第31話 領地会談(前編)
会談の場にシュニーが到着する頃には、あらかた準備は終わっていた。
町の一角に設けられた、他の家より明確に広く装飾も華やかな一軒。
以前シュニーが視察兼執務の一環として意見を求められた屋敷が、此度の外交の舞台だった。
忙しなくそこいらを行き来している子供たちを見るに、フィンブルの総出を挙げて準備しているのだろう。
日常会話から準備に関係する真面目な話題まで雑多な声が飛び交い、歓迎用の料理として肉や魚を煮込んでいるのか強い匂いが鼻をくすぐってくる。
視覚以外にも様々な感覚で、シュニーには場の賑やかさを感じ取ることができた。
「取り越し苦労だったのなら良いのだがね」
その溌剌とした光景は今まで見てきたフィンブルの町そのもので、昨日のラズワルドやラルバのどこか重苦しい雰囲気とは全く重ならない。
昨日こちらに来た時は時間が時間だったし、自分も向こうも気分が沈んでいただろうから悪いように捉えてしまっていただけなんじゃないか。
元気に挨拶してくる子供たちに応対しながら、シュニーの気分は若干上向きになる。
「……おはようございます、シュニー様。お元気そうでなによりです」
「ああ。キミも壮健なようで何よりだ、ステラ」
そうして会談のため設えられた一室に入ったシュニーを迎えたのは、昨日顔を合わせられなかったステラだった。
町の主、これより行われる会談の代表者として、他の椅子より豪華なそれに座っている姫君はシュニーにぎこちない笑顔を向けてくる。
「あまり緊張しないことだね。友好の使者なのだろう? 別に失敗すれば戦争になるわけでもあるまい」
「は、はいっ」
壮健なようで、というシュニーの挨拶は半ば形式じみたものだった。
ステラが落ち着いていないのは、一瞬すれ違っただけでも痛い程に伝わってくる。
今日の結果いかんでこの町の今後が大きく変わるかもしれないと思えば、不安や心配は当然だろう。
「それに、失敗しないためにボクがいるのだしね」
「……それは」
心情を察してのフォローに小さく俯くステラは、どこか申し訳なさそうな様子だった。
まだ十分な実感を伴った自覚こそ持てていないが、己の失敗に民の進退が左右される責任の重さはシュニーにもわかっている。
もし自分がステラの立場にあったとしたら彼女以上に緊張しているだろう、というのが情けないながらも的確だと自負しているシュニーの自己分析だ。
「まあ、ボクよりも彼の方が支えにはなるだろうが。励みたまえよ」
「……」
ただ、自分に加えてもう一人補佐がいる以上はそこまで悪い結果にもなるまいと、シュニーは己の椅子に腰を下ろす。
シュニーが指で指し示した相手は、ステラの隣、前後関係で言えば彼女とシュニーの中間に座っていた。
「おい」
彼──ラズワルドは、一瞬だけ鋭い目付きをシュニーに向け、すぐに逸らした。
「あんまり余計な口叩くんじゃねえぞ。これは俺らの話し合いだ。テメェじゃねえ」
「……せいぜい、ボクが口を出すような事態にならないよう励んでくれたまえ」
さらには、刺々しい言葉をひとつ。
昨日から変わらず機嫌が悪そうだ、とため息をひとつ付き、シュニーは身なりを整える。
「そろそろ準備できたかい。入ってもよさそうか?」
そして、スノールト領の命運を大きく変える事件の幕は、扉の外から聞こえてきた低い声によって開かれた。
「フィンブルの町にようこそおいでくださいました、ガウル様」
「どーも、今日は世話になるぜ。できれば今後もな」
入り口の扉をくぐりぬっと姿を現した客人は、頬に傷を刻んだ大男だった。
それから男に続く形で数人が入室し、テーブルを挟んでシュニー達の逆側に設けられた椅子を埋めていく。
「む……人狼かね」
来訪者たちを見て、シュニーは小さく呟いた。
ステラと相対して座るガウルと呼ばれた男を初め、全員の頭から犬のような動物の耳がぴんと伸びている。
微かな青みがかった灰と白のそれは、獣人の一種、人狼に見られる外見的特徴だ。
「んで、こいつらはウチの若い連中だ。旨い料理を出してもらえるって聞いて土産にしたいだの腹いっぱい食いたいだの言ってきた現金な奴らさ」
「あはは……」
少々やり辛いかもしれないな、と表情に出さないまでもシュニーは思案する。
人狼はバルクハルツ帝国でも一定の人口を占めているが、一方で問題を起こしやすい種族でもある。
獣人の中でも高い身体能力を持つ彼らは軍人や冒険者として大成する者が多いが、一方で同族意識が強い上に誇り高い傾向がある。
つまるところ、他の種族と馴染みにくいのだ。
なので、対等かつ友好的な関係を結ぶには少々難しいかもしれない。
「おっ、ちゃんと見分けてもらえるなんて嬉しいじゃねえか。触ってみるか?」
「ありがたい申し出だが遠慮させていただこうかな……」
