【完結】異世界転移で俺だけ魔法が使えない──逃げた先がまさかの魔王の封印場所でした

林檎茶

第1章

1. 一転する放課後

 ようやく終わりやがったか。話がなげーんだよこの野郎。

 ──そんな俺の悪態は、窓の外でしんしんと降り続ける白雪同様、音もなく俺の心の中に吸い込まれていく。


 頭頂部が少し寒そうな担任の長話が聴きなれたチャイムによって強制的に中断されお開きになると、そこはもう放課後の喧騒に満ちた空間となった。

 つまらない理科の授業の50分よりももっとつまらない担任の10分の話の方が長く感じるという人体の神秘について考えつつ、机の横に置いていたカバンを取り出して教科書などを片付ける。

 今日で高校二年生での生活は最後となり明日から春休みに入る。だから、いつものように置き勉をするわけにもいかないのだ。


 ふと周囲を見回すと、教室内には俺を含めた複数の生徒たちがそれぞれ少数のグループを作っては春休みの過ごし方について話し合っていた。

 部活動に身を投じる者もいれば、来年の受験に向けて勉学に身を投じる者もいるだろう。まあ…俺はそのどちらでもないが。

 帰宅準備が完了し、カバンをヨッコラセと背負った俺に話しかけてきた声が一つ。


「なあ、また一緒のクラスになれればいいよな」


 振り返るとそこにはクラスメイトの一人、鎌田トモヒサがいた。

 トモヒサとは小学校からの付き合いで、趣味も似ており親友と言っても差し支えないくらいの仲だ。

 違うのはトモヒサがサッカー部のエースであるのに対し、俺は帰宅部のエースであるということくらいか?

 まあ、今日はトモヒサに話しかけられるのを見越して帰宅部エースの真髄である『奥義──超速帰宅ダッシュ』をかまさなかったのだが。


「そうだな」


 俺はトモヒサと目も合わせずぶっきらぼうに返事した。それは決して俺が親友にすら目を合わせられないようなコミュ障だからとかそういう理由ではないぞ。


「相変わらず素っ気ないなーお前。そんなんだから彼女の一人もできないんだぞ~」


 トモヒサは俺の肩をど突きながら話す。トモヒサは力の加減が少しバカなので地味に痛い。

 そう、俺はやれやれ系主人公に憧れたニヒリスト。素っ気ない態度にどことなくカッコよさを感じているのだが、もしかしてこれってただの中二病?


「──うるさいわ。俺にはいずれ天真爛漫で美須豪眉びしゅごうびな彼女ができるっつーの」


 それっぽく言ってみたのだが──、


「お前、美須豪眉って逞しい男のことを指すんじゃなかったか?」


「嘘だろ⁉︎そうなのか⁉︎」


 やばい、なんか難しい言葉を使って格好つけようとした結果意味を履き違えて馬鹿丸出しという一番恥ずかしいやつをやってしまった。

 ってかなんでトモヒサは意味を知ってるんだよ。


「話は変わるけど、お前進路どうすんだよ」


 恥ずかしさによる冷や汗が体温を奪う前に、トモヒサは話題を変えてくれた。

 にしても進路、か。もう3年生になっちまうしな。

 ここは東北地方に存する偏差値50前半の自称進学校。その学校で中の上程度の成績である俺には余裕がないのは分かっていたがそれでも、


「大学に進もうかな」


 と答える。


「マジ?お前大学受けんの?その頭で?」


「うるさいわ。まあ…受験はな~、あと一年ありゃなんとかなるだろ」


 正直自分の考えが甘いのはわかってる。だけど、なんとかなるだろという妙な自信はあった。


「まあー、がんばれよ」


 ぶっきらぼうにそう言うトモヒサは俺よりも成績が悲惨だ。サッカーで食っていくなどと言っていたが本当にそのつもりなのかは分からない。


「んじゃあ、一足先に帰るわ」


「おう、じゃあまた新しいクラスでな。たぶんまた一緒だろ」


 三年生時のクラス分けは春休み明けでなければ開示される事がないが、友達と呼べる友達がトモヒサしかいないのでトモヒサの最後の一言は心の底から実現して欲しいことだった。もちろん、気恥ずかしいのでそんなことは口に出さないが。

 トモヒサは他の友達と喋ってから部活へ行くらしい。なんとも充実している。

 こうして俺はトモヒサと別れ、教室を出た。


 今年の春休みはどんな過ごし方をしようか、階段をかけ降りながら様々な思いを馳せる。

 去年の春休みはろくに勉強もせず深夜までゲーム三昧。しまいには体をこわし季節外れのインフルエンザに侵されるといった体たらくだった。

 布団に籠っているにもかかわらず襲われる寒気が、今でも思い出される…


 …そう考えるとどことなく寒気を感じる気がする。

 ああ。そういえば、廊下の上着かけにコートをかけたままだった。


 コートを取りに戻るためだけに再び階段を昇らなければならないのは億劫で、別にコートが無くても差し支えは無いと思ったが、いかんせん明日からは春休み。

 今取りに戻らなければ、お気に入りのロングコートが学校という監獄に囚われてしまう。

 俺はため息を吐きながら仕方なく急いで元来た道をかけ戻り、二年生の一年間を過ごした教室へと踵を返した。


 ──なんだあれ?


 教室の前までたどり着いたところで、妙な雰囲気に気がつく。


 さっきまで教室に満ちていた騒がしさが無くなっている。

 それどころか動くものの気配すら感じられず、教室のドアの半透明のガラスからは得体の知れない不気味な赤黒い光が漏れ出している。

 教室から出た生徒はまず間違いなく俺が先程通った階段を使う。

 だから教室の外に出たのならば必ず俺とすれ違うはずだが、廊下や階段で放課後に教室内で見たクラスメイトたちの姿を一つも見ていない。

 つまりまだ教室内にはトモヒサを含めるクラスメイトたちがいるはずなのだ。

 それなのに人気のない不気味な教室の雰囲気に、小さく息を呑む。

 一先ず上着かけに掛かったコートを回収し、その不気味な光の正体を確かめようと教室のドアを恐る恐る開けた。


「なっ…!」


 教室内に広がっていた異様な光景…そして血のように赤黒い光の正体に思わず驚愕の声が漏れる。


 教室の壁、天井、床の隅々に至るまで、まるでアニメや漫画で見る魔法陣のような幾何学的で怪しげな紋様が浮かび上がっていた。

 それらは心臓のように一定の規則を持って鼓動し、荒れ狂っており、咲き乱れる真紅の薔薇を思わせるようで、おぞましい。

 そして更に注視すべきは…床に投げ出されたように横たわっているクラスメイトたちの存在。

 その数、十人。

 その全てが眠ったように目を閉じておりピクリとも動かない。

 いったい何があった。

 すぐさまトモヒサのそばまで駆け寄り、なんとか目を覚まさせてこの現状についてを問いただそうとした。……のだが。


 光が…強まっている…?


