第61話 僕、一区切りみたいです

§


 早朝のバラ園は澄んだ空気で、暑さも和らいでいる。

 西洋風の庭は年期を感じさせるが、よく手入れされていて趣深い。バラは見ごろの時期を過ぎているものの、この時期にも咲く品種がいくつかあるようで、数は少ないながらも可憐な姿を覗かせていた。


 そんな庭をゴシックロリータを着た2人の少女が、一人は凛とした表情ながら危うげな美しさを纏い、もう一人は少し不安そうな表情で儚げに、並び立つ姿はどこか幻想的でもある。


 しかし、そんな二人は男性で、一人が自分の親友だとは信じられない。年齢39歳の立派な成人男性だというのだ。


 きっかけはもう思い出せないが、小学校からの付き合いだ。同じ漫画やアニメの話しで盛り上がったり、休日は彼の家に行き一緒にゲームしたりとまぁ普通の男子らしい過ごし方をしていたと思う。


 もちろん、顔はとんでもなく美形で、ほんとに男か疑ったこともあったが、一緒に旅行に行ったり、温泉に入ったりしているし今では疑う余地もない。


 それが今こうやって目の前で完全に美少女の姿となって澄ましているのを見ると少し見ない間に遠い世界の住人になってしまったようにも思う。


「祐也さん、どうかなさいましたか?」


 隣から婚約者の声。彼女と知り合ったのはたった2日前なのに、今まで彼女すら居た事の無い自分が婚約しているというのもなんだか現実味が薄い。気持ちが浮ついているというのもあるが。


「いや、見事なものだなと。俺の知ってる鈴とは全然違うし、やっぱりプロなんだなって思ってさ。」


 化粧や服の影響もあるだろうが、なんというか、親友の纏っている雰囲気が今まで見たことのないものだった。美少女になりきっているというよりも、モデルの鈴という、年齢も性別も関係ない存在感が確かにある気がする。


「そうですね。私はモデルや撮影に関しては素人ですが、実奈さんや真さんは天性の素質を持っていると言っていました。その素質がどういったものなのかは分かりませんが、モデルをされている鈴さんは、ただ綺麗というだけではない惹き込まれる魅力のようなものをお持ちだと感じます。」

「天職だったってことかなぁ。人生どう転ぶか分からないもんだ。」

「お嫌ですか?」


 言われて彼女の方を見ると目が合う。なんだか見透かされているような、しかし嫌な感じはまったくない。


「嫌じゃないんだが、不思議でさ。付き合いは長いけど、あんな鈴は初めて見たから。それでも鈴は鈴なんだけどさ。」

「そうですか。……私たちも変わってしまうのでしょうか。」


 彼女の表情は読めない。顔に出にくいということではなく、彼女自身も迷っているような。不安か期待か、あるいはもっと別の。


「変わって行くなら、典子さんと二人で良い方に変われるようにしたいよな。」

「ふふ、そうですね。」


 彼女が優しく笑う。初めて会った時の緊張はほぐれたのか、自然に笑ってくれるようになった。これもきっと、「良い方に変わった」ことなんだろう。

 自分はいったいどんな風に変わって行くのだろうか。彼女の笑顔を見ながらふと、そんなことを思った。


§


 ――暑い。


 早朝のバラ園で人も少なく、気温も上がっていない時間帯。ヨーロッパ風の庭園とゴスロリは相性が良いのだろうが、この時間でも暑いものは暑い。


 そもそもこの時期に着る服ではないのは分かっている。ドレスがワンピースタイプとはいえ、結構重ね着するのだ。夏に着たら暑いに決まっているし、今日は生憎の快晴で昇りきってないとはいえ太陽の光を黒いドレスが吸い込んで熱を蓄えている。


 実奈さんから聞いたのだが、グラビアモデルなどは夏前のまだ涼しい時期に水着撮影をすることもあるらしいし、一応ファッションモデルとしてここに居る僕も暑いなどと言っては居られない。仕事なのだからきちんと表情もポーズも作らなければ。


 しかし服の中はじっとりと汗がにじんで、下着が濡れてくる。幸い重ね着のおかげでドレスに汗が滲むようなことはないが、さてどこまで耐えられるだろうか。


「うん、撮りたい絵はほとんど撮れたし、時間も良い頃合いだからこの辺りで終わろうか。」

「は、はい。ありがとうございました。」

「ありがとうございます。」


 空君も白い首筋が赤く上気している。だいぶ蒸されているな。


「お疲れ様、鈴。暑いでしょう。とりあえず水分補給しなさいな。」

「うん。ありがとう。」


 妻からスポーツドリンクのペットボトルを受け取り呷る。空君もつばささんから受け取って口をつけている。


「ふう、生き返るよ。早く着替えたいな。」

「ふふ、それじゃあ車に戻りましょうか。」


 ハンディ扇風機を受け取って顔へ当てる。実に涼しい。出来れば襟も全開にしたいし、なんならスカートの中から風を送りたいくらい。しかし、この時間でもそれなりに人が居て、通り過ぎる人は皆こちらを見ている。これだけ目立つ格好をしているのだから当たり前だ。これでは下手にはしたない真似は出来ない。


「今回の撮影はこれで終わりだよね。後は帰るだけ?」

「そうね。撮影は終わりだけれど、この後の予定はどうだったかしら?典子ちゃん。」

「はい。この後は機材を会社へ送り、車を返却しまして、駅で少し自由時間を取ってあります。その後昼食を摂ってから帰りの電車へ乗ります。切符は購入済みですので乗車の際お渡しします。また、乗り換えの一部は指定席を取ってありますので、そちらへ乗車の際は席へご案内します。」


 案外時間に余裕はあるが、はぐれないように気をつけよう。とにかく今は着替えたい。


「じゃあその後は東京着いたら解散かな?」

「そうなりますね……。」


 祐也の言葉に少し寂しそうな典子さん。


「すぐ解散じゃ味気ないから、東京着いたら別れを惜しんで少し飲んでく?」

「いやいや、俺は明日仕事なんで。」


 ニヤリと笑った実奈さんに、顔の前で手を振る祐也。


「それって大丈夫なの?祐也たちは帰り着くの深夜になっちゃうんじゃ……。」

「あぁ、仕事って言っても夜勤だから帰ったら寝るだけなんだ。明日の夜出勤だからな。」

「でしたら少しだけならお時間も……?」


 そっと祐也の方を見る典子さん。これは、断れないだろう。


「私は良いと思うよ。どうせ私は明日休みだし。」


 早苗さんも雲居さんの方を見ながらそんなことを言う。


「うーん。まぁ俺も典子さんともう少し一緒に居たいし、少しだけなら……。」

「ありがとうございます。」


 典子さんが嬉しそうに笑う。祐也はすでに手綱を握られていそうだ。


「細かいことは帰りながら決めればいいでしょ。とりあえず着替えさせて。」


 ドロワーズと脚の隙間を汗が伝う。靴下はさすがにタイツではなくハイソックスにしているが、ブーツは蒸れている。汗臭くないだろうか。


「鈴と空君が限界みたいだから早い所戻りましょうか。」


 苦笑する妻に連れられて、皆と供に足早に車へと向かった。




 すっかり馴染みとなったいつもの居酒屋。


 東京へ着いてから、とりあえず1時間だけということで結局こうなっている。やっと帰って来たという気持ちと、祐也とこの店に居るという若干の違和感。あるいは家にたどり着いていないゆえ、まだ旅行気分でいる違和感かもしれないが。


「お疲れ、鈴。」

「お疲れ様、祐也。」


 祐也が隣に座る。妻はお手洗いに行っていて、典子さんは実奈さんに絡まれている。


「なんかこうしてるのもすごい久しぶりな気がするなぁ。」

「ふふ、そうだね。3ヵ月くらい前に遊んだ時以来?」

「3ヵ月かぁ。長いような短いような。俺はいつも通りだったからさ、鈴が結婚するってのに驚いて、気づいたらもうそんなに経ってたかって感じだけど。鈴はどうなんだ?いろいろあったんだろ?」

「うん……。」


 確かに、この3ヵ月はいろいろなことがあった。思い出すとなんだか現実味が薄いような気もするが、今の生活に慣れて来たという実感もある。


「まぁ確かにいろいろあったね。結婚して、こっちに引っ越して、仕事が変わって……。友達も増えたし、アニメ見たりゲームしたりはしなくなったなぁ。漫画とか小説は合間にちょこっと読んでるけど。」


 今までは祐也と遊ぶとき以外はほとんど一人の時間だった。勤め先でも親しい人はいなくて休憩時間も一人で過ごしていた。


 それが、結婚してからは、プライベートではほとんど妻と一緒に居るし、仕事の時も常に誰かと話しをしている気がする。


 今回の旅行中も、思い返せば一人でいた時間は無かったと思う。


「なんていうか、今まではけっこう一人の時間が多かったんだけど、最近は常に誰かと一緒って感じでさ。今回の旅行もそうだったし。」

「そうか。実はさ、ちょっと心配してたんだ。ほら、鈴って人見知りだし人付き合い苦手だろ?だから一人で東京へ出て大丈夫なのかって。けど、今回旅行に一緒に行って、安心したよ。奥さんとも良い雰囲気だし、みんなとも上手くやれてるみたいで、お前結構変わったなって。」


 祐也は味わうようにビールを飲む。少し寂しそうに笑う彼は初めて見るようで。


「そんなに変わったかな。まぁ見た目はそうかもしれないけど。」

「はは、確かに見た目はだいぶ変わったな。今も女の子にしか見えないぞ。」

「分かってるけどそれは言わないでよ。」


 そう言って笑い合う。自分にとってはいつもの光景なのに、なんだかずいぶん久しぶりな気がする。それこそ何十年ぶりかのような錯覚。


「いやでも、今の鈴を見てるとさ、楽しそうというか幸せそうというか。良い人に巡り合えたんだなって。」

「そうだねぇ。福ちゃんには本当に感謝してもしきれないくらい。――それで、祐也はどうなの?今回の旅行でさ。」


 聞きつつ、グラスに口を付ける。ここのレモンサワーも飲みなれた気がする。

 祐也は少し驚いたように、少し黙って思案顔。

 僕がグラスから口を話し、カラリと氷の音がする。


「や、自分でも驚いてるけどさ。好きな人と一緒に居るって良いもんなんだなって。だから、鈴には本当に感謝してる。典子さんを紹介してくれてありがとうな。」

「うん。まぁ上手く行ったなら何よりだよ。」


 安堵か、どちらともなく小さく笑う。


 祐也と一緒に居ると、子供のころからの延長で、ずっと変わらない日々が続いているように思ってしまう。

 けれど、きっとこれからは彼と過ごす時間はすごく減っていって……、全てが遠い昔の事のように思えて少し寂しくもある。


 僕が結婚して、祐也もいずれ典子さんと結婚して、お互い離れて行きながらも親友であることは変わらなくて。


 故郷も、親友も、今までの全てが僕の手から離れていって、代わりに妻と新しい日常の中にいて――。

 今日祐也とこうして話て、やっと地に足が付いているのを実感できたというか、一区切りついたような気がした。


「そういえば、鈴。結婚式ってまだだよな?」

「えっ?うん。そうだね。籍は入れてるけど、結婚式はそのうちって、まだ決めてないよ。もちろん決まったら連絡するけど、友人代表なら祐也しか居ないしスピーチとかやってもらわないと。」

「えっ?いや、そういうのは苦手なんだよな。それなら俺の方だって鈴しか居ないぞ。とりあえず東京へどのくらいで引っ越しできるかは分からんけど、少なくとも来年には籍入れて式挙げたいとか話ししてたしな。」

「そっかそっか。なんかふわふわした気分だったけど、いろいろ考えなくっちゃだし忙しくなるなぁ。」

「そうだよなぁ。いろいろ大変になるけど、お互い頑張るしかないよな。」


 苦笑しつつ二人でお酒を呷る。ふと見ると妻が戻ってきた。


「おっと、それじゃ俺は典子さん所戻るか。そんじゃまた連絡するわ。」

「うん。それじゃ、また。」


 親友の背中と妻の顔。今まで感じたことのない安心感に自然と顔がほころんだ。

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