などと思案していたシュニーの不安はすぐに払拭された。
「そりゃ残念。姫様はどうだい?」
シュニーの呟きを敏感に聞き取ったガウルが、中年の強面に似合わない笑みを浮かべて耳をぴこぴこ動かす。
人間であるシュニーに軽く頭を触らせようとするその態度からは、プライドの高さも同族意識の強さも伺えない。
少なくとも会議の席で冗談を飛ばせる程度には友好的なようだった。
「で、では失礼して……」
「少なくともこの場ではやめたまえステラ」
「やめとけ」
とはいえ不用意な真似は禁物である。
外交官の立場を担う場合も多い貴族の一般教養として、頭に触れられるのを上下関係の誇示と考えよく思わない獣人は多いとシュニーは教わった事があった。
本人が許していたとしても、正式な会議の場では避けたほうがいいだろう。特にそれが集団の代表者間であればなおさらだ。
「うぅ……ですよね。ご無礼になっちゃいますので……残念ですが……」
シュニーとラズワルドの十字砲火に、ステラは伸ばしかけていた手を引っ込める。
心底残念そうな表情だった。
「がはは、坊主どもは真面目だなぁ。人狼の耳触る機会なんざそうそう無いぜ?」
残念がるステラに、早速の外交的無礼の危機に慌てていたシュニー。
てんやわんやのフィンブル陣営に、和やかな空気が流れる。
「……くだらねえ事言ってねえで、とっとと始めんぞ」
だったのだが。
上機嫌に笑うガウルへ冷や水を浴びせるように、ラズワルドが進行を促した。
まるで叱りつけるような声に、場が一瞬沈黙に包まれる。
「おい……客人に向けて」
「それもそうだ、お互い中々切羽詰まった状況だしな! 仲良く雑談なんて、話し合いの後でいくらでもできるか!」
失礼じゃないか、とラズワルドを窘めようとしたシュニーだったが、上機嫌な声を被せられた。
声の主、ガウルを見ればラズワルドに向けてにいと笑いかけている。
子供は多少生意気な方がいい、とでも思ってくれているのだろうか。
内心まではどうかわからないが、少なくとも対話を蹴る程に機嫌を損ねたわけではなさそうでシュニーは胸をなでおろす。
「それでは……最初に、本日に至るまでの流れを追わせていただきたいです。ちょっと退屈かもしれませんが……状況を再確認させていただければ」
「構わねえよー。認識のすり合わせ、大事大事」
こほんと咳払いし、ステラが今日の本題と思わしき話題を持ち出す。
一瞬だけちらりと振り向いたその目線から、シュニーは彼女の意図を理解する。
碌に情報を与えられていない自分に、現状を把握できるよう取り計らってくれたのだと。
「使者の方がいらっしゃったのは、半月ほど前でしたね」
「そんくらいだったなぁ。まさかそこそこ近場に人がいるなんて思ってもみなかったぜ」
友好の使者がやって来た。
以前シュニーが聞いていた両勢力の出会いは、どうやら偶然によるものだったらしい。
「こちらもびっくりしてしまいました。皆様は以前よりここに住まわれていたんですよね」
「そうそう。ま、でもこの通り今までお互い交流も無かったワケだ。こんなトコに住んでる経緯が経緯だからしょうがねえけどな」
ステラに促されたガウルが語り始めたのは、彼らの出自と今に至る事情について。
人狼で構成された小さな村を営んでいる彼らは、“冬”で滅んだスノールト領の近隣国家の生き残りだという。
人数は少なく、周囲から隠れ潜むように生きてきたので今までお互いに存在すら知らなかった彼らとスノールト領は、今まで接点を持つことなく過ごしていた。
「まあぶっちゃけ、最近キツくなってきてなぁ……。だからどうにか生き残る道はねえかって足掻いてたトコで、ここを見つけてな」
しかし次第に強まっていく“冬”の影響で生活は先細り、このままでは皆野垂れ死ぬしかない。
追い詰められた彼らは状況を打開するものは無いかと周辺を探索して、ここフィンブルの町を見つけたのだという。
「んで遣いっ走りに様子見にいかせりゃ、アンタらもはぐれ者の町って話じゃねえか。こりゃ丁度いいと思ったんだ」
「はい。まさかお話できる外の方がいらっしゃるなんて、思ってもみませんでした」
大まかな経緯を把握し、シュニーはなるほどと納得する。
「それでどうしたいかって言えば……まあわかりきった話だよな。ウチとそちらさんで、協力関係を築きたいって思ってな」
ガウルたちがこうしてやって来た理由は明らかだ。
今流れを知ったシュニーですら、容易に察せられた。
「厳しい世の中だ、手を取り合っていこうぜ? 今なら人狼のモフモフ付きだ。こんなオッサンのだけどな」
ぱちん、とステラにウインクして、ガウルは締める。
同じ亡国の民であり、立場が不安定な勢力。
彼ら人狼の一団とここフィンブルの民は、手を取り合うにはうってつけに思われる。
