第8話 ニョロ太、癒やしと失意
お風呂では、ニョロ太、ゲコ太、共に身体の表面、特に目や睫毛、眉毛、髪の毛に残っているかもしれないカエルの分泌物を洗い流し、一つしかないドラム缶の湯に交互に浸かる。温まることで身体から出ていく汗を感じては湯から上がり洗い流すことを数回繰り返す。そうすることで、身体の外も内も毒という呪縛からの開放、即ち絶対的な安心感を得ることができると二人は考えたからだ。
それともう一つ、互いにまだ子どもであるとはいえ、好きな女の子の前で裸を晒す、しかもあんな状態で、という恥ずかしすぎる経験をしてしまった二人。しかしあわや品性を損なったかもしれなかった最後の一線はなんとか死守し、その痕跡すら洗い流せたことで湯の温かさとともになんとも言えない安堵感に浸っていた。
さらに裸を見られたこと事態は既に起こってしまった、言わば過ぎた話で、これ以上の恥ずかしさはないからと反対に肝が座り、身も心もスッキリとした状態となっていた。
そんなところへ、遅れてやってきたマコトとイルは生存を問いかけながら近づいてきた。
「おーい、生きてるぅ?」
心も身体も落ち着きを取り戻し、さっきのような状況があってもすぐには動じないくらいの一皮むけたニョロ太だったから、着衣状態のマコトを見て、直前に聞こえていた乙女のやりとりが有効なことを知るが、あえてダメ元で問いかける。
「あー、やっと来た。あれっ? マコちゃん入るんじゃなかったの?」
さきほどまでのニョロ太と少し雰囲気が違うことをマコトは感じ取る。まぁ余裕が出てきたのは良いことだと考えながら、問いかけに対してさっきの話を織り混ぜて返す。
「あー、それはなし。イルに叱られちゃったもの。いつか好きな人ができるまでは、乙女の柔肌は誰にも見せちゃダメなんだよ」
いつか誰かに、ということはまだ何も決まっていないと解釈できるから、それなら今の内に名乗りを上げておく、イコール友達ポジションで少しでも関係性を深めておくほうが有利だとニョロ太は考え早速実行に移す。
「ちぇーっ、でもそれならオレにもチャンスあるってことだよね?」
チャンスの有無を問う形で暗に存在感を刷り込むアピールの言葉を繰り出すわけだ。
「ないとは言い切れないけど、難しいんじゃない? たぶん。それにニョロ太はイルを狙ってたんじゃなかったの?」
ないとは言い切れないと聞いて一瞬眉が上がるが、難しいと結ばれニョロ太は眉を落とす。イルの話題が続くと再び眉は少し上がった状態に復帰する。イルへの秘めた思いはバレてしまったニョロ太だから、歯に衣着せる必要ももうないからか、気持ちを大胆に言葉に乗せてしまう。
「そ、そうなんだよなー。イルが可愛くて仕方ないのだけど、マコちゃんのお母さんを見てから、それに似ているマコちゃんの可愛さが見えてきて、両方とも好きになったみたい……あ!」
口から飛び出したイルへの思いだったが、その大胆さの勢いのまま迂闊な言葉まで捻り出し、言葉を発し終えた直後に気付く。ニョロ太の顔はシマッタ感に染め上がる。
「あー、ママ効果かぁ、ひくわー。それに、そういうのって不浄って言うんじゃないの? ゼロから出直しだね!」
「だねー。私はマコちゃんと仲良くできればほかに何も要らないし」
すっぱりニョロ太の話題は切り捨てられる。一転する状況に、自身の迂闊さを悔やんで止まないニョロ太はイルとマコトを交互に見ては涙目で嘆きを零す。
「えぇぇー。そんなぁ」
「さ、戻ろ! あれっ? 早く服着なよー。もう見飽きたんだから。それ」
突き放すノリのまま、マコトは着衣を急かす。一度見切りを付けた相手への女子の言動は清々しいほどに容赦ない。いつの時代も、大人、子どもを問わずだ。毛嫌いしているわけではないから責任を持って世話はこなすが、口調の温度はだだ下がりだ。
「な、なんか扱いがヒドすぎない?」
「いーの、いーの。ほら急いで!」
ニョロ太達を着替えさせたら、急いで部屋に連れ戻る。すると、なぜか部屋は軽いパーティームードに仕上がっていた。軽く驚きマコトは尋ねる。
「あれっ? これはなにごと?」
