界境守りの落ち零れ召喚士と炎の幻獣使い

ユキノト

第1話 脱出計画のお供は馬と野望と思い付き

 暗闇の中、分厚い石床に描かれた繊細な模様が、ぼんやりと光を放った。

 ラグナル・ガードルードが落ち着いた声で、召喚呪を詠唱していく。光が強さを増す。ラグナルの赤髪が照らされて、朱金に輝いた。

(あの呪、は……)

 最上位の幻獣に対する呪の構成と、繊細に綴られていく文言に、イシュカは目をみひらく。

 ラグナルの向こうに立っている試験官、ボガーレ王国王立召喚学園の教授たちの顔にも興奮が乗った。

 足元に風が吹いてきた。風は模様の中央から発していて、すぐ傍らに立つ召喚者のラグナルのローブと髪をはためかせる。

 そこに熱と焦気を感じて、イシュカは「やっぱり火竜……」と呆然と呟いた。


 学園で年一回実施される、特別考査の最終試験会場。重たい石造りの広大な召喚の間に、強い霊力が満ちていく。

 この後、イシュカとラグナルは呼び出した互いの幻獣を戦わせることになっている。

 それに勝利し、特別考査の最優秀者になれば、奨学金、留学の推薦、特別な召喚媒体の授与、召喚士としての就職のあっせん、様々な特典が得られるというのに、最後の最後、最終試験まで残ったのに――。

(反則すぎでしょ、媒体もなしにそんなものを呼ぶって……!)

 どうしても隣国への留学の推薦が欲しいイシュカは、絶望と共に杖を握る手を止め、顔を引きつらせた。


 イシュカの足元にも書きかけの召喚陣がある。『水馬』を呼ぶためのものだ。

 水馬は水属性の中では高位の幻獣だが、『火竜』相手では分が悪すぎる。火に対し水の選択は悪くはないけれど、霊力の差を考えれば、水馬は蒸発させられて終わるだろう。

(火竜に対抗できるとなると『人魚』……は無理ぃ)

 水の世界の幻獣としては最強種の一つで、イシュカの力でも召喚可能だ。が、別に理由があって躊躇してしまう。


 小さい頃家の庭で人魚を呼び出し、噂に違わぬ美貌に見惚れたのも束の間、召喚陣が消えた瞬間、半身半魚の彼女は芝生の上にぼてっと音を立てて落ちた。

 美しい人魚がビチビチと跳ねる光景に呆気に取られている間に、深海色の目と目が合い――ブチ切れられた。

 後で王立召喚士協会から査察が来るほどの水柱を出されてその内側に捕らえられ、自分の家の庭先で溺死しそうになったことを思い出し、イシュカは身震いする。

 その後は広く、美しい水場でのみ呼び出すようにしているが、その度に平身低頭あの時の謝罪を呪に入れる羽目になっている。


(今ここに彼女を呼んだら、私、今度こそ殺される……。ああ、でも彼女ならかなりの確率で火竜に勝てるし、リスクを冒す価値は……)

「……?」

(……や、め、と、け?)

 呪を唱えつつこちらを見たラグナルが、口元に笑いを浮かべ、指先で小さく文字を書いた。

「っ、うー」

 あの時一緒にいて、人魚をなだめてくれたのは彼だったから、当然知ってはいるだろうが、彼女を呼ぼうかと悩んでいることまでばれたらしい。イシュカはついに呻き声をあげた。


 そんなことをしながらも、彼の方は召喚に滞りを見せない。

 風の渦に小さな火の粉が混じり、陣の中央に穴が開いた。赤い両翼の上端、鉤爪の部分が浮かび上がってくる。

「さすがガードルード、実に鮮やかな手並みだ」

「文句なしの満点ですな」

 教授たちの口から感嘆が漏れ始めた。


(……これ、絶対成功するやつじゃん)

 教授たちと同じ感想を持ってしまって、イシュカは唇を引き結ぶ。

 召喚士の中の最上位資格、幻獣使いとして名を馳せる一族の次期当主として、ラグナルが教授たちに目を掛けられているのは事実だ。何が切ないかと言って、彼が肩書と評価通りの実力を持っていること……。

 厄介な物ばかりを召喚し、しかも扱い切れないことが多いヴィーダ家というイシュカの出身が、周囲からの評価をより下げているのも事実だと思うけれど、それを差し引いても彼の力はイシュカより上だ。


(わかってる、わかってるけど、どうしても勝ちたい……っ)

 そのために今できる最もお手軽な方法は――。

(お願い、失敗して……!)

