第40話 ウサギたちは春を目指す

 足跡一つ付いていない真っ白な街と、一軒だけ店を開けている服飾屋。

 それが陽が登り始める時刻における、スノールト領唯一の大通りの日常風景だ。


「石、だいたい片付けた……!」

「よし、ソリから下ろしてくれ! みんなもうちょっと我慢してな!」

「ケガしてなくても調子悪いヤツは無理すんなよ!」


 昨日までは、そうだった。

 毎日早朝の街を観察している奇特な人間がいたとすれば、今日は驚きで卒倒していたかもしれない。


「お、おい……なんであの子らが」


 その朝は、普段とは明らかに様子が違ったのだ。

  廃材とボロ布で組んだ即席の担架で、次々と子供たちが運び込まれてくる。

 担架を運んでいる子供たちにもひとつとして笑顔はなく、疲労し憔悴している様子が見て取れた。


 敗軍の帰還を思わせる光景に、領民たちの反応は様々だった。

 立ち込める不穏な空気に、一体何が起こったのかと窓から顔を出し様子を伺う。

 これは噂話のタネでは済まない事態だと察して、すぐに飛び出した者もいた。


「リュード!」

「ああ、なんてこと……!」


 中には帰って来た子供たちの内に己が子の姿を見つけ、我慢できず駆け寄る者も何人か。

 しかし、大多数は少し離れた場所から不安そうな様子で見守るに留まった。


「……」


 子供たちを先導している人物の赤髪を見て、立ち止まってしまったからだ。

 表情に微かな不満を浮かべている彼、ラズワルドの佇まいが大人たちを牽制している。


「ラズワルド」

「……わかってんだろ」


 ラズワルドの隣に立つ少年が、控えめながらも窘めるように彼を呼んだ。

 対する返答に込められた感情を、この場に居る人間はそれぞれの形で解釈する。


 大人の何人かが、思わず目を伏せる。歯を噛みしめる者もいた。

 ラズワルドの言葉は少年に対してのものだ。

 しかし同時に、それはスノールトの大人たちに向けられたも同然であった。

 

