第11話 可愛い不美人は封印陣を警戒する
改めて二人で湖岸沿いに遺跡と思しき場所を目指した。
高く上がった夏の日差しのせいで汗ばんだ肌を、湖面を渡ってくる風が撫でていく。涼気が含まれていて心地いい。
同じ風が水辺の植物をざわざわと揺らした。葦に設けられたヨシキリの巣が大きく傾ぎ、卵が転がり落ちた。その巣に居候している、毛の代わりに葦の葉に全身を覆った『葦鼠』が、慌てて卵を拾いに出てきた。
「あれがはっきりわかると言うんだから、アエラ・エクシムは生まれついての霊障払いだな。彼女の母親のエクシム侯爵兼内務大臣も、ありとあらゆる精霊の干渉を跳ねのけるって聞いたことがあるけど」
目当ての場所を見て、ためつすがめつしながら、ラグナルがしみじみと呟いた。
「初めて水馬に会わせた時もそんなだったよ。アエラがあんまり美人だから、背に乗ってもらいたかったんだって。運動神経ないからって断られて、でも諦められなくて、魅了をかけようとまでしたけど、まるっと無視されてた。鬱陶しいぐらい落ち込んでたよ、水馬」
「魅了……イシュカは水馬から受けたことある……?」
「その言葉、刺さりました……」
赤い目に探るように見られて、イシュカは呻き声を上げた。
「ない、ないよ、なんなら乗ってくれと言われたこともない、一度も、長い付き合いなのに一度も……」
「よかった」
「っ、よくないよ!? 不美人って言われてるようなものじゃん、水馬もラグナルも友達がいがない!」
「さらわれて食われるよりはいいだろ? 水馬の中にはそんな個体もいるぞ」
「やっぱり性格悪くなった! 昔ならイシュカもかわいいのにぐらい言ってくれてたのに」
思わずむくれたら、ラグナルはまた真顔になった。
「……かわいいよ」
「え」
「イシュカはかわいい」
「……」
呼吸が止まった。まじまじと目の前の幼馴染を見つめれば、同じように見つめ返される。昔同じところにあった目線が遥か上にあることに気付いてしまった瞬間、心臓が鼓動を速めた。
ああ、まずい、顔が赤くなる、と思うのに、止められる気がしなくて、なぜか泣きそうになる。
「…………これ、『かわいい』なのがポイントな」
「つ、まり……美人とは言ってないって話? くっ、騙されるところだった……! やっぱ性悪!」
「推しとか、変なふうに崇拝されても面倒だからな」
くくっと笑って歩き出したラグナルはべぇっと舌を出して、イシュカを肩越しに振り返った。昔一緒にいたずらをしていた時のまんまで、それこそかわいいけど、ちょっと憎たらしい。
そんなこんななやり取りをしつつ辿り着いた湖の半島は、近づいてなおそのまま通り過ぎてしまいそうなほど強力な目くらましに覆われていた。
「これ、トルノー教授の『パーン』の魔法だ」
故あって馴染みのある、上半身は人、下半身は山羊の幻獣の名を挙げれば、
「ああ、なるほど、イシュカが呼び出した『翼竜』と『雷燕』が暴走した時、二匹を宥めてくれたのも、先生のパーンだったもんな」
と、ラグナルは「確かに精神干渉が得意だ」と頷いた。
「……その話、なんで知ってるの」
「温室を破壊しておいてなぜ知られていないと思った。ついでに、イシュカが弁償のために春の妖精に泣きついたのも、彼女たちに咲かせてもらった花を市場に出して、売っていたことも知っている」
「…………冬だったからよく売れました。おかげで完済済みです」
涙目になりながら、霊力の幕の向こうに足を踏み入れた。
「……」
木々の奥、その場所はとても静かな空間だった。苔生した古い木に囲まれた広場には、上から金色の筋状の光が幾条も注いでいる。溶岩が冷えて固まったと思しきごつごつした岩がそこかしこに点在し、それぞれの小さな穴ぼこから、緑色の草が芽吹いていた。
広場の中央には、白っぽい石が円形に並べられている。古いもののようだ。奥には同じ石でできた、祭壇のようなものがある。
そのさらに向こう、生い茂る木々の幹の間からは湖が、樹冠の上には薄い煙を吐く火山の頂が見えた。
「ボガーレ人が来る前、この地を支配していたインディジーネ族の残したものらしい。同様の遺跡があちこちにあって、祀るための儀式が定期的に行われているという話だけど……見るの、初めてだな」
「祀る……」
(――って、何を? インディジーネ族? それとも……)
イシュカは眉根を寄せながら、円に引き寄せられるように足を一歩踏み出した。その瞬間、全身に怖気が走って、動きを止める。
(何だろう、これ……。気持ち悪い)
足元の白い輪を見つめ、顔全体をしかめた。場の霊力が乱れている。
(これは溶岩から生まれた石のはず。でも、水の気配がする)
身をかがめ、父が教えてくれた石の見分け方を思い出しながら、その輪を構成する白い石にそっと触れる。
石は基本地属性だ。火成岩など高熱を帯びた溶岩から生まれた石などが火属性を、昔の海の生き物の遺骸が固まってできた石が水属性を帯びるなど例外はあるが、これはそこには当てはならない。この石は奇妙なことに、火属性でありながら、同時に水の霊力を帯びている。
その横にあるのは、元々は海で生まれた石だ。それが火の霊力をあわせ持っている。
人為的なものを感じて、イシュカは目を眇めた。
属性の異なるもの同士をあわせる――誰がなんのために、どうやってやったのだろう……?
