第8話

 眠れない。

 スマホを見ると、すでに2時を回っていた。

 眠たい気がしたからベッドに入ったのに、眠れる気配がない。眠ろうとしてから、何回スマホを開いたか分からない。そのおかげか暗い部屋なのにスマホの明るさに目が慣れてしまった。

 意味もなくLINEを開いてみる。未だに勇樹のトークが1番上にきている。

 『今日はありがとうね』『何かあったらまたよろしく』というメッセージの後に親指が立ててあるスタンプが送られてきた。

 勇樹のLINEは初めて会った日に流れで交換した。その日に『よろしく』みたいなやり取りをして以来のLINEだった。

 勇樹はこの家で夕食を食べた後に帰っていった。明日はカレンダーでは休日なのに、仕事があるなんて、所詮は『0』なんだ、と思う。

 お腹が空いてきた。部屋に残っていたグミだけでは、胃は満たされなかった。

 友晴は食欲がない、と言って夕食を食べなかった。本当は家族団らん的な場所にいたくなかっただけだが。

 恵も佳子も友晴が一緒にご飯を食べないことに無関心だった。勇樹だけには「大丈夫?」と声をかけられたが、曖昧に返事だけをして、部屋に戻った。

 喉も渇いている。コンビニに行こうかと思ったが、外は絶対に寒い。今から出るのは億劫でしかない。

 友晴は重たい体を起こした。暖房のおかげで寒くはない。

 部屋の扉をそっと開けて廊下に出る。廊下は流石に真っ暗だ。誰にも気づかれず、キッチンに行けそうだ。いつものように、抜き足差し足で廊下を歩く。

 家の中はシーンとしている。佳子だけでなく、恵も陽菜もいるはずなのに。この世界に一人ぼっちになったみたいだ。

 暗さに目が慣れてくる。リビングの扉は空いたままだ。ここでは陽菜が寝ているはずだから、より慎重にならなければならない。何で恵の寝る部屋に陽菜用のベッドを置かなかったのか、とため息が出てくる。

 ダイニングテーブルがあるところに辿り着くと、友晴はテーブルに手をそっと置いてぶつからないように体との距離を測った。

 手の位置を変えると、何かが手に当たった。硬くてツルっとしている。友晴はその当たった物をしっかり触ってみる。

 スマホだ。友晴は自分のポケットを触るが、ちゃんとスマホが入っている。

 手に触れたスマホを手に取り、画面を開いてみる。暗さに目が慣れてしまったせいで、想像以上のまぶしさを感じ、思わずスマホを落としそうになるのを友晴はなんとかこらえた。

 友晴は目を細めてスマホを見る。壁紙には赤ちゃんの写真が設定されていた。頭上には『0』が浮かんでいる。優秀なスマホは顔認証で持ち主と違うと判断すると、すぐにパスコードを求めてきた。

 これは恵のスマホだ。壁紙に設定されていたのは陽菜だ。勝手に恵のスマホを触ったことがバレたら嫌なので、友晴はテーブルの上に置き直す。だが、友晴の手が恵のスマホから離れてくれない。

 ふつふつと芽生えてくる何かがある。童心に帰っていくような感覚。ダメだ、見つかれば終わり。すでにバレそうなのに。でも、こんなチャンスは二度と来ない。いや、こんなことをして意味があるのか。でも、もしかしたら、弱みを握れるかもしれない。もう大きな顔をされなくなるかもしれない。

 心臓が高鳴る。この音で陽菜が起きてしまう気がする。

 ふと、武や勇樹の言葉を思い出す。恵が夜中にスマホを鬼の形相で見ている理由を知りたがっていたのは、勇樹だ。

 友晴は自分に言い聞かせた。これは調査なのだと。勇樹の為にもここは悪役になってやろう。大丈夫。自分は『100』なのだ。『100』である自分が、何の才能も無い可哀そうな『0』のために動いてやるだけだ。人を使うばかりで、自分では何も解決できない、ヘタレのために見てみるだけだ。

 友晴はもう一度恵のスマホを顔の前に持っていく。一度顔認証で弾いたスマホは頑なにパスコードを求める。6桁の数字だ。友晴は最初に恵の生まれ年の下二桁と誕生日を入れた。恵のスマホは開いてくれない。何回かパスコードを間違えると一定時間ロックされてしまうから、気をつけねばならない。

 友晴は陽菜の生まれ年の下二桁と誕生日を入れた。すると、あっさり開いた。陽菜が産まれて以降、わざわざパスコードを変えたようだ。

 親バカすぎる。

 スマホを開くと、ホーム画面も陽菜の写真が設定されていた。

 画面にはLINEやInstagram、Safariなどのアプリが整然と並んでいる。おそらくよく使うアプリを並べているのだろう。

 右下を見ると真っ白なアプリがあった。アプリ名には『リセマラ』と書いてある。

 見たことがないアプリだ。友晴は自分のスマホのアプリストアを開いて、検索欄に『リセマラ』と入れてみる。しかし、今人気のゲームアプリがばかりが並び、恵のスマホにあるアプリは出てこない。勤めている会社専用のアプリなのかもしれない。

