初めての刑務所

@daidai0034

初めての刑務所




忘れもしない、2021年9月16日(木)に僕は初めての刑務所に入所する事になった。




事件を起こしたのは愛知県なのだけど、僕が移送されたのは関西にある、とある民間刑務所。




移送当日の朝に拘置所で移送の手続きなどがあって、お偉い職員の方に行き先の刑務所の告知を受けたのだけど、その名前は「〜刑務所」ではなかった。




告知を受けた後に、僕の他に同じ行き先の受刑者の方が2人いて、その内の1人に




「民間だね」って言われた。




ちなみにこの人は、拘置所内で同じ雑居部屋だった人だった。




だから、少し心強かったのを覚えてる。




この人はMさんという人で、この後もちょいちょい出てくる。




僕たちの移送手続きが終わって、やっと刑務所に出発。




施設を出る前に、僕ら3人はしっかりと手錠と腰縄(3人連結)で繋がれることに。




こんなことをされている自分に多少惨めを感じたが、まあそれは置いておいて…




久しぶりに拘置所の外へ出ると覆面ワゴンが停まっていたので乗り込む。




車内での交談(他の受刑者との雑談や話す事)は一切禁止と前もって注意をされてから、いよいよ刑務所へと出発。




ここからだと約4時間くらいかかると言われて、到着はお昼前くらいとの事。




出発現在の時間はわからないけど、おそらく午前8時過ぎくらいかも(前日に、遠いから明日は普段受刑者が起床する30分前くらいに起こしにくると言われてた)




確か平日の一般の受刑者の起床時間が午前7時30分くらいだったと思う。




なので、僕たちが起こされたのは午前7時くらいということになるのかな(この辺はうろ覚え)




そして車で約4時間の、無言という苦痛の旅が始まった。




護送の職員に




「寝てもいいからね」




って言われたけど、緊張してて眠気など全くなかったので、ずっと窓の外を眺めていた。




普通に外を歩いてる人を見て複雑な気持ちになったのを覚えている。




そしてなんやかんやで数時間が過ぎた頃に職員さんから




「そろそろ着くでな」



との声がかかる。




いよいよか…




僕の緊張はMAX。




民間の刑務所と聞いたから、もしかしたら刑務官がいないのか、とか。




そんなに厳しい所じゃないのか、という期待と不安が入り交じってた。




入口の門に入ったところで、車についている黒いカーテンが閉められた。




閉まる前にチラッと外観が見えたけれど、本当に刑務所?という感じの綺麗な建物だった。




これは本当に拘置所のようなあの青色制服の職員さんがいないのでは?と期待がますます高まる。




その内、シャッターが開く音が聞こえて車は中へ。




このあたりは拘置所へ来たときと同じだ。




車が停車してドアが開けられる。




「足元に気をつけて」



そう言われてゆっくり降りたとき




期待は絶望に。




目に入ったのは、拘置所でも同じみの肩に“法務省”の文字が入ったあの青色制服の職員さん達だった。




「ですよね〜」



と思わず声が出そうになった。




僕たち3人は“新入調室”という所に通された。




青色制服がうじゃうじゃいてヘコむ。




でもその中に意外な人達もいた。




“ALSOK”というロゴが入った制服を着た者が数人。




ああ、民間だからかと納得。




ちょっと変な感じはするけど、新鮮にも映った。




ここから拘置所と同じく“領置調べ”が始まった。




あいにく僕は荷物が少なかったので10分〜15分くらいで終わった。




でも他の2人の領置調べが終わるまでは待っていなくてはならない。




個室の狭いボックスの中で待っているとドアが開けられて、所内で着るであろう服一式を渡された。




「今着てるの脱いでこれに着替えてな」




妙に優しい職員さんにそう言われて言う通りにする。




驚いたのは、所内着は拘置所のような緑のものではなく、薄い黄色に近い色のポロシャツとズボンだった。




しかも新品!?




少しテンションが上がる。




着てみると、着心地がすごい良いではないか。




拘置所の時の緑のやつはゴワゴワしてて嫌だったけど、これは良い!




服の他にシャツとかパンツとか、いわゆる“官物”も支給された。




それと名札も。




僕の名字が入った、白くて丸いデザインのものだった。




着替が終わって他の2人の領置調べも終わってしばらくボックスの中で待っているとまたドアが開けられて




「出てきて」




と言われたので出る。




他の2人も一緒に出ると、テーブルの上に食事が3人分並べられていた。




そういえばもうそんな時間なのね、と




しかも嬉しい事にその日の昼食は僕の大好物であるラーメンだった(何味だったかは覚えてない)




後にわかる事だけど、毎週木曜日の昼食は麺類らしい。




それにラーメンの汁が入っている汁椀を見て思わず心の中でツッコミを入れてしまった。




「(汁椀でかっ!)」



汁椀のサイズが異様にでかいのである。




底はそれほど深くはないのだけど横の幅が広いというか、どう表現したらいいのかとにかく大きい。




緊張で食欲なかったのだけど大好物のラーメンとあっては食べないわけにはいかない。




全部、ペロリと汁まで残さず平らげた。




全員食べ終わって少ししてから職員さんがバカでかい青い箱を抱えてきた。




これが部屋で使う“私物ケース”らしい。




拘置所では黒いトランクのバッグだったけど、ここのは四角いシンプルな箱。




「私物全部ここに入れて」




言われて、支給された官物の日用品やら服やらを詰め込んだ。




そしてまたボックスに戻される。




初日から大好物のラーメンが食べれて幸せな気持ちで待つ。




しばらくして「出てきて」と同じみの台詞。




「はい、じゃあ部屋いくからその私物ケース手に持って」




私物ケースの左右には手で持てるように取手がついている。




いよいよお世話になる居室に移動か…




ここで緊張が再び。




新入調室を出ると、3人縦に並んでゆっくりと歩いていく。




途中で外に出たのでチラリと周りを見てみると、花壇があったり、まるで庭園みたいな景色が広がっていた。




その光景を見て、刑務所であることを忘れてしまいそうである。




少し歩くと“5”という数字が書かれたドアを開けて再度建物の中へ(この数字の意味は後でわかる)




そこには拘置所と同じ、居室がズラリと並んでいた。




かなり奥まである。




職員に促されて僕の居室であろう扉が開かれて




「私物ケース部屋に入れたらまた出てこい」




と少し威圧的(僕の勘違いかも)に言われてキョドりながらも言われた通りに。




「部屋の入り方教えるから覚えろ」




なんかこの職員嫌だなあと思いつつ「ハイ」と応える。




拘置所では「入室」と言われたら居室の方に背を向けてスリッパを脱いで入るだけというシンプルなものだったけど、ここでは少し面倒くさいやり方だった。




やり方としてはこうである。




(1)居室の前に来たら自分の名字が書かれているネームプレートの前に立つ(床に線があってその先に足のつま先を合わせる)



(2)職員が「○室、番号!」と声をかけるので自分に与えられた称呼番号を唱える(書き忘れていたけれど僕の称呼番号は“319番”となった)



(3)番号を唱えたら今度は「検身!」と声がかかるので両手を上げて口も開けて前と後ろの服装の検身(マスクをしている場合はヒモを親指にかける)



(4)服装を正したら再びネームプレートの前に立つ。



(5)ここでやっと「入室」という声がかかるけれど入り方も少し細かい。



居室の前に左足→右足の順で踏み出す。



次に右足を後ろに引いてそのまま回れ右をする(重要なのは“カカト”に重心をのせて回ること)



靴の裏全体で回るのではなく、カカトだけで回るという非常に面倒くさいものである。



回れ右をしたら左足が一歩前に出ている状態なのでそのまま左足を戻す。



あとは靴を揃えながら脱いで入室動作完了。




この入室動作を2、3回練習させられてから、やっとこさ自分の居室に入って荷物の整理とかができるようになる。




僕の居室は23室だった。




ちなみに僕と一緒に来た2人は22室と24室だったので、知人に挟まれて少し心強い。




ちなみにここの居室がある棟は「第5寮工場」というらしい。




さきほどの“5”と書かれたドアの意味を理解した。




荷物整理終わって少ししたらドアが開いて「運動行くか」と声がかかる。




入室動作を教えてくれた嫌な職員さんではなくて別の太っちょの職員だった。




僕ら3人だけが出されて初めての運動へ。




でも運動場へ行く前に廊下で簡単に整列のやり方と行進のやり方の指導が始まった。




まずは行進。




「足踏みはじめ!」の号令で左足から踏み出してイチで左足、ニで右足が地面につくようにする。




「全体とまれ!」の号令で止まった瞬間に一番前の人は左手を腰に当てて後ろを見る

残りの後ろの人はサッと両手を上げて前ならえ。




一番前の人は後ろの人の動きが止まったのを確認してから左手を戻すと同時に前に向き直る。




これを“自己整頓”という。




自己整頓については職員さんの号令がかからないので、ボケっとしていると注意を受ける。




ちなみにこの練習で、一緒に来たMさんじゃない方の人が何度も注意されて連帯責任ということでやり直しもさせられて少しイラっとしたのを覚えている。




その人のことはBさんとしておく。




このBさんは、今思っても本当に落ち着きがなくてよく喋るし、友達にはなりたくないタイプだった。




同じ工場に配属されたら嫌だなあと思いつつ運動へ。




拘置所みたいに皆で集まって運動できるのかと思ったら3人バラバラにされてしまった。




しかも家畜小屋みたいな運動場で、しかも狭い。




喋る相手もいないし、1人で運動させられるなら運動なんて行きたくなかった。




ここで30分なにしろと。




運動場では爪も切れるようだけど、あいにく昨日拘置所で切ってきたので無用。




適当にスクワットとかしたり狭い場所をグルグル歩き回ってるうちに運動終了。




居室に戻る前にまた何回かBさんが自己整頓でミスってやり直しさせられて




「(ほんとコイツは…)」



と少しばかり○意が。




運動…ただ、別の意味で疲れにいっただけではないかとテンションが下がる。




居室で5寮工場の説明が書かれてる書類を見ていたらドアの横の食器口が開いて




「入浴いくから準備だけしといて」




と声がかかる。




入浴…どうせ入浴の時も細かなルールがあるんだろうなとさらにテンションが下がる。




覚える事がいっぱいで頭がパンクしそうだ。




例にならって入浴も僕ら3人だけで行くことになった。




タオル、シャンプー、石けんを持って廊下に整列すると太っちょの職員から入浴道具の整頓の仕方の説明がはじまった。




ほら言わんこっちゃない。




でもこの太っちょの職員さん、話し方がとても優しい。




さっき僕に入室動作の指導をした職員さんも、この職員さんを見習ってほしいものだ。




さて入浴道具の整頓の仕方だけれども




まず、タオルを伸ばした状態から縦に折る。



細長い状態にしたらまず石けん箱を置いて一巻きする。



次にシャンプーを重ねるように置いてまた巻いていく。



これだけ。




ちょっと面倒くさいなと思ったけれど、これはすぐに慣れるはず。




簡単に説明が終わっていざ浴場へ。




そこは拘置所みたいに雑居風呂ではなくて、一人用の個室タイプの浴場だった。




またしても太っちょさんからの説明がはじまる。




まずはカミソリの借り方。




自分の称呼番号の書かれたカミソリを手にしたら、まずカミソリの刃の部分を職員さんに見せる。



職員さんによってはここで「ヨシ」と声をかける人もいればかけない人もいるので臨機応変に。



刃を見せたら、次は裏返してカミソリの背面の方を職員さんに向ける。



カミソリの背面に称呼番号の書かれたシールが貼ってあるので、その番号を見せるようにする。



そして自分の称呼番号を言ってから次に「間違いありません」と、自分のカミソリで間違いないことを職員さんに伝える。




僕の場合は




「319番、間違いありません!」




と、こんな感じに。




カミソリを手にしたのはいいけどここでもう一つ注意点が。




カミソリの持ち方である。




片手でぶらぶら持って歩いてると、隣に人がいた時とかにぶつけてケガとかになりかねないので、カミソリを持つ手を胸元くらいまで持っていって、かつ刃の方を自分の方に向けて落ち着いて移動する。




太っちょさんの説明はすごくわかりやすくて良かった。




ちなみにカミソリを返す時も、借りる時同様の動作をするけれど、返す際は「間違いありません」の一声は不要。




別にあってもいいけど、それは個人の自由。




僕は後に電気カミソリを買ったので、官物のカミソリを使ったのは1ヶ月くらいだった。




3000円も出して電気カミソリを買ったのも、毎回この動作が面倒くさいと思ったからに他ならない(入浴は15分なので、剃っている時間がもったいないというのもある)




カミソリの説明が終わってやっとお風呂に入れるかと思ったらまたまた説明。




居室衣の脱衣は、まずズボンとパンツを同時に脱ぐ(時間短縮のため)




次に上着はズボンの上に、名札が見える状態で畳んで置いておく。




脱衣する前に入浴の説明が。




中に入ったらカーテンを閉め、入浴道具を左手に持って鏡の前に立ち、職員さんの「入浴はじめ!」の号令を待つ。




号令があってようやく15分間の入浴タイムスタート。




1つだけ、不可解かつ最悪なルールが。




それは…




“シャワーヘッドを外したらダメ”ということである。




聞くと、ヘッドを外すと隣の人にかけてしまったりしてトラブルになるからだとか。




にしても、この寮の浴場は個室なのだから別に外しても良くない?とツッコミたくなるところではある。




まあ、どこも公平にって事なのだろうけども。




入浴が終わってスッキリして居室の前に来たときに太っちょさんから“タオルすすぎ”の説明が入る。




居室に入ったら「タオルすすぎ用意!」の号令で洗面器に水を一杯ためる。




次の号令があるまではタオルを左手に持って前を向いて立っておく。




「タオルすすぎはじめ!」の号令で洗面器にタオルを入れて洗う。




ここでの注意点は号令前に動作をしない事と、水の継ぎ足しをしないこと。




一杯ためたら必ずその分だけでタオルを洗う(水の不正使用ということで相応の処罰があるとかないとか)




