第4話 盗み聞きは黒い翼の陰で
「ど、どうしよう?」
「……と、仰いますと?」
「何をしたらいい?」
「学園の試験ですから、求められる通り、界境やら精霊やらの探査をなさっては?」
「何着て行ったらいい?」
「学園の試験ですから、制服のローブをお召しになっては?」
「何を話せばいいの?」
「学園の試験ですから、試験課題についてご相談なさっては?」
「昔母さんが凹む私を見かねて作ってくれた『相談用ラグナル君人形』は、持ってっていい?」
「……学園の試験ですから、やめておいては? というか、それ、普通にドン引きされますからね?」
「…………ありがとう、アエラ。おかげで頭が冷えた。確かにただの試験だった」
寮のアエラの部屋を訪ね、うろうろと室内を歩き回っていたイシュカは、彼女の淡々とした指摘と、最後の凍えるような冷たい視線に、ようやくソファに腰を落とした。
並べられたカップの一つを手に取れば、カモミールが香る。
(そうか、私が落ち着くようにわざわざ選んでくれたんだ……)
「せっかく淹れてくれたのに、長いこと放置しちゃってごめんね」
「……わたくし、イシュカさんのそういうところが好きなのです」
一口飲んで気を落ち着けてしおしおと謝れば、一瞬目を丸くしたアエラがくすっと笑ってくれた。胸が熱くなる。
「私、私もアエラのこと大好き……!」
「ラグナルさまとどっちがお好き?」
感動に涙目になって愛を告白したら、ストロベリーブロンドの髪と同じ色の美しい唇から思いもかけない言葉が飛び出した。
茶が気管に流れ込んで、イシュカは思いっきりむせる。
けほけほと咳き込むも、アエラは、
「疎遠になってなお、お人形であってもご相談したくなるぐらい、信頼なさっていたわけですし」
とにっこり追撃してくる。
「入学当時、イシュカさんはラグナルさまとべったりで、わたくし、こっそり呪っていましたもの。イシュカさんと仲よくしようと狙っていたのに、中々チャンスがなくて」
「のろ……い、や、そう言ってくれるのは嬉しいけど、普通狙うのはラグナルの方じゃ? 身分的にも見た目的にも」
「あの方はわたくしの趣味ではありませんの」
妖精の女王『ティターニア』に愛されていると評判の美貌の主は、ころころと笑う。
「それで? 一時目も合わせないくらいになっていたのに、一体何が起きたのです? そもそも話さなくなったきっかけは何でしたの? 一年の冬季休暇明けには、ほとんど話さなくなっていましたよね?」
が、それで話を流してくれるほど、甘い人ではなかった。
「な、なんで今更そんなこと、」
「わたくしがイシュカさんと仲良くなれたのが、その後の春の休暇。いつか話してくれると信じておりましたのに、それからもう三年。仲直りなさったなら、事情をお伺いしてもよい頃合いかと」
「なにって……そもそも喧嘩した訳でもないし、仲直りって言うものでもないような……」
イシュカはカップを抱えた両手を、膝の上におろした。
「その、私の母さんがラグナルのお母さまと遠縁で親しくて、その関係でよく一緒に遊んでいたの。その時は全然気づかなかったんだけど、学園に入って現実が見えたというか……」
「現実?」
「家のこととか、召喚術の違いのこととか、召喚士、幻獣使いとしての格の差とか、あと切ない話、見た目……?」
イシュカはもごもごと話しながら、自分の銀と青、緑の混ざった髪をいじる。
「冬季休暇前にフレイヤさまたちに散々言われても、取り囲まれてつるし上げられても、まったく響いていらっしゃらないように見えました。ラグナルさまだって庇ってくださっていたでしょう?」
「うん、だから頑張れたの」
ラグナルが皆に向かって、大事な友人を馬鹿にするなと言ってくれて、本当に嬉しかった。だから、身分や見た目はどうにもならないにしても、彼と対等で居続けられるよう、友人と言い続けてもらえるよう、せめて召喚士として彼に釣り合うだけの力を身につけたいと思った。必死に努力もし始めた。
「それで……だから頑張ったらだめだと思ったの」
「え?」
訳が分からない、という顔を向けてきたアエラの視線から逃げるように、イシュカは顔を伏せた。手にしたお茶の水面に映る自分の眉は、情けないまでに下がっている。
「ラグナルには、第二王子殿下の守り役の話がずっとあるんだって。当たり前だよね。彼の実力と才能なら、学園に通う必要なんか、そもそもないもん。王宮で殿下の守り役をしながら、宮廷召喚士たちに学べばいい」
「……」