 自分はお前達を許してなどいない。このような何らかの非常事態が起こり子供たちが傷付いていてなお、お前達を信用し身を預けようなどとは思わない。

 自分たちをあの時見捨てておいて、今更都合よく構おうなどと虫がいいんじゃないか。

 そのような、スノールトの民に対する不信と怒り。彼のひりついた感情が壁のように皆を遮り、ごく一部を除いた大人たちを子に寄せ付けない。


「ああ。今はここに皆を運び込むのに同意してくれただけで十分だとも」


 だというのなか、ラズワルドの憤りを最も間近で直接的に受けた少年は、呆れたように肩をすくめるだけだった。


「ここからは、ボクの仕事だ」


 そして。


「集った皆。手を止めずに手当てを優先して、だが話は聞いてくれたまえ」


 不安に満ちた喧噪の中で、明瞭な声がひとつだけ響く。

 その主は、ラズワルドと言葉を交わしていた少年だった。


「ボクはシュニー。シュニー・フランツ・フォン・スノールト。この名が意味するところは言わずとも……いや、はっきりさせておこうか。この地の新しい領主だ」


 名と立場を名乗った少年に視線が集中する。

 領主。彼が自称した地位に対して、微かな沈黙の後に再び囁き声が聞こえ出す。


 単純に、こんな少年が領主とは一体どういうわけだという困惑。

 先代領主の行いに対する不満や憎悪。

 領主としてのシュニーを知る数少ない領民による、何故ラズワルドと同行しているのかという疑問。

 彼らが表した感情は一つに纏められるものではなく、情動の大小も合わせれば千差万別だ。


「グレイシャ・アルバス・フォン・ルプスガナ……ルプスガナ公爵の長子、継承者の第一候補だった者だとも」


 そんな視線とざわつきに対して、少年は懐中時計を取り出した。

 そこに刻まれていたオオカミと剣の紋章を見て、領民たちの囁きが一段声量を増す。


 帝国の歴史に多くの名を刻んでいる有力貴族、ルプスガナ公爵家に属する者の証。

 その効果は劇的であった。

 多くの冬を越え優れた将を多数輩出してきたかの家系の武名を、辺境の臣民でさえ知る。


「さて、時間が無いので簡潔に伝えよう。彼らは賊に襲われ、ステラが人質にされた。彼女の事は、きっとここにいる殆どが知っているだろう」


 この歳で領主の座に着いている根拠を示すや否や、少年は本題へと入る。

 果たしてフィンブルの町に、何が起こったのか。 

 今この場所にいない、いなくてはならないはずの少女がどうしていないのか。


「彼女は確かに、子供たちを守ろうとしていた。内と外という方向性は違えど、同じだ」


 彼女はどんな人だったのか。

 それに続く言葉に、何人かが押し黙り、また何人かが首を傾げる。

 同じ。誰と同じ? その意味は一聴しても不明瞭だ。

 いや。正しくは少しは違う。

 明瞭であっては・・・・・・・ならなかった・・・・・・


 少年が次に言わんとする内容に気付いた領民の一人、中年の男性が、少年に駆け寄り制止の声を上げようとする。

 けれど、大声を上げるにも力ずくで止めるにも一歩遅く。


「暴政を敷いたボクの前任者に立ち向かって、排斥したキミたちとね」


 彼以外の皆がひた隠しにしていた事実を、領主を名乗る少年は当たり前のように口にした。


――――――


 ざわざわと、徐々に周囲の声が囁きで収まらない程に大きくなっていく。

 シュニーは一度黙り、ただその反応に耳を傾けていた。


 果たして、シュニーが赴任する前のこの領地で何が起こっていたのか。

 スノールト領先代領主、その失踪の真実について。

 シュニーが明かしたのは、彼が領地を駆けずり回って集めた情報を統合した末に得た結論だ。


 領地ぐるみで隠し通そうとしていた秘密は、帝都から派遣されてきた領主の知るところだった。

 その事実を認識した領民たちの反応は劇的であった。


 不安げに周りと顔を見合わせる者。

 唖然と立ちすくむ者。

 剣呑な視線をシュニーへと向ける者。

 だが静かでありながら最も大きな反応を示したのは、大人たちではない。


「……あぁ?」


 シュニーの傍に控えていたラズワルドだ。

 シュニーが告げた言葉の意味を咀嚼する数秒の間を置いた後、彼はゆっくり振り返った。


「何、言ってんだ……そりゃ……一体、どういう……!」

「聞いての通りだとも。というか『大人たちを信用できない』という誤解を解いてやると約束したのだから、薄々察していたんじゃないかい?」


 混乱で発声が途切れ途切れになっているラズワルドに、シュニーはスノールトの大人たちを指し示す。

 今現在シュニーへと向けられているのは、不安や敵意といった負の感情が殆どだ。

 だというのに、誰もその言葉を否定しようとしない。

 シュニーが明かそうとした時には、力ずくで止めようとさえしたにも関わらず。

 紛れもなく、もはや誤魔化し様もないが故の反応だろう。


「いや……っ、でも! んなワケが……!」

「この街の皆は、キミとステラを信じなかったから付いて行かなかったわけじゃない。ただ、キミたち街の子供を守るためにこの地に残ったのだよ」

「ッ……!」


 頭をがりがりと掻いて葛藤している様子のラズワルドに、シュニーはさらなる事実を付け加える。


「考察してみると、少々不思議でね」


 シュニーが最初に違和感を覚えたのは、どうにかステラとラズワルドを説得しようと領地の過去について調べていた時だ。

 得た情報を整理していて、よくよく考えてみれば引っかかる部分があった。


「キミが言うようにこちらの大人たちが敵なのだとしたら、キミたちへの対応が生温い」


 ステラと最初に面会した際、彼女とラズワルドは領民の大人たちについて『自分たちに付いてきてくれなかった』以外の不満は語らなかった。

 もしそれに留まらず敵対的な行動を取られたりしていたなら、シュニーにその不満や怒りを吐き出さない理由がないのではないか。


「大人だけじゃない。当時の領主さえも何も手出ししてこないのは、おかしくないかね」

「それは……!」


 つまり、少なくともステラとラズワルドの認識では、スノールトの領民はフィンブルの独立について不干渉以上の対応をしていない。

 そして、己に従わない民を容赦なく虐げていたという先代領主の人柄を考えるに、そんな甘い対応があり得るのだろうか?