この場所の霊力がおかしいのは、相性の悪い二つの属性を帯びているこの石のせいだろうか。だが、この石自体珍しいくはあるけれど、気持ち悪さは感じない。
「なあ、イシュカ、これ、召喚陣だ。間違って……るのが正解なのか」
イシュカの横に立つラグナルが空中で指を動かしている。円の中に散らばる白い石をなぞり、その模様を確認しているようだ。
「模様が逆になっている。世界をつなぐんじゃなくて……あの火山の界境を封じているのか」
望まない精霊が出てくる界境を閉じる方法があると聞いたことだけはあったけど、見るのは初めてだ。
「……」
イシュカは困惑と共に改めて円を眺めたが、気持ちが悪いという印象がぬぐえない。
「祓霊の家系のアエラ・エクシムならもっとわかるかもな」
詳しく調べるつもりなのだろう、一歩前に踏み出したラグナルの袖を咄嗟にひいた。
「ラグナル、これ、触らない方がいい」
「どういうことだ?」
「わからない。でも私が、私たちが下手に手をかけていいものじゃない気がする」
ラグナルが訳がさっぱり分からないという顔を見せた。
この気持ち悪い違和感をどう説明したらいいかわからなくて、イシュカは眉尻を下げた。「ここ、霊力が変なんだ。多分そのせいだと思う。誰もいないし、さっきから誰もやってこない」
目くらましの内側に入った時、気付くべきだった。ここは“静か”だ。静かすぎる。
精霊たちは美しいものに寄るとされている。雄大な自然、美しい風景、意匠を凝らした創作物、綺麗な外見の人、素晴らしい内面の人、愛らしい子供、たくさんの生物たち……。
生き物に溢れるラグーンと、雄々しい火の山、そのすぐ近くにありながら、ここには精霊の気配が一切しない。あれほど巨大な界境の側だというのに。
精霊たちはラグナルのことも好きなはずだ。通りかかった精霊たちは彼を見て、皆目を細める。嬉しそうに微笑む。寄ってきては彼の髪で遊び、聞こえないと知っていて話しかける。でも今はまったくだ。
イシュカが違和感を覚えているように、おそらく精霊たちもここのおかしな霊力を嫌がっているのではないか。
(そうか、兄ちゃんが私ならわかると言っていたのは、このことだったんだ……)
イシュカは円陣を見つめ、ふるりと身を震わせた。
「……わかった。出よう」
ラグナルに手を握られた。
不気味な感じのする円陣からなんとか目を離して彼を見れば、昔、イシュカが動揺した時いつもそうしてくれていたように、「大丈夫」と呟く。
「……」
きっとラグナルには、イシュカが何を怖がっているか、わからない。彼は精霊の気配に敏感な方だけれど、イシュカほどはっきり見聞きできるわけじゃない。
それでも、イシュカの言うことをそのまま信じてくれることに、泣きそうになる。
「って、泣くほど怖いのか?」
焦って踵を返したラグナルに引っ張られて、祭壇と円陣から遠ざかっていく。
「コィノさんもちゃんと説明してくれればいいのになあ。前もあっただろ、土蜘蛛につかまって糸でぐるぐる巻きにされた時、『ごめん、いるって言い忘れてた』って」
「……それで自分も一緒につかまっちゃう人だからね。あの時もラグナルがサラマンダーを召喚して、糸を燃やしてくれなかったら、兄妹そろってミイラになってたかも」
「帰ったら報告と同時に、抗議もするというのはどうだ?」
調子を戻させようとしてくれているのだろう、ラグナルが敢えて軽く言ってくれて、イシュカは洟をすすりつつ、ようやく落ち着きを取り戻した。
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