運動と入浴のイベントが終わってこれで一段落かなと思ってたら食器口が開いて、何かが入ってきた。




それは何かの箱で、食器口に近づいていったら、その箱の中には大量のミニ折り紙が入ってた。




職員さんが素っ気なく




「今日から作業してもらうから」




まじか、初日から作業かぁ、と。




でもまあ、午後からだから作業時間も残りそうないだろうと。




折り紙で何を折るのかと思っていたら、もう1つ何かが入ってきた。




それは、折り鶴の折り方が一から載っている見本だった。




折り鶴か…




まあ、暇つぶしにはなるかなと。




この折り鶴作業、最初は楽しいなって感じでやっていたのだけど、1時間くらい経ったらさすがにダルくなってきた。




飽き性である上に、熱しやすく冷めやすいところがあるのが僕の欠点だ。




5寮工場の説明書きに、この寮には約1週間いて、その後は第1工場(通称:考査工場)と呼ばれる工場に移動になるらしい。




考査工場…初めて聞く言葉なので一体どういう工場なのか今から緊張が高まる。




とにかく一心不乱に鶴を折っていたら食器口が開いて。




「明日健康診断あるから」




と告知が。




健康診断か…




という事は採血もあるのか。




僕は大の注射嫌いなので憂鬱だ。




だからコロナのワクチンも当然打っていなかった。




作業いつ終わるんだろうと気だるくなってきていたら、急に食器口が開いてビクッとする僕。




食器口が開いたのは僕の居室だけじゃなく、職員さんが他の居室の食器口も開けて周ってるらしい。




もしかしてもう夕食? 




でもまだ材料(折り紙)あるし、点検もしてないみたいだし。




と怪訝に思ってたら、廊下から突然拡声器を使ったバカでかい声が。




「今食器口開いた部屋の人だけ聞いてください。今から今日のこの後の動作時限について説明するので食器口の近くに集まってきてください」




なんだ、さすがにまだ夕食ではないかと落胆しつつ食器口の前に正座する。




この職員さんの声からして50歳はいってそう。




それにこの人もすごく優しそうな声をしている。




それから20分くらい、今後の説明を受けた。




この後、作業やめの号令がかかってから点検をして、それから夕食。




それと、刑務所でのご飯と並ぶくらいの楽しみであるテレビ視聴の説明も受けた。




テレビは、平日は午後6時30分から午後8時55分まで。




土日などの免業日は午前9時から午前11時30分までと、午後5時から午後8時55分まで視聴可能との事。




ただ、今は9月で相撲をやっている月なので“相撲テレビ”という名目で、特別にその相撲を開催している期間だけは平日5時からテレビが見れるという。




ただし5時から6時までの1時間は相撲チャンネルだけしか見てはいけないらしい。




他のチャンネルにすると処罰の対象になると聞いて、末恐ろしくなった。




相撲なんて興味ないのだけど、まあ文句は言っていられない(当時はそう思っていたけれど、後々相撲が好きになり、今では若元春と宇良推しだったりする)




あとは、その日だったかは覚えてないけれど“矯正指導日”の説明も入ったと思う。




拘置所でも月2回あった、作業に代わる矯正プログラム。




驚いたのは、ここの矯正指導日が“毎週”あるという事だ。




拘置所は第2木曜日と第4木曜日だったけれど、ここは毎週水曜日にあるらしい。




といっても例外があって、水曜日が第5週まである月については、5週目だけの水曜日は通常の作業日となるという。




それは別にいいけれど、毎週免業日がきて作業が週4日になるなんて最高じゃないかとテンションが上がる(これについても当時はそう思っていたが、今考えれば苦痛だったし作業している方がマシだったと言える)




なんやかんやで説明が終わって折り鶴作業に戻り、そこから30分くらいで




「作業やめ!材料を回収するので食器口の上に置いておいてください」




との放送が。




…やっと終わった。




午後から始めたはずなのに、なぜこんなにも長かったのだろう。




明日からはおそらく朝から作業をするのだろう。




そう思うと憂鬱が襲う。




点検の号令がかかるまで少し時間があるようなので“受刑者の心得”という冊子をサラッと見てみた。




とりあえずまずは動作時限表を頭に叩き込んでおかないとならない。




なるほど、平日の起床時間は午前6時40分。




点検、朝食を終えて間もなく工場就業者は出室準備→出室。




7時40分には作業開始か…




早い気もするような。




どこの刑務所でも同じくらいなのか。




昼食は免業日も共通で午後12時、作業終わりは午後4時30分。




5〜10分後には居室に戻って4時50分に点検、そして夕食。 




ちなみに土日や矯正指導日などの免業日は起床が午前7時30分。




点検、朝食が終わってテレビとか見たりしてたらあっという間に1日が終わりそう。




もう少し冊子を見ていたかったけど、職員さんの「点検用意!」の号令がかかってしまった。




点検の仕方は拘置所と一緒で、朝と夕に自分の称呼番号を唱えるだけ。




拘置所は雑居部屋だったから朝は「イチ、ニ、サン」の一連番号だったけれど、ここは独居だから朝夕共通で「319番!」と唱えればいいのね。




「なおれぇ!」




と、点検終了のバカでかい号令が響いたところでやっと長い1日が終わったと肩の力が抜ける。




午後5時から夕食を食べながら相撲チャンネルとやらを回す。




NHKの1チャンネルでやっていたので、興味はなかったけどとりあえず流していた。




ゆっくり食事を味わってたら、配食からそれほど時間が経っていないのに




「からあげ(空上げ)よおい!」




と号令が響いた。




焦って早食いして、食器を5寮工場の説明書きに書かれていた順に重ねて食器口の上に用意。




配食から空上げまでが早くて、全く味わって食べる事ができないではないか。




午後6時を回った時に、突然チャイムが鳴って放送が流れた。




女の人の声で




「ただいまから就床の時間です」




と3回くらい繰り返しの放送。




そうそう“就床”についても説明があったのだった。




午後6時を回ったら、就床の時間といって布団を敷いて寝る事ができる。




拘置所でもあったけれど、拘置所と違うのが1つ。




就床の放送がかかったら、たとえ今すぐ寝る予定がなくてもとりあえず布団を敷いておかなければならない。




そしてまだ寝ない場合は布団を二つ折りにしておく。




布団に寝転んだままで読書はOKだけれど、書き物などは禁止。




また、居室衣を着たままで布団に寝転がるのもダメ。




まあ、この辺は頭の悪い僕でもさすがに理解はできる。




とにかく今日は疲れたので布団を敷いてパジャマを着よう…と思ったけど、パジャマは今は着る必要はなし。




なぜかというと、今は9月で“夏季処遇”の実施期間中との事だった。




つまり上はシャツ1枚、下はパンツ1枚で寝ることができる。




でも面倒くさいのが、着ていないパジャマは畳んで定められた位置に整頓しておかなければならない。




ちなみに居室衣に関しても、在室中(作業時含む)は上着を脱いでシャツ1枚で過ごす事ができる。




今日はあまり暑く感じなかったので僕は脱がなかったけれども。




脱いだ上着もパジャマと同じく名札が見えるようにして定められた位置に整頓しておかなければならない。




細かいルールが多すぎてすぐ忘れてしまいそうである。




そんなこんなで初めての刑務所初日は特に問題なく終了した。




それにしても長い1日だった…




身体よりも頭が疲れてしまった。




果たして今日はよく眠れるだろうか?




脳が興奮してなかなか寝付けなさそうな気がする…




テレビがあるとやはり時間経つのが早い。




あっという間に時刻は午後8時55分前。




テレビが自動で消えてからフゥとため息をついて、寝る準備。




ここで一つ不満が発生。




『枕が柔らかすぎる&低すぎる』




僕は、枕はそれなりに固くて高い方がよく寝れる(娑婆でもそうだった)




ここの枕は、そのどちらも崩壊していた。




案の定、その日は全く寝付けなかった。




何度も寝返りを打ったり体勢を変えたりして、変に脳が覚醒してる状態に…




考えてみると留置所でも初日は全く寝れなかったし拘置所でも然りだった。




そりゃ今回だって寝れないわけである。




娑婆では夜行性だったから、それが慣れちゃってるのもあるのかなと。




10分くらい毎に夜勤の職員が巡回にきて、その足音がうるさいのもあるかも。




色々考え事をしてる内にいつの間にか眠っちゃっていたみたいで、目が覚めたら窓の外が明るくなっていた。




運命の2日目。




ぼーっとしていたらチャイムが鳴って、クラシックの音楽が流れはじめる。




クラシックは詳しくないので曲名はわからないけれど、朝から爆音で聴いたら一気に眠気が覚めるような曲。




点検は10分後だ。




急いで居室衣に着替えて布団を畳む。




布団の畳み方は“居室の整頓要領”という冊子に書かれていたので、昨日の時点で頭に叩き込んでおいたからスムーズにできた。




洗顔をサッと済ませて点検位置に座る。




座る場所は、扉の視察口から真っすぐの位置で、安座か正座で待つ。




点検が終わって朝食済ませ、作業待ちへ。




この1週間ひたすら折り鶴を折ると思うと萎えてくる。




1日最高で何羽折れるか試してみようか。




でも昨日職員さんに




「ゆっくりでいいから、正確に綺麗に折って」




と言われていたので、そう早くも出来なさそうだ。




でも今日は健康診断がある。




運動もあるけど、また1人運動になってしまうのだろうか。




ちなみにこの寮の入浴は毎週月、木らしい。




でも今は夏季処遇ということで週3回になっている(何曜日かは忘れてしまった)




そうそう、来週月曜日は理髪があると昨日告知があった。




拘置所で移送の何日か前に切ったばかりなので、あまり伸びてはいないけれども。




そんなこんなで始まった朝からの折り鶴作業。




別にノルマとかもなさそうだし、のんびり折ってやろう。




30分くらいやったところで食器口が開いて




「運動いく?」




と声がかかった。




昨日の優しい太っちょさんだ。




とりあえず、ハイと応える。




他の居室の鍵も一斉に開けていたので結構な人数と一緒に行くのだろう。




もしかしたらワンチャン1人運動はないかもと期待。




そして廊下に縦に整列。




何人くらいいたか。




10人くらいはいたような気はする。




縦隊で行進して運動場へ。




番号が次々と呼ばれていく。




「319番と〇〇〇番、〇番の運動場に入って」




と僕の番号と、拘置所から一緒に来たMさんの番号が呼ばれた。




お、Mさんと一緒の運動場か。




よかった、ついにこの刑務所に来て初の運動交談。




Bさんじゃなくてよかったと安堵。




Mさんと一緒の運動場に入ったら、Mさんが開口一番




「作業、やばない?」




と苦笑いしながら言ってきた。




最初の方にも書いたけれど、Mさんとは拘置所で一緒の雑居部屋だった。




見た目というか、目つきが少し鋭いけど、全然気さくで優しいお人である。




「やばいっす」と僕。




それからは、ここの話や職員さんの話で盛り上がった。




「運動終了!」




と職員さんの号令と共に扉が開く。




あっという間の30分だった。




でも気分転換ができて良かった。




作業に戻って30分くらい経った頃に放送が入った。




「作業やめ。用便とお茶を済ませた者から作業に戻るように。なお、スポーツドリンクを配るので、コップを食器口の上に置いておくように」




お、スポーツドリンク?




そんなサービスがあるのね。




さすが夏季処遇である。




黄色いコップにスポーツドリンクが1杯注がれる。




うまい!




久しぶりにお茶以外のものを飲んだ。




喉が潤ったところでまた作業に戻る。




少なからずやる気が出てきた。




昼食を食べた後、昨日も告知があったように健康診断に向かった。




まずは身長体重測定してから尿検査、視力検査、レントゲン、血液検査などなど。




注射はやっぱり嫌だった。




チクッとするのは一瞬なんだけど、それからの血を容器に吸収していく間が異様に長く感じた。




なにはともあれ、無事に健康診断終了。




居室に戻って、ひたすら折り鶴。




それからは、初めての土日を迎えたりして、翌週水曜日の矯正指導日の日がやってきた。




矯正指導日は、午前中はDVD視聴→読書・自主学習→DVD視聴。




午後も同じだった。




そのDVDの内容というのは、全てNHKの番組で、プロフェッショナルだったり、72時間ドキュメントだったり、スポーツドキュメントだったり、とにかくNHK縛りがひどかった。




内容によっては全く興味ないものもあって苦痛だった。




これなら折り鶴している方がいいという人もいるかもしれない(僕もその1人になりつつある)




もっと苦痛だったのが、読書と自主学習時間。




私本の小説が見れればまだいいのだが、見れるのは官本(ここで借りれる本)や、私本でも資格の教科書とかのみ。




これが毎週あるのか…




拘置所はナンプレとかクロスワードとかやってても大丈夫だったけど、ここはそれもダメとなると相当萎える。




でも嬉しいこともあった。




それは“昼食”である。




水曜日のお昼はパンとぜんざいだったのである。




あのでかい汁椀に大量のぜんざいが入っている!




