09 VS ブラッディ・コング

 今日の探索を終え、出口へと向かう帰り道。

 こちらが帰り道だろうとお構いなしにモンスターは出てくる。

 ダンジョンは人間の事情など考慮しない。

 あと一歩のところで出口という状況で遭遇エンカウントするのが自分よりも遥かに強い敵ということもあり得る。


「ほら、出口見えてきたよ」


「つかれたぁ〜〜」


——ズシャアァン!


 突然の振動。帰らせはしないと立ち塞がるモンスター。


「な、なに? まだおわりじゃないのぉ。かえりたいぃ」


『ウキャキャッ』


 樹上から現れたのは猿。


 多腕の猿モンスター〈拳骨猿ブラッディ・コング〉だ。


『フゥ——。フゥ——。フゥ——」


 剥き出した歯と一緒に荒い息が洩れる。盛り上がった肩から隆起した、筋肉のついた逞しい腕は2対、4本。握力は人間の頭蓋骨を容易に砕くことができるほど強く、4本ある腕に絶対に掴まれてはいけない。


 太い2本の尻尾を第5、第6の腕と言っても差し支えないほど器用に使う。

 尻尾だけで樹にぶら下がって、身体に纏った重い筋肉を支えることができるのだ。


「ムゥ、下がって……」


「(ごくり)もしかしてアイツつよい?」


 ギルドが定めたブラッディ・コングの等級は【D-】。第一階層の中では強モンスターに分類され、Fランクの僕よりもずっと格上になる。


 おそらく能力値ステータスのすべての項目において数段劣っている。あと少しで出口だとしても、そのあと一歩、、、、が果てしなく遠い。逃げようにも敏捷スピードの違いで負ける。


『ウキャアァァァーーー!!』


 4本腕による掴み攻撃。


 敢えて下がらずに直進し大猿の股下を滑り込みスライディングで潜り抜ける。


『ウキャ? ウキャキャッ!!』


 僕が姑息な躱し方で避けたことに腹を立てたのか、地団駄を踏んで悔しがっている。コイツらは悪趣味にも人をいたぶって遊ぶ。僕のことを恰好の遊び相手とでも思っているのだろう。


 再び掴み攻撃。


「攻撃がワンパターンだよっ」


 同じよう足下を狙って回避しようと股下を通過しかけたところで目の前に尻尾が降りてくる。


「なぁっ!? やられたっ!」


 尻尾に巻き取られないように短剣を押し当てるように力いっぱい斬りつける。


『グギャヴゥワアーー!!』


「パパ! やった!」


 尻尾の片方の先っちょがポトリと切り落ちた。

 短くなった尻尾から血を滴らせ、悲鳴を上げる。


『フゥ、フゥ。ガルルルルッ』


 ブラッディ・コングの目つきが変わった。遊びから殺し合いに。僕を完全に敵として認識していた。


 目は血走り、歯茎を剥き出しにして威嚇している。拳同士を突き合わせてバシバシと音を鳴らす。


 空気が揺れた。


 先ほどよりも一段階速度の上がった掴み攻撃。間一髪、横っ飛びで回避するとブラッディ・コングは後ろの大木に激突する。


 バキバキバキィ。


「ハハハ。嘘でしょ……」


 ブラッディ・コングが僕の代わりに掴んだ大木が粘土みたいに握り潰される。僕が腕を回しても届かない幹が音を立てて倒れていく。知識では知っていても、実際に目の前で見せつけられる圧倒的な筋力の差に驚愕するしかない。


『ウキャキャキャアァァァ!!』


 大猿は興奮した様子でドラミングを繰り返す。その威風堂々とした佇まいに僕は足を止めてただ見ていることしかできなかった。


 2本の腕も使い、四足歩行で大地を駆け近づいてくる。


(って、何こんな状況で足を止めてるんだ、僕!?)