 イシュカはその灰色の瞳を、風と火の粉の渦中にいるラグナルに向け、極めつきに情けない念を送ってみる。

「……」

「っ」

 再びそのラグナルと目が合った。彼は呪で精霊の世界とのつながりを保ったまま、イシュカを見てにこりと笑った。

「……」

(くぅ、全部お見通しってこと……)

 イシュカは眉尻と口の両端、ついでに両肩を情けなく下げた。


 ばれているのは、人魚を呼ぼうかと迷っていることだけじゃない。

 幻獣を含めた精霊たちについて学ぶために、イシュカが半鎖国状態にある隣国に行きたがっていること。イシュカのような立場の人間には、この学園から優秀な召喚士見習いとして留学に出してもらうのが一番の近道であること。そのために必死なこと。

 それから、そんな必死のイシュカに、それでも彼が勝つだろうということ――。


(余裕だし、かっこいいし……ほんと、くやしい……)

 昔からそうだ、彼はイシュカがあんな幻獣使いになりたいと思うそのままだ。

 悔しいけれど、憧れてしまう。憧れてしまうけど、悔しいものは悔しい。


「我が命脈を辿り来たれ――」

 ラグネルの呪は終盤を迎えようとしている。普段柔らかい、彼の赤い瞳が鋭く細められた。下からの光に照らされた顔は、元の顔立ちとあいまって神々しいまでに美しい。赤髪が一際強くなった熱風に舞い上がり、渦の中心の穴が拡大する。

 そこから人の身の丈の三倍はあろうかという異形が姿を現した。鱗と棘に覆われた顔を天井へと向けて、大きな顎を開き、咆哮を放つ。

 鼓膜をつんざくような大音響とともに、幻獣の赤い鱗が闇の中で光りさざめいた。

 音の反響が収まった後、火竜は金に輝く瞳を召喚者であるラグナルに向けた。詮索と怒りの混ざった獰猛な視線を、彼は余裕の顔で受け止める。

 そのまま見つめ合いがしばらく続いた後、火竜は不承不承というようにゆっくり身をかがめて額をラグナルへと突き出した。そして、ラグナルがその額に手を置き、呪を唱える。

 両者の間が光って――召喚主と召喚獣の契約は成立した。


(しかも初召喚……)

 今契約を結んだということは、そういうことだ。どこまでも嫌みなくらい優秀で、やっぱりカッコいい。どこまでもカッコいい。余計ムカついて、なんだか泣けてきた。

 教授たちがラグネルの召喚陣を取り囲み、口々に火竜の雄々しさを褒め称えるのを聞きながら、イシュカは洟をずっとすすると、気を取り直した。

 

 この国から出るために隣国に留学する。これはそのための推薦に繋がる試験だ。憧れの推しとはいえ、彼はライバルだ。賞賛している暇はない。

(でもどうしよう。計画を変える? 火竜と同位の水属性なら『水竜』だけど……)

 召喚を試みたことはあるが、書物を見て補助具を用いて、翼を出現させるまでがようやくだった。しかも成功したところで、火竜と相打ちになって終わるだろう。

(なら、火竜の弱点をつける別の幻獣を水馬に融合させる……エネルギーを下げるなら氷、『霜の魔人』? いや、それより風だ、火を吹き消せるだけの――)

「……」

 イシュカは無謀とも思える思いつきに息を止めた。だが、それしかない。


 大きく深呼吸して、途中だった召喚陣を完成させると、イシュカは水馬の召喚呪の詠唱を開始した。同時に、手にしていた長い杖で新たな召喚陣を横に描き始める。

「ほお、同時召喚ですか」

「イシュカも素質自体は悪くないんですが……」

「万年二位とは言え、ペーパー試験でも頑張っているますしねえ……」

(「でも所詮ヴィーダ家」って言いたいんでしょ)

 ようやくイシュカの存在を思い出したらしい教授たちの声に眉根を寄せながら、イシュカは陣の上を軽やかに舞う。その軌跡を杖が追い、光る紋様を描き出していく。

 こうして踊るように召喚陣を描く者も、歌うように呪を詠唱する者も、ヴィーダ家以外にはもういない。古い召喚術らしく、「時代遅れだ」「だから妙なものばかり呼ぶことになるのだ」と蔑まれている。だが、イシュカも家族もこのやり方に誇りを持っている。


(ああ、やっぱり好きだなあ)

 作業が進むにつれ、召喚陣、正確にはその向こうの精霊の世界と繋がる感覚が生じてきて、肌があわ立った。


 透明な青の世界が見える。キラキラと光る泡がそこかしこで揺らぎながら水面めざして登っていき、半透明の緑の水草が水流に合わせて踊る。

 あっちでは色とりどりの魚が群れを成し、長じれば『陸つ亀』となる子亀が魚たちと鬼ごっこをしている。

 どこからか『細波の乙女』の歌声が聞こえた。逆方向にポコポコと清水が湧き出る音がする。

 そちらを向いて呼びかければ、半透明の体に、虹色に光るヒレを持つ、馴染みの水馬が顔を出した。イシュカへと顔を擦り付けてくる。ぷにょんという感触が楽しい。


 どういう仕組みなのか、同時召喚の場合は、もう一つの世界も同時に認識できる。

 こっちの世界は白い雲の上だ。頭上には青空が広がり、刷毛で薄くはいたような巻雲が浮かんでいた。

(ええと、『天馬』は……)