 教室を満遍なく埋め尽くす幾何学模様。それらから放たれる不穏な輝きが徐々にその勢力を増していることに気がついた。

 得体の知れない不気味さ──いや、戦慄を感じた俺は一先ず大人を呼ぼうと一旦教室から出ることを決意する。

 しかし、俺が教室から出るよりも早く。赤黒い光は覚醒したように閃いて、緩やかに俺の意識に侵食していった。

 疲れ切った日の夜に湯船に浸かるが如く……俺の意識は徐々に、徐々にこの世界から放たれていくのを感じた。


 なぜ、倒れ込むクラスメイトたちを見て俺も同じ目に合うかもしれないと考えなかったんだろう。

 自分の軽率な行動に後悔しつつ、襲ってくるありえない程の眠気に抗う。

 その意識の混濁する感覚は決して悪いものではなく、むしろ心地よかった。

 こうして薄れ行く意識の中で、俺はじわじわと光に飲み込まれていくクラスメイトたちの姿を見た。

 窓の外では、相変わらず大粒の雪が静かに世界を白く染め上げていた。



 いつの間にか意識、そして視界に光が戻ってきていることに気がつく。

 恐る恐る目を開けると、そこには先程まで目の前に広がっていた赤黒い光景とは対局にあるような白一色の空間が広がっていた。

 上も下も分からなくなるほど真っ白な空間。

 俺は今この謎空間に横たわっており、手にはこの事件に巻き込まれる元凶となったお気に入りのロングコートがしっかりと握りしめられている。


 もしかしてここは天国で、俺は死んだのか?

 いやいや、この俺が天国に行けるはずがない。

 『午後の紅茶』を午前に飲んだことがあるし、『1本満足バー』を1日に2本食べたこともある。更には『ねるねるねるね』を練らずに粉ごと飲み込むという、仏陀から直接「お前、即刻地獄に行け」と通告されるような悪行を犯してしまったこともある。

 そんな悪の限りを尽くしてきたこの俺が、天国に行けるはずがないのだ!


 だからここは死後の世界なんかじゃない。いったい全体どういう状況なんだ?これは。

 この意味不明な現状について誰かに聞こうと、何か声に出そうとするも声は音とならない。

 手探りするように体を動かしてみるも、四肢は流れのない水の中に落ちていくように虚空を切り裂くばかり。と、その時だった。


『あなたに話があります。時間がありません。落ち着いて聞いてください』


 突如脳内に女性の声が響き渡った。

 とても優しい声。違和感なくすんなりと脳がその声を受け入れる。


 話…?時間がない?

 俺はこれから春休みに入るのだ。時間がないわけないだろう。

 少し混乱した頭の中で、そんなことを考える。


『あなたはこれから、あなたがいた世界とは違う世界へと行くことになります』


 は?

 突拍子もない話に思わず耳を疑う。

 そういえば他のクラスメイトたちはどうした?


『先程の魔方陣の定員は十名。あなたは転移ギリギリに魔方陣の中へと滑り込んでしまったために、定員オーバーで次元の狭間を永遠と彷徨ってしまうところだったんですよ』


 何を言ってるんだコイツは。次元の狭間?永遠と彷徨う?


『それを私が助けた結果…もうすぐ私の力は尽きてしまいそうなんです。と言ってもこれは貴方の魔力なんですけどね』


 力が尽きる?じゃあ俺は一体これからどうなるってんだ?それに魔力?そんな力、俺が持っているわけないだろう。

 まさか永遠にこの白い空間に横たわったまま?冗談じゃない。


『私はあなたを信じ、最後の力を使ってあなたを第三次元へ送ります』


 第三次元へ送る…?元の世界に返してくれるってことか。でもさっき違う世界だとかどうとか。


『レヴィオンが思い通りに動いてしまえばベルフェリオ様が復活してしまう。最後の可能性はもう貴方しかないのです』


 もう、何を言っているのかさっぱり分からない。


『それでは頼みます。私とはいずれまた──』


 その声を契機に俺の体を白銀の光が包み込み始めた。

 頭の中はまだ、こんがらがった釣り網のような状態のまま。

 そうして光の収束とともに、俺の意識も再び深い闇の中へと沈んでいったのだった。

 声の主は最後に、


『名はアイザワワタル、ですか。数奇なものですね、運命というものは』


 と呟いていたような気がした。



 意識が鮮明になるにつれて、背中に広がる硬質な感覚に気づく。

 どうやら俺は先程までいた白一色の謎空間から移動できたようだ。


 教室に戻って来れたのだろうか。

 右手には未だしっかりとロングコートが握りしめられており、そのふかふかとした感触が心地いい。多少値が張ったためあの空間で落として紛失、なんてことにはならなくてよかった。


