第二十五話 大丈夫

 部屋を出てリビングへ向かい、ベーコンと目玉焼きが乗ったパンを食べているアズサに声をかける。

 テーブルを挟んで向かい側にある椅子には、リディとナヤメも座っていた。


 俺はいつも朝食を食べないので、普段はコーヒーを飲みながら三人が食べている様子を眺めている。

 だが今日に限っては、そんなゆったりとした時間を過ごす暇は無かった。

「アズサ、いきなりで悪いんだが、今日は暇か?」


「と、特に予定はないですけど……どうかしました?」

 食べながら話すのは失礼だと思ったのか、パンを一度皿に置いてから、俺を見上げた。


「少し、大事な話があってな」

「だ、大事な話?」

「ああ、出来れば二人だけで話したい」


「ふ、二人だけ」

 アズサが少しだけ頬を赤くして、声を震わせた。

「それを食べ終わってからでいいから、少し出かけよう」


「は、はい。分かりました!」

「俺は先に車で待ってる。急がなくて良いからな」

 本当は急いでほしいところだが、ここにはナヤメやリディもいる。


 この話は、アズサ以外に伝えるべきではないのだ。

 はやる心を抑えて、俺は屋敷の駐車場にある車の運転席に乗った。


 ――そしてアルマが去ったあと、アズサはリディからジッと睨み付けられていた。

「ど、どうしたんですか?」

「……もしかして、隊長はそっちの気があるの?」


 ナヤメの不純な妄想から漏れた言葉が、アズサの頬をさらに染めさせる。

 そして、リディの視線もさらに険しくなっていく。

「そ、そんなのあり得ないに決まってるよ。そうですよね? リディ副隊長」


 同意を求めるためにリディの方を向くと、嫉妬のこもった視線に「ひっ」とアズサは怯えた声を出してしまった。

「アルマ隊長と二人でドライブなんて、私もしたことないのに」


 恨み節がリディの口をついて出た。

「そ、そうなんですか? 僕はてっきり、アルマ隊長が一番信頼してるのは、リディ副隊長だと思ってました」


 アズサの返答にナヤメも頷く。

 事実、リディはいつもアルマのそばに居るし、アルマもそれを許容している。

 その距離感は、信頼なくしてあり得ないものだ。


 二人は客観的に見て、そう思っていた。

「でも私、デートしたことないし。せっかく約束したのに、最近の隊長忙しそうだし」


 リディがいじけてしまった。

「ふ、副隊長から誘うのはどうですか?」

「え?」


 アズサは励ますためにそう提案した。

 だが、リディにとってそれは思いがけない言葉だったようで、目を丸くしている。

「り、リディ副隊長のお誘いなら、きっと隊長も予定を作ってくれますよ。ねえ、ナヤメさん」


「というより、副隊長から誘ったこと無かったの?」

 ナヤメの鋭いツッコミがリディを刺す。

「いやいや、そんな、私が隊長をデートに誘う? そんな、そんなの……」


 言葉が尻すぼみになっていき、相対的に顔が赤くなっていく。

「……はあ。副隊長、もしかして初恋?」

「なな何を言うんですか!?」


 ナヤメがもう一度「はあ」とため息を吐く。

 あまりにも初々しい反応に、こちらまで恥ずかしくなりそうだった。

「……アズサ、貴方がデートの約束を取り付けてあげて」


「何を言ってるんですか!? そんなの無理に決まってる!」

 ナヤメの提言をリディが止めた。

「う、うん、分かった」


「アズサ隊員もなんで了承してるんですか!?」

 朝から騒ぐリディをよそに、アズサはパンを食べきり、牛乳で流し込んでから屋敷を出た。


 ◇◇◇◇◇


「遅いな……」

 俺は腕を組んで、目を閉じたままアズサが来るのを待っていたが、ついつい屋敷の玄関方面を覗き込んでしまう。


 そうして十分以上経ったころ、ようやくアズサが小走りで車の方に向かってくるのが見えた。

「す、すみません、遅れました」


「いや、良いんだ。じゃあ行こうか」

 ゆっくりと車を発進させ、皇都の中心に鎮座する八重城やえじょうを少し南下した位置にある『城下公園しろしたこうえん』へと向かう。


 この皇都で、車を持っている人間というのは意外と少ない。

 たいていの場合は自転車で事足りる上に、駐車場を借りるにも皇都の土地は高い。