でもぜんざいといっても、モチなどは入っていない。




ただ小豆が入ってるだけだけれど、甘くてすごい美味しい!




これなら矯正指導日も悪くないなと少しばかり思う。




と言いたい所だったけれど、後から聞いた話、ぜんざいが出るのは1週間おきだという。




ぜんざいじゃない日はクリームシチューとの事。




毎週ぜんざいだったらどれだけ幸せだったか。




初めての矯正指導日がなんとか終わって、明日で刑務所にきて1週間。




まだ1週間か…




あれ、そういえばこの寮にいるのは1週間だったよな、と思い出す。




明日で1週間だけれど、考査工場移動の話とか何も来ていないのだけど…




結論からいうと、僕はこの第5寮に約3週間もいた。




理由はわからないけれど、とにかく折り鶴と矯正指導日が苦痛であった。




そして約3週間後の火曜日、僕達は第1工場=考査工場への配属となった。




その日は朝食を食べてから、移動の準備を始める。




工場に持って行かなければならない物品があるので、それらを分けていく。




時間がきて居室の扉が開き、職員さんが用意してくれた台車に布団や私物ケースなどの荷物を積む。




そして職員さんから考査工場に関する簡単な説明を受けてから、やっとの移動。




何人くらいいたか…




10人はいたように思う。




縦に並んで移動が始まる。




緊張で口から心臓が出てきそうな勢いだった。




ちょいちょいある段差に気をつけながら進んでいくと“3”の数字が書かれた扉が見えてきた。




5寮の次は3寮ですか、お世話になります。




中に入ると、5寮と違うところが。




独居ではなく、全部雑居部屋だったのである。




考査工場は雑居部屋なのか!




これが吉と出るか凶とでるか…




できたらMさんと同じ部屋にしてください。




僕は大の人見知りなので、いきなり知らない人達と一緒に入れられたらやばいです。




廊下の真ん中で止められて、職員さんが紙を見ながら名前と部屋番号を読み上げていく。




誰が何室だったのかは覚えていない。




でも一つだけわかったのは、Mさんとは別の部屋になってしまった事だ。




それどころか残酷な事実が告げられる。





「B!〇〇室!」




うわあああ!




Bさんと同じ部屋になってしまったぁ。




そりゃないよ…




いや、確かに拘置所から一緒に来たし、5寮の運動でも何回か一緒になって話したりしたけど…




前に書いた通り、この人はよくべらべら喋るし、クセが強いのである。




幸先が悪すぎる。




でも「Mさんと交換してくれ」なんて当然言えない。




まあ、一般工場に配属されるまでの付き合いだ、我慢するしかない。




荷物を居室に置いて、工場に持っていく物品だけ持って3寮を後にする。




それらの物品を一旦工場前で回収し、検身場に入る。




検身のやり方は、まず手の平と甲をそれぞれ職員さんに見せてから自分の称呼番号を唱え、口を開ける。




「ヨシ!」と言われたら一歩前に出て、パンツの縁に手をかけて前から後ろになぞって中を見せてから、左→右の順で足の裏を見せて終わり。




そして工場着に着替えて、ついに考査工場の中へ。




中ではすでに何十人かの人達が作業をしていた。




…ん?




思わず目を疑った。




皆、なぜかパソコンの前に座って黙々とキーボードを叩いている。




パソコンが作業?




何が何だかわからずにチラチラ見ていると、黄色い帽子を被ったやけにガタイが良い人から声がかかった。




いわゆる衛生係というやつか。




「今からやってもらう事の説明をするのでちょっと集まってください」




やけにハキハキとした声だ、聞いていて気持ちが良い。




ぞろぞろと衛生さんの周りにみんな集まる。




衛生さんはガタイが良い人と、細身で背の高い人がいて、名前をそれぞれ“ガタイさん”と“ホソミさん”と呼ぶことにしよう。




「まず、持ってきた衣類など全てに称呼番号と名前を書いてもらいます」




とガタイさん。




言われた通り、ロッカーの上に用意されていた服やタオルや靴などに称呼番号などをひたすら書いていく。




全員が終わった頃合いを見計らって、ガタイさんが声をかける。




「皆さん、ここに2列で並んでください」




ぞろぞろと、言われた通りの場所に整列する。




全員が揃うと、担当であろう職員さんが登場。




色黒で熱血そうな見た目。




マスクしてるからよくわからないけれど、結構な色男なのではないだろうか。




ガタイはそれほどだけど、体育会系の匂いがプンプン。




果たしてどういうお方なのか…




そして担当さんからの訓示が始まる。




「お前らは罪を犯してここにきているんや。何をしにここにきたのか、忘れんように」




みたいな事をひたすら言われたような気がする。




でもなんかこの担当さん、とても感じが良くて好感が持てる。




この担当さんとは後々に出所目前にまた再会する事になる(まだまだ先の話)




訓示が終わり、衛生さん2人から細々とした説明を受けてから作業場所へ。




まさか刑務所でパソコン作業をするなんて思わなかった。




でもここは民間刑務所だし、それを思うと納得できるのかなと。




ちなみにこの考査工場にいる期間は3週間。




今日入った僕達は1週目で、すでに作業していた人達は2週目、3週目の人達らしい。




基本は火曜日に3週目の人達が出ていって、新しい1週目がやってくる、というシステムだ。




3週間って結構長くないか?と思ったけれど、今思えばほんと一瞬だった。




その時は僕の中では、Bさんと3週間も一緒の部屋で過ごすのかという事がネックだった。




パソコンの作業の前に、ガタイさんや民間の講師から軽く説明があった。




作業は1週目、2週目、3週目で変わるらしい。




1週目はパソコンの基礎などのDVD視聴したり、タイピング練習との事。




パソコンのキーボード叩いてても作業金が貰えるなんて、なんて幸せなのだろう。




いっそ出所までずっとここでいいと、その時強く思ったのを覚えている。




でも以前書いた通り、僕は飽き性なのでそれはそれで不満だったかも。




それからはDVDを見たり、食堂で民間の講師の講義を聞いてワークブックの記入をしたりと、とにかく説明ばかりだった。




5寮にいた時よりも覚える事がいっぱいで、頭がエンスト状態になっていた。




ちなみに考査工場の運動は、基本は朝作業始まってからすぐ(午前8時〜8時30分)らしいのだけど、毎週火曜日は僕達のような新入が入ってくる日なので、運動は午後一番になるらしい。




なので火曜日だけは、昼食をとる際に作業帽をズボンのポケットに入れたまま食堂に向かう。




食堂での昼食が終わると、そのまま運動場へ向かうので1列で行進しながら連行職員さんに付いていけとの事。




考査工場ではどんな所で運動をしにいくのだろうと思いつつも向かったのは、そこそこは広いけれど、四方を柵でしっかりと覆われた運動場だった。




5寮の時の運動場をただ広くしただけのような場所である。




それでも家畜小屋には変わりはない気はする。




運動が始まってすぐMさんの所へ向かった。




「同じ部屋が良かったですね」などと話していると、ヤツ(Bさん)が知らない人を連れて近づいてきた。




聞くと、彼は僕らと同じ部屋の人を探してたらしく、見つかったので僕に紹介しようと思って来たらしい。




彼の行動に「余計なお世話だよ」と思うけども、とりあえずその一緒の部屋だという人に挨拶をする。




その人は、髪が少し寂しい40代くらいのおじさんだった。




名前は“おハゲさん”と呼ばせてもらおう。




でも変な人じゃなさそうでよかった。




おハゲさんは今週から考査工場の3週目。




つまり来週で考査工場を卒業するお方。




おハゲさんは今は電子辞書を使った作業をしているらしい。




漢字の読み書きとか、言葉遣いのマナーとかをひたすら勉強しているとの事。




それを聞いて、僕は国語が好きなので今から楽しみになった。




おハゲさんによると、僕達の入る部屋には現在おハゲさんを入れて3人いるとの事で、皆全然良い人だと聞いて安心した。




5人部屋か…




拘置所は6人部屋だったから暑苦しかったけど、まだ5人ならいいか(Bさんがいなかったら尚良かったけども)




運動が終わり、再びパソコン作業へ。




折り鶴している時よりも時間経つのがすごい早かった。




作業やめの号令がかかったのは16時15分くらいだった。




いつの間にそんな時間になっていたのか。




パソコンに夢中で全然時間なんて気にしていなかった。




朝来た時と同じで、更衣室で工場着を脱いで検身し、居室衣に着替える。




部屋に戻ったらちゃんと先輩方に挨拶しなければ。




第一印象は大事だ。




部屋に帰ると、おハゲさんが他の2人を紹介してくれた。




1人はおハゲさんと同じ40代くらいの少し白髪が生えたおっちゃんで、名前は“シラガさん”としよう。




もう1人は僕と同年代くらいの人で、身体中に墨が入っているので名前は“おスミさん”で。




ちなみに居室は6人だった。




今日僕達と一緒に入ったというもう1人の若い人もいた。




特に特徴はないので、名前は名字に水が入っているので“おミズさん”としておこう。




続いてBさんが自己紹介を始める。




年齢は僕より少し上だったか。




まあ、年上だろうなとは思っていたけれど。




流れで僕も自己紹介する。




「まっすーです、よろしくお願いします」




とりあえず簡単に。




それからはBさんがやたらペラペラ喋っていたけれど「点検用意!」の号令で強制終了。




ちなみに独居の時とは違って、雑居部屋での食事の時は細かなルールがある。




雑居部屋では席順が決まっていて、ここは6人部屋なので1番席から6番席まである。




僕らの番席は




シラガさん(3週目)→1番席

おハゲさん(3週目)→2番席

おスミさん(2週目)→3番席

おミズさん(1週目)→4番席

僕(1週目)→5番席

Bさん(1週目)→6番席




番席で当番が決まっていて、1番席と2番席が食事の用意(食器の受け渡し、お茶ポットの受け渡し、食器の空上げ用意)




そして3番席がトイレ掃除。




ローテーションとかじゃなくてもう固定なのね、と。




暴動とか起きないかなと思ったけれど、この部屋のメンバーからしてそれはないだろうと安心。




夕食を食べ終わってから17時半を過ぎ、ここで一仕事。




職員さんからマジックペンを借りて、衣服類全部にこの部屋の番号を書かなくてはならない。




これが結構面倒くさい。




早くのんびりしたいから超高速で書いてさっさと終わらせた。




僕の席は4番席のおミズさんと6番席のBさんに挟まれた状態なので辛い。




この2人、同じ罪状ということで意気投合して僕を挟んでペラペラお喋りを始めるからそれがまた少し僕のストレスに。




仕事といえば、もう1つ

あった。




この考査工場にいる間だけ、毎日日記のようなものを書かなくてはならない。




元々、物書きが好きな僕はスラスラと書いて行を全部埋めた。




書いている時にBさんがちらちら覗いてきてイラッとしたのを今でも忘れない。




18時半になりテレビがついた。




今月は相撲テレビがないから遅い。




しかも独居の時と同じ小さいテレビだから、僕の席からだと遠くて見づらい。




テレビを見ている間も例の2人がペラペラ喋るから〇意が。




やっぱりこの人大嫌いだ。




気が長い僕でもイラッとくるのだから、短気の人はすでにキレて手を出してると思う。




考査工場の生活はあっという間に過ぎていった。




2週目になると、パソコンのタイピングに加えて小学5年生〜中学3年生までの国語と算数の勉強をした。




算数は昔から苦手だったから全然できなかったけれど、国語は好きだったからまあまあできた。




3週目は電子辞書を使った漢字の読み書きや、日常生活に関するマナーなどの学習。




この電子辞書、タッチスクリーンの反応がすごく悪くてイライラしっぱなしだったけれど楽しかった。




そしてついに考査工場も最終日となった。




最終日の今日月曜日は、午後から一大イベントが控えていた。




それは




“処遇審査会”




というものである。




簡単にいうと、どの工場に配属するかを決める面談みたいなもの。




衛生のガタイさんから説明があった。




お偉い職員さんが何人もいて、罪についてどう思っているか、この先出所してからどうするつもりなのかなど細かい事を色々と聞かれるらしい。




面接とか面談も僕は大の苦手なので、始まる前から緊張しっぱなしで作業にも身が入らなかった。




午後2時くらいになり、ついにお迎えがきた。




検身をして整列して審査会会場へ向かう。




何寮かの階段を3階まで上がると廊下にパイプイスが用意されていたので、そこに座って順番を待つ。




緊張MAX。




ガタイさんから、厳しい事も聞かれるかもしれないと聞いていたので余計にやばい。




そして15分くらい待って、やっと僕の称呼番号が呼ばれる。




中に入ると、コの字形にテーブルが並んでいて、そこにズラリといかにもお偉い方達が。




その光景だけで、今の僕はまさに“蛇に睨まれた蛙”状態。




称呼番号と名前を言ってからイスに座る。




結論から、この時は緊張がやばすぎて何聞かれたのかも自分がどう答えたのかもよく覚えていない。




でも特に厳しい事言われるとかボロクソ言われるとかはなかったのは覚えている。




1人だけおばちゃんの職員さんがいたのだけど、その方が悟すように優しく声をかけてくれたのはよく覚えている。




なんやかんやで職員さん方の質問が終わり、最後に1枚の書類が渡された。




そこには、受刑中に達成させるべき矯正目標が3項目書かれていた。




最後にその3つの項目を声に出して読んでから処遇審査会が終了。




やっと終わった。




人生の中で一番緊張したかもしれない(大袈裟かもしれないけれど、実際あの雰囲気を前にするとわかると思う)




経験はないけれど、大手企業の面接ってあんな感じなのかなと。




工場に戻った途端に肩の力が抜けて脱力モードに。




でもそれを表に出すと注意されそうなので、気をつけて作業。




その後ガタイさんから作業終了後の説明を受け、最後の考査工場を終えた。




そうそう、今の居室のメンバーだけれど、一緒の居室だったおミズさんはちょっと前に別の部屋に移動になっていた。




できればBさんが移動して欲しかった。




今は5人部屋で、僕とBさんの他にメガネかけたおじさんと、僕と同じ30代の人が2人。




平均年齢が前より大幅に下がった。




今日でやっとBさんともお別れだ!




