第45話 これまでと、これからと

「かくして戦乱は終わり、皆は穏やかな日常に戻り領主は平和を享受しましたとさ……」


 所はフィンブルの城上階、本来はステラが日々の仕事を片付けるための執務室。

 天に昇っていく太陽に照らされるフィンブルの町を眺めながら、シュニーはしみじみと呟く。

 今シュニーが座っている机は、窓を開けておけば頭を上げるだけで町の景色と民たちの日常を眺めることができた。


 本日の天気は珍しく一面の晴れである。

 今日この日くらいは、と聖神様が慈悲を見せてくれたのだろうか。

 その空の下では、人々がそれぞれやるべき行いに精を出していた。

 大人も子供も混じった領民たちが、崩れた町を復興させるため一丸となっている。

 ある者は雑多に散らばってしまった物を片付け、またある者は住居の修理もしくは解体を。少し早めの昼食に向けた炊き出しを行っている者もいる。


 作業が始まったばかりの町はまだ嵐が過ぎ去ったかのように荒れているが、そこには確かにこれまで以上に明るい人々の営みがあった。

 シュニーの独り言通り、極北の民たちの新たな一日は穏やかに過ぎていく。


「ぼんやりしている場合ではありませんよお坊ちゃま、追加のお仕事です。30件ほどありますね」

「……となればよかったのだがねぇ!」


 だが領主は別だった。

 無慈悲な執事の報告と共に、紙と木板がどさどさと積み上げられていく。

 同時に発せられた怨嗟の叫びは、広い執務室に虚しく響いた。

 ただでさえ資料で埋まっていた机はもう、逆側から見ればシュニーの姿が見えなくなる程だ。

 

 瞳から命の輝きが失われつつあるシュニーだったが、それでもどうにか資料を手に取って確認する。

 大人たちが滞在している事により増えた食料消費量の推定に、新しく建物を建てるための土地利用や城の倉庫からの貸し出しに対する許可申請。

 いずれも戦後処理に関連した内容だ。

 

『臣は戦前に戦い、兵は戦時に戦い、王は戦後に戦う』とはどこで見た格言だっただろうか。

 当時はそんなわけがないと鼻で笑ったような気がするが、今は全く笑えなかった。


「命拾いしたのに早速死にかけてんじゃねぇか」

「あの……シュニー様? 大丈夫ですか?」

 