 しかしまだ目を開けられない。

 どうしようもない眠気というか力が入らないというか、不思議な感覚である。

 このまま地面と同化してしまいたい。

 なんて考えていたその時。

 耳を澄ませば周囲から聞き覚えのない声が聞こえてくることに気がついた。

 そのどれもが「失敗だ…」だの「これまでの苦労が…」などの悲哀に満ちた言葉である。

 その言葉の意味が気になり、重い目蓋をなんとかこじ開けて薄目を開けた。


 まず目に飛び込んできたのは薄黒い土壁に設置された無数の松明たちだった。それによって照らし出された怪しげな装飾品の数々。

 明らかに学校で無いのは見てとれる。

 よくよく見てみれば、俺の前方にはトモヒサの他に魔方陣の光に飲み込まれる直前に見たクラスメイトたち十人がいた。

 ひとまず安堵する。こんな異質な空間に一人きりだったとしたら気が狂っていたかもしれない。


 不穏な声の正体を探るべく更に辺りを見回して見て視界に映ったのは、先程聞いた声の持ち主たちと思われる怪しげな漆黒の装束を身に纏った人々の姿だった。

 そして──、


「なっ…!?」


 黒装束軍団の前に広がっていた、あまりにも禍々しい光景に絶句する。


 黒装束とは対局な純白の衣装を纏った人々の亡骸・・十体が、俺が教室で見たものと同じ紋様…五芒星魔方陣の上で投げ出されるように横たわっていた。

 人目で死体だと分かる。分かってしまう・・・・・・・

 亡骸の全ての眼球が抉られているのか眼窩が剥き出しであり、両足は切断された状態でピクリとも動かない。

 切断された両足の断面は、止血の跡か黒く焼け焦げているように見える。その容姿は老若男女様々で、俺と同じくらいの歳に見える人もいた。

 つまり今目の前にいるこの気色の悪い黒装束軍団は、このようなことを平気でやってみせる野蛮な集団だということだ。

 恐怖で体が強張る。下手な言動はそれだけで死を招くと悟る。


「音を出すなと、言っているだろう?」


 突如、黒装束軍団の一角から重くのしかかるような男性の低い声が放たれた。

 すぐさまこの声の持ち主がこの惨事の元凶だと直感し、クラスメイトたちがこの惨状を前にして黙りこくっている理由も理解する。

 黙っていろと俺が来る前に命令されていたからだ。

 女子生徒たちが恐怖からかその場に蹲ってガタガタと震えているのは見るに耐えない。


「クソ…あの老いぼれめ。十人集めるのに何年かかったと思ってる…?」

 

 ぶつぶつと一人で呟く元凶の男。

 コイツの言葉はこの理解し難い状況を把握する鍵となる。例え独り言だとしても聞き逃さないようにしなければ。

 ええと……十人とは恐らく白銀衣装の者たちのことだろうか。老いぼれとは誰かは分からないが、この儀式のようなものの詳細を教えた人物のことか?

 情報が少なすぎる。もう少し何か喋ってくれないかなと思っていたら、黒装束軍団の中でも特に装飾の多い人物が元凶の男の元まで歩み寄り、


「恐れ入りますがリオーネ様。十一人目の転移者の姿が」


 と、告げた。

 どうやら元凶の男の名前はリオーネというらしい。明らかに日本人の名前ではない。

 リオーネは俺の方に視線を向ける。その表情には少し困惑、いや、歓喜とも取れる感情が滲んでいた。

 そのことから、リオーネがこの修羅場に途中参加した俺の存在に気づいていなかったことが分かり、先程呟いた十人という言葉の意味が俺以外のクラスメイトたちであったという可能性が浮上した。

 ──我ながら冷静な状況判断が出来てるんじゃないか?


「十一人目…?まさかあなたが!?」


 リオーネは俺の前方にいたクラスメイト数人を突き飛ばしながら未だに地面に横たわる俺のすぐそばまで歩み寄ってきて、その顔を近づけてきた。

 禍々しいオーラとは裏腹に、何もかもを吸い込んでしまいそうなほどに透き通った美しい藍の瞳に思わず見惚れてしまう。

 数秒その状態が続いて、


「…やはり違う」

 

 俺の顔を舐め回すように見つめていたリオーネだったが、どうやら俺は探していた人物とは別人だったようだ。

 当然といえば当然なのだが、俺が何かしら選ばれた人間だった…と想像していなかったわけではない。少し悔しい。


「貴様の出身はどこだ」


 俺が探していた人物ではなかったことが気に触ったのか、リオーネは地面に転がる俺を踏みつけながら呟いた。


「み、宮城県だ」


 急に踏みつけて来たことによる痛みに耐えながら、なんとか質問への回答を吐き出す。そして今いる場所がどこなのかを考える。日本語が通じているので、ここが外国である可能性は低い。そもそも地球以外ならばこの答えに困惑するはずだ。


「ミヤギ…?知らんな」


 リオーネはそう言って踏みつけていた足をどかす。そして俺は鈍い痛みに堪えながらもここがどこなのかを確信した。答えは後者だ。

 これまでの惨状に納得するとともに、困惑の感情が溢れ出してくる。俺たちはこれからどうすればいいのか、元の世界には戻れるのか。


「リオーネ様。もしかするとこの者たちは第一次元からの使者かもしれません」


 再び黒装束の中でも特に装飾が多い人物が歩み出る。装飾の数が黒装束軍団の地位を表しているようだった。


「ほう。では、ベルフェリオのことを知っているのだろうな?」


 リオーネは足元に転がる俺に再び質問を投げかける。


「貴様はベルフェリオを知っているか?」


「知らない…です」


 恐る恐る答える。

 ベルフェリオ。どこかで聞いたことがあるような響きの言葉だが、鮮明には思い出せない。


「では、ヤルダ様のことは?」


「知らないです」


 追い討ちのように聞いてきたリオーネの言葉は、微塵も聞いたことのない人の名前だった。


「そうか…よし。ミラ、こいつらを処分しておけ」


「わかりました」


 は?処分??

 その言葉に思わず耳を疑う。こいつらが言う処分とは恐らくあの白装束たちと同じような結末となることだ。

 あちらの都合で俺たちをこの場に召喚し、挙句殺されるとはあまりにも理不尽だ。


 どうにか…どうにかしないと。でも何をすればコイツの機嫌が取れる?

 なんとかこの状況を打開する言葉、行動を見つけようとするも、下手な事をすればリオーネの機嫌を損ねかねないのでただただ嫌な汗がにじみ出てくるだけ。

 本当にここが異世界だとするのなら、チート能力の一つでも覚醒する場面なんだろうが、生憎とそのような片鱗は何もない。


 とその時、焦る俺の意識にクラスメイトの一人、神崎ショウの声が飛び込んだ。


「ま、待ってください…いきなりこんなところに連れて来た挙句、殺すなんて…僕たちを元の世界へ返してください!」


 驚く。

 ショウが口した言葉は、とてもじゃないが言えないと思っていたものだった。

 この発言が相手の気に触ったのならば、真っ先に・・・・処分されかねないからだ。


「元の世界…?じゃあやはり貴様らは元々この世界にいたものではない、ということか?根拠は?」


 しかし俺の焦燥とは裏腹に、リオーネは機嫌を良くしたように見えた。


「はい。宮城を知らないんですよね?つまりここは地球じゃない。貴方はさっき第一次元がどうとか言いましたよね?恐らく僕たちはこの世界とはまた違った次元にいたってことではないでしょうか?」


 ショウの声は震えているものの落ち着いている。

 この状況で大したものだと素直に感心するが、それに反して取り乱したのは女子生徒達三人だった。「別の世界ってどう言うこと!?」などと小声であるが、慌てふためいているのがわかる。