 友晴は恐る恐る『リセマラ』と書かれてあるアプリをタッチしてみる。すると、真っ白な画面が出てきた。フリーズしたかと思ったら、『リセマラ』『才能を選びましょう』と黄色の文字が浮かび上がってきた。更には、『スタート』と赤字で出てくる。

 ゲームアプリのように見えるが、そういう雰囲気でもないような気がする。

 友晴は『スタート』を押してみる。すると、読み込みを始めた。オンラインでないといけないアプリのようだ。恵のスマホの左上を確認すると、Wi-Fiのアンテナが立っているので、安堵した。

 読み込みが終わると、写真が出てきた。赤ちゃんの写真だ。赤ちゃんの頭上には『42』と表示されている。そして、その『42』に重なってもう一つ『42』が浮かんで見える。友晴にいつも見えている頭上の数字とアプリに表示されている数字が丁度重なっている。

 鳥肌が立つのを感じる。友晴にしか見えていないはずの数字と同じ数字が表示されているのは、偶々か。

 静寂が不気味さを更に際立たせる。

 不意に陽菜の存在が気になった。部屋に入ってから、陽菜の気配を感じていない。

 友晴は陽菜のベッドの方を見る。本当にそこにいるのか、分からないくらい静かに眠っている。そっとベッドに近づいてみると、確かにそこには陽菜はいた。近くに寄ると寝息がようやく聞こえてきた。

 友晴は陽菜を起こさないように細心の注意を払いながら、顔が見えるようにスマホのライトをつけてみた。

 背筋が凍る。幽霊なんてものを信じていないが、得体の知れないものを見た時はこうなるのかもしれない。鳥肌がおさまってくれない。部屋は暖房で十分暖かいはずなのに、体温が下がっていくのを感じる。