 そんなシュニーの危機的状況に応えたのか応えていないのか、二人分の声が聞こえた。



「やあふたりとも。入ってくれて構わないよ」


 机に突っ伏しかけていたシュニーは顔を上げ、セバスが扉を開けふたりの客人を迎え入れる。

 赤髪の少年と少しほつれてしまったドレスの少女は、隣り合って並んでいた。

 警戒心から少年が前に立つわけでもなく、奴隷として後ろに立つわけでもなく。


「呼び出して悪かったね。キミたち……というかステラに聞きたいことがあってね」

「私ですか……?」


 別に偶然ふたりが遊びに来たというわけではない。これは事前に予定されていた訪問だ。 

 ステラとラズワルド、フィンブルの町を独立させたふたり。

 今後の領地運営の一環として、彼女たちに確認すべき内容があったのだ。


「さて、ステラ。キミは以前よりボクに代わってこの地を治める権利を望んでいたね」

「……はい」


 シュニーが問うたのは、ステラの意向だった。

 ステラとラズワルドによる、領主の地位を簒奪せんとする目論み。

 フィンブルの町を巡る一連の騒動とシュニーの関わりは、ここから始まったと言える。


「正直に答えてくれ。今もそう思っているかい?」


 それから幾度も状況が転じて現在に至って、改めてシュニーは確認する。

 意思は変わっていないだろうか? と。


「……思いません」

「そうか」


 逡巡の後、ステラは力なく首を横に振った。

 対するシュニーもまた、どこか含むものがある態度で頷く。


「少々意外だったが、それならこの話はここまでだね。時間を取らせて悪かった」


 シュニーが確認したかったのはそれだけだった。

 ステラの回答が否、であったなら、この話に続きは無い。


「いや勘違いしてんじゃねえか?」


 そこで、今まで黙っていたラズワルドが会話に入った。


「うん? 勘違いかい?」

「ステラ、なんでそう思わなくなったんだ?」


 シュニーの疑問に答える代わりとして、ラズワルドはステラへと尋ねる。


「あ、えっと……。シュニー様がちゃんとここの皆のことまで考えて領主様として頑張ってくれるってわかったので。もう成り代わってやるー! なんて思いません」


 ステラとしてはこの状況、罪人として過ちを問われているような感覚だった。

 彼女が帝国の統治に逆らうという大それた真似をしてのけたのは、信用ならない支配者からフィンブルの皆を守るためだ。

 シュニーがフィンブルを見捨てずに守り抜くという姿勢を見せた以上、もう気を張る必要は無い。

 故に、偽りなく今の考えを述べた。


「えっ、民を纏める立場なんてもううんざりだとかまたいつ連れ去られるか怖くて嫌になったとか、そんな理由じゃなくてかい?」

「えっ」


 なのでここで両者の誤解がひとつ。


「んで、シュニー。なんでステラにまだ領主やりてぇか、なんて聞いたんだ?」


 目を丸くしているステラに対してはノーコメントで、ラズワルドの質問はシュニーへと。


「うん? これからもフィンブルの長として努めてもらえるかの確認に決まっているだろう?」


 何を疑問に思う箇所があるのか、とでも言いたげにシュニーが答える。

 こうしてステラを呼び出したのは、自分の意向を伝えるためだった。

 呼び出したからには当然、ステラも予想が付いているだろうと早々に話を切り出した。


「えっ? まだ逆らおうとしてるか確認したかったんじゃなくてですか?」

「えっ」


 なのでここで両者の誤解がもうひとつ。


「……テメェらなぁ」


 深いため息と共に、目を手で覆うラズワルド。

 全く成長していない……とでも言いたげである。

 ふたりとも絶妙に察しが悪いし、相手の察しの悪さに気付けていない。

 大きな誤解が生じているのに最初から気付いていたのは、この場で彼だけであった。


「あ、あのっ。これからも私にって……それは……」

「言葉通りだとも。これからも、今までのようにキミにこの地を纏めてほしい。承ってくれるかい?」


 誤解のまま終わりそうだった会話は無事修正され、正しい意図へと戻ってくる。


「……申し出、とっても嬉しいです」

「それは何よりだ! であれば……」


 シュニーの声は弾んでいた。

 フィンブルの町は引き続きステラに取り仕切ってもらう。

 体制としてはこれまでと何も変わっていないように見えて、そこには以前なかったステラたちからの信頼があり。ステラたちには気を張り詰めなくていい安心がある。

 これこそが遠回りしてでもシュニーが求めた、ささやかな報酬であり望んでいた結末だった。


「でもごめんなさい、辞退させていただきます」

「な……何故? キミが遠慮する理由はないだろう?」


 しかし、そう簡単に事は済まないようだった。

 ステラが身を退く理由は無いはずだ。

 為政者の重責だとか標的にされる恐怖だとか、シュニーが想像していたような理由ではないのは本人が先ほど語ってくれたばかりである。


「今回の事ですけど……私がもっとしっかりできていたら、みんなが怪我せずに済んだかもしれません……」

「……ああ」


 不可解だったその理由を聞いて、シュニーは目を細めた。

 たしかに頭ごなしに否定できない事実なのかもしれない。

 対談の時にもっと強く出ていられたら、というように彼女の失態といえる箇所はシュニーにも挙げられた。

 己が力不足だったから、彼女は皆を率いる資格なんてないのだと己を罰している。


「だから、この地とみんなはシュニー様に守っていただいた方がいいんです。私は領民のひとりとして、ラズくんといっしょに応援してますっ!」


 ステラの微笑みからは信頼と諦観が感じられて、シュニーは言葉に詰まる。

 自分では力が足りないからという諦観。その感情には思い当たる節があった。


「では、領主として領民にひとつ意見を聞きたい。それくらいは構わないだろう?」

「もちろんです。私に答えられるかはわからないですけど……」


 シュニーはその諦観を「そんなのは嫌だ」と無理矢理に乗り越えたが、きっと誰しもがそうできるわけではないだろう。

 何よりシュニーはあの時、心の奥底で諦めたくないと思っていたのだ。

 今のステラにフィンブルの長という地位を望む強い願望があるのかどうかは、彼女本人にしかわからない。

 だったら、望んでもいない地位を押し付けるわけにはいかないだろうと考えている。

 ラズワルドの方をちらりと見てみても、ただ無言だった。ステラの意思を尊重しようというのだろう。


「この町のいい所について、教えてほしいな」

「いいところ、ですか……?」


 残念ではあるが、本人が辞退するのなら無理に引き留めるのもよくない。

 代わりにシュニーは、ステラへと今後についての助言を求める。


「この地をこのまま存続させるには、それに足る理由が求められてね。キミはどう考える?」


 シュニーがわざわざガウルとの決闘などという解決策を用いた理由、フィンブルの町の存続については未だ確定していない。

 今行われている復興作業も、ひとまずの住居を確保するためだ。

 決して潤沢ではない領地のリソースを割いてまで、領地の中心といえるスノールトから距離のあるこの町を維持する必要がどこにあるのか?