 確かに考えてみれば、異世界に転移されたというのに落ち着いていて…あわよくば特殊能力がついてるかもなんて考えてしまう方が異常なのだ。


 ショウの問いに、リオーネは考えた素振りを見せた末、答える。


「ほう…つまり貴様らはこの世界、すなわち第二次元。そして神々の世界──第一次元以外の次元からやって来たと?」


 ここで俺は記憶が不鮮明だった白空間で聞いた言葉の一部を思い出した。

 確かあの優しい声は、俺を第三次元へ送ると言っていた。しかしリオーネはここを第二次元と言っている。

 何かおかしいが、とりあえずこの場はショウに任せてでしゃばらないようにしよう。白空間での出来事は一旦心の隅に置いておく。


「次元…に関してはよくわかりませんが、恐らくそうだと思います」


「つまり私たちの儀式は、第一次元に届かなかったものの別の次元への干渉は成功した、ということか」


 リオーネはそう呟くと、ニヤリと口角をあげ不気味に微笑んだ。


「ミラ。前言撤回だ。こいつらは良い研究材料だ。それに別次元の話も気になる。丁重に扱え」


 リオーネの口調はうって変わって落ち着いたものへとなっていた。これで処分される事は無くなったのかもしれない。

 心の中でショウへ感謝を告げる。


「わかりました。では応接室にこの者たちを案内致します」


「ああ、私も行こう」


 リオーネにミラと呼ばれた黒装束の一人は俺たちの前へと歩み出ると、被っていたフードを持ち上げた。

 中から現れたのは若い女性。綺麗に切り揃えられた黒髪が松明の明かりで艶かしく煌めいている。

 リオーネや他の黒装束の人たちは外人風の顔立ちをしているが、ミラだけは純日本人と言われても差し支えないような雰囲気を纏っていた。

 加えて眉目秀麗で可愛らしい容姿。それを見て驚いたのはクラスメイトたちも同様だったようで、唖然とした様子でその顔を凝視している。


 そんなクラスメイトたちを意に介さず、ミラは「どうぞこちらへ」と俺たちを先導し始めた。


 ミラに案内されるがまま俺たちは階段を昇って行く。

 暫く進むと先程までの薄暗い空間とは違った煌びやかな通路へと出た。

 どうやら先ほどの不穏な空間は『儀式』とやらを行うために用意された地下部屋だったらしい。


 煌びやかな通路の壁には何を模っているのかわからない異世界の宝飾品と絵画の数々。

 クラスメイトたちはそのまるで美術館のような内装を物珍しそうに眺めている。


 そのまま入り組んだ通路を進んで行くと、応接室と思われる部屋の前までたどり着いた。

 応接室には玉座の様な椅子と悪趣味に装飾されたソファが設置されてあり、リオーネは玉座に、俺たちは十一人は全員座ってもまだ余りあるソファへとそれぞれ腰を下ろす。

 全員が席に座ったのを確認したミラが応接室の扉を閉めると同時に、リオーネは口を開いた。


「すまない。何せ八十年かけた計画だったからな。完全に失敗したと思ってかなり取り乱してしまった。それで、貴様らがいた世界はどんな世界だったのかね?」


 リオーネは被っていたフードを持ち上げながら気味悪く笑う。

 すらりとした体型に百九十はある高身長、そして澄んだ藍色の瞳。

 所々ボサボサの長髪を除けばフードから現れた外見はハリウッドスターを思わせるほどに男前だった。

 計画に八十年かけたなど言っているが、とてもそれほど歳をとっているようには見えない。

 

 リオーネの口調は温厚なものになっているが、あの凄惨な光景を作り出した張本人。

 少しの油断、失言は命取りになるかもしれないので慎重に言葉を選ばなければならないと気を引き締めておく。

 リオーネの言葉にクラスメイトたちは困惑した様子だったが、まずショウが口を開いた。


「さっきリオーネさんは魔法と言いましたよね?僕たちの世界に魔法は無く、科学技術がとても発展していました」


 魔法に科学技術。よく聞く言葉の組み合わせを用いながらショウは説明を開始する。

 魔法は是非とも使ってみたいが、別の世界から来た俺たちでも使えるような代物なのだろうか?


「魔法がない…?じゃあ貴様らは紋章魔法アイデントスペルが使えないということか?それどころか紋章すらないと?」


「紋章?紋章魔法アイデントスペルとは?」

 

 初めて聞いたであろう単語をおうむ返しするショウ。

 暫く考えこんだ様子のリオーネから回答を待ったが、それを待たずしてクラスメイトの一人、佐藤マサキが口を開いた。


「これですか?」


 そう言うマサキの方を見ると、マサキの胸前には直径三十センチメートルほどの円が幾何学的な紋様を浮かび上がらせながら紅く輝いていた。

 明らかに科学的には証明できないような現象。

 これが俺に地球とは別の世界に来たのだという認識を加速させる。


「ああそれだよ」


 リオーネはマサキの胸前で輝く円を指差しながらそれが紋章と呼ばれるものだと説明する。

 そんな中でこれまで黙っていたクラスメイトの一人、朝戸レイが声を荒げた。


「おいマサキ、それどうやったんだよ!」


「いや…なんか念じてみたんだよ。そしたら勝手に…」


 興奮気味に身を乗り出すレイを宥めながら、マサキは説明する。紋章とやらはそんなに簡単に出せるものなのか。


「あ…ほんとだ!」


 レイの言葉と同時に、クラスメイトたちは次々と己の胸前にそれぞれの紋様を浮かび上がらせた。俺は一先ずその光景を眺める。

 色は皆、転移した時に見たのと同じ紅色。

 紋様で特徴的なのは縁に沿うように並ぶ十個の小円であり、一つだけ蒼く輝いているのが良く目立つ。

 そして紋章に浮かび上がっている紋様、そして紋章の細かな形は十個の小円を除いて人それぞれ違うものであった。


「これは…?」


 クラスメイトたちの紋章を一通り見た後で、自分の紋章を展開させた俺の口から思わず困惑の声が漏れる。

 何故なら俺の紋章だけクラスメイトたちと違って紅く輝くことなく、灰色だったからだ。ただし、十個の小円のうち一個だけ蒼く輝いているのは他の皆と同じである。

 なんだ、この一人だけ違う特殊な紋章は。

 もしかして俺だけ最強な紋章だったり⁉︎


「それは死人の紋章コープスアイデント?その紋章は死体からしか見れない物のはずだが?」


「な…じゃあ俺はもう死んでるってことですか?」


 リオーネの言葉に目を丸くする。

 リオーネの言い分では、この世界に俺のような紋章の持ち主で生きているのは他にいないと言ってる様なものだ。つまり真っ先に俺がリオーネの研究材料にされかねない。それはなんとしてでも避けなければならないが……


「いや…そういえば生きている者で同じ死人の紋章コープスアイデントを持っている者のことを聞いたことがあるな」


「それはどういう…」


 俺は自分の最悪な想像が外れたことに胸を撫で下ろしたが、まだ焦りは捨てきれなかった。

 リオーネの主張的に死人の紋章コープスアイデントとやらが珍しいことに変わりはないからだ。


「そうだな…確かその者は死ぬまで魔法を使うことが無かったと聞いたことがある。使うことがないと言うよりは、使えなかったと言ったほうが正しいか?」


「だとしたら俺はこの世界で…魔法が使えないってことですか…?」


 俺は落胆した。折角魔法が使える異世界に来たと言うのに俺だけ魔法が使えないとはなんの冗談だ?