でもまだわからない。




もしかしたら同じ一般工場に配属される可能性もなくはないのだ。




挨拶などを終え、最終日の余暇時間は五目並べで遊んだりした。




将棋もあったけれど、当時の僕は将棋は全くわからなかった(後に別施設での職業訓練に行った時に覚える事になる)




考査工場はなんというか厳しかったけれど、担当さんがすごく良い人だったから頑張れた。




だからこの考査工場は担当さんに迷惑を一度もかけることなく無事終える事ができた。




衛生のガタイさんとホソミさんもとても良い人で、最後まで本当にお世話になった。




新しい工場に行っても頑張ろうと思えた。




翌日、みんなとお別れの日がやってきた。




五目並べがもうできなくなるのは寂しいけれど、やっとBさんと別れられると思うと笑みがこぼれる。




そのBさん、朝の配食に来た衛生のガタイさんに




「〇番(Bさんの称呼番号)、A食入ります!」



と言われていた。




なに?奴がA作業?




考査の時に落ち着きがなくちょいちょい脇見で注意されていたあのBさんが?




ちょっと納得はいかないけれど、まあこれで奴と別工場になるのは確定!




さようなら〜




朝食が終わり荷物の整理を終えた後は、職員さんが迎えにくるまで座って待機。




いよいよ一般工場での作業が始まるのか。




どんな作業になるのだろう。




僕は頭が悪く不器用なので、頭を使う作業とか難しいのは嫌だなと色々考えてしまう。




工場に出る人が出室して、僕とBさんが残る。




やがて職員さんがきて




「319番、まっすー!」




と呼ばれて廊下に出ると同時に告知を受けた。




「319番、君は3工場」



ほう、3工場とな。




僕だけなのかなと思って辺りを見てみると、向こうにもう一人いた。




それはなんと先日まで一緒の部屋だったおミズさんだった。




もしやおミズさんと一緒の工場か?




一人だけじゃ心細いと思っていたので、これは心強い。




「じゃあ行こうか」と言われて荷物を乗っけた台車を引く。




おミズさんも動き出したのでやっぱり一緒の工場だ、と少し安心する。




向かったのは“2”と書かれた扉の寮。




5寮→3寮ときて最後は2寮か、お世話になります。




部屋は1階の47室だった。




荷物を置いて、工場で使う衣類が入った衣装ケースだけを持ってついに工場へと移動。




3工場とやらの前にやってくるとロッカーの番号を教えてもらい、そこに履いてきたスリッパを閉まって更衣室の中へ。




検身を終えて、工場着に着替える。




着替えている時に工場の中からガチャガチャ音が聞こえていた。




どんな作業をしているのだろう。




工場の中へ足を踏み入れると、40人〜50人くらいの人達が椅子に座って黙々と作業をしていた。




なにやら金属類をいじいじしている様子。




さっきの音は金属だったのか。




そして工場の担当さんと思われる方の前におミズさんと立ち、称呼番号と名前を言ってから挨拶をした。




担当さんは30代後半〜40代くらいの細身で、考査の時の担当さんと同じく色黒だった。




なに、工場の担当さんはみんな色黒なのか?と。




そしてこの担当さん、とにかく眼力がすごい。




至近距離で見て思わず後ずさりしそうになった。




挨拶もそこそこに、衣装ケースを持ってロッカーの前へ。




ロッカーの前に椅子が用意してあって、そこに座るように促される。




やがて黄色い帽子の衛生係がやってきた。




多分僕より全然若い、20代くらいの子だった。




持ってきた衣類にマジックで工場名を書くように言われる。




そういえばロッカーの所に移動している時にチラリと見えたのだけど、知っている顔があった。




それは考査で1週間だけ一緒の部屋だったあの“おハゲさん”だった。




お別れの前の日に「お元気で」などと名残惜しく挨拶を交わしたのに、こんなすぐに再会することになるとは。




マジックで名前を書いたあとは工場の説明を受けた。




またしても覚えることがいっぱいありそうだ。



でも先輩のおハゲさんがいるし、わからない事は彼に聞けばいい。




説明が終わってついに作業席に案内される。




席は前列から1班、2班、3班、4班、5班となっていて、僕らは一番後ろの席(5班)に座った。




「作業指導あるから待っといて」と担当さんに言われ、緊張気味で待つ。




しばらくすると灰色の帽子を被った指導役(立ち役というらしい)のおじさんから作業の説明を受ける。




作業はシンプルで、非鉄金属類の分別ということだった。




アルミやらステンレスやらをひたすら分けるという、バカな僕でも出来る単純作業。




これは一人で黙々とする感じだから安心した。




チームワークでの流れ作業とかだったらどうしようと不安だったから余計に。




とりあえずまずはテストという事で簡単なアルミ類を分けて、ある程度集めたらまた呼んでと言われ作業開始。




隣の席がおミズさんだから心強い。




他にどんな人がいるんだろうと気になったけど、衛生くんに「脇見だけは気をつけてください」と注意されていたので、ずっと下を向いてひたすらアルミを分ける。




アルミ類を小さな山にしてから手を上げ、担当さんに「まっすー、用件」と言われてから




「作業指導お願いします!」



と大きな声を出したつもりだけど、緊張であまり大きくはなかったかも。




さきほどの立ち役のおじさんが来て、僕が分けたものをまじまじと検品される。




「もう一度いきましょうか」



と言われて2回目のテスト開始。




今気づいたけど、この立ち役のおじさん、顔の汗がすごい。




10月に入って涼しくなってきたのにこの尋常じゃない汗は一体…




ちょっと引いてしまったけど、そこは顔には出さない。




ちなみにこの立ち役のおじさんとは後に仲良くなるので、名前は“山さん”にしておこう。




それからテストを2回くらいやってもらって、やっと材料箱に材料を直で入れても大丈夫なように。




まだ要領を得ないけど鉄、ステンレスとアルミの区別はついた。




アルミは持った感じ軽くて、磁石にはつかない。




一方、鉄とステンレスは少し重くて、磁石にくっつく。




でも磁石はないから今のところ持った感じで判断するしかない。




この作業なら折り紙より断然マシだ。




折り紙はまず時間が経たない。




それに比べてこっちは大量の材料の山から仕分けするから、まるで宝探しをしているみたいで楽しい。




担当さんも優しそうだし衛生の子も真面目だし、良い工場に配属されたみたいだ。




あとはこの50人いる中で仲良い人を見つけられるか、それだけが不安だ。




考査工場からの知り合いが2人いるのは大きい。




運動時間になったら話しかけにいこう。




ちなみにその日の入浴時間や運動時間については“担当台”と呼ばれる、担当さんが立って周りを見渡したり簡単な事務作業するところの場所にホワイトボードがあって、そこに書かれている。




3工場の入浴日は月曜日と木曜日らしいので、火曜日である今日は無し。




今日の運動時間は午後2時みたい。




午後までが長いなと思いつつ、とにかく脇見をしないように作業に没頭する。




「作業やめー!器具回収!」



いきなりの担当さんの声で我に返る。




どうやらお昼ご飯の時間らしい。




立ち役の人達が作業で使う器具を回収して担当さんに確認を取り、棚に戻す。




担当さんの号令で整列して食堂へ。




食堂での僕の隣の席の人は、あの立ち役の山さんであった。




前に書いた通り僕は人見知りなので、まだ知った顔の人だったので心強くはある。





食事が終わり休憩時間へ。




でも今はコロナ禍の真っ只中ということで、朝来たときに衛生の子からも説明があったけど、今はお昼の休憩時間中は交談禁止だという。




つまりは、テレビを見るか新聞を見るかしかできないという。




テレビではバイキングを流していた(今はもう終わっているけれども)




それにしてもマスクもしていて、テーブルの真ん中にアクリル板も付いているというのに一言も喋ってはいけないなんてキツすぎる。




お昼休憩は食事の時間も入れて30分。




交談できていれば30分なんてあっという間なのだろうけど、喋れないと異様に時間が長く感じた。




なんやかんやでお昼休憩が終わって午後の作業開始。




運動の14時までが長いだろうなと気だるく感じながらも黙々と金属を分ける。




作業中にちょいちょい他の作業者が担当さんに脇見を注意されていた。




でも僕は大丈夫だ。




考査工場でも一切脇見する事なく、特に注意を受ける事なく突破してきたのだから。




そして「作業やめー!器具回収!」の号令がかかる。




やっとこさ運動の時間らしい。




また整列して一連番号を唱える(約50人もいるから、1人でも間違えると最初からやり直しになる)




今日はグラウンドらしいので、工場靴から運動靴に履き替えて、工場の前に3列に並ぶ。




号令で前ならえ等の整頓をしてから行進でグラウンドへ向かう。




また一連番号を唱えたところでやっと




「別れ」



の号令で運動開始。




僕はとりあえずすぐにおミズさんのところに向かった。




50人もいると誰が誰だかわからないし、目的の人を探すのにも一苦労である。




グラウンドでは主に野球をしたり、ベンチで座ってお喋りしたり、決められてるエリア内を歩きながらお喋りする場所がある。




僕とおミズさんは、歩きながら喋るエリアをぐるぐる周りながら作業についてなどの話をした。




しばらくお喋りしていると、後ろから




「久しぶり」



と、聞き覚えのある声が。




それは、朝に見たあのおハゲさんだ。




約2週間ぶりの再会である。




でも考査工場での部屋で一番マトモというか、頼りになる人がおハゲさんだけだったので、また一緒の工場になれて少しばかり嬉しさが込み上げる。




話はあのBさんの事になり、僕はハッキリ




「あいつ嫌いでした」



と言うと、あのおハゲさんも




「俺もだよ」



と、まさかのおハゲさんも嫌い発言。




やっぱりおハゲさんも、クセが強くお喋りがすごいBさんに嫌気がさしていたらしい。




おミズさんはまあまあBさんと仲が良かったから少し気まずかったけれど、それからは僕とおハゲさんのBさんへの不満合戦が始まり、気づいたら



「運動終了!」



の号令が。




あっという間の30分。




作業は16時頃に終わった。




入浴がなくても結構早い時間に終わるんだなと。




まあ50人もいるわけだから、帰りの検身とかで時間かかるからであろう。




そんなこんなで一般工場の1日目が無事終わった。





部屋に帰り点検と食事などを終え、やっと余暇時間…




でもその前にまた地獄の作業が待っていた。




衣類全部に新しい居室番号を記入しなくてはならないという作業が。




これがホントにだるい。




まあ私物の服は無くて、ほぼ官物だったからそれほど量は多くなかったけれども。




今月は偶数月の10月で相撲テレビは無しなのでテレビは18時30分から。




それまでの時間が異様に長い。




せめて18時からにして欲しい。




仕方がないので、拘置所から持ってきていた私物ノートに絵を描く。




クロスワードとかナンプレはここに来る前に終わらせて廃棄してしまったので、また買わなければ。




ちなみに雑誌や本は、頼んだら届くのが2ヶ月後という鬼畜なシステム。




次頼むのが11月として、届くのが来年の1月か…




長すぎる。




とりあえず、拘置所でいっぱい買っておくべきだったと後悔しとこうかい(つまらない駄洒落である)




さて、明日は毎週水曜日恒例の“矯正指導日”である。




またつまらないNHKのビデオを見せられるのかと思うと憂鬱である。




読書の時間もあるけど、官本しか読んだらダメだし、今ある官本は全く興味ないやつだし(まだ考査工場の時のやつ)





おハゲさんから聞いた話だと、官本は2週間ごとに交換らしい。




体育館運動の時に、体育館の2階にある図書室で2冊まで借りられるとの事。




しかも普通の小説だけではなく、雑誌や参考書、さらには漫画も置いてあるらしく…




これは何を借りようか迷うところである。




ただ、官本を選ぶ時間が設けられており、それも5〜6分程度らしい。




時間との戦いか…




とりあえず僕は漫画はあまり読まないので、大好きなミステリー小説を探そうと思う。




ちなみに僕の一番好きな作家は東野圭吾。




マスカレードシリーズとかあったら嬉しいなと思ったり。




そんなこんなで残りの時間はテレビを見て過ごした。




とにかくおハゲさんと一緒の工場でよかったと改めて思う。




翌日。




本日の矯正指導日は朝からのビデオ視聴中に呼ばれて、考査工場の時の同期らで集まっての講義みたいなのを別室で受けた。




Mさんや、当然Bさんもいる。




A作業(衛生、内装、炊場などの立ち仕事)をしているだけあってどこかシャキッと見えるのは気のせいだろう。




講義は、なんか自分の長所や短所を書いて発表するというものだった。




めっちゃ恥ずかしかったのを覚えてる。




僕の自分で思う長所は、気が長いことだけである(長所といえるのかは謎)