 これについて、近い内に領民との話し合いが設けられる予定であった。

 シュニーは自分なりの理屈を持っていたものの、確実とまでは言い難い。

 だから誰よりもこの町に詳しいだろうステラに意見を仰ぎたかったのだ。 


「えっと……まずは、そちらの町と比べて大きな川が近いです。お魚をもっと獲れるようにすれば、ご飯の足しになるんじゃないかと思います。まあまあ綺麗なお水もたくさん用意できるので、それが必要なお仕事はやりやすいかなと」

「山では、蛍鉱が取れるところがあるんです。私たちはそのまま使うだけしかできませんでしたが……ちゃんと加工できれば、便利だと思います」


 恐る恐るといった態度で、ステラは説明を始める。

 きちんとした実利が提示されている、シュニーが助言を望んだとおりの町を残すに足る根拠だった。


「……それは、キミが考えたのかい?」

「はい。この町をどうやったらもっとよくできるかって、ずっと考えてました」

「そうか……ありがろう、参考になるよ」


 やはり、ステラにこの町を任せられないのは残念に思う。

 けれど、致し方ないのだとシュニーは己を納得させ──


「あとは……そう! 皆、すごく元気でいい子なんです! 毎日これからもよくしていこうって頑張ってました! この町は、きっともっと大きくなります! そうなるって信じてます!」


──ようとした瞬間に、怒涛のように言葉が浴びせられた。

 ただの感想めいた、この町への思いの丈をステラは連ねていく。


「だからシュニー様、どうかこの町を、ここの子たちをお願いします!」


 先のように、他人を説得する材料になるような利益の提示ではない。

 大人たちを説得する役には何も立ちそうもない、しかしステラがこの地と民を慈しみ愛した何よりの証だった。


「よし領主として任命する! ステラ、キミがこの町の管理者だ! 謹んで受取りたまえ!」

「えぇっ!?」


 それが最後の一押しになって、シュニーは決めた。

 相手の遠慮など関係ない。というか遠慮しているだけならば、ただただ己の感情を押し通そうと。


「で、でも! 私は……!」

「でもじゃない! ボクを働きすぎで殺すつもりかい!? 今ボクがやっているのは本来誰の仕事だと思っているんだ!」

「あっ、あぅ……それは、そのっ……! お手伝いならいくらでも……!」

「いいやダメだね! これは領地の方向性を決定する為政者の執務だ! 信頼できる地位の臣下以外にはとても任せられない! あぁボクの名代としてこの町を治めてくれる者でもいれば助かるのだが!」


 他人想いの少女に付け込むように、自分勝手で卑怯な理由を重ねてシュニーは己の意思を貫く。


「それだったら、もっと頼れる人が……!」

「ああ、頼れる臣下に任せようじゃないか。そしてフィンブルの長として最も頼れるのは、誰よりも皆のことを考えてより良い今後を目指しているキミだ! 今さら放り出させなどしないからな!」


 ああそうだ、自分たちに与えられた褒賞が十分ではないのだとシュニーは気付く。

 自分もラズワルドも不合理で遠回りな選択をしてせっかく現状にたどり着いたというのに、肝心のステラに遠慮され辞退されてしまっては、ここまでやった甲斐がない。


「だから、今までボクの民を保護していた褒美としてこの土地をくれてやる。まさか断るなんて言わないだろう?」


 それに、褒賞といえば自分たちだけではない。

 幼い領民たちの安全を確保し、今まで率いてくれていたステラにも相応の見返りがあって然るべきだ。


「……本当に、いいんですか?」

「これはキミたちへの慈悲などではなくて、ボクの望みだよ。ボクの理想とする領地の未来には、キミたちの治めるフィンブルの町が欲しい。頼まれてくれるかい?」


 それから、シュニーははっきりと己の意思を伝えた。

 建前がある。わざわざ今さら言葉にする必要もないだろうとも思う。

 けれど、思いはきちんと言わねばきっと伝わらないのだ。

 そう、此度の学びをシュニーは改めて生かしていくのだった。


―――


「シュニー様。私のことをお話しさせてください」

「……ああ。聞かせてくれたまえ」


 ステラは、シュニーの望みに是とも否とも返さない。

 代わりに彼女は、とある話を始める。


「私は浅ましい人間です。周りの人が幸せなら私が嬉しくなるから、人に優しくしたいんです」


 それはかつてラズワルドにも話した、彼女自身の底だ。


「でも、私じゃ皆さんを幸せにしてあげられないから、シュニー様にぜんぶ任せようと思いました」


 誰かを想いやって何かをする。

 ステラにとってその行いは、他者の為であると同時に自分の内にあるものを満たす為だった。

 けれど彼女はそれを手放そうとした。


「本当は、悔しかったんです。この町が、ここの子たちが好きだったから……。望んでもらえるなら、私じゃだめだからって一回引き下がろうとしたのも忘れて飛びついちゃうくらい」