「いや、まだわからん。確かその者は『魔力を奪う』という紋章魔法アイデントスペルを持つ魔物の影響でそうなったと聞いたな。対照的に『魔力を与える』ような存在がいるかもしれない」


「なにか条件を満たせば…可能性はあるということですかね」


 一度でもいい。自分の魔法が使えるのならそれで満足だ。どうせ元の世界に戻れば魔法は使えないのだから。

 いや、これは強がりだ。俺も自分の魔法を使いたいし、最悪この世界で生きていったっていい。日本にさほど未練はない。親父のことはちょっと心配だけど…


「そうかもしれんな。だが後者については聞いたことがない。あまり望みを持たないことだ」


 リオーネは俺に対する興味が無くなったのか、面倒臭そうに答えた。

 しかしこの世界から戻る方法が無いのなら、魔法を使えない俺はかなり不利なのでは。


「じゃあつまり、この紋章が紅く輝いてる俺達は魔法が使えるってことですかね?」


 落胆する俺に同情心も無いのか、レイは再び興奮気味に身を乗り出しながら問う。

 確かにリオーネの話を聞くに、俺以外のクラスメイトたちは魔法を使えるはずだ。

 クラスメイトたちが使える魔法には少し興味がある。


「そうだな。普通なら何もしなくとも自身が使える魔法の性質を理解出来てるはずだが。何か紋章からイメージが流れ込んでこないか?」


 リオーネの話に、俺は無意味とわかっていながら紋章に意識を傾けた。だが案の定イメージなどというものが流れ込んでくることは無い。

 そして、魔法という非日常を実際に感じているであろうクラスメイトたちの姿を横目に眺めてため息を吐く。

 そんな俺の気持ちなど露知らず、しばらくしてイメージとやらを掴んだのか…クラスメイトたちは騒めき始めた。


「そう言われてみれば…なんか細長い…槍みたいなイメージが伝わってくるな!」

 

 …なんでだよ。

 危うく大声でツッコミを入れるところだった。

 槍は魔法ではなく武器だろ。

 いや、もしかして炎槍とか雷槍とかそういった類の魔法が使えるということか?

 だとしたら羨ましすぎる!


「槍か。つまり貴様は紋章武器アイデントアームを扱えるということだろう。紋章から何か取り出すようなイメージをしてみろ」

 

 アーム?武器ってことか?

 どうやらレイがいう槍は紋章魔法アイデントスペルとは別物らしい。

 レイは集中したように目を閉じ、紋章へと手を翳している。


「……」


 辺りが一瞬静寂に包まれたと思えば、レイの紋章が一層輝きだし紋章の中心部から槍の柄が飛び出してきた。

 レイはそのままそれを引っ張り出すと、槍は一気に穂先まで全貌を現す。

 外見はシンプルなもので、槍と言うより薙刀と言った方が近い気がした。


「これが…俺の紋章武器アイデントアーム?」


 レイは目を輝かせて自身の紋章武器アイデントアームを見つめている。


「なあ、チアキとリョウトはどうだ?」


 レイは隣に座る二人の肩を小突いた。その二人、高梨チアキと辻リョウトはいつもレイ含めた三人で行動を共にしているグループだ。


「俺は…包丁みたいなイメージがあるな」


 槍、剣、盾、弓。様々な武器を想像していたが…

 包丁、ならばチアキの天職は料理人か?

 俺は厨房に立つチアキを想像して吹きかけたが、チアキがレイと同様に紋章から取り出した武器にそのふざけた想像はかき消された。


「ほ、包丁って…短剣じゃん!!」


 そう、暗殺者が使うような見事な短剣だった。柄は龍を象ったような特殊なフォルムで、男心に突き刺さる。

 チアキの包丁発言にレイは下品に声をあげて笑っている。

 テンションがあがるのはわかるがもう少し自重してもらいたい。俺は嫉妬心を押さえ込むのに必死だった。

 わざとらしくため息を吐く。

 そのため息には魔法を使えない俺のことも考えてくれという意図を含んでいたが…浮き足立つクラスメイトたちにその思いが通じるわけもなく。

 唯一トモヒサだけは無言を貫いていたが。こういう時に皆の前に立ちそうなお調子者のトモヒサの物言わぬ姿は、どこか不気味だ。


「これが短剣ってやつか。こういうの疎くてよ…」


 チアキは自身が紋章から取り出した短剣を物珍しげに隅々まで見回している。


「まあいい。リョウトは?」


「俺は…武器的なイメージはないな。だけどなんか火…というか炎みたいなイメージが流れ込んでくる」


 炎といえば魔法の王道みたいなもんだ。紋章武器アイデントアームが無くても勝ち組だろ。

 さらに湧き出す羨望の感情。

 強がってみせたものの、もう耳を塞いでしまいたかった。


紋章武器アイデントアームを使える者は少ないからな。貴様が使えるのは純粋な炎魔法だろう」


「へぇ~。じゃあ俺達ってレア?」


 チアキと肩を組みながら尚もゲラゲラと笑うレイ。

 それを鬱陶しく思い始めたのか、リオーネの表情が少し冷徹なものへと変わったような気がしたが、リオーネには他のクラスメイト達がどんな紋章魔法アイデントスペルを使えるのかという好奇心の方が強かったようだった。