そして短所がいっぱいある。




飽き性だったり、ネガティブだったり。




他の人の短所を聞いていたら、ほとんどの人が「短気」と答えていた。




さすが刑務所である。




講義は1時間くらいで終わった。




これからしばらくは水曜日にこうやって集まっての講義があるらしい。




交談はできないけれど、懐かしい面々と顔を合わせる事ができるし、なにより苦痛のビデオ視聴と読書よりは断然いい。




発表とかは恥ずかしいけれど…




居室に戻ったらビデオ視聴が終わってて読書タイムになっていた。




仕方なく官本を読むフリでもしてみる。




興味がない本はどう読んでも全く興味が沸かない事がわかった。




本のタイトルは忘れたけれど、作者は太宰治だった気がする(太宰治ファンの方には申し訳ないですが)




それからどうにか1日が終わったけど、ホント矯正指導日は苦痛でしかない。




作業が休みで嬉しいっていう人が大半かもしれないけれど、僕は作業してる方が断然いい。




かといって、折り鶴はもう勘弁だけども。




ちなみに規則を破ると調査からの懲罰(場合によっては厳重注意だけで済む)になるのだけど、調査中はあの5寮に再度入れられて懲罰が確定するまでの間、あの折り鶴作業をやらされるらしい。




恐ろしいので、僕は絶対に調査になるような事はしまいと心に誓った。




3工場に配属されて2週間が経った火曜日。




朝作業していたら、工場に考査工場からの新人さんが来た模様。




もしかしたら考査工場で知った顔の人かもしれない。




どんな人か気になるけれど脇見をすると注意を受けるし、場合によっては取り調べみたいな感じで連れて行かれる可能性もある。




運動の時間にわかるのだから別にいいかと、下を向いて黙々と作業をする。




やがて作業やめの号令がかかり、運動の為に整列する。




今日の運動は午前9時30分からだ。




ちなみに今日の天気は雨でグラウンド運動になっているのだけど、雨の場合はどこで運動するのだろう。




整列する際に、別の場所で衛生係からの説明を受けていた新人さんが整列場所に歩いてくるのをチラリと見たのだけど…




まさかの考査工場で同じ部屋の人だった。




それも、僕と同年代のおとなしくて優しい感じの人。




名前はモーくんとしておく。




ちなみにこのモーくんとは、出所後にSNSで繋がり、今現在も仲良くしている。




まさかこんな同じ部屋だった人が来てくれるとは…




一連番号を唱えた後に担当さんから運動場所の説明があった。




今日は雨でグラウンドは中止で、代わりに別の多目的ホールでやるとの事。




考査工場でも、何度か雨でそういうホールでやった事がある。




そこまで広くないホールに50人もいたら、声が反響してすごい事になりそうだ。




現に反響はやばかった。




耳元で話さないと、他の人達の声で全く聞こえない。




モーくんに久しぶりなどの挨拶をして、おミズさんとおハゲさんを入れた4人で会話を楽しんだ。




もうこのメンバーがいればいいやと思える。




無理に他の人と仲良くする必要はないだろう。




それから何日か経ったある日の作業中…




僕の近くで作業していた人が担当さんに急に呼ばれた。




工場の後ろの方に連れていかれ、何やら注意している模様。




僕は耳が良い方なので、ある程度の会話が耳に入ってきた。




「お前、鼻歌うたっとるやろ?」


「うたってません」


「嘘つくな、聞こえてきとるわ」


「いえ、鼻が詰まってたので鼻すすってただけです」


↑の苦しい言い訳に思わず笑ってしまう僕




「んなワケないやろ。鼻すすってどうやってあんな音が出るんや」




まるで漫才をしているような会話である。




それからしばらく押し問答みたいなのが続いてたけど、やがて担当さんが




「後ろ向いて立っとけ」



と言ってどこかに電話をかけ始めた模様。




あ、これ連れていかれるやつだと思った。




あの担当さんだったら言い訳なんかせずに素直に認めて謝れば厳重注意だけで終わってたかもしれないのに。




結果その人は連れていかれ、戻って来ることは二度となかった。




後から聞いた話だと、以前から鼻歌をうたっていた彼に対する「鼻歌がうるさい」などのクレームが他の人達から担当さんにあったらしい。




それで担当さんが目をつけていて、今日それが発覚したという事らしい。




僕も聞こえてはいたけど、誰が発しているのかまではわからなかった。




それにしてもあの言い訳はないわ、と今でも思い出すと笑いが込み上げてくる。




それから何事もなく平凡な毎日が続き、刑務所は年末を迎えた。




連休に入る前に担当さんから年末休みの説明を受けた。




休みは6日間(12月29日〜1月3日)




この6日間はお菓子が6個と、みかんが6個食べれる。




あと1月1日はおせち料理も食べれるとの事。




お菓子はポテトチップスやチョコフレークだった。




チョコフレークがめっちゃ美味しかったのが印象に残ってる。




さらに、普段免業日に見れない13時から15時までの間(午睡時間中)にテレビが視聴できたり、それなりに良い事があった。




1月1日に出てきたおせち料理もなかなかよかった。




伊達巻卵や唐揚げなど全部で12品くらいのもので、とても美味しくて感動した。




この6連休はあっという間だった。




年末年始を刑務所で過ごしたのは初めての経験なので、今となっては良い思い出だったと言えなくもない。




刑期は約2年6ヶ月もあるので、あと1回は年末年始を経験しなくてはならない。




いや、ここはポジティブに“あと1回経験すれば出られるんだ”と思えば気持ち的に楽にはなる(ような気がする)




連休明けの作業はダルかったけれど、仲良い人も少しずつ増えてきたしそこまで苦痛ではなかった。




運動時間は毎日楽しみだった。




体育館運動ではバドミントンをしたり、卓球をしたり、五目並べをしたり。




初めて体育館運動をした時は、まさかバドミントンのコートまであるとは思ってなかった。




連休明け、作業中にお偉い職員さんに僕とおミズさんが呼ばれた。




「告知します。君たちを今日から優遇区分第3類に指定します」




優遇区分とは第1類から第5類まであり、5類から1類に上がって行くたびに月の面会回数や手紙の発信回数が増えたり、その他細かな優遇措置が受けられるというもの。




刑が確定してから6ヶ月後に、暫定としてまず第3類に指定されるらしい。




僕達は白のバッジで、まだ1類〜5類の中には含まれていなかったので、今日から仲間に入る事ができた。




それからは6ヶ月毎に受刑態度などを評価していき、上がったり下がったりする。




懲罰を受けたり受刑態度が悪いと当然下がる。




1類から5類までのバッジの色と説明としては



1類(ピンク)→受刑態度が特に良好である

2類(赤)→受刑態度が良好である

3類(黄色)→受刑態度が普通である

4類(緑)→受刑態度がやや不良である

5類(青)→受刑態度が不良である




となっている。




僕達は第3類に指定されたので、今日からバッジの色が黄色になった。




3類になったことで、これからは月1回にお菓子を食べられる集会に参加できる事になった。




無類から3類になったことで少しだけ気が引き締まったような気がする。




類が下がらないように気をつけなくては。





3工場に配属になって半年ほどが経とうとしていたある水曜日の夕食後に放送が流れた。




それは“職業訓練”の募集の告知についてだった。




内容はビル設備管理科で“2級ボイラー技士”と“乙4類危険物取扱者”の資格が取れるというもの。




場所は九州にある佐賀少年刑務所。




“少年刑務所”と聞くとものすごい厳しいイメージがあるのだが、何も資格を持っていない僕には少し気になるものがあった。




同時に2つの資格が取れるのも大きい。




それに、職業訓練などを積極的に受けると優遇区分などの評価対象にもなるらしいので、これは悩みどころである。




1日考えた末、僕は応募する事を決めた。




休憩時間に担当さんのところに行き、職業訓練の応募の趣旨を伝えにいく。




職業訓練はこの刑務所でもやっている(情報処理や介護)のだが、パソコンなどの情報処理は競争率が激しく選ばれにくいとの事で、厳しい少年刑務所であれば競争率は低いだろうと考えたので、こちらを選んだ。




担当さんに




「なんでビル管なんや?」




と苦笑いされたが、僕は




「他の施設にも行って色々学びたい」



と心にもない事を言った。




その日の夕食後に“願書”という、職業訓練に応募しますという旨を伝える書類を記入し、提出した。




この職業訓練の期間は2022年6月1日から2022年11月30日までの6ヶ月間。




今の工場の作業も楽だからいいのだけど、何か刺激が欲しかったのかもしれない。




まあ、選ばれなかったら選ばれなかったで構わない。




決まればラッキー程度に考えておこうと決めた。




それから1ヶ月くらい経ったある日の作業中、いきなり名前を呼ばれて食堂へ行くように言われる。




食堂に行くと、帽子に金線が入ったいかにもお偉い職員さんがファイルを持って立っていた。




だいたい何の話かは予想はついていた。




案の定、話は職業訓練の事で、選考の結果僕は佐賀少年刑務所への移送が決まったとの告知が。




「遊びに行くわけではないので気を引き締めて頑張るように」




との訓示を受けて、担当さんの所に戻り報告をした。




今は4月の半ば。




職業訓練は6月からなので、移送は5月くらいかなと予想。




運動の時間に仲良い人に他の刑務所に行くと伝えると残念がってくれる人もいた。




僕がここに戻ってくる12月までには出所しているであろう人もいるので、今からお別れの挨拶などもしておいた。




そうそう…



今年度から、今まで民間刑務所であった当所が、普通の刑務所に変わることになった。




今までは民間の警備会社(ALSOK)とかが入っていたのだが、それらもみんな撤退した模様。




一番残念だったのが、食事に関する管理栄養士などの組織も変わったらしく、1週間おきの水曜日の昼食に出ていたパンやぜんざいが廃止になってしまった事である。




それと食器類なども変わった。




今まで大きかった汁椀が廃止になり、めっちゃ小さい小鉢サイズのお椀に変わったのである。




楽しみにしていたぜんざいが無くなった事で不満を口にする人が多かった(僕もその1人だけれど)




パンは一応出たことは出たのだが、それは毎週日曜日の朝食に変わった。




しかもそれはコッペパンから角食2枚に変更になり、付属品はジャムのみ。




角食はパサパサしてて朝から2枚も食べれないので1枚は残した。




食事も楽しみだったのに、カロリー調整とやらでおかずなども悪い方向に一新されて不満だらけである。




最悪だったのが、月に2回僕の大嫌いなレバーが出ることである(昼食と夕食に1回ずつ)




まだサブのおかずとして出てくるならいいけれど、メインで出てこられた日には臭くて吐きそうになった事もしばしば。




仕方なくご飯と味噌汁だけで済ませた。




そのせいで夜中にお腹が空いて起きる事もしばしば。




今度行く佐賀少年刑務所のご飯は美味しい事を願うばかりである。




月日は過ぎて5月の下旬の火曜日の朝、いつものように工場出室の準備していたら担当さんがきて




「今日部屋移動やから荷物まとめといて」




と。




ついにきたか…




さっさと荷物をまとめて、出室用意の号令がかかってから座って待機。




工場のみんなが出室してから5分後くらいに別の職員さんがきて




「忘れ物ないようにな。また後で来るわ」



と。




それから10分後くらいに台車を押す音が聞こえてきて、居室の前で止まり居室の扉が開けられた。




「荷物ここに乗せて」




言われた通りに布団や私物ケースなどを乗せて、忘れ物がないか最終確認をして居室を出る。




向かったのは…




あの“5寮工場”だった。




5寮工場という事はもしかして…




嫌な予感は的中した。




移送まで、居室内でのあの折り鶴作業だった。




明日は矯正指導日だから作業はないけど、どうせなら明日移送にして欲しい。




つまらないDVD視聴と読書をさせるくらいだったらさっさと向こうに行かせてくれよ、と。




案の定、その日は1日折り鶴作業だった。




3工場で作業してる時とは雲泥の差で時間が経つのが遅かった。




運動も、どうせ1人運動だろうと予想できたので断った。




なんとかその日は終わり、職員さんから「明日いつもより早く起こしに来る」と言われたので、移送前夜をテレビを見ながらゆっくり過ごした。




翌日…




寝れたのか寝れなかったのかよくわからないけれど目が覚めたので、ぼーっと天井を見つめながら「(ついに今日か…)」などと思っていると、廊下を歩いて来る音が聞こえて居室の食器口が開いた。




職員さんが2人来ていて、その内の1人に




「おはよう、準備してくれるか。また後で来るわ」




と言われ、着替えや布団を畳んで出る準備をする。




洗顔や歯磨きなどは向こう(移送前の部屋)で出来るらしいので準備を済ませて待機。




あれから10分も経たない内に先ほどの職員さん2人がやってくる。




彼らに促されて私物ケースだけを手に持って居室を後にする。




向かったのは、入所した時に来た“新入調室”…




そう、全てが始まった場所である。




まずテーブルには朝食が用意されていた。




でも緊張やらで食欲は全く無かったので半分以上は残した。




朝食後に洗顔と歯磨きを済ませて、あとは移送の担当さん達が来るまで待機との事。




数分経って、やってきたのはワイシャツと黒のスラックス姿の職員さん2人。




1人はお偉い感じの方で、もう1人はなんと僕の工場の担当さんだった。




いつもは制服と制帽を被ってるから、一目見ただけでは担当さんだとわからなかった。




その姿だと刑務官というよりは“刑事”という感じでなんか新鮮に映った。




やがて移送の手配ができたらしく、僕は刑務所を後にした。




ちなみに手錠はされていて、その上に黒いカバーがかけられている。




この姿を一般の人達にさらけ出さなければならないと思うと、恥ずかしいやら情けないやらで複雑な気持ちである。




車で向かったのは姫路駅。




車を降りてからはホームまでなるべく周りを見ないようにして下を向いて歩いた。




ホームまでの道のりが果てしなく長く感じられた。




新幹線に乗り、担当さんから




「ここから博多駅までいってそこから乗り換えるからな」




と言われる。




それにしても新幹線なんて小学校の修学旅行で乗って以来だ。




寝ようと思ったけど、やはり緊張で眠れなかった。




博多に着くと、そこから電車に乗り換えて終点である佐賀駅を目指す。




初めての九州。




九州だけあってやはり佐賀少年刑務所の刑務官はキツい方言を使ってくるのだろうか?