息を止めて珍しく気まずそうな顔をした友人に、イシュカは「アエラもやっぱり知ってたんだね」と小さく笑いを零した。
彼女の母親のエクシム侯爵は召喚士ではなく、内相として国王陛下を補佐する立場にいて、当然宮廷内の事情にも詳しい。知っていて気を使って黙っていてくれたのだろう。
(本当に優しい……)
情けない気持ちが少し凪ぐ。
「一年の冬休みにラグナルのうちに行った時、お父上の公爵さまとラグナルの話を聞いちゃったの。そしたら、ヴィーダの娘が実力不相応な幻獣を呼ぶ限り、それをなだめる人間がいるからって。自分が一番慣れてるからって」
「……とラグナルさまが仰ったのですか?」
アエラの美しい眉が寄った。
「実際その通りだなって。入学する前もした後も……。だから迷惑かけなくて済むように距離をとらなきゃって」
「イシュカさんが頑張っていたことは存じていますが、そんな事情でしたの」
「なのに……迷惑かけないようにして、その通り迷惑かけなくなったのに、なんで王宮に行かないわけ!? 行って守り役にでも何にでもなってくれたら、ペーパーテストは私が成績トップだし! 実技だってあそこまで差が露骨にならないし! そうしたら留学ももっとずっと近づくし!」
「――ラグナルさまのことも諦められるし?」
「っ!?」
さらっと後を受けられて、イシュカは信じられないものを見る顔で、親友の顔を見た。
「存じておりましてよ、イシュカさんがラグナルさまをお慕いしてるってこと。でなきゃ、探査試験のパートナーの座をラグナルさまに渡したりしませんもの」
「ししし慕ってない、ぜんっぜん。すっごい誤解っ、そりゃ、昔仲良かったし、懐かしいし、カッコいいなとは思うし、推しだけど、めっちゃ推しだけど、それだけ!」
「そんな真っ赤な顔で仰いましても」
「アエラ! ほんとに違うから!」
「見た目が釣り合わないなんて、好きでなければ、気にしないのではなくて?」
「っ、うー……」
唸るイシュカに意味深に微笑む彼女に、さっき優しいと思ったのを取り消すことにした。
「でも、イシュカさん、難しく考えなくていいと思います」
「え?」
「疎遠になっていた幼い頃の友人とまた話せるようになった、それをとりあえず喜んで……」
「……一緒に試験を受けること、召喚の勉強ができることを楽しむ?」
「ええ、だって仰っていたじゃないですか。小さい頃、色々な召喚術を作ったり試したりして遊んでいた、野外に行っては妖精と幻獣たちの世界への扉を探していたって……すべてラグナルさまとでしょう? 大事なお相手だというなら、なおのこと、楽しんでいらして」
「…………うん、ありがとう、アエラ」
今度の彼女の笑顔はまっすぐで、胸が詰まった。鼻の奥がつんとする。
「ごめん、アエラ……、さっき『性格悪っ』とか思った」
「謝っていただく必要はございません。その通りですもの。わたくし、ラグナルさまがイシュカさんのためにならないようなら、排除にかかりますから。それはそれで面白そうでしょう?」
ころころと笑いながら言ってのけると、アエラは整った仕草で茶のカップを口に運んだ。そして、それをソーサーに戻し、もう一度その美しい唇を開く。
「だから、余計なお世話かもしれませんが、一つだけ――」
* * *
(なぜ今、突然、か)
イシュカは自室に戻ろうとアエラの部屋を出たものの、どうしてもその気になれず、足を寄宿舎の外に向けた。
(……まぶしい)
扉を開き、外に足を踏み出したところで、西日が直接目に入ってイシュカは顔をしかめた。
本当は足を延ばして、もっと自然のある場所に行きたいが、もう日が暮れかかっている。夜には人に好意的でない妖精が増えることもあって、イシュカは校舎と寄宿舎の間にある庭園に向かった。
赤みを帯びた光の中、黄色いイブニングプリムローズの花が夕風に揺れた。もう春も終わるのだろう、とても暖かい。
甘い香りがその風に乗って漂ってくる。この花の実からとったオイルは肌荒れに効くとされていて、そういう効能を持った植物にはよく妖精たちが集まる。
今も花びらのような翼を持つ、小さな妖精たちが葉に腰かけ、もうすぐ蛾たちの時間がやって来るとミツバチたちに帰りを促していた。
「シグル、どこ行ってたの」
青く染まりつつある天頂から馴染みの鳥がふわりと降りてきて、肩に止まった。黒い羽毛が頬にあたって少しくすぐったい。
敢えて庭園のベンチを避け、花畑の隅に据えられた庭石に腰かけた。足元には青い星のような花びらと互い違いのがくがかわいらしい、ルリジサが植えられている。