「……ありがたいお話です! 皆様さえよければぜひにも!」
「……具体的には?」
両手を合わせ喜びを表現しているステラに対して、冷静なラズワルドが口を挟む。
相手の友好的姿勢を考えればあまり事を急く必要もなさそうな雰囲気だが、シュニーとしても同じ疑問を抱いていた。
仲良くする、と言えば聞こえがいいものの、実際に何をするのか。
向こうに生き残りがかかっているという切実な事情がある以上、話の落としどころは時々交流会を、程度ではなく実利のあるものになってくるだろう。
「まず、ウチからは戦士が出せる」
顎を撫でながらガウルが差し出した交渉材料に、シュニーたちは比較的似通った反応を示す。
「言っちゃなんだがよ。そちらさん、そこまで防備が整ってねえだろ? ちらっと見ただけでもなんとなくわかるぜ」
「……」
ガウルの指摘に、ラズワルドが口をへの字に曲げる。シュニーが内心で、ステラは普通に頷く。
つまり、納得。
素直に認めたくはないが、紛れもない事実だった。
外敵から町を守るだけの軍事力、それは今のフィンブルの村に大きく欠けている要素である。
「んで、いざという時にもあっちのでかい町は頼れねえ。違うか?」
「……その通りだ。向こうの連中は味方どころか、敵みてぇなもんだ」
ラズワルドの声には苛立ちが籠っていた。
目の前のガウルに対してではなく、別のものへの。
「……そうか。もし助けに来れるとしても無理なのか? 向こうの町には獣車の類とかも持ってないのかねぇ」
「ああ。雪道を突き進めるようなのは無かったぜ」
「そうですね……」
馬を初めとした大型の輓獣を用いる車両は、現代の長距離移動における主力である。
だがスノールトの町には殆ど存在していない。
それは単に貧乏だから、というだけでなく要求される性能の高さとスノールト領の土地柄にも原因があった。
深い雪に埋もれた不安定な道を突き進めるだけの強度と安定性を求めれば、必然的に高額となってしまうのだ。
車両部分だけでなく、それを引く輓獣の維持費用という面でも。
もちろんスノールト領の財政事情にそんな余裕はなく、さらには導入する利点も少ない。
スノールト領はひとつの小さな町に縮小してしまった地であり、領民が町の外へ長距離の移動を行う場面が殆ど存在していない。
そのため、そもそも大枚を叩いたところで使用機会が無いのである。
「そりゃきついな。もし襲われた時にゃ、助けが間に合わないってコトかよ」
「間に合わないも何も、ハナから来る気なんてねえよ」
「そりゃ物騒だ。そんなお前たちに大ニュースなんだが、ここに仕事無くした腕っこきがたんまりいるぜ」
ステラは不慣れな軍事面の話のため口数少なめ、代わりにラズワルドが不機嫌に答え、ガウルがその言葉を拾い雰囲気良く返す。
事情の説明を挟みながら、至極全うに、かつ友好的に話は進んでいく。
「……ふむ」
この雰囲気のまま話が進めば、大きな不足を補ってくれる外部との協力関係は無事結ばれそうだ。
それはシュニーとしても、ステラたちとの政争を抜きにして領地の未来を思えば望ましい流れのはずだった。
「んん……?」
だというのに、何かにひっかかりを覚えてシュニーは小さく首を傾げる。
それに近い感情を今までの経験から探してみれば、『危機感』か『不安』だろう。
自分の底意地の悪さが、領主を差し置いて外交をしているステラ達に嫉妬でも抱いているからか。
確かに自分の立場が危ぶまれる状況で抱く思いには合致している。
でもなんとなく、そうではない気がした。
「軽くは前聞いたけど、向こうの町との仲は最悪、と……でもどう思ってんだろうな? 可愛い子供たちがピンチとありゃ、親は駆け付けてくれそうなもんだけどよ」
「……んなワケねぇだろ。じゃあなんで、俺達がココを作ろうとした時点でそうしなかったんだ」
話が進むにつれて、じわじわとそれが大きくなっていく。
「ま、それもそうか。悪かったな」
「おう。んな事今はどうでもいいんだよ」
「おっと……ああいや何でもないよ続けてくれたまえ」
そのせいで、別件の話を挟もうとしたタイミングを逃してしまったが、その失敗が気にならなくなるくらいに思考が支配されていた。
「うーん、聞けば聞くほど辛ぇ状況だな。一応、確認なんだが……それ以外からも、助けは期待できないんだよな?」
「っ……」
そして。
シュニーはしばし考え込んで、こひゅ、と小さく息を呑んだ。
この愛想のいい人狼は、こちらの事情をやたら深く聞きだそうとしていないか。
もしそれが意図的だったなら、彼がやって来た理由は本当に語った通りのものなのか。
そのような、己の抱いていた得も言われぬ感情の正体に思い当たって。
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