今から不安である。




佐賀駅に着くと、改札のところで刑務官の制服を着たまんまの職員さんが迎えに来ていた。




これは人目が気になってしょうがない。




駅を出てワゴンに乗り、10分〜15分くらい走らせたところで佐賀少年刑務所に到着。




いよいよ始まる。




中に入るとまず取り調べ室のような所に案内された。




体温計で熱を測って、次に職員さんが持ってきたのはPCR検査キット。




話には聞いた事があるしテレビでもどういうものか見たことはあるけど、やったことはない。




でも痛いというのはよくわかる。




鼻の奥に綿棒を突っ込むワケなのでそれは痛いだろう。




案の定、痛かった。




鼻の奥で綿棒をグリグリやられて、目ん玉から火花が出そうであった。




簡単な体調チェックをしてから次に向かったのは新入調室。




そこでまず着ている服を脱いで、居室衣に着替えろと命令口調で言われた。




少しムッときたが、顔には出さずにさっさと着替える。




ちなみにここの居室衣は拘置所の時と全く同じ、あの緑色のやつであった。




相変わらずゴワゴワしてて着心地が悪い。




着替えてからは、昼食を取るように言われた。




テーブルに用意されていたのは、よく覚えてはないけれど、ご飯と春雨スープと魚だった気がする。




自所は味噌汁の椀が今年の4月から小さくなったけど、ここは普通の平均サイズの椀で量も多かった。




久しぶりの新幹線や電車で少し酔って体調が優れなかった僕は昼食を半分以上残した。




それからは30分ほど所持品の検査などをして、今度は医務室へ案内される。




白衣を着た職員さんに病気歴を聞かれたり、この刑務所の簡単な説明などを受ける。




今後の予定としては、ほぼ自所の時と一緒でまず1週間くらいは健康観察という事で独居部屋で作業をしながら過ごす。




次の週の月曜日に考査工場へ移動し、作業や動作訓練などを1週間から2週間程度行い、職業訓練工場へと配属になる。




しかし今日は5月25日の水曜日という事で、今日から日曜日まで健康観察をして、来週の月曜日には考査工場に行くが、職業訓練が始まるのが6月1日からなので、考査工場にいるのは実質5月30日と31日の2日間だけになるかもしれないと言われた。




これが吉と出るか凶と出るか…




入所手続きが全て終わった所でやっとこさ自分の居室へ。




綺麗な建物の自所と違ってここは古い。




普通にそこらへんにゴキブリとか湧いてそうである。




僕が入ったのは“第2収容棟”という所であった。




居室の造りは自所とほぼ一緒の三畳一間。




荷物の整理をしてから“受刑者のしおり”を読んで、動作時限などを頭に叩き込む。




しばらくしたら居室扉が開いて職員さん2人がやってきて




「今から作業の安全衛生の説明あるから」




と。




作業(室内)の要領や注意事項などの簡単な説明を受ける。




10分くらいで終わり、今日はとりあえず受刑者のしおりを見たり入所時のアンケートなどの書類を過ごせとの事。




その日は点検時間までが長かった。




何しろ、ずっと書類を見るだけだから一度読んだ後もまた読み返すしかないのである。




明日は室内作業をするのだろうか。




ちなみに今週の金曜日は矯正指導日らしい。




受刑者のしおりによると、ここの矯正指導は毎月第2金曜日と第4金曜日…




つまり月に2回あるらしい。




僕のいた拘置所と一緒である。




それなら、実質明日だけ室内作業をすれば終わりのようなものだ。




これはラッキーな時期に入ってきたかもしれない。




ここの平日の動作時限は



6:40 起床

6:50 点検

7:00 朝食

7:20 出室

7:50 作業始

(休憩10分)

12:00 昼食

12:20 作業始

(休憩10分)

16:30 作業終

17:00 点検

17:10 夕食

21:00 就寝



こんな感じであった。




…昼食が休憩も入れて20分しかないだと!




自所は30分あるのに、たったの20分じゃ全然休めないではないか。




少し不満ではあったが、まあそれぞれの刑務所には刑務所の決まりがあるのだからと割り切って我慢。




嬉しかったのは夕食後の余暇時間のテレビ。




自所は18時30分からだが、ここは30分早い18時から視聴できる。




それからもうひとつ。




これは後でわかる事だが、休日のテレビについては、自所は昼食後の午睡時間は13時かつテレビ視聴はできないのだけれど、ここは12時の昼食後(食器の空上げ後)すぐに午睡時間に入り、かつテレビ視聴が出来る。




しかもその視聴時間はなんと15時30分まで(ただしテレビが視聴できるのは13時から)




ここが自所との大きな違いの1つだと僕は思っている。




ちなみに休日の動作時限は




7:40 起床

7:50 点検

8:00 朝食

(余暇時間)

12:00 昼食

(余暇時間)

16:00 夕食

16:30 点検



夕食後のテレビは平日と変わらず18時から(自所は17時からだから、それに関しては自所の方が良い)




どうしても自所と比べてしまうけれど、まあそこは仕方がないとして…




翌日はとてつもなく長い1日であった。




室内で何かの作業をするかと思いきや、職員さんに




「部屋に備えつけてある緑十字の冊子あるだろ?あれ1日読んどいて」




緑十字の冊子とは、色々な作業についての安全衛生について書かれている薄い本である。




まさか1日中こんな薄い本を何度も何度も読み返せと?




冗談じゃないよベイビー。




これならまだ自所の折り鶴の方がどれだけよかったか(わがまますぎる僕)




苦痛の1日が終わった。




明日は矯正指導日だ。




ここの矯正指導日はどんな感じだろう?




自所とあまり変わらないとは思うけれど…




期待と不安を抱えたまま翌日を迎える。




朝食を食べてから私本を読んだりぼーっとしたりしていると食器口が開いて




「今日は矯正指導だから」



と職員さんが声をかけてきて、矯正指導の簡単な説明を受けた。




プログラムの開始は9時からで、教育DVD視聴と読書をして午前は終了。




昼食後もDVDを見て読書をする。




ここまでは自所とほとんど変わらない。




ただ、自所と違うプログラムが1つだけあった。




午後3時から4時までの1時間は、ラジオ視聴との事。




その名の通り、ただ座って1時間ラジオを聴くだけというもの。




矯正指導日なので、矯正に関するラジオが流れるのだろうということは想像できた。




ラジオを聴きながら本を読んだりできればまだいいのだけれど、ただ何もせずに黙って1時間ラジオを聴くだけというのは少々苦痛ではないかと思う(今思っても相当苦痛であった)




なにはともあれ午前9時になり、プログラム開始。




まず始まったのはDVD視聴。




始まったのはNHKの番組…




ではなく、なんと他局の“ガイアの夜明け”であった。




お、まさかのNHKではない!




これはかなり大きいのではないだろうか。




自所のNHK縛りがひどかったので、嫌気がさしていたところで他局放送ときたものだ。




ガイアの夜明けの内容は覚えてないけれど、どこかの大手のお店の販売戦略みたいな感じのドキュメントだったと思う。




NHKより全然退屈せずに済んだ。





ガイアの夜明けを約1時間見た後は読書時間になった。




30分くらいした後にまたテレビがつく。




次に放送された番組は“カンブリア宮殿”だった。




内容はガイアの夜明けと同じような仕事関係のドキュメントだった。




終わってからまた読書時間。




やがて廊下から




「配食よぉーい!」



の号令が。




もうお昼か。




昼食はパンだった。




自所の食パンとは違ってちゃんとした大きなコッペパンで、なんと汁物は“ぜんざい”だった。




久しぶりのぜんざい、甘くて美味しかった。




パンに浸しながら食べると最高である。




部屋に常備してあるメニュー表を見ると、パンは毎週金曜日で、前の自所と同じくぜんざいとシチューの交互であった。




午後は1時からテレビがつき、NHKの“プロフェッショナル”が放送された。




NHKだけど、プロフェッショナルならまだ見れる。




午後のDVDはそれだけで、あとは午後3時まで読書時間。




ここは自所とは違い、自分の本を見れる(ただし雑誌などはダメ)ので東野圭吾の“白夜行”を見ていた。




そして午後3時、初めての経験であるラジオ視聴が始まる。




内容は、昔非行に走り少年院に入ったという人が少年院を出て更生をするという話を体験談として朗読するというのもの。




聴いている内に眠気が襲ってきて何度もうつらうつらとしていた。




それはそれは長い1時間であった。




お昼にパンとぜんざいを食べて大満足したから余計に眠たかった。




どうにかここでの初めての矯正指導日が終わった。




あとは土日をゆっくり過ごして、来週は考査工場配役だ。




一般刑務所なので普通に作業をするのだろうけど、どんな作業なのか。




でも考査工場には1日2日しかいないみたいだからなんでも来いだけれども。




ただ気がかりなのは、行進の仕方や整列時などの動作訓練。




考査工場に1日2日しかいないということは、そういった動作もたった1日2日で覚えなければならないということだ。




物覚えが悪い僕だけど、果たして大丈夫だろうか?




そんな状態で職業訓練工場にいって動作にもたついて他の人達に迷惑をかけるようでは、拘置所と自所で一緒だったあのBさんのようになってしまうのでは?




そんな不安がよぎる。




そんな不安をよそに日にちは経過して、月曜日を迎えた。




昨日はなかなか眠れなかった。




もう6月間近でムシムシしていて寝苦しかったのもあるけれど、それ以上に考査工場の事を考えると余計に。




朝食後に職員さんがきて




「部屋移動するから荷物まとめといて」




と。




いよいよか。




そういえば自所の考査工場は雑居部屋だったけれど、ここはどうなのだろう。




どちらでもいいけれど、できたら雑居部屋がいい。




自所では考査工場後は独居部屋だし1人で退屈だし、せめてここでは雑居部屋でワイワイやりたいなと。




人見知りなので最初のうちはワイワイとはいかないだろうけど、慣れてきたらまあまあ喋れる方ではある。




転室者は僕の他に5、6人くらいいた。




僕達が向かったのは“第一収容棟”という所だった。




廊下を通っていると雑居部屋が目に入った。




お、やはり雑居部屋か…




と思いきや雑居部屋ゾーンをスルーして、独居部屋ゾーンにやってきた。




なんだ独居部屋か…




少しガッカリした。




部屋に入る前に職員に




「向こうで私物チェックあるからキャリーバッグだけ持ってすぐ出てこい」




と少し威圧的に言われ、布団などを部屋に置いてから私物ケースであるキャリーバッグを持って部屋を後にした。




部屋を出てすぐに廊下の奥から別の職員さんに




「こっちきて!」



と声をかけられた。




見ると、廊下の真ん中で僕と同じキャリーバッグを持った数人が横に並んでいる。




この人達も一緒に考査工場に行くのか。




とりあえず1人だけじゃなくて安心した。




人数は僕を入れて5人ほどで、横一列に並ぶと偉い職員さんから訓示が入る。




「今日から君達はしばらく考査工場に配属になる。節度をしっかり持って頑張るように」




みたいな事を言われた。




そしてついに考査工場となる棟へ。




職員さんが工場の扉を開ける直前、中から職員さんの怒鳴り声のようなものが聞こえてきた。




「(うわ、やばい所に来たかも…)」




と心の中でつぶやく。




中に入ると、背の高いまだ30代後半くらいの職員さんが僕達を迎えた。




さっき怒鳴ってたのはこの人か?




