第十九話 最悪の場合
「さて、収穫はそれなりにあった」
俺はいつもの軍服に着替えてから病院を出て、徒歩でドクター・フールが居る大学へと歩いて向かっていた。
フールはアズサの主治医をやっている。
なら、アズサの母についても何か知っている可能性があった。
そのあたりに何か秘密が隠れていると、俺は思う。
徒歩で向かっているのは、歩きながら情報を整理したかったからだ。
立ち止まると、思考まで停滞してしまいそうな気がする。
「まず、獅子野トウカの勘違い」
彼は、アズサの魔力欠乏症が妻に感染したと言った。
だがそもそも、アズサはその難病に罹ったわけではなく、誰かに
呪法が誰かに移るなんて、王国にいた時でも聞いたことがない。
アズサが呪法をかけられたあとに発症したのだろうか?
しかし、魔力欠乏症が発症する確率は〇・一パーセントにも満たない。
そんな奇跡的な悲劇は、まずあり得ないと考えていいだろう。
「そして二つ目は、アズサの兄妹」
情報が少ないので何とも言えないが、恨みを抱いている二人が呪法使いと繋がっている可能性はある。
俺は最初そう思ったのだが、順序がおかしいということに気が付いた。
アズサは、呪法を掛けられてから兄妹に恨まれたのだ。
兄妹に恨まれてから、呪法を掛けられたわけではない。
「でも、アズサに恨みを持つ人物なんて、他に誰がいるんだ?」
完全に行き詰ってしまった。初等学校時代にアズサと出会っていた人間を探りたいところだが、アズサ自身にその記憶が無いのだ。
恐らく呪法使いは、自分に繋がる証拠を出来る限り抹消するために、アズサの記憶を消したのだろう。
「兄妹に接触してみるか? でも、アズサのことを直接的に聞くことはできない」
恨んでいる人間について尋ねたところで、何も答えてはくれないだろう。
今回の診察によって得たものは多かったのだが、むしろ分からないことが増えてしまった。
「俺はやっぱり、頭を使うことは向いてない」
だからこそ、フールの知恵を借りようというわけだ。
彼は平日、皇都で最も巨大な病院で医者として働き、休日は学者として大学で研究を行っている。
いったい、いつ休んでいるのか気になるところではあるが、それを聞けばいつもの答えが返ってくることだろう。
「凡人が天才に追いつくためには、これでも足りない」と。
俺からすればフールも天才だと思うのだが、彼はそれを否定する。
いわく、天才と凡人には明確な境界線があるとのことだ。
「――もう着いたな」
考え事をしているうちに早歩きになってしまっていたらしい。
俺は『皇都大学』の正門前で立ち止まり、そこにいた警備員へ声をかけた。
「なぁ、ドクター・フールに会いたいんだが」
「フール教授ですか? 恐らく、今は講義中だと思います。急いでいるのなら、ご案内しますよ?」
警備員は軍服姿の俺を見て、緊急性の高い用事だと思ったようだ。
「いや、講義を止めるほどの事じゃないんだが……まぁ、案内してもらえるか?」
「かしこまりました」
俺の応対をしてくれた警備員は、隣にいた同僚に門の警備を任せ、道案内を始めてくれた。
大学の中は機能的かつシンプルなデザインで、金をかけていないように見えた。
だがこの『皇都大学』には、最新鋭の設備や研究のための施設が揃っており、見た目以上に国の予算を割いていると聞いたことがある。
それは国としては正しい姿なのだろうが、大学を出た者の半分は自らの意思で戦争へ赴く。
国家が行う教育の結果。
国民が持つ皇国への愛国心。
理由は様々あれど、結局のところ『金』が大きな割合を占めているのだろう。
大学を出て防衛軍へ入隊すると、学費が一部免除になるうえに、兵舎への入居手続きが簡単に出来るため、家賃まで浮くのだ。
そして何より、皇国防衛軍の給金は高い。
やっとの思いでこの大学へ入った苦学生などは、当然この制度を利用するだろうし、進路に迷う卒業生たちも、金という見え透いた餌に惹かれてしまう。
「あれもこれも、戦争が悪い」
「ん? どうしました?」
つぶやいた愚痴が、警備員に聞こえていたらしい。
俺は「何でもない」と首を振った。
「それより、もう着きそうか?」
「もう見えてきました……あ、あそこです。あの講義室にフール教授がいると思いますよ」
「ありがとう、助かった」
俺が礼を言うと、「いえ。これも仕事ですから」と彼も軽く頭を下げた。
そして、警備員は去っていった。
「懐かしいな」
大学には一年しか通っていないが、王国にいたころの記憶がよみがえってくる。
あの頃は、今よりも孤独だった。
そう考えると、今はいくらか恵まれているのかもしれない。
俺は過去の情景を思い出しながら、その扉を静かに開けた。
「――では諸君、私が配布した資料の十三ページを見たまえ……」
どうやら講義は終わりに近づいていたようで、上下二枚の黒板が、数式や文字でほとんど埋め尽くされていた。
フールの講義はとても丁寧で、分かりやすく、厳しい。
しかしその根底には優しさがある。
それを学生も分かっているのか、彼の講義はいつも満席なのだという。
フールの美貌に見とれている女生徒が一定数いるのは、仕方のないことだ。
「資料を見てもらおうと思っていたのだが、分かりやすい教材が現れた――アルマ主席、こちらに来てもらえるか?」
「……は?」
なぜか、いきなり教壇に来るようフールに指示された。
生徒全員の目が俺に向く。
「これは魔法についての講義でね。アルマ主席のような例外が居ることを教えておきたかったのだ」
「……分かった。行けばいいんだろ?」
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