「他の者はどうかね?」


「僕は…物質的なイメージは無いですけど…何か物が移動…それこそ転移するようなイメージがあります」


 リオーネに促されマサキが口を開いた。その刹那、リオーネの表情は一変する。


「転移魔法。ハハハハハ!まさかもう転移魔法の使い手が一人見つかるとは!ミラ。こいつを捕らえろ」


 リオーネはけたたましく高笑いした。

 リオーネの話と状況から考えるに、転移魔法の使い手は珍しい存在。

 しかもこの口調からして、リオーネは転移魔法の使い手を探していた様子。

 つまりリオーネにとってマサキはまさに空腹の狼の前に現れた子羊なのだ。

 これはやばいんじゃないか、そう感じた矢先、リオーネの玉座の隣で今まで大人しく話を聞いていたミラがマサキの前へと歩み出た。


「ま、待ってください!僕たちは貴重な研究材料。丁重に扱うんじゃなかったんですか!?」


 近づくミラにマサキはその百キロを越える巨体から汗を散らしながら焦りを露わにした。先ほどの惨状を見た後では無理もないだろう。

 考えてみれば、やはりリオーネが言っていた十人とは俺たちが転移してきた部屋で見た白装束の亡骸たちのことで、その者たちは転移魔法の使い手だったのだ。

 つまりこのままマサキが捕らえられれば、眼窩を抉られ、両足を切断されることになるかもしれない。

 マサキとはあまり話した事は無いが、一緒に一年過ごしたクラスメイトだ。そんな状況に陥る事はなんとか避けたい。


「転移魔法の使い手は私が八十年探してたったの十人だけ。それだけの逸材なのだよ。貴様は」


 やっぱりそうだった。

 でもこれで元の世界に帰れる可能性はかなり薄まった気がする。

 元の世界に戻るための手段としてまず考えられるのが、俺たちを召喚した際と同じ手段を使うこと。

 それを行うにはリオーネの言う儀式とやらを行う必要がある。

 転移魔法の使い手を十人集めるのに目の前の男は八十年かかったのだ。

 この世界に疎い俺たちで出来るとも思えないし、ましてやあのような惨状を生み出すこと自体が後ろめたい。


「あの、聞きたいことがあるんですが…」


 ここでショウが割って入ってくる。なにかマサキを救う手でも思い付いたのだろうか?


「その転移魔法っていうのは、使えば僕たちの世界へ帰ることができるんですか?」


 ショウのこの質問に、これまで黙っていたクラスメイトの女子の一人、藤井ヒナコは身を乗り出しながら叫んだ。


「…確かに!それを使えば帰れんじゃん!」


 俺はヒナコの浅はかな考えにため息を吐く。

 たった一人の転移魔法の使い手を見つけたくらいで次元間の干渉が行えるのならリオーネも苦労しなかっただろう。

 リオーネの発言からして、儀式に必要な転移魔法の使い手の数は十人なのだ。それをしても日本に帰還できる保証なんてないし。


「ふん…確かにアルカイドの伝承によれば転移魔法により次元間の移動は可能だが、たった一人だけではどうにもならん。この私が八十年かけ儀式にも正確な手順を踏んだにも関わらず、目当てとは全く異なった次元へと繋がったのだ。望みは持たないことだ。それにしても一体何が足りなかったと言うんだ?まさか儀式自体が間違っていた?」


 ブツクサと呟くリオーネからは、苛立ちの感情が読み取れる。恐らくリオーネにとって次元が多数あることは想定外だったのだ。

 待てよ…?更に次元が多数あるのだとしたら、同様な儀式を行ったとて地球とつながる可能性は限りなく低くなってしまうんじゃないか?

 というか、あの儀式は日本から人間を呼び寄せる・・・・・だけのもののように思える。


「そんな…!」


 ヒナコも理解したのか、再び絶望の淵に叩き落とされたように崩れ落ちた。

 これまで学生生活を楽しんでいた女子たちにとっては、この様な状況は安易に受け入れられるものではないのだろう。


「とりあえずそいつは確保しておけ」


 リオーネの一言で、ミラはマサキの腕を掴もうとする。

 その瞬間今まで黙りこくっていたトモヒサが突然、


 「おい、マサキをどうするつもりだ」


 と言って立ち上がり、ミラの腕を掴んで対抗した。

 今まで見たこともないようなトモヒサの剣幕に、俺ですら身震いしてしまう。

 放課後、トモヒサが俺と別れた後、話をすると言っていた友達とはまさしくマサキのことなのだ。

 トモヒサはマサキの危機を察知したのか、敵意を剥き出しにしている。  

 トモヒサは友を何よりも大事にする義理堅い奴なのだ。


「…そう興奮するな。まあ取り敢えず地下牢行きだ。逃げないように両足を切断した後にな」


「ひっ…ひどい!」


「そ、そうよ!いきなりこんなとこ連れて来てそんなこと!」


 リオーネの信じがたい言葉に、ヒナコ以外の女子生徒である葉月ユナ、村上サクラの二人も声を荒げる。

 転移直後からは大分落ち着いたようだが、まだ現実が受け止められないようだった。

 そしてこのリオーネの発言から分かったのは、転移魔法の使い手たちの両足が切断されていたのは逃げ出さないようにする為であったという事。

 それにしても、転移魔法が使えるというのなら何故その人たちは自身の転移魔法でここから逃げなかったのだろう?何か条件が必要なのだろうか。

 何か確信に触れるような問いが湧いて出るが、今の俺に確かめる術はない。


「騒々しいな。貴様らの利用価値はない。研究材料は話がわかりそうな男たちだけで十分だ。騒ぐようなら処分する」


 喚く女子たちに苛立ちがピークに来たのか、リオーネは低い声で威圧する。

 それに対して、ユナとサクラは自分たちの立場をわきまえたように縮こまった。


「ちょっと待ってください。マサキを連れていくことは止めません。だけど少しだけリオーネさんたちを抜きにして僕たち十一人だけで話をさせてくれませんか?」


 マサキを連れて行くことは止めない。

 ショウのその言葉に俺は耳を疑ったが、ショウは大真面目といった様子である。


「お、おい!僕を連れてくのは止めないって!見損なったぞショウ!」


 マサキは当然の反応を示したが、ショウの表情は一段と落ち着いていた。


「私を抜きで話…か。まあこれで貴様ら全員が揃うのは最後となるのだしな。許可しよう。だがしかしここから逃げようなどとは考えないことだ。この部屋の出入り口は一つだけ。部屋のすぐ外で私たちは待っている。例え外に出られたとしても、我が屋敷は魔族領の中でも特に魔物が多いヴァリウス大森林の中心部に存在するのだから…誤った判断はしないことだ」


