第33話 揺らぐ意思

 スノールトという辺境の領地を訪れてからの日々は、シュニーの感情を今までにないくらい激しく上下に揺り動かしてきた。


 これまでのシュニーの人生は、良く言えば高止まりで、悪く言えば平坦だ。

 恵まれた家柄に、恵まれた環境。何不自由ない幸福な暮らしで、でも劇的な刺激もない毎日。

 きっとそれは誰もが羨む境遇で、シュニーも今までずっとそう思っていた。


 その柔らかく暖かい環境を奪われて放り込まれた冬の日々は、地獄としか言いようがない。

 だけど、そんな現在の何もかもを捨てて昔に戻りたいかと聞かれたら、シュニーは大いに悩んだだろう。


 どん底に叩き落とされて、救われて浮ついた感情に舞い上がって。

 考え無しの行動を責められて、己を考え直して。

 亀裂の走った民たちの関係性という問題を知って、それを解決してやろうと奮起して、わかり合えないかもしれない相手と、少しだけでも関係を深められたような気がして。


 落ちては上がって、上がっては落ちての日々。

 きっと上がった段階でも、客観的に見れば故郷での快適さには遠く及ばないに違いない。

 そんな程度の結果を得るために、昔の自分では考えられない苦労を求められる。

 体を動かすのは疲れるし勉強は面倒くさいし、高貴な身分なのに散々無礼を働かれている。

 それでも、領主としての日々には今までと違う充実感があった。


 こんな環境、今すぐにでも投げ出してしまいたいのに、苦労の末得られるささやかな成果が嬉しい。

 己の手で何かを掴み取れたような、じんわりと沁みる実感がある。


 だからこそ、シュニーはまだ果てなんて見えなくても一面の雪景色を歩き続ける事ができた。

 たとえ底にあっても、どうにか這い上がってやるという気概を持てた。

 

「……ああ、疲れた」

 