「パパがね、せっかくマコちゃの友達? がいっぱい来てくれたし、男の子たちは友達じゃないとしても、一歩間違えると後遺症が残りそうなところを救えた記念と、何よりもイルちゃん。可愛らしくてママもパパも気に入っちゃったし、マコちゃをよろしくね、の記念パーティーよ」
大義名分を並び立てるほどに、マコトが友だちを連れ帰ったことがよほど嬉しかったこともあるが、ソフィアとジンには別の思惑もあった。
「え、え、え、私? ど、どーしよ。えっと、私なんて何もしてないですよ? なぜかわからないけど、気に入っていただけたのなら、こんなに嬉しいことはありません。でも、どこを気に入っていただけたのですか?」
何よりも、と照準の中心に自分が据えられていることに驚き、イルは一瞬舞い上がる。その動揺を言葉に漏らしながらも、ふと、気に入ってくれたとのフレーズが脳裏に蘇り、それが何かを尋ねてみた。
「んーとね、まぁ、全部かな? もう非の打ち所がない、っていうか、私たちにはなんとなくわかるのよ。マコちゃが初めておうちに連れてきたお友だちでもあるし、マコちゃがあれほど誉めるなんて、ふつうはあり得ないのよ。贔屓目ではなく、マコちゃは優れた頭脳と優しい心を持ってるの。そんなマコちゃがほめちぎるイルちゃん。それだけでも充分信用に値するわ。おまけに可愛いときたもんだ」
一息置いて、マコトとジンをそれぞれ一瞥し、イルに視線を戻すとソフィアは続ける。
「それにね、あなた自身はたぶん気付いていないと思うけど、おそらく特別な力を眠らせているわよ? 私たちにわかる、といったのは主にそれのことで、いろいろと興味があるわ」
特別な力。その言葉に直ぐにイルは反応する。今の一番の関心事だからだ。しかしそれが自分に関わることに驚きが隠せない。またもしも本当ならと思うとぱぁーっと嬉しさが巻き起こるが、我に返り、半信半疑のまま具体的な詳細を促す問いを返す。
「特別な力ですか? たとえばマコちゃんみたいな、ですか?」
「まぁ、そうね。詳しくはいろいろ確認してみないとわからないけど、イルちゃんさえ良ければ、今度調べてみたいわね」
嬉しさに頬が綻びそうになるが、まだイメージが湧かないイルは、改めて気持ち落ち着けて返す。
「まだピンとこないけど、ホントにあるなら嬉しいな」
そんなやりとりにまだキョトンとするマコトだが、ジンは終始にこやかだ。そんな様子を確かめ、ソフィアは話を進める。
「まぁ、今はそんなことより、ちょっとした軽い宴のつもりなの。夕食までご一緒したいけど、予定はどうかしら? おうちの方にも連絡入れたいけど大丈夫かしら?」
ソフィアはイルの目を見て尋ねると、イルは視線を落とし、やや考え込む素振りで沈黙する。そこへニョロ太が割り込む。夕食会の説明がされたものの、話の中に自分たちも加わっているイメージが持てないニョロ太がおずおずと尋ねる。
「あ、あの……」
「あら? 君たちまだいたの?」
どうやら彼らの立ち位置から、ソフィアはからかい半分でわざとそういう体の説明にしたようだ。尋ねるニョロ太を見てニヤリとしたあと、真顔でサラリと冗談をかます。
「え?」
「アハハハ。冗談よ。あなた達もご一緒したいなら、おうちの方に連絡が必要よ。どうしたい? できれば理由も添えてね」
「で、できれば参加させていただきたいです。理由は、なぜか皆さんキラキラしているように見えて、日常の自分の周りの人たちとはまったく違う印象なんです。何が違うのかを知りたくなりました。それとゴニョゴニョ (……)です」
それらしい理由を貼り付けた説明のニョロ太だが、最も大きな理由を付け足そうとするも、恥ずかしさが増すのか語尾がか細いトーンで聞き取れない。ソフィアは聞き返す。
「え? 何?」
しどろもどろ気味なニョロ太はビクッとするが、息を飲み込み、腹を決めて言い直す。
「イルちゃんとマコちゃんとその、お母さんとお近付きになりたくて……」
直立不動の姿勢から、肩を張らせ、やや顎を引いて目を瞑りながら言い切ったニョロ太。僅かに続く沈黙の中、そぉーっと目を開いてみると、ソフィアと目が合い、ニョロ太は咄嗟に逸らす。一考のあと、ソフィアが口を開く。
