第6話 試験開始は地図と謎と共に
「集合」
砂浜に並んで生え、夏の日差しを受けるヤシの木陰。トルノー教授の声に応じて、生徒たちが半円を描いて彼を囲んだ。
分厚いローブを身にまとった教授は、暑い日差しの中でも顔色一つ変わっていない。
「これより初等課程探査試験を開始する。本試験は君たちの召喚士としての資質を問うものだ。知っての通り、中等課程以降の進路選択に大きな影響があることはもちろん、召喚士たる適性なしと判断されれば、退学勧告もあり得る。心して取り組みなさい」
生徒たちの間に、緊張が漂い始める。
「繰り返しになるが、本試験は入学からこれまで実施されてきた試験のように、召喚士としての知識や技能を問うものではない。君たちのこれまでの精霊、つまりは妖精や幻獣との関わりと、それらに対する姿勢が問われる。感覚を研ぎ澄まし、彼らの存在を感じ取り、彼らの感性に共感しなさい。彼らは彼らの世界に住み、彼ら独自の価値観と論理を持つ。殊勝さを忘れず、精霊たちの声に耳を傾けなさい」
(やっぱりトルノー先生だ)
学園でのイシュカの一番の理解者だ。父も兄も世話になったと聞いた。
幻獣を呼び出すだけ呼び出して、うまく使役出来ないことが珍しくないイシュカに、
「君たちヴィーダは、幻獣たちを服従させられない。おそらくその血と感性が、無意識にそれを拒むのだろう。だが、それでいいんだ。君は君のやり方で、幻獣や妖精たちと向き合いなさい」
と言い続けてくれる恩師中の恩師だ。
だが、彼の言葉に温かい気持ちになったイシュカは、少数派だったようだ。
「馬鹿馬鹿しい。何が精霊の声だよ」
「ほんとほんと、完璧な陣を描いて、決まった呪を間違いなく唱えれば、決まった獣が出てくるっての」
「あとはそれに命令するだけ――ができない方もいらっしゃいますけど?」
自分へと向けられた目線と声に、イシュカは視線を尖らせた。
イシュカを馬鹿するだけならいい。でも精霊たちを物のように扱い、小声とはいえ、それを口にしてはばからない人たちの神経が心底嫌いだ。
(そんな考えだから、精霊たちに嫌われてるのに)
教科書や召喚書に載っている陣と呪によって呼び出される召喚獣たちは、どうしても位が低くなりがちで、その上契約を嫌がる傾向にある。
誰にも言っていないが、イシュカが見るに、契約で縛ることができた子たちも、可能な限り使役から逃れる抜け穴を探そうとしているように見えた。
イシュカにはそれは当たり前のことに思えるのだ。利用するために無理やり呼び出されて、望んでいない契約を強いられ、思い通りに動かそうとされて、嬉しい人間なんていない。
相手が人間じゃないというだけで、なぜそんな当たり前のことがわからなくなるのか。
「……」
だが、口にできなかった。前に同じような状況で抗議した時は、『使えもしない召喚獣を呼ぶヴィーダの考えはさすが違う』と散々馬鹿にされる結果に終わったからだ。
「?」
ラグナルに肩を軽く叩かれ、顔を上げれば、彼はトルノー教授をくさし、イシュカを嘲笑った同級生たちを見ていた。
「その考えだと定められた方法以上のことを為すことは難しくなる。せっかくなのだから高みを目指すために何をなすべきか、考える機会にしてはどうだろう」
ラグナルの穏やかなたしなめに、彼らは気まずそうに口を噤んだ。
(家柄や身分もだけど実力、やっぱり実力の問題……)
見よ、同じことを言った自分とラグナルの扱いの差――召喚士としての実力が切実に欲しい。
教授から課題となる紙が配られた。島の輪郭と山や湖、川などのおおざっぱな地形、そして教授たちの待機場所となるベースキャンプの場所以外何も描かれていない白地図だ。