 ただ、その熱を保てていたのもつい先ほどまでの話だ。

 今のシュニーは、目指すべき上方の光も見えないような底の底にいる。


「……メシはパーティからくすねて来てやるから。あと足りないもんあったら何でも言ってくれ」

「悪いね」


 その底辺に叩き落とされた状況を思えば、地下牢というこの場所も相応しいのではないか。

 貴族なのに薄暗い牢屋に叩き込まれるという恥辱を受けていながら、今のシュニーに怒りはなかった。

 あるのは自嘲で、無いのは怒りと気力だ。


「そうだ、苦手な食べ物とかあるか? 姫様特製メニューだからどれも美味いだろうけど、シュニーは好き嫌い多そうだもんな!」

「何でもいい。キミもボクなんかに構ってないで交流を楽しんできたまえよ」


 軽いお坊ちゃまいじりに、空気を変えようとするラルバなりの気遣いが込められているのは伝わってくる。

 彼の優しさにシュニーが返せたのは、皮肉めいた言葉だけ。


「……その、ごめんな。兄ィさ、何日か前からちょっとヘンなんだ」

「……」

「シュニーが一旦帰ってからか? なんか急に厳しくなったっていうか……余裕がないっていうかさ……。特訓もきついしもう散々だぜ」

「姫様も心配してんのに、全然話聞かねぇしさ……。どうしちゃったんだろなほんと」


 返事が無いのを察して独り続けて喋るラルバを、シュニーはぼんやりと眺めていた。

 ラルバから見てもおかしな状況だというのわかったが、それだけだ。

 ではその情報が何に繋がるのか、という考えを巡らせるだけの元気は残っていない。


「……むしろ、謝るのはこちらだ。ラズワルドじゃない、キミに」

「へ? なんかあったっけ?」


 思考が鈍く流れていて、シュニーは数言前の内容にようやく触れる。

 今はラズワルドに触れたくなかったのもあった。


「靴下。まだ、キミの父君に渡せていない」

「あー。気にすんなって」


 謝罪で思い出したそれは、果たせなかった頼まれごとについてだった。

 断じて記憶から消えていたわけではない。

 領地の問題を解決するための情報収集に夢中で後回しにしてしまっていただけだ。


「てかよくよく考えたら名前とか何にも伝えてなかったし! クイズかなんかかっての!」


 ラルバもまた、シュニーの罪悪感を和らげてくれる。

 そうだ。情報も無いのに父親を探して届け物をするなど、どれだけの手間がかかるのだろう。

 あの時は忙しかったのだ。仕方がない。そうシュニーは己を納得させる。


「難しいよな、流石にな」

「……う」


 苦笑するラルバからは、諦観が読み取れた。

 後回しにする判断を肯定してくれたはずなのに、シュニーはその反応に小さくうめく。


 勘違いのはずなのに、言葉以上の意味をシュニーは見いだしてしまう。

 子が親とわかり合おうとする願いを諦めさせたのか?

 探すのが面倒だとか優先順位だとかで後回しにしたのか?


 だったらおまえは、何のために領地を一つにする、なんて決めたんだ?

 私的な目的と同時に、親子が分かたれているのが辛いと思ったからじゃなかったのか?


「んじゃ、そろそろ戻るわ。また後で姫様も来てくれると思う。……兄ィの目を避けれたら、だけどな」


 違うんだ。そうじゃないんだ。

 立ち上がり背を向けるラルバに、シュニーは見苦しく否定の言葉を吐こうとする。

 だいたい、再び領地が一つに纏まればキミだけでなく皆が親と再会できる。それを思えば大事の前の些事じゃないか。

 それはもはやラルバに対してではなく、自分への言い訳だった。


「……はぁ」


 結局何も言葉は口にできず、ラルバが去って独り残されたシュニーは溜息を一つつく。

 これからどうするべきかと考えれば、色んなことをするべきだろう。


 まず来訪者たちに対して警戒すべき現状を、誰かに伝えるべきだ。

 

 それこそ、今すぐに牢を抜け出してでも。というかラルバにそれを伝えるべきだった。

 別に忘れていたわけではない。最も差し迫った危機の可能性だ、失念するのはありえないだろう。


 だが──


“黙ってろ”


 シュニーの脳裏に、拒絶の声が響く。


 状況を整理し意見を出すのは、補佐の役目。

 でも自分はそんな役目など最初から期待されていなかったのだ。


「キミがそういうなら、黙っててやろうじゃないか」


 少しは信頼を得られたと思っていたのに、望まれず、むしろ敵意さえ向けられた。

 だったら、己が無理を押してまで忠告してやる意味などあるのか。


 それっきり、シュニーは現状に考えを巡らせるのを放棄する。

 冷たい石造りの床に寝転がり、毛布を被り。

 シュニーは自分の濁った感情を頭から追い出すように、眠りに就いた。



―――――


 どれくらい寝ていたのかはわからないが、もう夜になったのだろうか。

 シュニーの目覚ましとなったのは、遠くから聞こえる子供たちの甲高い声だった。


 事前の予定で、会談が終わった後は互いに交流を深める時間を設けてあるのだと聞いていた。

 だったらこの声は新たな出会いを祝して楽しくはしゃいでいるものなのだろう。

 この前の祭りのように歓喜に満ちていて、でもシュニーは輪には入っていない。


 きっと、会談は大成功だったのだろう。相手に無駄な疑いをかけて会談を妨害するような人間もいないからまあそうなるか。

 はっ、と己を鼻で笑って、シュニーはもう一度無理矢理に意識を閉じようとする。


「……ん?」


 変わらない喧噪が邪魔してくる。

 そこで、シュニーは目を見開いた。

 いくらなんでも、やかましすぎやしないか。

 祭りの時ですら、ここまで大声をあげて盛り上がってはいなかったはずだ。


 そこに気付いて改めて耳を傾けると、どこか違和感がある。

 きゃあきゃあ、と甲高い声。それは本当に、はしゃいでいる歓喜の感情からか?

 どちらかといえば、この声は喜びというよりも……悲鳴に近いのではないか? 