 急いで回避を試みるけど左脚を掴まれてしまう。


「うぐぁぁぁぁっ!」


 さっきの大樹みたいに握り潰すこともできるだろうに痛めつけるようにじわじわと力を加えていく。

 ブラッディ・コングは勝ち誇ったように微笑み、足を掴んだ僕を逆さまにして宙吊りにする。

 大猿の皺だらけの顔が近づいて、鼻の曲がりそうな吐息が顔にかかる。


(お前のその油断が命取りになるんだっ! 僕はまだ諦めちゃいないぞ)


「くっ、このっ」


 腰のポーチに入っていた瓶の中身をブラッディ・コングの顔にぶちまけた。


『ウキャアァァァ!!』


 僕を掴んでいた手を離し、4本の手で必死に顔を擦る。


「勿体無いけど、命には換えられないよね」


 顔にお見舞いしたのはムゥに食べられないようにと僕が持っていた大蜜蜂ハーニー・ビーのハチミツだ。なんてことはないアイテムだけど、あの粘り気のある液体が目に入ったらなかなか取れないし、激痛だろう。


 視界を奪っている隙に空いた脇腹に剣を突き立て、身体の中をスライドさせる。


「はあああぁぁぁ!」


 剣を抜いた途端に大きな傷口から鮮血がほとばしる。

 これはアイツにとっても重傷に違いない。動けば動くほど身体から血が抜けていく。

 

 僕の左脚も真っ赤な手跡はついているけどアドレナリンが出ているせいか大した痛みも感じずに動かせる。


 再び向き合う僕ら。


 怒りとハチミツで真っ赤に充血した眼は充分には開ききっていない。右下腕で押さえた脇腹からは今も流血していた。


 勝ち筋は確実に手繰り寄せることができている。


 大丈夫。このまま押し切るっ。


——シュッ。


 一瞬の風切り音のあと、ブラッディ・コングの胴が真っ二つになった。


 ズシィィン。


「えっ?」


 ブラッディ・コングの身体から流れ出した血液が地面に黒い染みを作り、やがてドス黒い水たまりができる。


 血飛沫の向こうで大斧を肩に担いだ冒険者。


「あ? 子ども連れかよ。こんなモンスターに苦戦するぐらいならガキ連れてダンジョンに来んな」


 地面に膝をついた僕と駆け寄ってきて服の裾を掴んだムゥを憐憫れんびんの目で見つめる銀髪の獅子人の男性。


 この街に来て日が浅い僕でも知ってる。


 【銀斧シルバー・アックス】の二つ名を持つレオル・レオンハルト。この街の数少ない最高位に君臨するAランク冒険者だ。


 ちょうどこれからダンジョン攻略に向かうところなのだろう。

 もう僕らに興味を失ったようで歩き出している。


「ゴメンね。アイツ、言葉がキツくて。アタシはけっこーいい勝負してたと思うよ。ちっちゃい子連れては危ないけどね」


「あ……はい」


 露出度の高い改造したローブに立派な杖。【爆炎の魔女バーン・ザ・ウィッチ】と呼ばれる彼女もまたBランク冒険者の有名人だ。


 ひらひらと手を振って先に行った銀斧の後を追っていく。


 ふたりが立ち去ってもしばらくその場を動かなかった。


「パパ、かえろ」


 ムゥが僕の服を引っ張って帰宅を促していた。


 僕は胸の中で様々な感情が渦巻いてぐちゃぐちゃになりそうだった。


 助かった?


 いや、あのままってたら僕が勝ってたんだっ。ただそう思うのも負け惜しみみたいで悔しい。


 でもあれは僕の勝負だったんだ。Aランク冒険者だろうが横取りする権利はない。たしかに剣をひとはらいしただけで厚い筋肉も骨さえも、まるで紙みたいに一刀両断することはできないけど、僕だってまだ五体満足で格上のブラッディ・コングアイツの前に立っていたんだ。


 Fランク最弱の僕でもやれてたんだ……。


 勝負はまだ終わってなかったんだ…………。


(……ちくしょう!)


 ただただ悔しい。


 目からボロボロと涙が溢れる。


 勝負の決着を取り上げられたことが。憐れみの目で見られて何も言い返せなかった自分が。そしてなにより自分の実力のなさが悔しい。


「パパ、どうしたの? どっかいたい?」


 ムゥが心配そうに覗き込み、小さな手で頬を流れる涙を拭く。


「ゴメンね。違うよっ。大丈夫。ムゥ、僕は強くなるからね。もっとムゥを守れるくらいに」


「だいじょーぶ。パパはつよいよ。ムゥがパパとおなじくらいつよくなればパパもあんしんでしょお? だからムゥがつよくなるの!」


 そう言って、ふんすっと力こぶを作ってみせる。

 幼いながらに感じて出したであろう台詞に胸が熱くなる。


「あはは。そうだね。じゃあ、ふたりで強くなろう」


 この胸のモヤモヤが晴れたわけじゃない。

 けど、今日のこの涙が役に立ったと言えるように強くなろう。

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