第8話 留学は寂しい
「これでいい成績を取ったら、セルーニャ国への留学の推薦、もらえるとかないかなあ」
「……」
野営の火の側で、地図を畳んでいたラグナルが一瞬動きを止めた。
イシュカは彼の横に屈み、火にくべた鍋に匙を突っ込んで、かき混ぜる。家から持ち出した干し肉の他の材料は、シグルや妖精たちに力を借りてすべて現地調達したもの。ヴィーダ家特製の野外シチューだ。
「…………無理だろ。この試験はあくまで召喚士としての資質を見るためだから」
ラグナルの声が少し沈んだ気がして、鍋から顔を上げる。目が合った彼は、すっと顔を背けた。
シチューを煮込む間に、パン作りだ。持ってきた小麦と塩、砂糖、水を混ぜて、瓶に入れてきた干しブドウと砂糖を混ぜて寝かせておいたものを少し入れてこねる。
イシュカは指で空中に小さな召喚陣を描き、ヴィーダ家に住み着いている家事が得意な妖精を呼び出した。
召喚呪は、家事妖精の彼女がよく口ずさんている古い童謡だ。なんでもヴィーダ家の何代目かの当主が、彼女に教えてくれたものらしい。
「『シルキー』、お願い、パンを発酵させてくれる?」
ありとあらゆる家事の中でパン作りが一番好きな彼女は、上機嫌で発酵を促してくれた。仄かに金に光りながら、むくむくと膨らんでいくパン生地を見ながら、バターが入っていないと文句を言っている。
「夏だよ? 『霜の魔人』でもいない限り、ドロドロに溶けちゃうよ」
そう言えば、面白くなさそうに鼻を鳴らして、彼女は家に帰ってい……く前に、シチューの鍋をのぞき、味見をしていった。
「かまど、できたぞ」
「おお、立派」
「久しぶりだったから、ついつい凝った」
顔に土をつけ、ラグナルが得意そうに笑う。そういえば、家族と一緒に探査旅行に出た時も、彼はこうしてかまどを作りたがった。炎の幻獣使いの家の出であることと、関係があるのだろうか。
ラグナル自慢のかまどに、パン生地を入れる。
「出でよ――『焔蛇』」
今度はラグナルが赤く光る蛇を呼び出した。億劫そうに周りを見回した後、くねりながらかまどに入っていき、その底でとぐろを巻く。
「焦がさないでくれよ」
ラグナルの声に、火の蛇はちろちろと赤い舌を出した。石でかまどの開口部をふさいでいけば、次第に香ばしい匂いが辺りに漂い始める。
赤々と燃える焚火の側で、焼き上がったパンを切り分けていく。
「ありがとうね、すっごく美味しそう」
かまどの火加減を調整してくれた召喚獣にパンを一切れ差し出せば、ぶわっと燃え上がった。
「帰っていいぞ」
ラグナルが役を解除し、焔蛇はその炎に吸い込まれるように消えていく。
「はい、ラグナルの分」
「ありがとう」
焚火の炎に照らされて、ラグナルの髪は普段以上に赤々と輝いていた。
(……ほんと、きれいだなあ)
その顔をまじまじと見て、しみじみ思う。昔から整った顔立ちをしていて、しょっちゅう女の子に間違えられていた。
美しいのは同じだけれど、今はもう女の子には見えない。背が伸びたのはもちろん、肩幅も全然違う。
「……なんだよ? じろじろと」
「精霊は内側と外側、どっちにせよ美人好きって話。今もラグナルの周り、妖精だらけだよ」
「あー、そうなのか」
「うん、私も好き」
「……」
目をまん丸くしたラグナルは、次の瞬間、髪と同じくらい顔を真っ赤にすると、
「そういうことを軽々しく言うな」
と睨んできた。
「本気でそう思ってるのに」
と言えば、ますます赤くなって、さらに目を吊り上げる。
「二度と言うな。いいか、絶対だぞ?」
「う、うん」
昔、散々女の子みたいと言われていたのが、トラウマになっているのもしれない。
シチューの方も仕上がったようだ。
(シルキー、これには文句を言わなかった……)
家事妖精のお墨付きだから、大丈夫だろうと思う。持ってきた木の椀に注ぎ、平静を装ってラグナルに差し出す。
自分の分もよそって、皿に匙を入れながら、ちらちらと彼の反応をうかがった。なんだか妙にドキドキする。
「うん、美味しい」
「っ、でしょ!!」
彼はイシュカの知らない、大人の男の人になりつつある。でも、一口食べた後の彼の顔も、言葉も昔とそっくり同じで、特製のシチューを褒めてもらえたことも嬉しくて、ついはしゃいでしまった。