 当時大人たちが領主の側に付いたのならば、ラズワルドたちに敵対的な行動を取ってきてもおかしくないはずだ。

 大人達が直接赴かずとも、私兵を抱えていたという先代領主が勝手に独立するような反乱分子を放置するというのは考え難い。

 

 なのに、そのような動きの形跡は一切ない。

 この状況から、考えられる可能性がひとつあった。


「キミたちが出て行って早々に、そちらに構っている場合じゃない何かがあったんだ。……最終的に、領主がいなくなるような結果に終わったような何かが」


“言う事聞かずに家出した生意気なガキ共をとっちめる”以上に、領主が対処すべき非常事態……つまり、民の叛乱。


「キミが無理やり子供たちを連れて行ったのに奪い返そうとしに来なかったのも、これで説明が付く。……こちらの皆にとっては、結果として降ってわいた幸運だったんじゃないかい? 血みどろの内紛から子供たちを遠ざけた上で厄介者を片付ける機会が、期せずして回って来たのだからね」


 シュニーはあくまでも予想という体で語ったが、既に正誤はわかっている。

 さて、皆はどう反応するだろうか。

 周囲の領民を見回して反応を確かめる。

 ……すると、どこか後ろめたそうにシュニーを見つめている領民たちの最後方に、鍔広帽子の少女を連れた魔女のような老婆が。


「うわっ」


 一瞬素に戻って声をあげてしまったシュニー。

 そう、彼女、ニル婆こそがシュニーによる予想の答え合わせをした民である。

 考えあって彼女から裏取りをしたと明かす気は無かったが、ご本人登場には流石に少々動揺する。


「こほん……そうして不安要素を取り除いた上で領主と相対し、皆は勝利した。追い出された領主がどうなったかについては今は聞かないでおくとしよう……ちょっと怖いのでね」


 咳払いでごまかしながら、シュニーは続ける。

 なんというか、試されている気がしてならなかった。ただでさえここ一番の勝負時だというのに、さらに緊張が上乗せされてしまう。


「テメェの、妄想じゃねえのかよ……」

「ところでキミは“けもの捨て”を知っているかい?」

「……は?」


 けれど今は立ち止まっている場合ではない。

 唸るラズワルドに、シュニーはさらに畳みかける。

 その単語に、集った領民の一部が特に顕著な反応を示した。

 弓と片手持ちの剣を携えた男女だ。

 ばつが悪そうな表情で、その二人は隣の鎧を纏った少女へと顔を向けていた。


「そういう習慣がこちらにはあるらしくてね。せっかく仕留めた獣の死体をわざわざ遠出して山のとある地点へ捨てに行くのだよ」


 それは、ただそれだけを聞いたなら特に注目もしないだろうスノールトの風習だった。

 理由を考察しても、土着の神に供物を捧げる儀礼、などで簡単に説明が付く。

 奇習というには物珍しさに欠けていて、これ以上の興味はそそられないだろう。


 実際シュニーも最初は「食べ物の供給も十分じゃないだろうに不合理な事をしているんだなこの地は」と軽く呆れるだけで流していた。


「キミがこちらにいた頃には無かった文化だろう?」

「なっ……!」


 しかしここに「スノールトの大人たちはもしかして子供たちの敵ではないのでは?」という推測が合わされば、また別の意味合いが見えてくる。

 シュニーはそんな都合のいい未来予想図を前提として、一体この風習に何の意味があるのかと思考し、一つの結論に辿り着いた。


 突然聞かされた意味不明の風習に、しかしラズワルドははっと瞠目した。

 フィンブルの子供たちに、猛獣を狩猟できるだけの力はない。

 山で手に入れた食肉は、既に死んでいる動物から得られたもの。


「それと、町が監視されてるって言ってただろう。ボクはどうせ被害妄想だろうと疑っていたが、謝ろう。そのけもの捨てを担っていた者の知己が、キミたちの様子を遠巻きに見ていると教えてくれてね」