他に職員さんの姿はなかったので、おそらくこの人だろう。




今思っても、この考査工場の担当さんは今まで会った職員さんの中でも5本の指に入るくらいエグかった。




たった2日間いただけであるが、こんな所1日もいたくなかった。




自所の考査工場の担当さんとは天地の差である。




まず僕達を横一列に並ばせるといきなり




「お前ら。ここには遊びにきてるんじゃねぇんだからな」



みたいにまくし立ててきた。




いや、そんな事はわかっていますが。




そして僕達1人1人称呼番号と名前を言えと。




1番最初に番号と名前を言った人に対して





「おい、声出てねえじゃねぇか!あ?」




と、やたらでかい声でまくし立てる。




語尾に「あ?」とは、まるでヤンキーである。




「やり直せ。番号名前!」




この担当さんの声、やたら癇に障る。




この体育会系のノリはまさに本場の刑務所という感じだ。




他の人達も何度かやり直しさせられて、やっと最後僕の番がきたので、僕はこれほどない大声で番号と名前を名乗った。




ちなみに僕の称呼番号は“866番”である。




全員名乗るだけで5分くらいかかったような気がする。




そしてやっとこさテーブルに案内されて座るように言われる。




1番前のテーブルでは他の受刑者の人達が黙々と作業をしていた。




なにやら茶色い紙を折ったりしているようだ。




みんな下を向いて作業に没頭している。




やがて、考査工場の衛生係と思われる2人が現れた。




1人はぽちゃっとした若い子で、もう1人はちょっと頭のてっぺんが寂しい、おじさんとまではいかない年頃の人。




名前は“ぽちゃくん”と“おハゲ2さん”にしておこう。




ぽちゃくんが僕らの前に黒マジックと赤マジックを置いていく。




そして




「ええ今から説明します。これから、持ってきた私物を全て机の上に出してもらって、私物全部に称呼番号を書いてもらいます。黒いマジックは自分の私物、赤いマジックはここで借りている官物と色分けしてください」




これは面倒くさい作業が始まった。




服以外の荷物の何から何まで称呼番号を書かなくてはならなかった。




筆入れ、ノート、ペンの1つ1つにまで書かなくてはならず、エラい時間がかかった。




後に説明があったけれど、これをするのは本人の所持品であることの証明はもちろんだが、他の人と貸し借りする(不正授受という)などの行為がないようにだとか。




部屋チェックなどで他の人の称呼番号の書かれたものを持っているとすぐ調査らしい。




番号を書き終えその他細かな手続きが終わると、今度は居室衣の寸法を測るので名前を呼ばれたら後ろに来いと。




名前を呼ばれるまでの間何をしたのかというと、手続きしている間にいつの間にか置かれていた紙に“安全衛生心得”と“訓練生生活指針”と題して安全に対する心得や訓練をする上での心構えが15項目ほど書かれていて、それを黙読しておけと。




この安全衛生心得の紙が地獄への入口であった。




黙読している時であった。




「〇〇用件!」



と担当さんが誰かに声をかける。




すると、用がある人が




「安全衛生心得のテストの為、離席許可お願いします!」




と大声で言った。




安全衛生心得のテスト?




それは一体…




そう思っていると、その人は担当さんの前まで行く。




やがて…




「安全衛生心得!月曜日!ひとつ!

安全衛生教育を熱心に真面目に受け、指導された事は必ず守ること!」




と、バカでかい声で今僕が読んでいる安全衛生心得の内容を叫び始めた。




ちなみにこの“月曜日!”だが




安全衛生心得には月曜日から金曜日までそれぞれ各3つから4つまでの項目に分けられて書かれている。




それを担当さんの前で叫ぶように声に出している。




気にはなるが、そちらをまじまじと見てしまうと脇見行為になってしまうので我慢。




それにしても“テスト”というのが気になる。




意味を理解したのは、声に出して読んでいた人が途中で読むのを止め、無言になった事だ。




あれ、なぜ読むのをやめた?




そう思っていると担当さんが




「戻れ!こんなの覚えれない奴が工場に行って安全に作業できると思うか?あ?」




と、読んでいた人の声より更にでかい声でまくし立てた。




そういうことか…




テストとは“暗記テスト”の事なのだと理解した。




厄介な刑務所に来てしまったようだ。




その後も何人かが担当さんの前に行って読んでいたが、全部言えた人もいれば、すぐに吃ったりして失敗する人もいた。




その中で担当さんが言った一言が僕の不安を煽る。




「しっかり覚えるまで一般工場にはいけねえからな!」




え?まじですか?




この物覚えが悪い事が短所の僕にとっては衝撃的な一言であった。




ただの脅し文句だといいのだけど…




しかも僕は、予定では考査工場にいるのは今日明日の2日間だけなんですけど?




まさかその2日でこの安全衛生心得を丸暗記しろと?




いや、できる人は普通に暗記できると思う。




でも僕は違う。




仮に覚えたとしても、あの担当さんの前まで行って大声で読まなければならないのだろう?




そんなん緊張で頭真っ白になって内容なんてすぐ飛んでしまうわ!




吃っていた人もいたけど、あの担当さんの前では吃るのもわかる気がする。




2日で覚えられるのだろうか?




訓練が始まるギリギリに来たという事で免除とかはしてもらえないのだろうか…




色々考えていると衛生のぽちゃくんがやってきて




「まっすーさん、居室衣の寸法を測るので離席許可を取って後ろにきてください」




と。




言われた通り担当さんに離席許可を取り、後ろへ。




居室衣の上下の寸法をぽちゃくんが素早く測っていく。




若いのにたいしたものだ。




一方、もうひとりの衛生のおハゲ2さんは動きが鈍くて空回りしている感じであった。




寸法測りが終わってからはまた安全衛生の黙読作業。




やがて




「作業やめー!」




の号令が。




担当さんの声がでかすぎて、寿命が1年縮まるかと思った。




担当さんが僕達のところにきて




「今から30分運動になる。運動はこの工場内になるからな。お前らとりあえず後ろの席に移動しろ」




担当さんに促され、後ろの席へ。




後ろの3列ほどあるテーブルがキツキツになるほどの人数で埋め尽くされる。




僕の左右にはどちらも歳上のおじさんが座っていたが、右に座っていたおじさんは今日僕と一緒に工場にきた人だった。




そのおじさんとはすぐに意気投合した。




「ここやばいですね」

「そうですね」




みたいな会話をして、僕はビル設備管理の職業訓練で関西の刑務所からきた事を話すと、相手も似たような教育訓練でここに来たと教えてくれた。





そのおじさんと話したノリで、僕は左側に座っているおじさんにも声をかけてみた。




「あの、よろしくお願いします。職業訓練か何かですか?」




すると、相手から意外な言葉が。




「ああ、はい。ボイラーの訓練です」




お!ボイラー!?




ということはまさか…




僕と一緒の訓練生の人か…?




「あの、ボイラーというと“ビル設備管理”のですか…?」




と僕が聞くと




「そうですよ」



と、おじさんは優しい笑顔で答えた。




これは心強い。




そのおじさんが、隣に座っている眼鏡をかけた同年代くらいの人も紹介してくれ、その人も同じビル管の訓練生だということで挨拶をして、喋っているうちに運動時間終了。




その後は作業→昼食と続いて、午後もとにかく安全衛生心得の黙読。




どうやら僕達職業訓練生はこの安全衛生心得を読んで覚えるだけで、作業という作業はないらしい。




そう考えるとホント僕がここに来たタイミングは絶妙といえるだろう。




なにせこの工場には2日だけしかいなくていいのだから。




でも担当さんが言っていた「安全衛生を覚えるまで工場には行けない」という言葉がずっと引っかかっている。




午後3時になろうかというとき




「作業やめー!」



の号令が。




何の号令かというと、これから“入浴”とのこと。




この工場は少し特殊で、普通の工場は1日の刑務作業が終わってから入浴なのだが、この考査工場は午後3時前後に入浴にいき、帰ってからまた作業をするという変わったもの。




他の工場との兼ね合いもあるのだろうけど、これは面倒くさい。




でもここでの入浴は自所とは違って嬉しい部分が。




それは




“シャワーヘッドを外しても良い”




である。




自所の謎ルールとは一体…




と疑問に思うところではあるが、とりあえずシャワーヘッドを外して身体の隅々まで洗い流して入浴終了。




その後は相変わらず安全衛生心得を黙読をし、午後4時を過ぎたところで作業止めの号令。




果てしなく長い1日だった気がする。




それは当たり前だ。




紙1枚に書かれている十数行の心得をただひたすら黙読しているだけだったのだから。




でもあと1日耐えれば職業訓練工場へ行ける…はず。




とにかくここの担当さんが嫌すぎる。




声はでかいし、元ヤンだったのか語尾にやたら「あ?」と付けるし。




翌日は、昨日と同じく普通に安全衛生を黙読して運動してお昼ご飯を食べて、午後は荷物の整理などをした。




よかった…




ホントにこの安全衛生を覚えるまで考査工場から出れなかったらどうしようかとドキドキしていた。





だがやはりただではいかなく、職業訓練工場に行ってから安全衛生心得の暗記テストがある事など、今の僕には知るよしもなかった…




作業が終わって居室に戻り、点検とご飯を終えてからはまったりとテレビを視聴した。




そういえば居室はどうなるのだろうか?




今のままこの部屋になるのか、はたまた移動するのか。




ドキドキしてその日はあまり眠れなかった。




しかしそれでも朝はやってくる。




点検と朝食を終えてしばらくすると食器口が開いて




「部屋変わるから準備しといて」




との告知が。




そして台車に荷物やらを乗せて移動開始。




僕がいた階は3階だったので、荷物用のエレベーターに荷物を乗せて僕らは1階へ。




向かった部屋はなんと…




雑居部屋だった。




思わず笑みがこぼれる。




これで退屈せずに済みそうだ(メンバーによるかもだけど)




布団や私物ケースなどを置いてから、工場着など工場に持っていく荷物を持って廊下に整列し、ついに本番の職業訓練工場へ…




向かったのは別の棟にある“職業訓練棟”というところ。




人数は僕を入れて12人ほど(僕の記憶に間違いがなければ)




服を着替える更衣室がやけに狭い。




しかも体育会系のゴツい職員が




「早くしろ」



と、やたら着替えを急かしてくる。




検診を終え工場着に着替えて、半年間お世話になる工場内へ。




ここではビル管の訓練の他に木工(一般)と建築(訓練)も兼ねていて、木材をハンマーで叩いたりする音が響いていた。




僕らを出迎えたのは、背が小さいけれど声がものすごく低い色黒の担当さんだった。




自所の工場の担当さんといい、また色黒さんかと心の中で苦笑いする。




僕達ビル管のメンバー全員横一列に立たされて、その担当さんの訓示が始まる。




「お前らは遊びに来てるわけじゃないんだからな?しっかり訓練に来てるっていう自覚を持たないとダメだからな」




と、考査工場の時の担当さんと同じような事を言われる。




でもこの担当さん、考査工場の担当さんよりは幾分マシに見える。




声は低すぎてドスがきいた感じだけど、なぜだかマシだ(自所の担当さんに似ているからかもしれない)




訓示を受けたあと、この工場の指導補助(いわゆる衛生係)の2人から、僕達ビル管の訓練生が受ける教室に案内された。




指導補助の2人はどちらも真面目でしっかりした感じの人だ。




指定された席に座ると




「1人1人荷物の確認をするので、呼ばれたら来てください」




と衛生さん。




と、ここでもう1人の衛生さんが“あるモノ”を皆に配り始めた。




それは…




あの“安全衛生心得”であった。




悪夢の再来である。




やはりそう簡単にはいかなかったかと愕然とする。




それを読んでいると、やっと僕の名前が呼ばれた。




荷物の確認が終わり、ロッカーに閉まってからまた安全衛生心得の黙読へ。




全員の荷物確認が終わってからは、衛生さんによる工場の説明が始まった。




工場での動作時限や、ルールなど。




ちなみに運動は11時固定という事だ。




運動終わって少ししたらすぐお昼か。




ちなみに今日の運動は工場内運動だった。




ここで自所との大きな嬉しい違いが。




自所では工場内運動の時は一切交談禁止だったのだが、ここでは交談可能!




席の移動はできないものの、隣の席の人とだけ話す事ができる(ただし前と後ろの人とは禁止)




運動開始の前に担当さんが教室にやってきて




「午後から体育館で訓練生の入所式があるからな」




と告知が。




入所式…そんなのがあるのか。




式とかそういうものには緊張してしまうのだが。




式での緊張といえば、中学校の卒業式の時に卒業証書を貰った時以来である。




そして軽い説明を受けて運動開始。




僕の隣の人に座っている人は考査工場の運動の時に少し喋った年配の人だったのですぐに意気投合した。




名前は、背が高いので“のっぽさん”にしておこう。




更に奇遇な事に、部屋がのっぽさんと同じ事がわかり心強さが募った。




あっという間に運動時間終了。




お昼ご飯までの数十分、衛生さんからの説明を受ける。




そこで嫌なことを聞いた。




あの“安全衛生心得”をここにいる12名全員が暗記してみんなが言えるまで訓練に使う教材などが配れないとの事。




だったら考査工場で完璧に言えて合格を貰っていた人は一体何だったのか。




ちび◯◯子ちゃんの山◯くんではないが、なんだか唐突に胃が痛くなってきた。




嫌な刑務所に来てしまったと少し後悔したが




『後悔先に立たず』




である(ちび◯◯子ちゃんのナレーション風に)