「いや、まさ、か」


 途端、背筋を氷柱に刺し貫かれたように寒気が襲い来た。

 得体の知れない震えに、シュニーは思わず薄い毛布を跳ねのけて起き上がる。


 思い描いていた最悪の可能性が、はっきり実感を伴ってくる。

 シュニーは逡巡した後、ふらふらと格子扉に歩み寄る。

 どうすべきかなどとは考えられなかった。何もかもが直感的な行動でしかない。


 よたよたと立ち上がり、冷たい格子を手で押してみる。

 それだけで、錆に軋んだ音と共に扉は開いた。


「……ぁ」


 最初から、鍵なんてかかっていなかったのだ。

 出ようと思えたなら、いつだって出られるような状況だった。

 ……いつだって、危険の可能性を皆に知らせられた。


 その意味を深堀りしようなどとは思えず、シュニーはふらふらと牢を出て階段を昇り、城の外路を通って入口の門へと。

 投獄されたシュニーが勝手に出歩いているのに驚きの反応はなく、窘められもしなかった。

 誰にも会わなかったからだ。


 きっと皆広場に集まっているのだろう。

 そこまでふらふら移動してきて、シュニーの脳はやっと働き始めた。

 どうせまた、勘違いなのだ。

 よくよく考えれば、昂奮しすぎた子供が悲鳴じみた声をあげるのはよくある事じゃないか。

 自分はいったい何をしているのやら。


 あと一歩で外に出られるという段になって肩をすくめ、シュニーは身を翻そうとする。

 わざわざ邪魔者が姿を見せる必要も無いだろう。

 さっさと戻るとしよう。


「――」


 そう思ったシュニーを、声のようなものが呼び止めた。

 門の向こうから聞こえてきたほんの小さな、内容もあやふやな『声』というより『音』と表現した方が早い何か。


「……?」


 一体それが何なのか、妙に気になってしまって。

 いやに心がざわついて、シュニーは数秒間思案する。


「……」


 出た結論は、『先から己を苛んでいる嫌な予測の答えを確認する』だった。

 どうせ馬鹿馬鹿しい見当違いだろう考えなのだ、別に見るまでもないのだが。

 ちょっと一目だけだ、その程度なら別に。


 門を一歩くぐって、そこから望める楽しげな町の光景を。


「うわっ……!?」


 見ようとして、何かに躓いた。

 受け身など取れず派手に転倒したシュニーを受け止めたのは、土でも雪でもない。

 ぐにゃり、と柔らかいものに覆いかぶさってしまうような感覚。そして、接地した手に触れる、ぬめる液体のような感触。


「一体なんなのだ、これ、は」


 門の前にどうして物が転がっているのやら。

 わけがわからないまま起き上がり、シュニーは半ば反射的に濡れた己の手を見る。


「──は?」


 赤色が、視界に映った。

 手が、赤色の液体に濡れている。


「シュニー……か……? ぶじ……だったか……」


 そして、シュニーには悲鳴をあげる暇さえ与えられない。

 苦しげな呻き声が、名を呼んでくる。


 そこでようやくシュニーは気付いた。

 さっき自分を呼び止めたのはこの音だ。どうにか絞り出した、うめき声。


 声の主が誰なのかはわかっていた。

 どこにいるのかももうわかっている。


 だというのにシュニーが足元へ目を向けるのを一瞬躊躇してしまったのは、至極単純な理由だった。

 現実を見たくない。そんな、あまりに情けない。


「ラルバ! 大丈夫かい!?」


 シュニーの足元には、つい数時間前に話をしていた少年が転がっていた。

 体の所々から血を流し、手足を縛られた無惨な姿で。


「いったい何が……!」


 気付かない内に、子供たちの声は無くなっていた。

 わざわざ訪ねるまでもなく、シュニーにはこの惨状の理由が薄々わかっている。

 それでもわざわざ聞いたのは、事実を受け入れたくなくて、認めたくなかったからだ。


「襲われた……だまされたんだ……」


 シュニーの悪い予測はいつだってよく当たるし、彼は致命的な失敗をしでかした。

 

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