 シュニーは一度ラズワルドから目を離して、再び領民たちへ目を向ける。

 今度は鎧姿の少女が「やらかした……」とでも言いたげに顔を手で覆っている男女に向けてじとっとした視線を浴びせていた。


「……本当に、『攻め込んでやるための威力偵察だ』と思うかい?」

「……」


 ラズワルドは顔に手を当て、深く息を吐く。

 彼はシュニーが明かした情報の数々が意味するところが察せない程、鈍い人間ではなかった。


「間違いなくこの街の皆はキミたちを気遣い、その平穏無事を願い続けていた。キミに憎まれていると知りながら、精が付くごちそうを丸っと渡したり、こっそり様子を見に来るくらいにはね」

「……んなワケ、が」


 渋面のラズワルドが、シュニーに食って掛かる。

 しかし、今の彼から怒りの感情は殆ど感じられない。

 その大部分は、恐らく困惑と焦り。


 一度シュニーの策に乗ると言いながらもこうして認めようとしないラズワルドだったが、シュニーは彼を責めようとは思わない。


 ラズワルドはその第一印象が与える粗暴さに反して聡明な部分もある人間だと、今のシュニーは知っている。

 だから、きっと彼は内心ではシュニーの明かした領地の内情が真実である事も、きっと奥底では認めているともわかっている。

 けれど、たとえ現実が思っていたより穏やかなものであったとしても、彼にはそう簡単には受け入れられないのだ。

 頑なであり続けた、和解の道を探ろうとしなかった自分が罪深いもののように思えてしまっているだろうから。


「……いや。そう、だろうよ……。俺がまた勘違いしてやらかした。それなら、それでいいんだ……!」


 シュニーはラズワルドに対して言葉を返さず、その呟きをただ聞いていた。

 今の彼に必要なのは、事実を飲み込む少しばかりの時間だと思ったからだ。


 シュニーが集めた情報の断片が示す、暖炉を前にした眠気のようなぼんやりした、しかし暖かさを感じる事実がある。

 苛立つラズワルドの気迫に負けず、傷付いた我が子の下に駆け寄った親たちがいた。

 今こうして、シュニーがこれを帝国本土に連絡するとでも言えば命は無さそうな空気。


 状況は、言葉よりも雄弁に真実を語っていた。

 スノールトという領地の中にラズワルドの、フィンブルの子供たちの敵なんていなかったのだと、必要以上に気を張る必要などなかったのだと、きっと領民の皆が態度で教えてくれている。


「……けど、よ」


 だが、まだだと言うように自分と子供たちの為に戦い続けてきた少年は震えた声のまま切り出す。


「だったら……もしそうだったらどうして! 終わった後に迎えに来てやらなかった! なんでずっとこいつらを放り出したままにしてんだ! テメェらから引き離されたガキ共がどう思ってたかなんてわかってるはずだろ!」


 震えの混じった声で、ラズワルドが悲痛に叫ぶ。

 集った大人たちは、ラズワルドに対して何も言わない。

 その反応に対して、彼はさらに猛る。

 もし本当にフィンブルの子供たちを想っての行動だったなら、迎えに来て共に暮らす、という最も大きな情を何故示さないのか。


 子供たちを想う親といういくつもの根拠が示されていながら、一番大事な部分がぽっかりと抜け落ちている。

 それが、彼が最後までしがみ付き、此度の真相で納得できていない最後の欠片だった。


「なんで答えられねぇんだ! コイツが言ってんのはやっぱデタラメなのかよ!!」


 シュニーも、これについては明確な答えを知っているわけではない。

 恐らくこれだろうという予想はあったが、それだけである。


 どれだけ正しい見込みがあろうとも、予想は予想でしかない。

 それを此度の当事者でない自分から伝えるのは憚られた。


「それは……」


 だが、こればかりは沈黙していて答えが得られる問いではない。

 領民の皆がラズワルドに言えない理由もわかる。

 シュニーは仕方ない、と苦渋の決断で口を開き。


「ちがうの!」


 回答は、そのシュニーとは別の方向からやって来た。


「チコ! やめなさい!」


 母親と思わしき女性の声にも止まらず、小さな足音が駆けてくる。

 緊迫する場に割り込んで来たのは、幼い少女だった。


「教えてくれ。……頼む」 


 スノールトの街に残っていた少女、チコである。

 息を切らしているチコに視線を合わせるように姿勢を低くし、ラズワルドが尋ねる。

 まるで、懇願するかのように。


「あの、みんなのこと、パパもママもいっつも心配してて……ラズにぃとステラちゃんのこともだよ……?」

「……だったら」


 チコはラズワルドが何か誤解していると感じ、それを解かんとしているのだろう。

 その想いはあれど、言葉も知識も足りない。

 まだ幼い彼女に示せたのは、既に通り過ぎている部分だけだった。

 

