)



 場合によっては、激怒した領主によって、夫人か剣士のいずれかが切り捨てられることだろう。


 不貞なる妻への制裁は夫の権利であるし、間男への報復もまた当然の所業だ。



(むしろ、ここで本性を現してくれた方が、話が早くて助かるんだがな)



 期待はしているが、同時に望み薄であるとも考えていた。


 所詮、淫魔サキュバスは目の前の領主の姿をした何かの共犯者。舞台の上で演じる仮面夫婦に過ぎない。


 これで本性を晒すようなら、いくらなんでも間抜けすぎる。


 実際、領主は何かを考えているように、僅かに首を傾げていた。



「ん~、ラル殿から親愛の印と思えば悪い気もせんでもないが、ラル殿はこの口付けを誰から貰ったのかな?」



 当然の質問が飛んできた。


 ここで村娘からの熱烈歓迎の末に、とでも答えようかと思ったが、それはさすがになしにしておいた。


 姉妹から散々に迫られたが、残念な事に口付けはされていなかった。


 受け取ってもいないものを受けとったと申告するのは噓になる。


 虚言もまた規則により禁じられているので、誤魔化す方向に剣士は舵を切った。



「領主殿、それは約束違反ですぞ」



「と言うと?」



「手にした物については申告しなくてはならないが、どこで手に入れた、誰から受け取った、と言うことまで申告しなくてはならないとは聞いていない。追加で規則を差し込むのはフェアじゃないね」



 嘘を付けないし、真実を堂々言うのも難しい。


 ならば喋らなければいい。相手の非を鳴らせば、誤魔化しようはある。


 相手の出方次第では即座に斬り込めるよう、それとなく手は剣に添えてある。


 あるいは、強化の魔法薬ポーションを取り出せるよう、腰の道具袋にさりげなく手を寄せてもある。



(さあ、どう返してくる!?)



 剣士にとって、一瞬が一時間にも感じれるほどに息苦しく感じた。


 だが、領主はそれを全部流してしまった。



「うむ、確かにそのような禁令はない。ラル殿は受け取ったものを正直に申告した。それ以上でも以下でもないし、何の問題もない」



 その答弁を聞き、剣士はまずホッとした。


 さすがに今この場で仕掛けてくることはないということだ。



「さあ、まずは腹ごしらえといこう。明日の事も少し話しておきたいしな」



 領主はポンポンと剣士の肩を叩き、屋敷に向かって歩き出した。


 夫人もそれに続き、剣士もまた後を追った。



(やはり、仕掛けてくるとしたらば、明日の試練の最中か)



 これからそれについて話すと言っていたが、信用する事はできない。


 今までの手順で行けば、嘘と真実を織り交ぜて、こちらを困惑させてくるはずだ。


 まだまだ油断はできないと、剣士は一層気を引き締めるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る