 長々と釘を刺すリオーネの言葉を理解している人はこの場に何人いるのだろうか。

 それくらい、皆取り乱している様子だった。


「わかりました。では席を外して下さい」


「ああ。終わったら部屋から出てきたまえ」


 リオーネがショウの言葉を素直に聞き入れたのは意外だったが、二人は大人しくこの応接室から退出した。後に残るは俺を含む十一人のみ。


「ねえ。どうすんのよこれ!家に帰りたい…」


 リオーネの退出と共に、何かが弾けたようにヒナコが泣き出し、つられたようにユナ、サクラも蹲っては泣き出してしまった。

 マサキは未だ焦燥と怒りを込めた顔でショウを睨見つけている。

 異世界に来た直後でクラスメイトたちの間で軋轢が生じてしまうのはなんとか避けたいが、俺は余計な介入をせず、考えがあるであろうショウの言葉を待った。


「すまないマサキ、さっきのは敵を油断させるためだ。なあ、お前の転移とやらの魔法で俺たちをここじゃない何処かへ転移させることはできるか。別に地球じゃなく、この世界の何処かで良いんだ」


「…!」


 マサキに謝罪を述べ、改まった表情で呟くショウの問いに俺は小さく息を飲んだ。

 確かに次元間の移動は無理でも、この世界の中であればどこかに転移することが可能かもしれない。

 転移先が魔物とやらの群れの中や、砂漠のど真ん中などでなければ、このリオーネの屋敷より安全である可能性はある。

 リオーネは俺たちを貴重な研究材料として丁重に扱うなどと言っていたが、これまでの言動からしていつ気が変わってもおかしくない。


「おそらく…できる!確かに僕だけでも逃げられれば…!」


 マサキは先ほどまでの深刻な表情とはうって変わって目を輝かせはじめた。

 だがしかし、転移の発動条件や詳しい詳細などがわからない以上喜ぶのはまだ早いだろう。


「ちょっとマサキ君!自分だけ逃げるなんて考えないで!」


「「そうよ!!」」

 

 マサキの自分だけ逃げるという発言に、女子たち三人は怒りをぶつける。いつもは小太りのマサキを陰で馬鹿にしているくせに調子のいいやつらだ。

 俺はそんな騒ぐ女子たちに軽蔑の目を向けたが、女子たちが言っていることを俺も多少感じたのは事実だ。


「お前ら落ち着け。転移はできるんだな?問題は何人転移できるかだ。また転移は自分以外もできるのか?」


 ショウがマサキに転移の詳しい情報を尋ねる。

 確かにリオーネは自身の魔法の性質は、誰に教えられずとも感覚的に理解できるという旨の話をしていた。

 だが、本当にマサキはそこまで自身の魔法の本質を理解できているのだろうか。


「自分以外…もできると思う。何人出来るかはわからないけど…取り敢えず全員僕の近くに集まって!」


 推測まじりのマサキの発言だが、何故か信頼できた。それはこの不安に塗れた状況の中で、一筋の希望の光にすがりついてしまう人間の性なのだろう。


「わかった。皆でマサキを囲もう」


 ショウの合図で全員立ち上がりマサキの元へと集まったが、女子たちは三人で一斉に固まって身を寄せ合い、我先にとマサキの腕を取り始める。

 マサキは満更でもないような表情を見せたが、普段は自分を煙たがる女子たちに嫌悪感を抱いているようにも見えた。

 それにしてもリオーネたちは俺たちの話を盗み聞いたりしてないのか?止めに来ないということは話を聞かれていないということだろうが……リオーネはマサキの紋章魔法アイデントスペルで俺たちが逃げ出すということを考えなかったのか?

 ただのバカ?それとも──、


「転移!!!」


 俺の思考を遮って、マサキの叫びと共にマサキを中心とする十一人の足元に深紅の魔方陣が現れた。がしかし、一向に魔法発動の兆しは見えない。


「ねえどうしたの?移動しないじゃん!」


 突如希望が絶望に変わったのか、女子たちは狼狽え始め、レイやチアキに至ってはマサキに罵倒を浴びせ始める。

 結果、マサキが精神的に追い込まれているのが見て取れた。

 点滅を始める下の魔法陣。

 もしかして魔法は精神に影響しているのか?

 レイとチアキに即刻罵倒を止めるよう言おうとしたが、それは杞憂に終わったようで、


「…えと…この魔法…定員が十人だけみたいだ…」


 マサキは申し訳ないといった風に頭をかくが、その話が本当ならそれどころではない。今この場にいるのは十一人。

 誰か一人この場に残らなければマサキの魔法は発動しないということになる。


「はあ!?一人ここに残るってこと?私は嫌よ!ワタルがこの世界に来たの最後なんだから、ワタルが残りなさいよ!!!」


 絶叫に似た声でヒナコに突然名前を出され、面を食らう。

 確かにこの世界に来たのは俺が最後だったが、魔法を使えない俺に配慮しようという気はないのか?まあそれも自分勝手な思考なのだが…


「定員が十人か…じゃあまずワタルだけ先に転移させてやってくれ」


 顎に手を当てて考えていたショウがそんな案を提案してきた。


「そんなことができるのか?」


 確かに定員が十人でも、別に一回で全員転移する必要はない。俺はこの状況下でのショウの頭の回転の速さに感嘆する。


「先にワタルだけってのはな。俺はワタルに付いていくぜ」


 ここでショウの話を聞いていたトモヒサが、俺の魔法を使えない不安を感じ取ったのか名乗り出てくれた。

 トモヒサがいてくれるならとても心強い。


「じゃ、じゃあ私もトモヒサ君と行ってもいい?」


 ここで意外にもトモヒサの他にユナが名乗り出た。女子生徒たちとまとまって行動していた方が精神的にもいいだろうし、何故ここで名乗り出たのかと疑問に感じたが、深く言及はしないことにする。