「ふぅむ。まぁ、正直で良い……のか? な? うーん。ま、いっか。で、そちらのアナタも同じかしら?」
これまで、基本的に口を閉ざす傾向のゲコ太だったが、ここで言葉らしい言葉をようやく口にする。
「よ、よろしければ是非。理由は、さっきのと似てますが、ぼ、ぼくは引っ込み思案に悩みを感じています。みなさんがとても眩しく見えます。そこに秘訣があるのなら、あやかりたいと思っています」
初めて言葉らしい言葉を耳にした面々は、目を丸くして耳を傾ける。言い終わるのを待ってソフィアがコメントを返す。
「そうね。初見で言うのも失礼だけど、あなたに足りないのは自信と度胸じゃないかしら? ルックスも物腰も悪くないし、そこが改善できるなら、あなた化けるんじゃないかしら?」
「え? 妖怪か何かになるんですか?」
「アハハハ。違う違う。大物になるかも? って意味よ。伸びしろは大きそうだしね。わかったわ。じゃあ、そこに携帯電話があるから、おうちには電話あるかしら? あと掛けて繋がる時間なのかわからないけど、必ずおうちの方の了解を得ることが条件よ? それと、こんな辺鄙なところだから衛星の携帯電話なの。使い方はパパに聞いてね」
「「わかりました」」
家への連絡手段等の段取り説明を終えると、ソフィアはマコトからの一番の頼みごとでもある、ニョロ太たちへの癒やしに取り掛かる。
「と、それより、身体の具合はどうかしら? 痛いところとか、気になるところ、違和感なんかはなぁい?」
「だ、「大丈夫です」」
「そう? 明日になっても異変がないなら心配はいらないと思うけど、なにか気になるところがあれば病院にかかりなさいね。ただし、そのときに、私やマコちゃのことを話してはダメよ。私たち医者じゃないし、医療を施したわけでもない。ただ、手際よく毒を拭き取っただけなんだから。わかったかしら?」
ひとまず、誓約書を書くわけではないが、念のための約束と了承の意思確認を行うソフィア。
「わかってます。大丈夫です」
「よろしい。じゃあ、二人ともそこに仰向けになって目を閉じてくれる? 最後の仕上げよ」
「え? 何を?」
「いいからいいから、ほら早く」
急かされて、言われるがままに横になり目を閉じる二人。これから何が起こるのか、不安そうな表情だ。たとえば医者なら説明責任というものがあるが、ソフィアの場合はただ面倒そうに省いたように見えて、施される側の者は不安になるのも当然だ。しかし、始まればそれはすぐに解消する。
「じゃあ、言うとおりに反応してみてね。いくわよ」
「はい」
「あぁ、いちいち返事はいいわ。別命あるまで黙っててね。はい、目を開けて、閉じて、開けて、頭はそのままで目だけ、右向いて、左向いて、上、下、前、じゃあ、目だけグルッとまわすよ。はい、時計回り、はい、反時計周り。はい、前向いて、次は目をパチパチ、開けては閉じるを繰り返す。はいパチパチのスピードを上げて。はい、OK。今までの動きで、痛かったり、鈍かったりしていることはなかったかしら? 返事ちょうだい」
「「大丈夫です」」
始まってしまえば、わかりやすい簡単な確認だから、スッカリ安心しきって身を任せ、指示に従っている状況だ。ここからが癒やしの本番となるが、スムーズに受けてもらうために、心も身体も絶妙にほぐれた状態が好ましく、実は今がその状態だ。一見ものぐさに映ったかもしれないひとつひとつの所作も、ソフィアの脳内では無駄のない綿密に組み上げられたプラニングだったわけだ。
「了解、じゃあ、また目を閉じて」
「大きく深呼吸。吸ってぇ、吐いてぇ、そのまま。後は楽に呼吸して。しばらくそのままね。目は開けないでね」
二人の顔の前に、両手のそれぞれの手のひらをかざし、ソフィアは目を閉じる。すると手のひらに緑色の光が灯り、二人の顔面を覆うと、その輪郭も緑色の淡い光でうっすらと灯る。二人の目や口辺りから揺らめきが見える。その美しい光景をウットリとした恍惚の表情で見惚れながら、イルは、ほぅっと息を漏らすと、小声でマコトに話しかける。
「あれは何をしているの?」
「癒やしをかけているのよ。きれいでしょう? マコにはまだできないの。だからママにこれをして欲しくて、二人を連れてきたのよ」