食事、そして後片付けも終えた。
試験前にそわそわしていたのは、まったくもって無駄なことだった。離れていた時間が嘘のように落ち着いて、とりとめのない話ができている。
先ほどまで赤々と燃え盛っていた焚火は今や熾火となり、赤黒く静かに熱を放っていた。
夜空を見上げれば、潮風に揺れるブナの葉の黒い影の向こうに、眩いばかりの星が見えた。
島を取り囲む海の波音が聞こえる。そこに微かな歌声が混ざっていた。海の乙女『セイレーン』たちだろう。彼女たちは星の明かりの下で歌うのが大好きだと、昔イシュカの父が話していた。
「そういえば、ラグナルは何で特別考査、受けたの?」
「……父がうるさいからだ」
それまで穏やかに微笑んでいた彼の顔から表情が消えた。
「あー、おじさんのプレッシャー、今でもすごいんだ。うちの父さんみたいな、精霊のこと以外分かりません、子供は元気ならよし!っていうタイプもなんだかなーだけど、ラグナルのとこもなんだかなーだよね」
ラグナルによく似た風貌の、でも威圧的な男性を思い浮かべてしみじみと呟けば、ラグナルは唖然とした後俯き、肩を震わせた。
「ラグナル?」
泣いているのか、そういえば、昔彼に叱られてしょっちゅう泣いてたっけ、と思い出して蒼褪めた瞬間、ラグナルはぶはっと噴き出した。
「その通りだけど、言うか、それ。一応国の筆頭召喚士、王立召喚士協会の会長だぞ?」
「あ」
そうだ、つまりは召喚士の資格試験の総責任者――。
「内緒、内緒で!」
「今更だろ、父さんの召喚術見て、楽しくないとか言い放ってたじゃん。その上、こんなお父さん嫌とかラグナルが可哀そうとか言って、しょっちゅう切れさせてたじゃないか」
「こ、子供の時の話じゃない!」
焦るイシュカに、ラグナルが大口を開けて快活に笑う。
(……こんなふうに笑うラグナルを見たの、いつ以来だっけ)
その様子を見ているうちに、なぜだろう、嬉しいはずなのに少しだけ、ほんの少しだけ、鼻の奥がつんとした。
「ほんと、イシュカは変わらないな」
「……それ、どう解釈しても、いい意味じゃなくない?」
「いや、いい意味だよ――少なくとも俺にとっては」
(え)
不意にラグナルの声から笑いが消えた。驚いて彼の顔を見上げれば、炎をそのまま映したかのような赤い目がじっとイシュカを見つめている。
「特別考査を受けた理由はもう一つあるんだ」
「うん?」
「優秀者になって特典を俺が手に入れるため」
「う、ん? 何か欲しいもの、あるの?」
奨学金を天下のガードルード家のお世継ぎさまが望むとは思えない。
召喚士の推薦状だっていらないだろう、なんせ天下の(以下略)。加えて父親は筆頭召喚士だ、コネだらけだ。
竜の髭とか、ユニコーンの角とか、貴重な召喚媒体だろうか? でもラグナルは火竜を媒体なしで召喚できるほどの腕だ。そうそう必要になるとも思えない。
(となると……)
「まさか……私とおんなじ?」
今度はイシュカが呆然と、ラグナルを見つめた。
実は留学をめぐるライバルだった? でもラグナルは特別考査でイシュカを上回った。つまり――。
「うそ、ラグナル、留学しちゃうの? やだ、いなくなるの、寂しい」
「……」
その瞬間、ラグナルは今まで見た中で一番間抜けな顔をした。
「いだっ」
その顔に目をまん丸くすれば、直後に頭に手刀が落ちた。
「何すんのっ」
「うるさい、鈍感っ」
「はい?」
「鈍感でわからないなら馬鹿って言ってやるっ」
「ば、ばかって、馬鹿っていうやつこそ馬鹿なんですっ」
「もういいっ、寝るっ」
持ってきた掛布を頭から被って、ラグナルは焚火とイシュカに背を向け、寝転がった。
(一体なんなの。てか、誰、ラグナルのこと、紳士とか大人っぽいとか言ってきゃあきゃあ言ってるの。ぜんっぜんじゃん)
ぶすくれながらも「おやすみ」と声をかけて、イシュカも横になる。ラグナルは頭だけを動かし、そのイシュカを睨んできた。ムカつく。
「…………ありがと」
言葉にしなくてもわかり合えた昔と違って、彼の不機嫌の理由はさっぱりわからない。でも、怒っているのに掛布を分けてくれるラグナルは、昔と変わらず優しいらしい。
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