「ラズワルド君。チコとこの男の子……領主様の言うことは本当です」

「……こんな血生臭ぇところに娘連れて来ないでくれ」


 けれど、チコは確かに最後の一欠片をはめ込んだ。

 それを解決するのは当事者たち……ラズワルドとスノールトの大人でなくてはならなかった。

 チコを追ってきた彼女の母親が、ラズワルドと真正面から向き合う。

 帰ってきて初めての大人との対話だ。

 彼は居心地が悪そうに微かに目を逸らす。


「だから、もう隠さず言います。聞いてくれるかしら?」

「……」


 申し訳なさそうにラズワルドに尋ねた後で、チコの母は周囲の領民たちを順に見た。

 もういいですよね、と確認するかのようだった。

 それを受けた大人たちもまた、神妙に頷く。


「あなたは私たちをきっと恨んでいるだろうから。話をしにいっても信じて貰えなくて、言い訳する暇もなく皆を連れて遠くに行っちゃうんじゃないかって思っていたの」


 そうして告げられたままの状況を、ラズワルドは脳裏に思い描く。

 もし大人たちが無理やり押しかけてきて「自分たちは敵じゃない」と言ったところで、これまでの自分だったら信じられただろうか?


「そんなワケ……いや、そうかも、しれねぇ……」


 きっと難しかっただろう。

 それどころか、今言われた通りだ。

 こちらを狙って何か明確な行動を起こすつもりかと疑心が募って、皆を連れて新天地を目指し移住を考えたかもしれない。

 果てなき冬に包まれた世界を、大勢の子供で何の後ろ盾も無く旅する。

 そうなった場合の未来が明るいか暗いかは、今多少は冷えている頭で考えればすぐにわかった。


「この町にいた時、ステラちゃんと一緒にチコと仲良くしてくれてありがとう。他の子たちも同じよ。そんなあなただから、本気であの子たちを守ろうとしてくれているって、皆信じていました」

「ああ、そうかよ……」


 チコに寄り添う母が、静かにラズワルドを見上げる。

 同時に、ラズワルドは察したようだった。

 ラズワルドへとただ感謝するだけの言葉。そこに隠された、大人たちの真意を。


「アンタたち、俺が全部知ったら自分を責めんじゃねぇかってずっと気にしてたのかよ」


 最後の答えに自分でたどり着き、ラズワルドは深いため息をつく。

 己の頑なな敵意とそれに従って行動した場合に起こるだろう最悪の展開が、和解の道を遠ざけていた。

 そして同時に、その苛烈な敵意が荒い気性だけでなく子供たちの命を預かっている責任感に根差していると思ってくれていたからこそ、お前のせいで事態が拗れているのだと言えなかったのだとも理解する。


 自分たちの大事なものの為にずっと気を張り戦ってくれていた人間に、自責の念を与えたくなかった。

 だからこそ、今大人たちは弁明も無く、無責任に見える程に口を閉ざしていたのだ。


「……一概にキミが悪いわけじゃないだろう。たとえ誤解だったとしても、敵意を漲らせて仕方のない状況だったとボクは──」

「うるせぇよ。ンな事わかってんだ」


 シュニーの控えめな弁護を鬱陶しそうに跳ねのけて、ラズワルドは体から力を抜く。

 ここに戻ってからずっと握りしめていた槍を、そっと床に置く。


「俺が必要以上にややこしい状況にしちまった。これまでずっとこっそり助けてくれてたのに気付けなくて、今も俺の為に黙ってくれてたのに噛みついちまった」


 そうして、必死に己の務めを果たさんとしていた少年は、くく、と力なく笑った。


「俺もガキだったって事だな、畜生……」


 至らない部分が沢山あると突き付けられた。

 あれだけ噛みつかんばかりの態度を取っていたのに、フィンブルではリーダーの片割れとして振る舞っていたのに、大人たちからすれば自分も皆と変わらず守られるべき子供のひとりだったらしい。