癒やしという言葉が耳に入ると、イルは少し驚いて目を見開き、少し瞳を細めて柔らかな眼差しで魅入る。
もともと大きな傷などがあったわけではないためわかりにくいが、ニョロ太もゲコ太も気持ちよさそうな表情の顔の表面が、子どもの肌でお風呂上がりの瑞々しい状態とはいえ、小キズや手入れなどしない無造作に扱われたやや荒れた肌の状態から、小キズなど全く見当たらず、健康的な色合いのなんとなくきめ細かな肌に変わって見えてきたことにイルは気付く。よく注視していないとわからない程度の変化だが、今日のカエル分泌物除去の際にじっくりと肌を見つめていたイルだからわかるのだろう。
「なるほど。あの二人は幸せ者だね。ここまでしてもらえて。なんかちょっと羨ましいかも」
「そうだね。かけられてるほうも気持ちいいんだよ」
普通は、良薬口に苦し、ではないが、怪我も病気も治すためには、少々痛さや苦さを乗り越えるものだから、まさか癒やしに気持ちよさまで付いてくるとは思ってもいなかったイル。そんな事実を知ったら眼差しはさらに深みのある羨望へと変わっていく。
「そ、そうなの? あー、羨ましいなぁ。私もケガすればよかったなぁ」
「じゃあ、後でイルもかけてもらおうよ」
マコトと話すたびに、小さな驚きが重なっていくイル。ケガもしていない自分にも癒やしをかけてもらう、という発想は全くなかった。しかしどう考えても癒やしをかけてもらう必要性は見つからないからイルは困惑しながら返す。
「え? いいの? だってどこもケガなんてしてないよ?」
「癒やしはケガだけじゃないよ。疲労まで回復しちゃえるし、あんだけドタバタしたから、ケガとはいえなくても、小さなすり傷みたいなものはたくさんあると思うよ。かけて終わるとねぇ、あかちゃんみたいにプルンとした肌になるの」
またもやマコトの言葉は驚きとしてイルの心の中にスルリと入ってくる。
病気や怪我をした場合など、普通なら、お金と時間という対価を払って医者にかかるもので、逆に言えば、軽微なものなら医者にかかるという選択はない。
そんな既成概念からか、これまでのやりとりからも、お金が要求されることのない善意の施しと認識していても、この癒やしのような価値の高いものを、おいそれと施してもらえるなどとは思いもしなかったイル。
それを気軽にお願いできるという事実。その真価のほどは既に自身の目で確認できた上に、赤ちゃんのプルンとした肌と聞けば、イルの心の奥から衝動が湧き上がるのも必然のこと。目の前の夢のような現実は心の鼓動を揺さぶるように刺激する。
「え、え、えぇ? それはホントなの? あーん、やって欲しい。ホント? ホント? ウソじゃないよね? 心の底からやって欲しいよぉ! ど、ドキドキしてきたぁ」
「アハハハ。どんだけ楽しみなの? それよりさ、イルぅ、今日さ、泊まっていかない?」
またも驚き、というより、思いもしなかった衝撃のお誘いの言葉がマコトの口から飛び出て、イルの思考は一瞬停止する。ある事情から、慎ましい暮らしをしてきたイルにとっては考えもしなかった提案だったから、惑うのも当然だった。マコトはもちろんイルの事情を知るはずがないからと、説明すべき言葉と断りの文句がイルの脳裏を巡る。
「えぇっ? び、びっくりしたぁ。さっきのドキドキ、どっかに飛んで行っちゃったよ。えと、すごく嬉しいお誘いなんだけど、おうちに帰って聞いてみないとなんとも言えないや。それにね、うちはお母さんと二人だけの母子家庭なんだけど、お母さんが病に臥せりがちで特に最近調子が良くないんだ。だから外泊なんて、できるかどうかわからないの」
「ええ? そんなにお母さんの具合が良くないのなら、お母さんこそが癒やしを受けるべきじゃない?」
またまた驚きの言葉がマコトから差し込まれる。こんなやり取りにはやや慣れてはきたものの、母に癒やし、そんな言葉は、まるで神の啓示のような輝きに包まれたイメージを思い描く。
もしもそれが叶うなら、どんなに素敵な未来に繋がるだろうと希望を膨らませるが、望むべきではない境界線の存在があることをイルは肌で感じていた。
