第32話 triginta unus

 胡桃沢は、本から斎へと視線を移した。

「天弥は、祖父の羽角恭一郎から贈られたと言っていました」

 何かを考え込むように胡桃沢は視線を伏せた。

「そういえば、あの子は成瀬って名乗っておったのぉ」

 再び視線を本へと戻し、胡桃沢は黙り込んでしまった。

 これはどういう事なのかと、斎はいきなりの状況に対し、それらを整理しようとする。先ほどの言動から、胡桃沢が天弥の祖父の羽角恭一郎と知り合いだということは、すぐに理解できた。そして、胡桃沢はあの本を以前にも手にした事があるということも知り得た。本物だとは思えないが、何か訳有りの物なのかも知れない。

「何の因果なのかのぉ……。御神本くんの彼女が、あの時の子供とはのぉ……」

 胡桃沢が小さく呟く。

「んー?」

 呟いた後、何かが引っかかるというような感じで、小首を傾げた。

「あの時の子供は、確か男の子だったはずじゃが?」

 疑問を斎へと投げかける。

「天弥は男です」

 斎の答えに、胡桃沢は納得した表情を浮かべ、軽く頷いた。

「女っ気がまるでない奴と思っておったら、そういう趣味だったとはのぉ」

 納得したような表情を浮かべる胡桃沢に、斎はため息を吐いた。そう思われても仕方がない状況ではあるが、それでも胡桃沢の言葉を否定する。

「俺はノーマルです」

 だが、胡桃沢は斎の抗議にさして興味を示すことなく、再び本を見つめだした。

「それよりも、教授はその本と天弥の事を知っているのですか?」

 あの、自分が心を奪われた天弥の事を知っているのか。もしそうなら、総てを知りたい、そう斎は思う。

「十三年前に、あの子とは何度か会っておる……」

 重い口を開くかのように、胡桃沢が話し始めた。

「とは言っても、あの時と今では別人かもしれんがのぉ……」

「別人?」

 一番知りたいと思う言葉に、斎は反応する。

「別人って、どういうことですか?」

 望む答えを得られるかもしれないと逸る心を抑えながら、本を見つめ続ける胡桃沢に、思わず詰め寄る。

「なぜなのかは知らんのだが、最後に会った時のあの子は、人形のように何も反応しなくなっておったんじゃ」

 言い終わると同時に手にした本を閉じ、斎に向かって差し出した。

「その後、あの子の父親からの手紙には、以前とは別人のようだと書いてあってのぉ」

 斎は差し出された本を受け取る。

「元々の天弥は、どんな子供だったんですか?」

 胡桃沢が言っているのは、自分が知っている、あの天弥なのだろうかと、斎の中に少し期待が持ち上がる。それと同時に、まだ他にも人格がある可能性も浮かぶ。

「恐ろしいぐらいに、聡い子供じゃったのぉ」

 記憶をたどり、胡桃沢は疑問に答える。

「聡い?」

 確かにあの天弥はラテン語を理解していた。聡いという表現はふさわしく思える。だが、胡桃沢が言っているのは、それとは何か別のことのように思えてならない。

「是非しらず、邪正もわかぬこの身なり」

 どこか遠くを見つめるように、胡桃沢が呟いた。

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