これによれば、島はアーチ状らしい。船が接岸した港のある島の北側はなだらかな海岸線が続き、砂浜が広がっている。島の南側は内湾を囲んで、西と東のそれぞれに半島があるようだ。西側の半島の先端が火山で、その半島の付け根には湖――と言っても、火山噴火で流出した溶岩により、内湾の一部が隔てられてできた潟湖で汽水だと聞いている――がある。他に川や台地、草原、森、様々な地形があるようだ。
(……楽しそう)
受け取った地図をしげしげと眺め、イシュカは微笑む。
これからこの島をめぐり、界境や精霊たちの痕跡を調べて、ここに書き込んでいくのだ。そう思うとわくわくしてくる。
「一週間よろしく」
「っ、こ、こちらこそ」
(そうだった、ラグナルも一緒だ)
横からの声に慌てて顔をあげれば、赤い目も楽しそうに緩んでいた。
それはいい。ラグナルが嬉しいなら、イシュカも嬉しい。目の保養にもなる。
問題は――。
(視線が突き刺さる……)
なんであんたなんかがラグナルさまと、という怒りの視線に、この二人は一体どういう関係なんだ、という疑惑の視線、わざわざ厄介者の世話を買って出るなんて、という同情もしくは酔狂な者を見る視線……。
が、ラグナルの方は気にする様子もなく、イシュカの荷物に手を伸ばし、歩き始めてしまった。
「い、いいよ、自分で持つから」
「大した問題じゃない。というか、荷物、これだけか? 少なすぎ……ないか。イシュカだもんな」
「あ、うん。私、野外で食べ物探すの、大得意だから。食いっぱぐれるとか、絶対にない」
ふふんと胸を張って見せれば、ラグナルが片目を眇めつつ、にやっと笑った。
「食いしんぼう?」
「そう。そして、シグルも精霊たちもそう知ってて恵んでくれるから。ラグナルにもおすそ分けするよ」
「……ほんと相変わらずだ」
この何年間かほぼ話さなかったのが嘘のように、自然に話せていることに、改めてほっとする。
それから、なんで話さなくなったんだろう、と自分が望んでやったことなのに、必要なことだと知っていたはずなのに、少しだけ後悔してしまった。
(そうやって考えたら、うちの召喚術に興味を持ってラグナルから歩み寄ってきてくれたの、感謝しなきゃ)
この間夕方の庭園で、ラグナルとフレイヤの会話を盗み聞きした時から抱えていたもやもやが、少し晴れた気がする。
(あ、いる……)
海から吹く爽やかな風に、微かな笑い声が混ざっていた。
その風が周囲の照葉樹の葉を揺らした。刹那、枝についた小さな花の蕾がポンと弾け、そこからもっとささやかな声が響く。
樹冠の向こうにオークの大木が見えた。周囲にはひと際強い、精霊の気配がある。
そのずっと先、島の南西に見えているのが例の火山だろう。頂上の河口から薄い噴煙を上げている。そこには強い火の精霊の気配があった。
火山の手前にある潟湖と内湾あたりは、水の精霊たちの気配が色濃い。兄が昔、潟湖などの汽水湖は生き物だけでなく、精霊も豊富だと話していたことを思い出す。
(あ、そうだ……)
「ラグナル、ちょっと待ってて」
「イシュカ?」
兄という単語で思い出した。イシュカはラグナルを置き去りにして身を翻すと、ドワーフたちを召喚し、船からベースキャンプ建設のための資材や道具を運び出しているトルノー教授に駆け寄った。
「先生、この島にインディジーネ族の遺跡があると聞いたのですが」
「……コィノからかね?」
「はいと言うか、いいえと言うか。ええと、遺跡の存在自体は、生徒は皆知っていると思いますが、兄がそれを見てきてほしい、と。それで場所をご存じないかと」
「――見に行ってどうする」
「どう、と言われても……」
鋭い反応にイシュカは戸惑った。生徒からの質問に、いつも優しく、明快に答えてくれる彼には珍しいことだった。気のせいでなければ、微妙に警戒しているようにも思える。彼の召喚獣であるドワーフが動きを止めてこっちを見ていることもその証拠のように感じた。
「遺跡への立ち入りは禁止されている」
「へ? そうなんですか……て、何考えてんの、兄ちゃん……」
いい加減もいい加減、無責任にもほどがある、とイシュカは口をへの字に曲げた。そのイシュカを教授は探るように見、逆に質問し返してきた。
「コィノはなぜ君に遺跡を見てこいと?」
「ええと、今年の儀式で気になることがあったから、変かどうか確認しに行け、と。でも普通か変かを見分ける方法とかは何も」
「気になること? ……コィノがそう言ったのかね?」
「は、はい」
トルノーの顔の険しさが増した。
訳の分からないことだらけだ。困って横にやってきたラグナルを見上げれば、彼も不審を顔に乗せている。
「……わかった。遺跡は私が見てくるから、イシュカ・ヴィーダ、君は試験に集中しなさい」
そんな二人に気付いたのか、トルノーは小さく息を吐き、ようやく微笑を顔に浮かべた。
「特にイシュカ、幻獣使いを目指そうというなら、ここで高得点をとっておかないとな。君はペーパー試験はいいが、実技の点数が厳しい」
と言われて、イシュカは身を縮めつつ、踵を返した。
改めて、島の内部へと足を踏み出す。
「こんなもの、なぜ私が持たねばなりませんの」
「従者を連れて行けないなんて、一体何のためのルールなのでしょうね。父上に言いつけて、上から改善させなくては」
「本当に野蛮ですわ。下々の者にやらせるべきことを――その点、ヴィーダ嬢は慣れておいでのようで」
「はい。探査のために森に入ったまま一月二月帰らないとかざらですので、余裕です」
すぐ横を歩いているグループに唐突に声をかけられた。珍しく褒められて、イシュカは照れつつ胸を張る。が、微妙な顔で沈黙されてしまった。
「あ、で、でも学園でというのは新鮮で、ものすごく楽しみ、で……」
フォローもフォローにならなかったらしい。皆顔を引きつらせ、気のせいでなければ、距離をとられた。
(……これはもうヴィーダの宿命ということにしよう)
決してイシュカ個人が空気を読み損ねているわけではない、血だ、血のせいだ、と思うことにする。
「長期休暇の時は、今も家族で探査に出てるのか?」
「あ、うん」
(……やっぱいいやつだ……)
一人、引かないでいてくれたラグナルの落ち着いた声に、感動しつつ横を見上げた。やっぱりラグナルは外見だけじゃない、中身も推せる。
「兄ちゃんは、最近は仕事で中々だけど、今年の春の休暇は父さんと一緒にロナン山脈に行ったよ。その前はシザチ高原」
「俺は久しぶりだな、探査で外に出るの」
「……そっか」
昔はその中にラグナルもいたが、イシュカと彼が疎遠になったことで、自然、家族での探査旅行に一緒に行くこともなくなってしまった。寂しそうに言われて、また罪悪感が押し寄せる。
離れたほうがお互いのためになると思った。でもいきなり離れていったイシュカをラグナルはどう思っていたのだろう。今更ながら、自分がどれほど子供で傲慢だったかに思い至る。
「もし、もしだけど、嫌じゃなければ、だけど、ラグナルもまた一緒に行く……?」
「……ああ」
目を見開いた彼が、次の瞬間、心底嬉しそうに笑ってくれて、色々な意味で泣きそうになった。
(うちの召喚術が何かの参考になるなら、いくらでも見せてあげよう)
――死にかけて彼に迷惑をかけることがないよう、今度こそ細心の注意を払いつつ。
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