人を勇気づける作用があるとされるハーブを何となく指でつつけば、くすぐったがるような声が聞こえた気がした。
「――ラグナルさま、わたくし、納得できません」
つられて笑ったところで、近づいてくる人の話し声に息をのんだ。
「探査試験ですのよ? 一週間野外で、二人で協力して課題に取り組む――ずっとご一緒してくださいとお願いしておりましたのに、なぜイシュカ・ヴィーダなのですか」
フレイヤ・テネブリスの声だったが、不思議な響きを含んでいた。怒っているようでいて、泣きそうにも聞こえたし、詰っているようでいて、でも甘えているようにも聞こえた。
ただ一つ確かなのは、いつもイシュカに向けられる居丈高な響きはまったくないということだ。
「……人によって露骨に態度変えるの、反対。差別だ、差別」
いじけて足元の小石をいじりながら、イシュカはぼそぼそと抗議を口にする。
もっともフレイヤ曰く「身分によって扱いが異なるのは生まれついて能力が違うのだから仕方がない」「差別ではなく区別」ということになるらしいが。
「能力の近い者同士、もしくは互いの能力をよく知る相手と組むようにという教授の勧めに従いました」
「能力が近いだなんて……ヴィーダの娘ではラグナルさまの足を引っ張るだけでしょう。行く先はあのサオネ島です。太古の精霊が今なお住まうあの島には、未知の事象も多いと聞いております。当然危険も多いかと」
「イシュ……ヴィーダ嬢は、使役は失敗することも多いですが、召喚できる幻獣のレベルは私と似たり寄ったりです」
「ですが、失敗すれば、ラグナルさまにも危険が……」
「彼女は失敗に他者を巻き込んだことは、これまで一度もありませんよ」
「……」
なるほど、能力の近さは横においておいて、互いの能力をよく知るという意味では、ラグナル以上のイシュカの理解者はいないと今はっきりした。
これまでの失敗――水柱の中で溺れかけたり、つる草に捕らえられて、木に逆さ吊りにされて一晩過ごしたり、顔を歯形がつくまで噛まれたり、丸二日間幻獣の鱗を磨かされたり、山のてっぺんに置き去りにされたり、地下迷路に置き去りにされて、生き埋めになりかかったり――で、死にかけたり傷ついたりしたのは、確かにイシュカ一人だ。
「……」
思わず納得してからむなしくなって、イシュカは遠い夕暮れ空を見上げた。一番星が光っている。慰めに見える。
「っ、お惚けにならないでくださいっ、ラグナルさまはずっとあれを気にかけておいでですっ」
「幼馴染ですから」
「今更でしょうっ、ここ何年もまったくお話しになっていらっしゃらなかったのになぜと申し上げているのですっ」
「……」
突然ヒステリックになった声に目を瞬かせた後、フレイヤの発言が先ほどのアエラとそっくり同じであることに気付いて、イシュカは息を止めた。
『これまでイシュカさんと疎遠になることを受け入れていたラグナルさまが、なぜいきなり話しかけておいでになったのか、なぜ一緒に探査に出ようとお申し出になったのか』
「……」
息を殺して、ラグナルの答えに耳を澄ませば、プリムローズの甘い香りに引かれた蝙蝠の羽音が近づいてくるのがわかった。
無言のままのラグナルに苛ついたのか、フレイヤはさらに言い募る。
「本当はお好きなのでしょう、イシュカ・ヴィーダが」
思いもよらない言葉に、心臓が音を立てて跳ねあがった。
『ずっと一緒にいようね』
『約束だよ』
何もわかっていなかった幼い頃の、無邪気な約束が脳内に響き、直後に心臓の音がうるさいくらいになった。
肩に止まったシグルに逆の手をそわそわと伸ばし、その身を撫でる。
「彼女の召喚術がとても興味深いことに気付いたからです」
ラグナルの涼やかな声のおかげで、すぐに落ち着くことができたけれど。
「ではこれで」
有無を言わせない響きの別れを口にしたラグナルが、こっちに近づいてくる。
(お願い、見つかりませんように)
隠れる必要なんて冷静に考えればないはずなのに、イシュカは身を縮めた。
草花の影で顔を伏せて息を殺すイシュカの頭の後ろを、シグルの黒い翼が隠すように撫でる。その優しい感触になぜか涙がにじんできた。
すぐ後ろをラグナルが通り過ぎていく。
彼の足音が完全に消えてしまっても、これまたなぜかイシュカは顔をあげることができない。
ただただ懐かしい、今ならもう一度仲良くできるようになるかも、とだけ考えて、浮かれていた自分がひどく子供っぽく思えて、無性に恥ずかしかった。
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