「えぇ? あ! そうか。気付かなかったわ。で、でも、そこまでお世話になるわけにはいかないわ。お母さんからすれば、見知らぬ人に、そんな不躾なお願いできるわけないよ」
ピカッとソフィアの目が光った気がして驚くマコトは、大丈夫、と言いかけたところで口を噤むと、続けてソフィアが、イルに向けて矢継ぎ早に話し始める。
「聞こえたわよ。イルちゃん。はい、あなたたち、終わりよ。毒で傷んだ肌や、小傷なんかも綺麗になってると思うから確認してね」
「「はい!」」
ソフィアから施術終了と状態確認が告げられると、小気味よく返事するニョロ太たち。よほど気持ちよかったのか、肌を確認することも忘れて、目はぽゃっとした状態で余韻に浸りつつも、終わったことを淋しがる、そんな表情にも見える。
ところがそんな余韻を打ち消すように、間を開けずにソフィアが続ける。
「それから突然で申し訳ないけれど、今日の宴は中止よ。また改めて仕切り直しさせてちょうだいね。ちょっと大事な用事ができてしまったから、今日はお開き。おうちに帰りなさい」
風呂上がりの開放的な気持ちよさに、目を閉じていたから何をされていたかの詳細は不明でも、とにかく気持ちの良い至福の時間が過ごせてこの後にも宴が予定されていることに、至上の幸せを噛み締める
しかしそんなふわふわな心持ちを無情にもつんざくような言葉がソフィアの口から告げられたわけだ。あまりに突然だったからただただ驚きの声を漏らす二人。
「「えぇ?」」
突然のキャンセル通知にさっきまでの幸福感は軽く吹き飛ぶ。ニョロ太たちの視線は定まらず、事態を飲み込むためにこれまでの出来事を振り返り、考えを巡らす二人だった。
この後に控えていたはずの宴を相当楽しみにしていたからこそ、残念さが心を支配して止まないのだが、施してもらった恩義を考えるなら、異を唱えたり不満を漏らしたりなどはもってのほか、むしろそうした行為で印象を悪くしてしまうことのほうが怖いのだと悟る二人。
ニョロ太たちは顔を見合わせ、残念そうな顔、目を固く瞑り振り払う表情、また目を合わせて首を横に振り諦める仕草、そしてこのまま退散する決意の頷き、を小声とともに擦り合わせると、お互いの意思は纏まったようで、ニョロ太が代表して口を開き、帰宅の旨と感謝の言葉を切り出す。なんとも聞き分けの良い好少年たちの振る舞いだ。
「急用じゃ仕方ありませんね。支度して帰ります。今日はいろいろとありがとうございました」
結果的には、帰宅を迫られ、放り出されるようにウチを出る二人。好少年を振る舞いながらも、渋々感を全身に漂わせ、一歩後ずさる毎にそれは増していく。
「気を付けて帰りなさい」と、ソフィアが気遣いの言葉で送り出すと、感謝に報いたい気持ちなのか
「はい!」と、全身で嬉しそうに返事を返すニョロ太とゲコ太。
「じゃあね」と、イルが次にまた会うかもしれないことを含めて送り出すと
「うん」と、次回が匂わせられたその片鱗を感じ取り、後ろ髪引かれながらも、染みてくる心遣いが二人の抱く寂しさを少しだけ和らげる。
「バイバーイ」と、一見明るいイメージの送り出しだが、マコトには言い含める何かはない。代わりになのか、満面の笑みで
「う、うん……」と、ニョロ太はひとまず返事はするが、マコトの言い方のせいか、二人とも何故か空虚感が拭い切れない。笑顔での送り出しだが、自分たちが去った後のことに意識が向いていることがわかるような、アッケラカンとした明るさが余計に侘びしさを深めるばかりだった。しかし、それが踏ん切りに繋がるのか、帰途へと背を向け二人は歩き始める。
ニョロ太とゲコ太は何度も足を止めて振り返る。最初は見送りを続けてくれていたが、30mも離れた頃には家に入ったのかもう姿は見えなかった。
大事な用事があるからと受け入れざるを得なかったものの、もしもあのまま残って宴を催していたら、などとどこまでも諦めきれない思いを引きずり、脳内では、今更あり得ない様々な『もしも』を流転させながら、しずしずと去っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます