育ちすぎたタマ 〜飼い猫の散歩でダンジョンに来てた俺、うっかり超人気美少女アイドルを絶体絶命のピンチから救って伝説になる~

可換 環

第1話 飼い猫が巨大になっていた

 俺の名前は木天蓼 哲也またたび てつや

 46歳、生涯独身、彼女いない歴=年齢の典型的ダメリーマンだ。


 俺の人生は、大学卒業以降ずっと散々なものだった。

 大学はなんとかギリギリ二流くらいの可も不可もないところに進学できたものの、俺の卒業時期は就職氷河期真っ只中。

 大企業はおろか、地元の中小企業からも一つも内定を得られず、就職先が無いまま社会に放り出された俺は、しばらくフリーター生活を余儀なくされた。


 35歳の時、流石に「このままじゃダメだ」と一念発起して何とか正社員の内定を得たものの、入れた会社は絵に描いたような漆黒のブラック企業。

 年間休日は100日以下、固定残業代付きにもかかわらず月給は額面で二十万以下、上司からは「土日に有休を消化しろ」なんて言われる労働基準法ガン無視のパワハラパラダイスだ。

 そんな会社でも、俺は「職歴ボロボロの俺なんかを拾ってくれた神様だから」と必死でしがみつき、ここまで働き続けてきた。


 今日も退社は終電ギリギリ。

 今、俺は埼玉高速鉄道直通の地下鉄に乗り、東京の南部からさいたま市まで満員電車に揺られているところだ。


 親がとっくの昔に他界し、妻も彼女もいない俺は、現在実家で一人暮らしをしている。

 家賃がかからない分助かるとはいえ、一人で暮らすには広すぎる家に住み、帰って「ただいま」と言っても何の返事も無いのは寂しいものだ。


 だが……こんな俺にも唯一、心の支えにしている存在がいる。

 それが、飼い猫のタマだ。

 タマは俺が高校一年生の時に飼い始めた猫で、もはや御年30歳とギネス記録を軽く超えているのだが、今も俺が帰宅すれば元気いっぱいの姿を見せてくれる。

 タマが死んでしまえば俺も間違いなく後追いで三途の川を渡るってくらいにはメンタルがやられてしまっているので、是非とももっともっと限界を超えて長生きしてほしいものだ。


 今日も家のドアを開けたら、てけてけと廊下をはしってきて、ジャンプして俺の胸元に飛びついて来てくれることだろう。


 そう思い、俺はドアを開けた――の、だが。


「え……?」


 その瞬間――俺はあり得ない光景を目にし、口をあんぐりと開けたまま動けなくなってしまった。



「えっと……。ゆ、夢か……?」


 俺が目にしたのは……俺の身長を超えるほどにまで巨大化したタマの姿だった。

 あり得ない。たった一日で、猫がこんなサイズにまで成長するはずがない。

 というかそもそもこんなドでかい猫が存在するわけがない。

 俺は今、電車内で寝落ちしてしまって夢を見ているのだと確信した。


 すかさず思いっきり頬をつねってみる。


「……イダッ!」


 しかし、夢なら何も感じるはずがないのに、俺の頬には鮮烈な痛みが走った。

 どうやらこれは現実のようだ。

 ……ますますどういうこと?


 困惑しているうちにも、畳みかけるように不思議な現象は続いた。


「にゃ(テツヤ、お帰りだにゃ。今日もよく頑張ったにゃ)」


 タマの鳴き声と同時に、脳内に直接そんな声が響いたのだ。

 初めての現象だったが、なぜか俺はそれがタマの台詞だと確信できた。


 おいおいおい、デカくなっただけじゃなく、テレバシーまで習得したってか?

 最初から理解は追いついてないけど、流石にもう本格的に訳が分からなくなってきたぞ。


「タマ……いったいどうしちゃったんだ?」


 とりあえず開けっぱなしになっていた玄関を閉めつつ、俺はタマにそう尋ねた。


「にゃ〜、にゃにゃ(タマはついにすごーいパワーを手に入れたにゃ。これで、今まで大事にしてくれたテツヤを幸せにしてあげられるにゃ)」


 返事は抽象的すぎて、結局何一つ理解できなかった。

 なんだ、「すごーいパワー」って。

 てかタマは今までずっと癒しの存在だったし、もう既に十二分に俺を幸せにしてくれてるんだけどな……。


 などと思っていると、タマはこう続けた。


「にゃ、ごろにゃ〜ん(どこでもいいから、明日タマをダンジョンに連れて行くにゃ。テツヤにタマのすごーいパワーを披露したいにゃ)」


「え……え?」


 思ってもないタマの提案に、俺は耳を疑った。

 ダンジョン。それはモンスターが大量に発生し、倒すと資源がドロップする不思議な空間のこと。

 ずっとデスクワーク一筋だった俺には縁もゆかりも無いが、世の中には高難易度のダンジョンを回って資源を集め、売却して巨万の富を得る「探索者」なる仕事も存在することはなんとなく知っていた。


 そのダンジョンに、タマは行きたいというのか……。


「悪い、それはダメだ。タマをそんな危険な目に遭わせられない」


 言ってることがようやく頭に入ってきた俺は、即答でお願いを断った。

 ダンジョンは確かに一攫千金の夢がある場所だが、それと同時に、毎年何百人もの探索者が亡くなっている死と隣り合わせの場所でもあるのだ。

 いくら「すごーいパワーを手に入れた」との自己申告があるからって、そんな場所に最愛のペットを連れていけるはずがない。

 これは飼い主として倫理的に当たり前の判断だ。


 が――。


「にゃにゃにゃ! にゃにゃ!(どうしてそんなことを言うにゃ⁉ タマのきゅうきょくパワーを見てくれないなんてひどいにゃ!)」


 思いの外猛抗議されてしまった。


「にゃーん!(テツヤが連れてってくれないなら自力で行くにゃ。今のタマの移動速度はテツヤには止められないにゃ)」


 続けてそんなことまでまくし立てられてしまう始末。


「あー、ごめん分かった分かった。じゃあ行こう」


 こうなると、俺は折れざるを得なかった。

 タマだけを行かせるよりは、俺も同行した方がまだマシだろうからな。

 俺がいても戦闘では全く役に立たないだろうが、危ない局面を判断して「そろそろ引き返そう」くらいは言えるし。


 明日は土曜日で、普段なら出勤日だが、奇しくも今週の土曜日は「有休を計画消化しろ」とのことで休みなので、スケジュール的にも空いてるし。


「にゃ〜(それでこそテツヤにゃ。疲れたまま明日にならないように、今日はもうぐっすり寝るにゃ)」


 俺がダンジョン行きに賛同すると、タマは急にいつもの優しい雰囲気に戻った。

 軽くシャワーを浴びて歯を磨くと、俺はお布団に直行し、タマと一緒に床につく。


 あまりに疲れていたため、俺の意識は一瞬で途切れたが……その直前。

 タマが俺に肉球を翳した際、俺は全身の怠さがすっと消えるような感触を受けた……ような気がした。

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