 悔しくて、でも何故だか不思議な安堵がある。

 昨夜シュニーと話していた時の苦笑とは似ているようで違う、穏やかな笑みだった。


「……領民同士のいがみ合いなんて、ボクには手に負えないと思っていたよ。恨みつらみ、それぞれの思惑が複雑に絡み合って、ひとつひとつ解決していかねばどうしようもないのだとばかりね」


 ラズワルドの様子を見て、シュニーもまた一度、ほぅと息をついた。

 分裂した領地。

 どうしようもなく絡まった、新任領主には複雑すぎるとばかり思っていた、領民が抱えた問題。


「でもとんだ勘違いだった。皆がただ、誰かを想いやってできる限りを尽くしていただけだったんだ」


 だけど、本当は何も複雑ではなかったのだ。

 ただ、落ち着いて顔を合わせ本音を言える機会があれば解決するような単純な話だった。


 少しだけ間が悪くて、誤解を解く機会と踏み出す勇気が足りなかっただけで。


――――――


 長きに渡っていたすれ違いはこうして終わりを迎えた。

 先程まで困惑と殺気に溢れていた凍てつく空気が、雪解けのようにゆっくりと消えていく。


 ラズワルドに歩み寄り近付き、彼に対して感謝を伝え労う大人たち。

 当の本人はどうしていいのかわからず、困ったようにその労りを受けている。

 まるで今はもう失われた目覚めの季節に吹く風のような、和やかで暖かい一幕った。


「って、今は俺の事なんざどうでもいい!」

「……こうして得られたひと時も、このままじゃ長くは続かないだろう」


 だが、そこに水を差すように冷ややかな予測が告げられた。

 最初にラズワルドが、次に彼に続くように場の雰囲気をぶち壊しにしたのは、領主を名乗った少年だった。

 他ならぬ、和解へと皆を導いた功労者である。


「フィンブルの皆を傷付けた輩は未だ蠢いていて、“冬”の悪夢は時と共に再びこの領地を呑み込もうと迫るだろう」


 皆に聞こえるよう声を張り上げてこそいるが、込められた感情は弱々しい。

 その後ろ向きな現状と未来予想図は、しかし紛れもない事実だ。


 現実に引き戻された領民たちは、眼前の光景を目に映す。

 傷付いた子供たちが寝かされていた。

 痛みに呻いている子がいる。経験してきた惨状と己の無力に涙を流す子がいる。

 そして何より、皆で笑い合うならばいなければならないはずの少女がいない。


 今こうしてひと時の平穏を得たところで、だから何だというのか。

 破滅はどれだけでも、今この瞬間にも迫っているのだと。

 小休止の時にすらまだたどり着けていないのだと、現実が突き付けられている。


「その時、キミたちはどうする? 今までのように、雪原でうたた寝をするかのように静かに朽ちていく道を選ぶのかい? 大事なものを抱えたままにして」


 何人かの領民がぎりと歯を噛みしめ、手をぐっと握る。

 ぐさりと心を刺された痛みは、中々に耐え難かった。


 ただこのまま死んでいくだけなのか、それでいいのかと言われただけなら良かった。

 ええその通りですよ、と力なく乾いた笑いを返して終わりだっただろう。

 けれど、それに付け加えられた重みは別だった。 


 スノールト領はその大部分が緩やかな滅亡を受け入れていた。

 街を離れてしまった子供たちが長く栄えられるようにとこっそり支援を続けながらも、日々失せていく気力。

 自分たちが滅びればフィンブルの街もより厳しい状態になるとわかっているのに、人によっては我が子が危機に陥るとわかっているのに諦観で全てを放り捨ててしまう。

 それは現状に疲れ果てたが故の、矛盾の許容だった。


「……納得できるか! ボクにはまだやりたい事があるのだよ!」


 だがそんなもの受け入れてたまるか、と新たな領主は叫んだ。


「言っておくがね、領主に唯々諾々と従っていれば全て解決するんじゃないかなどという幻想は捨ててくれたまえ。ルプスガナ家の生まれと言ったが、ボクは家から切り捨てられたような身だ。政争の結果なんかじゃなくて、ただ単に不出来だったからだとも!」