 明かりに照らされた陽菜の顔を何秒眺めていただろうか。陽菜の頭上には『42』が浮かび続けている。

 陽菜は気持ちよさそうな表情で眠っている。不気味なくらいに起きる気配がない。

 友晴は恵のスマホになんとか視線を戻した。スマホにも依然として、『42』が表示されている赤ちゃんの写真が映っている。

 数字が同じだ。同じだけであるはずなのに、心臓の鼓動は早いままだ。

 動こうとしない脳みそを何とか動かす。すると、ある記憶が蘇ってきた。それと同時にとんでもない違和感が友晴を包んだ。

 陽菜が産まれたばかりの頃、陽菜の頭上に浮かんでいたのは『0』だ。それなのに、何で『42』なんだ。

 友晴は陽菜の顔を凝視する。すると、陽菜の左目元の黒子が気になった。そういえば、勇樹のお母さんがその黒子を褒めていた。

 友晴は恵のスマホに写っている赤ちゃんをもう一度見る。写真の赤ちゃんの左目元にも黒子がある。

 友晴は陽菜と写真の間で何度も視線を交互に移した。

 同じ顔だ。黒子の位置も目や鼻の形も。この写真は陽菜の写真なのだ。

 何かの間違いではないかと陽菜の顔をまじまじ見る。起こさないようにとか気にしていられない。

 見れば見るほど、写真の赤ちゃんは陽菜だ。

 それなら、病院で見た陽菜の数字は見間違いだったのか。いや、そんなはずはない。当時はしっかり見たうえで、喜びがこみ上げてきたのだ。

 友晴は深呼吸して、自分のスマホのインカメラで自身の頭上を写す。変わらず『100』が浮かんでいたので、ホッとする。

 ネット上の様々な写真や映像で検証したのだ。そして、必ず同じ人物なら同じ数字だった。この状況は何かの間違いに違いない。

 でも、何故だろう。赤ちゃんの数字が違うという感覚に既視感がある。

 家の中は相変わらずシンとしている。目を離したら陽菜がいなくなっているのではないか、と思ってしまう。

 陽菜の頭上には何度見ても『42』が浮いている。

 やはりこの写真が陽菜ではないのか。でも、同じ位置に黒子がある。目や口の形だって見れば見るほど同じにしか見えない。目元だって、勇樹に似ている気がしてきた。

 友晴は『リセマラ』を閉じてホーム画面に戻ってみた。陽菜の写真が映し出されたままだ。

 この写真の頭上には『0』が浮かんでいる。

 意味が分からない。

 確かによく考えたら、最初にスマホを開いたときには何の違和感も抱かなかった。それは、病院で見た通り、陽菜の写真の頭上には『0』が浮かんでいたからだ。

 『リセマラ』のアプリに戻る。こちらの写真は『42』だ。

 アプリとホーム画面の写真を見比べていると、この既視感の正体が脳裏に浮かんできた。

 武の子だ。2枚の写真で違う数字だった。その時は気のせいだと思ったが、そうではなかったのだ。

 でも、何故だ。

 X、Instagram、YouTubeと様々な媒体を見たが、違う写真でも同一人物なら数字も同じだった。子役が成長した後も見たが、数字は一緒だった。 

 友晴はもう一度自身のスマホで頭上の『100』を確認する。少し焦燥感が落ち着いた気がした。それと同時に思いついたことがある。

 自分が赤ちゃんだった頃はどうだ。

 友晴はリビングにアルバムが入っている棚があることを思い出す。友晴が産まれた頃はまだスマホは愚かデジカメも普及していなかった。写真が現物として残っている最後の方の世代だろう。

 友晴はスマホのライトで棚がある方を照らし、そっとそちらに近づいた。木の棚だからか戸を開けると軋む音がした。陽菜のほうを軽く見たが、何も反応がない。

 アルバムの背表紙には年数が書いてある。友晴は自分が産まれた年のアルバムを手に取った。

 赤ちゃんの頃は良かった、とふと思ってしまう。何も考えずに与えられたものを享受するだけで十分だった。何もできないことが当たり前で、何者でもなくても良かった。でも、義務教育が始まる頃には有能に見える奴だけが評価されていく。そこからは大人になるまでずっとそうだ。『0』に近い奴は皆、環境や有能に見せるのが上手だっただけなのだ。

 アルバムの最初のページを開いてみると、赤ちゃんの写真が早速出てきた。写真に記載されている日付を見るに確実に友晴だ。何より友晴のまだ生え揃っていない髪の上に『100』とある。

 やっぱり何かの間違いなのだ。同じ人間なら同じ数字が浮かぶことに例外はないのだ。

 写真の中の友晴が可能性に満ち溢れた笑顔に見えてくる。

 友晴はアルバムのページを進める。すると、あることに気が付いた。写真の日付が戻っていっている。心なしか友晴も小さくなっている。どうやら時系列が逆になっているようだった。

 佳子の雑さが嫌になる。才能がない奴はこれだから仕方がない。

 友晴はアルバムを逆側からめくってみる。最初は恵とお腹が大きい佳子の写真だった。どちらも今と同じ数字を頭上に浮かべている。

 ページをめくると産まれたばかりの赤ちゃんがいた。日付が友晴の誕生日なので、きっと友晴のはずだが、何かがおかしい。自分ではないのか。いや、そんなはずはない。

 頭上の数字が『100』ではなく、『0』になっている。

 他の自分の新生児時代の写真を見てみる。頭上に浮かんでいるのは全て『0』だ。

 友晴は自分のスマホのインカメラで再度自身を映す。間違いなく『100』だ。

 更にページを進めると、ある日を境に頭上の数字が『100』になった。ページを戻ってもう一度見るとやはり前は『0』だ。『0』が急に『100』になっている。

 ページを進めると残りの友晴は全て頭上に『100』を浮かべていた。

 心なしか『100』の友晴を抱っこしている佳子の顔が浮かない。友晴の頭上の数字が『100』になった直後はがっかりしたような表情に見える。『100』になって以降は写真の枚数も激減している。

 新生児は『0』なのか。SNSで新生児の写真はなかったということか。

 今度は恵が産まれたばかりの頃のアルバムを見てみた。恵も新生児の写真は『0』だったが、途中で急に『8』に変わった。『8』に変わったときの佳子の表情は明るかった。

 陽菜は寝息が聞こえてこない。静かすぎて気味が悪い。

 何故だ。『100』のほうがいいはずだ。それなのに佳子の表情は暗い。そもそも佳子は知らないはずだ。人間の頭上に才能度数が浮かんでいることを知っているのは、自分だけだ。

 頭がうまく働かない。目はすっかり覚めているのに。

 友晴はもう一度リセマラのアプリを見る。すると、下にもスクロールできそうなことに気が付いた。友晴は指を下から上に動かしスクロールをしてみる。

 しばらくは白い画面ばかりだったが、急に横向きの棒グラフが出てきた。各棒グラフの左横には『頭』『身体』などと書いてある。更にスクロールすると赤文字で『特記事項』とあり、『音楽(クラシック)』と書いてある。

「なんだこれ」と友晴は思わず呟いてしまう。

 棒グラフは、まるでゲームの能力値みたいだ。特記事項は特別スキルみたいに見えてくる。

「人のスマホを見て楽しい?」

 心臓が飛び出た。いや、飛び出てはいない。自分が声を出してしまったのかも分からない。リビングは静寂に包まれている。

 声がした方にスマホのライトを当てると、そこには眩しさに驚きもしない恵が仁王立ちしていた。 

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