 手放そうとして、でも未練が残って捨てきれなかった。

 叶うなら自分の手で、皆を助けられたらいいと願った。


「そ、それに……一つの町を立派に治められる人になれたら、隣に立っていても……恥ずかしくないかもとか……思っちゃったり……」


 加えて、昔からの人助けだけじゃなくて、追加の理由もある。こちらはもっと私的だ。

 隣で自分の独白を見守ってくれている少年をちらりと見て、すぐに向き直る。

 羞恥で顔が熱っぽくなるのも厭わずに、ステラは己の内を包み隠さず打ち明ける。 


「こんな勝手な人間を、それでもシュニー様は取り立ててくださるのですか?」


 きっとまだ、自信は持てていない。足りない部分が沢山あるともわかっている。

 それでも自分の為の目的があるから、皆の前に立ちたい。

 目の前の領主と同じく、まだまだなのに我儘な未熟者だった。


「勿論だとも。キミがそう望んで、ボクもラズワルドも、ここの皆も望んでいる。これ以上何も必要ないだろう?」


「……はい。よろしくお願いします!」


 けれど、それでもと言える第一歩を少女は踏み出した。

 皆の為に、より良いこれからを作りたいと心から願える。

 フィンブルの姫君は、誰かのために頑張れる人なのだ。


―――


「ふふ、これからも領地の為ボクの為励んでくれ。頼りないがラズワルドもいるしね」

「誰に言ってんだ、あぁ?」

「う、腕っぷしに訴えかけてくるのはやめろ! ステラ、早速の仕事だ! この乱暴者を止めてくれたまえよ!」

「もう! ラズくんもシュニー様も喧嘩しないでください!」


 こうして、フィンブルの指導者は改めて決定した。

 領地の上層部とその護衛とは思えない緩い空気の中、三人は改めてそれぞれの仕事に向き合おうとする。


「姫様、兄ィ、ああこの際シュニーでもいいや! 助けてくれぇ!」


 きっと、そんな騒がしさに引き寄せられたのだろう。

 ただでさえごちゃごちゃとした部屋の空気に、割って入る叫びがあった。


「どうしたんだいラルバ、急に……」

「こいつら元気すぎんだよ! ちょっと遊び相手してやってくれ! ケガ人にはきつい!」


 シュニーとラズワルドが争う中の乱入者。

 いつかもあったような事態にシュニーが反応すると、そこには何やら人間の塊が。


「なぁラルバ―、この人たちダレだ?」

「お偉いさん!」

「あっにいちゃ! おけがはだいじょうぶ?」


 シュニーにとっても馴染みある彼、ラルバの腰には年少の子供たちが三人、ぴったりとくっついている。

 斬新なファッションなのかと勘違いしそうな密着具合だ。


「キミたちね、部屋に入る時はまず──」

「偉い人! 偉い人なんだな! はじめまして!」


 自由過ぎる態度を咎めようとして、シュニーは言葉を止めた。

 その子供たちのひとりは、挨拶の通りシュニーの知らない顔だった。


「……ああ、はじめまして。このシュニー・フランツ・フォン・スノールトの顔を覚えておくのだよ」


 顔を見て、さらにその上を見て、シュニーは思わず小さな笑みを零す。

 その子供の頭には、犬のような灰色の耳がぴこぴこと動いていた。


「よし行けシュニー。ステラとか執事さんが出るまでもねぇ」

「優先順位おかしくないかね!? セバスくらいはこっちに来るだろう!?」

「いえ、お坊ちゃまの館を掃除するお仕事がありますので帰らせていただきます」

「おのれこの裏切り執事!」

「がんばってください、シュニー様……!」

「優しく見捨てられた……!」


 執事と初めての友人兼臣下たちに見捨てられ、シュニーは歯噛みする。

 同時に、まあ仕方ないかとも納得しながら。

 自分の身勝手を通したなら、また自分も他人の身勝手に付き合う羽目になるのだと。


「ぐ……どうしてこのボクが子守りなんぞ……」

「……あそんでくれないの?」

「偉い人も大した事ねぇなー」

「ええい、何を言うか! ボクの寛大さに感謝したまえよキミ達!」


 領民たちに手を引かれ振り回され、シュニーは外に引っ張り出されていく。

 穏やかで騒々しい、領地の朝が始まる。

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