 民たちの希望的観測を先回りするかのように、領主から過酷な現状の一端が告げられる。

 今この瞬間まで、一部の民には新たな領主であるこの少年に対し信任を通り越して信仰に近いような感情を抱く向きすらあった。


 新たな領主が、自分たちが解決できなかった問題を彼らからしてみれば容易に、瞬く間に解決し今後の可能性を示した。

 この実績は、疲れ果て半ば希望を捨てていた民が全幅の信頼を寄せ全てを委ねようとするには十分だった。

 それを成したのがまだ十と数歳程度だろう少年だったのも、神秘性を上乗せする要因になり得ていた。


「優れた魔術師でもなければ、騎士のように武に長けているわけでもい。話術だってからっきしだし、為政者としても半人前以下だとも。自分の目的があってこの役目に就いているだけで、良心的なわけでもない。身勝手極まりない人間だよ」


 領民たちから先ほどまで得られていた期待、その全てを領主はあっさり投げ捨てる。

 何も持っていない人間が今この地の領主なのだと、少年は堂々と主張する。


「ボクにはまだ力も知恵も、色んなものが足りない。独りだけで成せることは、信じられない程少ない。そしてそれは、キミたちもまた同じだろう。ボクたちは皆、破滅の縁に追いやられた弱々しいウサギも同然だ」


 ウサギ。頂点捕食者が如くベルキア大陸に君臨していた軍事国家、バルクハルツ帝国において弱者の象徴とされる生物。

 強さと権威を貴ぶこの国において、民の気力、経済力、軍事力、あらゆる力の指標に欠けるこの地など、震えるウサギも同然だろう。


「でも、そんなウサギの物語を皆は知っているんじゃないかい?」


 だが、と滅びかけの領地へ追いやられた少年は皆に問う。

 彼が懐から取り出したのは、一冊の本だった。


「ボクはキミたちの事をまだ殆ど知らない。それぞれ何ができて、現状をどう思っているのかもわからない。だが、諦められないものが、望むものがあるならば……力を貸してくれないだろうか!」


 皆に訴えかけるように、けれど同時に、自分に問うように少年が叫ぶ。

 何匹ものウサギが挿絵に描かれた表紙が、高く掲げられる。


「大切な人でもいい、自分が大事でもいい! 祈りのためでも、欲しいものがあるでも何でもいい! 知恵を出し合い道具を揃え、なけなしの勇気を奮い立たせて脅威に挑む! そんなキミたちの能力と気概が、ボクは欲しい!」


 バルクハルツ帝国に置いて誰もが幼少期に親しむ、有名な童話だった。


「もう一度。いや……この先何度でも、必死に見苦しく、困難に抗ってやるつもりはないかね?」


 か弱い群れがそれぞれの目的のため団結し、力を振り絞って過酷な現実に抗う。


「もし、その気があるのなら! ボクが全力を尽くしてキミたちを春に辿り付かせてやる!」


 それは、冬を耐え春を待つウサギたちの物語である。



「……」


 所信表明というには差し迫りすぎている状況での言葉に、賞賛や歓待のような反応は僅かだ。

 けれど同時に、ここに集った多くが、新たな自分たちの領主がどんな人間なのか多少なりとも理解した。


 本人が語るように、力も知恵も人徳もまだまだ足りない無力な貴族。

 こんな流刑の地に追いやられたような領民どもにまだ期待を持ってしまう世間知らず。

 だというのに、こじれてしまった領地を再び一つにまとめ上げて見せた諦めの悪さ。


「ま、俺らはともかくラズ坊とステラちゃんのためだしなぁ!」

「時間があまりない! 誰か予定立てるの上手いヤツはいるか!」

「輸送の時間管理であればお任せを! 商人魂の見せ所ですなぁ!」

「武器ならウチの倉庫に余りまくってるからよ! 全部持ってきて並べてくれ!」

「誰か教会に行って聖女様起こしてきて! 怪我が重そうな子はそっちに運ぶの!」


 ならば、その愚かしさと信頼に応えてやろうと。

 何よりも、彼のように少しは足掻いてみようかと。

 領主がその力の殆どを未だ知らぬ極北の民たちは、彼が今喝采の声より求めているものを果たすために動き出した。

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