第十七話 家族

 俺は病院に精神科医の助手として入り、診察室の奥にある椅子に座って、机に向かって記録を取るふりをしていた。

 マスクを着け、病院の帽子も被っているため、俺の正体がばれることはまず無いだろう。


「次の方、どうぞ」

 外にいる看護師の声が聞こえた。三人目の診察だ。

(やっと来たか)


 俺は医者助手を装い、アズサの父親――獅子野トウカの診療記録カルテが書かれた書類を見ている。

 これらの情報と本人の話を照らし合わせれば、アズサの過去に関する手掛かりが手に入るはずだ。


 そうやって考え込んでいると、診察室の引き戸が開いて、獅子野トウカが入ってきた。

 俺は彼の顔を見て、少し驚く。

(……だいぶ、やつれてるな)


 診療記録カルテにも獅子野トウカの写真は載っていたが、何年か前に撮った写真なのだろう。その時よりもひどい状態だ。

 髪は真っ白、頬はこけており、目の下にはクマが浮かんでいる。


 体の線もかなり細い。

 こんな状態で、軍の書類仕事が出来ているのだろうか。

「こんにちは、トウカさん。最近の調子はどうでしたか?」


 医者が、優しく尋ねる。

「……妻の、墓参りに行きました」

 獅子野トウカの声には覇気がない。


「――そうですか」

 医者も、なんと言っていいか分からない様子だ。

 どうやら、獅子野トウカは毎月、妻が亡くなった日に墓参りをしているらしい。


 そして墓前でいつも「すまない」と何かを謝り続けている。と、診療記録カルテには書かれている。


 決して精神的に良い行動とは言えないが、無理やりその行動を止めるわけにもいかない。

 ゆえに、現状維持を続けているのだそうだ。


「お子さんの調子はどうですか?」

「……長男は皇国軍の【第二部隊】で、長女は皇都大学で元気にしています」

「なるほど、それはよかったです」


(アズサの存在を、意識的に忘れようとしている)

 医者も分かっているのか、それを指摘したりはしない。

「食事や睡眠はとれていますか?」


「いえ……」

「また睡眠薬を出しておきます。ですが一度飲むと六時間は空けないといけないので、注意してくださいね」


「……ありがとうございます」

(表面的な会話ばかり。これじゃあ、何の手掛かりも得られない)

 十年間この病院に通っているはずなのに、決して本心を見せようとしない。


 むしろ、殻に閉じこもって何かを隠しているようにすら見える。

 いくら妻を亡くした人間と言えど、ここまでの心神耗弱しんしんこうじゃく状態になることは少ない。


 彼の妻は、何の因果か【魔力欠乏症】で亡くなっている。

 この辺りに秘密があるのでは?

 そう俺は思っているのだが、探りようがない。


「――最近、何かいいことはありましたか? どんな小さなことでも構いません」

 医者が話を変えた。

 あまり意味のある質問ではない。


 世間話を交えながら、獅子野トウカの心を落ち着かせるのが目的なのだろう。

 だが、彼はその質問に、眉を少しだけ動かした。

「……夢を、見ました」


「夢、ですか?」

「とても……とてもよい夢を見ました」

 彼はぽつぽつと語り始める。


「あれは、入学式の景色でした。春の陽気が私と、妻と、息子たちを包み込み、初等学校へ向かう桜並木を進んでいる」

 その瞳は医者を見ているようで、そのじつ、違うところを見ていた。


「入学式の会場に入って、が名前を呼ばれるのを待つ間、妻も、息子たちも、私も。誰もが笑顔だった」

(頑なに、アズサの名前を呼ばない)


「嬉しそうに喜んで、楽しそうに笑って。私たちは、とても幸せだった」

 獅子野トウカはむなしく空笑いを浮かべたあと、俯いた。

 だんだんと、獅子野トウカの様子がおかしくなってきた。


「だが、そんな景色は長く続かなかった。あの子の病が母にし、長男と長女はあの子を恨んだ」

(ん?)


「トウカさん「私は!」

 医者の言葉すら遮り、声を荒らげる。

「……私は、何もできなかった」


 まるで、懺悔しているかのようだった。

「私は、壊れゆく家族を見ていることしか出来なかった。崩れゆく家庭を眺めることしか出来なかった。なぜなら、私もあの子を恨んでしまったからだ」


「……」

 医者は、言葉を失った。


「一つ、いいか」

 だが、俺が口を開いた。

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