 俺も皇都内で車を運転することはあまり無かったが、誰にも聞かれずに秘密の話をするなら、この車内が一番だと思ったのだ。


「なあ」

「あ、あの」

 信号待ちで、俺とアズサの声が重なった。


「アズサからで良いぞ」

「わ、分かりました……あの、リディ副隊長のことなんですけど」

「ん? リディがどうかしたか?」


「ま、前に隊長と一緒に遊ぶ約束をしたって聞いたんです」

 ――忘れてた。

 俺は大馬鹿野郎だと、手で顔を覆う。


 確かに、最近はそんな暇もないくらい忙しかった。

 だが、だからと言って約束をすっぽかしていい理由にはならないだろう。

「あぁ、約束した。リディは怒ってたか?」


「い、いえ。そんな事は無かったですよ?」

「リディは優しいからな。怒ってても、顔には出さない」

「ふ、副隊長が隊長に対して怒るところは、正直想像できないですけど……」


 確かに、俺もリディの怒る顔はあまりイメージできない。

「また、二人でどこかに出かけたら良いんじゃないですか? 僕、お勧めの場所、探しておきますから」


「アズサの言う通りだな。リディとの時間をいつか取ろう。予定も、聞いておかないとな」

「は、はい」


 アズサが、ほっと胸をなでおろした。

「じゃあ、今度は俺から大事な話をする」

 車が進みだしたので横を向くことはできないが、アズサの緊張が伝わってきた。


「それはお前の病気に関することだ」

「な、なんだ。その事だったんですね」

「おいおい、一番大切な話だぞ?」


 なぜか安心しているが、これより重要な話なんてあるわけがない。

「あー、そうだな、なんて言ったらいいか……」

 俺は、言葉を濁すのが苦手だ。


 だからもう、洗いざらい話すことにした。

「これから話すことに、ショックを受けないでくれ」

 今のアズサなら、この事実を受け止めてくれると信じている。


「……はい」

 息を吸い、吐く。

 俺の方が緊張していた。


「アズサは、本当は魔力欠乏症じゃない。誰かに、呪法をかけられたんだ」

「――そう、なんですね」

 アズサは驚愕することなく、静かに頷いた。


「驚かないのか?」

「……なんとなく、そんな気がしてました」

「そう、だったのか」


「最初は、小さな違和感だったんです」

 ――自分の身体と記憶に、ぽっかりと『穴』が空いている。

「でも、その違和感はだんだんと大きくなって、いつしか僕に『恐怖』を与えるようになった」


 ――いったい、何の記憶を忘れてしまったのか。

 ――どうして、その記憶を忘れてしまったのか。

「だから、僕はその恐怖から逃げるために、その違和感すら忘れようとしていた。でも……」


「……でも?」

「僕は思ったんです。もう、逃げなくてもいいんだって」

 声色は、どこか嬉しそうですらあった。


「僕を守ってくれる人がいる。僕を大切に思ってくれる人がいる。だから、たとえ僕を恨む人が居ようとも、僕を憎む人が居ようとも、大好きな人たちがいる限り、悪意を怖がる必要なんて無いと思えたんです」


 その言葉を聞いて、俺は話してよかったと心から思える。

「そうか。じゃあ、もう一つ聞いてほしいんだが――」

 これから長男を探すことを伝えようとしたとき、ちょうど二度目の信号が赤になった。


「今日は運が悪いな……ん?」

 どこからか飛んできた一匹のカラスがボンネットの上に停まり、俺とアズサを交互に見ている。


「な、なんだか珍しいカラスですね」

「いや待て」

 俺は運転席側の窓を開ける。


 するとカラスはそこから車の中に入り、俺の膝の上に乗った。

『アルマ、見つけたぞ』

「でかした!」


「か、カラスが喋った!?」

 俺は喜び、アズサは驚く。

「アズサ。これから、お前の過去を暴きに行く」


「僕の、過去を?」

「それがお前の生き残る唯一の道だ。もし、過去を思い出したくないのなら、ついてこないでくれ。でも俺は、お前に生きてほしい」


「――行きます。隊長と一緒なら、大丈夫です」

 決意に満ち溢れた表情で、アズサは強くうなずいた。

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