 どうせトモヒサに気があるとか、そんなくだらない理由だ。


「まぁ…わかった。マサキできるか?」


 ショウはユナとトモヒサの提案に多少渋って見せたが、周りからの反対もないので了承したようだった。


「わかったよ。じゃあワタルとトモヒサ…ユナちゃん。そこに並んで」


 マサキに指差された所で俺とトモヒサ、そしてユナの三人は肩を並べる。

 不安な表情を滲ませる女子二人には悪いが先に行かせてもらおう。


「転移!」


 再びマサキの詠唱が応接室内に響くが、さっきと同様魔法陣からの反応は無い。これは一体どうしたというのか。

 また失敗?だとしたらこの部屋には魔法を使えない特殊な結界が張ってあるとか?そうなれば詰みだが、リオーネが俺たちを自由にしている意味も頷ける。


「…あれ?…ああ。これたぶん、転移に僕を含めない場合は一人が限度みたいだ…ごめん」


 確かに、転移と叫んだマサキの前方にはおよそ一人分の魔法陣しか浮かんでいない。

 せっかく付いてくると言ってくれたトモヒサとユナには悪いが、一緒に転移することは叶わないらしい。


「そっか…じゃあワタル、先に行けよ」


「…悪いな」


 先に行くことに多少の罪悪感はあるものの、無駄に時間をとってリオーネに感づかれたらまずい。

 俺は急いでマサキの前方に浮かび上がる一人分の魔法陣の上へと移動した。


「いくよ。じゃあね・・・・ワタル。転移!」


 マサキの詠唱と共に応接室内は深紅の輝きに満たされたかと思えば、俺の視界は暗転した。



◆◇◆◇◆◇◆



 転移によってワタルが消失したのを確認したクラスメイトたちは応接室内で歓喜に満ちていた。

 ワタルの転移を確認したことで、マサキの魔法の確実性が保証されたからだ。

 一気に湧き上がるマサキを持ち上げる声。


「よし。じゃあ次は僕たちだ。今の輝きでリオーネにバレたかもしれない。急げ!」


 ショウがクラスメイトたちを急かし、クラスメイトたちは急いでマサキを囲むように移動する。

 魔法を行使した余韻からか多少疲れたような表情を見せるマサキだったが、マサキは自分がこのクラスの中心に立っていることに深い高揚感を感じていた。

 自由に動かせない醜悪な巨躯と、決して良いとはいえない頭、運動神経。それらにより虐げられてきた日常が異世界に来たことで一変し、重要人物となれている。

 更にはマサキにとって邪魔な人物までも違和感なく排除できた。

 マサキにとって、今この状況は理想郷以外の何者でもない。

 マサキの腕に必死にしがみつく女子たちの柔らかな肉体を堪能できる優越感も、普段マサキをいじめていたレイたち3人が懇願の表情で足元に這いつくばる様も、何もかもだ。


 そんな確かな劣情を原動力にマサキは精神力を振り絞って再び足元へ魔法陣を顕現させる。

 だがその時、ショウの予想が的中して応接室の扉が勢いよく開いた。


「貴様ら…紋章魔法アイデントスペルを何か使ったな?…固まって何をしている?」


 リオーネは十人で固まるクラスメイトたちを不思議そうに・・・・・・に眺めた。


「じゃあね!悪趣味なおっさん!」


「なんだと?」


「お、おい挑発するな!マサキ早く!」


 右目の下に人差し指を置いてベロを出すという子供でもしないような挑発行為をリオーネに向けるヒナコを叱りながら、ショウはマサキを急かす。


「う、うん。転移!」


 叫ぶマサキだったが、またしても魔法は発動しない。


「な、なんで!?」


 焦るクラスメイトたちは、足元に広がるマサキの紋章を確認する。


「お、おい。マサキの紋章、なんか薄くなってね?」


 レイの言う通り、先ほどのワタルの転移で見たほどの輝きを魔法陣は放っていない。


「た、たぶんこの輝きは僕の残りの力を示してるんだ。リオーネが言ってた魔力ってやつだと思う。今転移できるのは…僕を含めた九人…だと思う」


 額に滲む汗を制服の袖で拭き取りながら、マサキは絞り出すように言った。

 途端にクラスメイトたちは騒ぎ立て始めるが、リオーネはこの状況に焦りもせず哄笑する。


「ハハハハハ!!!何を言っている?紋章魔法アイデントスペルの中でも転移魔法は特別中の特別。行使は一生で一度きりしか出来ず、転移できるのは自分以外・・・・の一人だけだと決まっているのだが?」


「嘘よ!早く誰か魔法陣から退いて!!!」


 ヒナコが甲高い声で叫ぶが、もちろん魔法陣から退くものなどいない。


「しかし妙だな。ワタルと呼ばれていた小僧がいない。まさか本当に…?」


 リオーネの疑問符と共に現れた複数の・・・深紅の魔法陣。

 それらはリオーネの前方で円を形成し、怪しげに黒く輝き始める。


「ま、まずい!あれはリオーネの魔法だ!」


 さすがに冷静なショウでも、リオーネによる幾重の魔法陣を目の当たりにして、完全に取り乱してしまう。

 そんな状態に陥ってしまったことで、ショウはクラスメイトによる残酷な行為を止めることができなかった。


 ドスッ!


 突如、喧騒を遮って大きな鈍い音が室内に響く。それは明らかにリオーネから発せられた音ではない。


「い、痛いぃぃぃい!」


 これまで完全に蚊帳の外だった沢田ヨウトが鳩尾を押さえながら、魔法陣の外に弾き出されもがき苦しみ始めた。

 これは完全に、今魔法陣の中にいる誰かによる犯行。その誰かが、ヨウトの鳩尾を殴るか蹴るかなどした後、ヨウトを魔法陣の外へと放り出したのだ。


「ほう?仲間割れか?」


 何か面白いものを見たかの様に、リオーネは尚も冷笑を続けながら魔法陣を展開している。


「早くして!!!」


 ヒナコが絶叫をあげる。ヨウトが魔法陣から外れた今なら転移することが可能なのだ。


「で、でも…!」


「いいから!」


「う…転移!!」


 迷いながらも詠唱したマサキの言葉に魔法陣は反応し、ヨウトを除く九人は深紅の光に飲み込まれた。

 真紅の光は決して広くない応接室の隅々まで浸透し、視界を奪う。

 とっさに目を覆ったリオーネが光の収束後に目を開くと、眼前からは完全に九人の姿は消え、残ったのは恐怖と痛みに打ち震えるヨウトの姿のみであった。


「ハハハハハ!!そうかそうか。第一次元…神の世界に干渉した者は常軌を逸した力を得る。それは本当だったか!それにしても…貴様。あいつらが憎くて憎くて堪らないだろう?安心しろ。私が面倒を見てやる。ハハハ…ハハハハハ!!!」


 決してリオーネは逃げ出すショウたちを魔法によって仕留められなかった訳ではない。

 だが、ショウたちの行く末を見たくなったのだ。

 目の前で無様に転がり続ける男に、復讐と題して惨殺される。そんな未来を。

 リオーネはかつての自分と、嗚咽を続けるヨウトの姿を重ねていた。


「うぁぁ……あいつら、ふざけんなぁぁぁああ!!!!!」


 不気味な装飾品が煌めく広い応接室の中でリオーネの高笑いとヨウトの苦しげな呻き声、怨嗟の声だけが響き渡る。

 その交錯するドス黒い負の感情がこの先残酷な運命を引き寄せることになるなど、まだ誰も知らない。

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