 水の世界にいた細波の乙女の姉にあたる『微風の乙女』が、イシュカの歌う召喚呪に調子を合わせてきて、二重唱となる。

「天馬に会いたいの。場所を知らない?」

 歌詞に頼みごとを乗せれば、涼やかな笑い声と共に乙女のたおやかな翼が左方を指し示した。

 光る雲間に天馬の頭が見えた。イシュカは微風の乙女に礼を述べると、そちらに向き直り、歌いながら名乗りを上げる。


(綺麗……って、めちゃくちゃ大きい)

 天馬の空色の目が射貫くようにイシュカを見る。そこに敵愾心がないことを確認して、ひとまず安堵した。

 話すに足らぬと判断されれば、ここでやられる。霊障、つまりは精神を痛めつけられるわけだから下手をすれば死、マシな場合であっても数日間は意識不明だ。

(兄さんは月狼に挑んで一か月寝込んでたっけ……)

 寝たまま餓死するんじゃないかとひやひやした記憶を思い出して、二の舞にはなりたくない、と身震いと共に決意する。

「天つ空を駆ける、麗しき不羈の馬よ。ヴィーダの血脈に基づいて希う――その気高き翼を我に貸したまえ」

「……」

 天馬が身じろぎした瞬間、雲と見紛う白い首に生えた、陽の光のようなたてがみが揺らいだ。

(…………あ、意識不明コースかも、これ)

 媒体、すなわち捧げ物も用意せず、初見で高位の召喚獣に呼び出しに応じるように頼む――冷静に考えれば無謀すぎる。

 どうしても勝負に勝って推薦を得たいという願望のせいで、判断を誤ったらしい。

「やっぱり無理なお願いでした。というか、それ以前に失礼すぎました、ごめんなさい」

 しょんぼりと肩を落とし、「意識不明の時間は、できれば十日以内でお願いできませんか……。ああでも、いっそ一月ぐらいでもダイエットにいいかも。兄さん、別人みたいになってたし」と半泣きで呟けば、天馬は金の睫毛をパシパシと瞬かせた。

「っ」

 次の瞬間、風が巻き起こった。


「……あれ」

 いきなり映像が現実世界に戻った。

 目を瞬かせれば、真っ暗な召喚の間の対方の陣には、凛々しい火竜が浮かんでいた。

 その向こうでラグナルが、目を丸くしてイシュカを見ている。子供の頃一緒に過ごしていた彼の印象にそのまま重なる。

(なんか懐かし……ってそうじゃなかった)

 慌てて足元を見れば、二つの陣は既に完成し、光を放っていた。どちらからも風が湧き、片方には霧が、もう片方には光の粒が渦巻いている。――成功している。

 ぼうっとしている場合じゃない、と蒼褪めつつ、イシュカは急いで召喚を締めくくる。

「我が求めに応じ来たれ――水馬、天馬っ」

 強風が湧き上がり、二つの陣の間に立つイシュカのまだらの銀髪と、学園の制服であるローブを乱した。ぎゅっと目をつむり、風が止むのを待つ。

「……やった!」

 目を再び開いた時、それぞれの世界でも高位の幻獣種が二体、はっきりとその姿を現していた。

 教授たちから小さな感嘆が上がったが、すぐに「火竜に対し、天馬と水馬――勝負あったな」という苦笑が混ざる。


 いくら高位とはいえ、この二体だけでは火竜に勝てない――そんなことはイシュカだって知っている。

「……」

 ぎゅっと杖を握り締めると、ごくりとつばを飲み込んで、再び杖先を床に落とした。

「――イシュカ」

 緊張を含んだ声はラグナルのものだ。名を呼ばれ、嬉しいような、悔しいような気分で口を尖らせる。

 やっぱりラグナルは私のことをよく知っている、と再確認してしまった。


「……」

 杖の頭を額に当て、イシュカは父から教えられた古い言葉を念じる。

 幻獣の融合呪だ。元の幻獣たちの霊力と性質が合わさり、とんでもなく強大な幻獣を一時的に生み出せるという。だが、今の世にこれができる人間はいない。それどころか、成功したのはヴィーダ家の初代当主とその子孫の数人だけ。

「イシュカ、何をしている?」

「……まさか、融合、か?」

 教授たちの声に興奮が乗った。


(大丈夫、きっとできる)

 そうイシュカは自分に言い聞かせる。

 この融合術こそが古臭い召喚術にこだわり続け、折々におかしな失敗をするヴィーダ家が生き残ってこられた最大の強みだと聞いた。

 もちろんイシュカが成功したことはない。

(待ってて、憧れの国セルーニャ――白い雪を頂く山々と咲き乱れる花々、青く輝く海と白い砂浜が私をおいでおいでしている!)

 だが、今日こそ成功しそうな予感があって、イシュカは気色を湛えて融合の呪を口にする。教授たちの顔に興奮が乗った。ラグナルの顔が硬くなる。


(我を媒体とし、融合せよ――)

「『ウテレメウトゥメデュウマドフューゼ』」

 二頭の馬の輪郭が揺らいだ。互いに引き寄せられるように、中央のイシュカへと近づく。両馬が呪を唱えるイシュカへとその美しい顔を寄せた。

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