お昼ご飯を食べて休憩が終わると、入所式の準備をする事に。




なぜか超ダサい上下白の服を着れと言われ、12人全員が真っ白人間という異様な光景に。




時間になり体育館へ移動。




体育館にはステージ前にパイプイスが並べられていて、それぞれ指定された椅子に座らされる。




僕はよりによって一番前の席であった。




学校とかでもそうだったけれど、一番前の席は嫌なんですけど。




少しして金バッジをつけたお偉い職員さんが現れて




「楽な姿勢で聞いてくれ。今から入所式本番前の練習するから」




と。




ああ、卒業式の練習みたいなものか。




軽くお辞儀の仕方や受け答えの練習などを10分くらいして、ついに本番へ。




入所者代表の人は前に出て、紙に書かれた挨拶のような文章を読まなければならないが、僕は基本名前を呼ばれて返事をしたり立ったり座ったりを繰り返せばいいだけである。




やがて、この刑務所の所長さんが登場。




眼鏡をかけた温厚そうなお方である。




「この職業訓練を通じて、1日でも早く社会復帰できるように尽くしてください」




と、所長さんの訓示がなされたところで入所式は幕を閉じた。




工場に戻ってからはまた衛生さんの説明が入ったり安全衛生心得を黙読したりで初日は無事終了した。




ここの工場のシステムは非常にややこしくて面倒くさい。




特に着替えである。




下着(パンツ)は今履いてるもの以外は工場管理になり、毎回作業が終わると工場で着替えて洗濯も工場で衛生さんが行い、次の日に返ってくる。




終礼が始まる前に着替えタイムとなり、早々と着替えてまた整列して終礼して部屋に戻る。




さて、今日から雑居部屋である。




のっぽさんと一緒の部屋なのは確定しているし、あとはどんな人と一緒になるのか期待と不安が入り交じる。




僕らの部屋は“11室”であった。




部屋に戻ると、点検の時間まで部屋の整理整頓が始まった。




人数は僕を入れて5人だった。




人見知り発動中の僕は誰とも目を合わせられず黙々と整理整頓をこなす。




落ち着いてからやっと自己紹介タイムへ。




1番席は同じみ“のっぽさん”40代。


2番席は黒縁眼鏡をかけた“おメガネさん”30代。


3番席は髪が白い“お白さん”40代。


4番席は僕、まっすー。


5番席は背の小さい“おチビさん”40代。




平均年齢が高めだけど、若くて変にイキる人よりかは全然マシだ。




まあ職業訓練はそれなりの受刑態度の人から選ばれている訳だろうし、そうそう輩みたいな人はいないだろう事は予想していた。




どんな罪状で刑務所に入ったかなどの話をしていると、担当さんがやってきて




「今週の当番教えとくからな。1番席と2番席が食事係。3番席がトイレ掃除」




そう言い残して去っていった。




システムとしては、週代わりで当番が1つずつズレていく。




今週1・2番席が食事当番で3番席がトイレ掃除という事は、来週は2・3番席が食事当番で4番席がトイレ掃除という様になっていく訳である。




点検と夕食が終わり、余暇時間がやってきた。




雑居部屋には囲碁と将棋が常備されている。




僕は五目並べしかできないけれど、点検前の雑談の時に「今度やりませんか?」と思い切って声をかけてみた。




みんな「 ぜひやりましょう」と言ってくれた。




そもそも五目並べも元々やり方は知らなかったけれど、これは拘置所で同部屋の人が教えてくれた。




ちなみに部屋のテレビは46インチの大型だった。




僕は4番席でテレビのそばだったので嬉しい反面、席を立つと後ろの人達の邪魔してしまうので気を使う必要がある。




その夜は、僕は18時の仮就寝から布団を敷いて、ずっと東野圭吾の小説を読んでいた。




まだ人見知りモードが発動中なので、慣れるまで時間がかかるのである。




ネックなのはテレビか。




1人部屋だと好きなチャンネルを見れるが、ここは雑居でしかも5人もいる。




それぞれ好みの番組もあるだろうし、自分はこれが見たいと出張し合うと下手したら喧嘩になる可能性もある。




なので、僕はできるだけそういう主張はしないようにしようと決めた。




翌日。




雑居部屋の朝は非常にバタバタする。




水道の蛇口は3つしかないから歯磨きは順番待ちをしなければならないし、同時に3人以上立ち歩いてはいけないという謎ルールもあるし。




あとで聞いたら、全員が立っていると喧嘩でもしているのではないかと疑いを持たれてしまう為らしい。




歯磨きをして点検をして朝食を終え、出室の準備。




僕らがいる棟は他の一般工場の受刑者も収容されているので、出室用意の号令がかかったら後ろを向いて自室の扉が開くまで待機しなくてはならない。




まあ、これは目が合って因縁やら喧嘩にならないよう配慮しているのはわかる。




「11室、出室!!」




職員さんのバカでかい声と共に扉が開き、部屋を出る。




今日もまさか1日中あの安全衛生心得を読むことになるのだろうか。




職業訓練は一応もう始まってるはずなのだけど…




工場着に着替えて整列すると初の朝礼へ。




一連番号を取って挨拶を終えると担当さんが連絡事項を伝える。




「…以上。安全衛生心得」




そう言って担当さんが引くと、誰かが「ハイ!」と言って前に出てきた。




よく見ると上の方に安全衛生心得が書かれた大きな看板がある。




それを前に出てきた人が大声で読み上げた。




自所工場でも同じようなのがあるけれど、ここみたいに暗記やテストをするような事はしない。




それにコロナの関係で声に出せずに黙読になっている。




ここは「そんなの関係ねぇ!」ってやつか。




朝礼が終わったら朝の体操へ。




昨日衛生さんから説明があったのだが、ここの体操はラジオから流れるラジオ体操方式ではなく、毎朝、安全衛生心得を読む代表のかけ声で体操をするというもの。




さすが古い刑務所だけあって、やり方も古い。




そして今日の作業はやはり安全衛生心得の黙読。




僕はこんなのを覚える為にここに来たワケじゃないんだけどなぁ…




そんな黙読作業中の事である。




僕の前に座っている人が脇見で担当さんに注意された。




落ち着きなくキョロキョロしてるのは視界に入っていたから、いずれ注意されるぞとは思ってはいた。




すごいドスの声をきかせた担当さんが




「なんだお前、そっちが気になるのか?ああ?お前ここに何しにきてるんだ!」




と怒鳴る。




近距離でそんなバカでかい声を出されると、心得を暗記しようと思っても内容が吹き飛んでしまうではないか。




担当さんは常に教室にいる訳ではないので脇見のチャンスはある事はあるから彼も油断していたのだろう。




それにしてもこの脇見をした彼(以後“ワキミくん”)は、自所で一緒だったあのBさんと同じ匂いがする。




とばっちりを受けない為にもあまり関わらない方がいいだろう。




その日も結局は黙読作業と説明で1日が終わった。




夜はおメガネさんと五目並べをした。




拘置所で強い人とやってある程度鍛えたから自信はあったけど、おメガネさんもそれなりに強かった。




五目並べだけではなく囲碁と将棋も出来るようになりたいけれど、ルールが全くわからない。




将棋はとにかく“玉”の駒を取れば勝ちという事はわかるけど、その他細かなルールは全く知らない。




囲碁に関しては更にわからない。




自所でも誰もやり方がわからないって言っていたし。




そんなこんなで、就寝近くまで五目並べで遊んでいた。




五目並べをしていると時間経つのが早すぎる。




自所は1人部屋だからこういう事は出来ないし、今の内にたくさん遊んでおこう。




翌日の黙読作業中、ついに全員による暗記テストが始まった。




順番に名前を呼ばれ、担当さんの前に立って読み上げるのだ。




しかも読む場所は教室の後ろで、丸聞こえである。




これは間違えたり吃ったりしたら非常に恥ずかしいではないか。




しかも僕は後ろの方の席なので呼ばれるのは最後の方でプレッシャーもある。




プレッシャーというのは衛生さんから説明があり、例えば何人か連続で成功して合格を貰えたとする。




そしてその次の人が間違えたりすると、また最初の人からやり直しになるという鬼畜なシステム。




つまり最後の方の人は究極のプレッシャーを感じる事となる。




1人目2人目と成功していく中、あのワキミくんがやらかしてしまった。




声は大きくて順調かに思えたが、後半のところで黙ってしまったのだ。




10秒くらい黙ったところで担当さんが一言




「戻れ」




これでまた1人目からやり直しである。




これは果たして終わるのか?




成功した人はちゃんと成功したのに、間違えた人がいる事でとばっちりを受けるなんて不条理すぎる。




2周目が始まると、ワキミくんが間違えたのを皮切りに何人も黙ったり吃ったりして戻される状況が続く。




僕の番まで回ってくる気がしない。




担当さんも時間がなかったりして、その日は全員まで回って来ることなく終わった。




部屋に帰って1周目読み上げ成功、2周目読み上げ失敗したおチビさんに話を聞いてみると




おチビさんいわく




「内容は覚えているんだけど、あの担当の前に立つと飛んでしまう」




らしい。




その気持ちはわかる。




あの担当さんでなくとも、人前でしかもカンニングペーパーもなしにそこそこ長い文を読み上げるなんて。




その週の末、ワキミくんが脇見でついに連れて行かれた。




工場から連れ出される前に教室の外で担当さんからの説教があって、聞きたくなくても声が大きいので聞こえてくる。




「お前、やる気がないんじゃないのか!職業訓練で来たんじゃないのか!」




そんな感じで5分くらいまくし立てた後、別の職員さんによって工場から連れ出されていった。




帰って来られればいいが…




その日、連れていかれたワキミくん以外の全員が暗記テストで合格を貰った。




すごく緊張したけれど、なんとか最後まで読む事ができた。




前日のテストで一回「声が小さい」と言われて戻されたのだけど。




自分なりに大きい声を出したつもりなのだけれど…




僕の声が小さいのではなく、担当さんの声が大きすぎるだけではと思ったが。




なんとその日、連れて行かれたワキミくん以外の11名全員が無事、暗記テストを突破した。




ついに職業訓練の教材が配られるかと思ったが、なぜか黙読作業続行という。




みんなで頑張ったのに…




作業が終わって部屋に戻ると、愚痴大会が始まった。




僕と同じく「こんなん覚える為にきたワケじゃない」とか「いつ教科書配られるんだよ」とか。




職業訓練の開始は6月1日のはずなのに黙読暗記テストで1週間も潰れてしまったではないか。




とにかく来週から始まるのを祈るばかりである。




ワキミくんはその日は結局帰ってこなかった。




作業中に衛生さん達がバタバタと何かやっていたので、調査にでも入ってしまったのだろう。




まだ訓練も始まってないというのに、ほんとバカな子だよ…




翌週の月曜日の午後。




ついに、ついに…




『ボイラー2級技士』の教材が配られた!




いうまでもなく、午前中は例の黙読作業。




配られたのはメインの分厚い教科書が1冊と、過去の問題集などが数点、それとノート1冊と筆記用具。




ついに本番が始まるのである。




衛生さんから細かな説明を受ける。




この職業訓練では週に1回、2回ほど外部講師による授業がある。




また、ある程度勉強した後に模擬試験などもあるという事だ。





“2級”なのでそこそこ難しいだろうという想像はつく。




でもせっかく自所工場の担当さんに連れて来てもらったのだから何としても合格しなければ。




外部講師や模擬試験がない時は基本は自主学習となる。




小学生や中学生の頃は勉強は全く出来なかったけれど、ノートを取るのは好きだったので楽しくなりそうだ。




その週に僕と同年代くらいの新しい人が入ってきた。




その人も結局は暗記テストをやらされていて可哀想だった。




ワキミくんといえば、あれから戻って来る気配はない。




調査期間は1週間くらいらしいから、まだ戻って来る可能性はなくはないけれど。




訓練が始まる前から懲罰になり自所に強制送還されたとしたら、向こうの担当さんに相当怒られるのではなかろうか。




交通費だってかかっているだろうし。




気を付けなければ、くわばらくわばら…




教材は毎回部屋に持ち帰る事ができるらしい。




土日などの免業日も勉強ができるのである。




さすがに土日はゆっくりしたいけれど、教科書を見た限りやはり難しそうなので、なるべく持ち帰る事にした。




なにせこういう資格を取るのは生まれて初めてなので、教科書を見てもちんぷんかんぷんだ。




日は過ぎていき、6月も下旬に差しかかろうとした時の事。




午前中作業(勉強)をしていると、バタバタと衛生さんがやってきて




「皆さん手を止めてください」




と。




シャープペンシルを握ったままポカンとしていると、衛生さんは続けて言った。




「コロナの関係で作業中止になりました。工場も停止になるので居室に戻る準備をしてください」




ホワッツ?




コロナ?工場停止?




まだ状況がよく飲み込めない。




衛生さんが続ける。




「しばらくの間工場停止になるので、教材とか持ち帰る人は各居室の持ち出し箱に入れてください」




持ち出し箱とは大きな木箱で、毎回部屋の1番席の人が代表として部屋と工場間で持ち出すものである。




工場に持っていく物を入れたり、逆に今回の教材などを入れて部屋に持ち帰るのに使う。




工場停止…




これが吉と出るか凶と出るか。




結論から言うと、僕にとっては凶でしかなかった。




工場停止中は矯正指導日と同じ扱いになり、教育DVD視聴と読書または自主学習時間となる。




確かに部屋の方が集中して勉強できるからいいとして、問題はDVD視聴であった。




DVDの内容は主に工事現場などでの災害事例や、どこかの劇団の大根役者を使った再現ドラマだった。




これが曲者であった。




その週はひたすらDVD視聴と勉強で難なく終了。




1週間ではまだ工場再開とはならないようだ。




工場停止2週間目だが、例のDVDで先週と同じ内容のものが流された。




おメガネさんが




「嘘だろ…またかよ!」




とツッコミを入れる。




僕も肩を落とす。




ただでさえつまらない内容なのに同じのをまた見せられるなんて、まるで拷問である。




すごい眠たくなってくるし、これなら1日読書か勉強でいいよと。




意味があるのかわからない安全衛生心得の暗記テストをやっと突破したと思ったらそれからすぐに工場停止…




ホント、何しに来たんだかと。




その週の金曜日は正規の矯正指導日で、DVD視聴は午前はガイアの夜明けとカンブリア宮殿、午後はプロフェッショナル。




そしてその夜、部屋に放送が流れた。




「来週月曜日より一部の工場を再開します。再開する工場は第◯工場、第◯工場、第◯工場、建築訓練工場…」




お、やっと来週から工場再開だ。




書き忘れていたが、ビル管と木工は“建築訓練工場”として統合されている。




工場停止は2週間だけだった。




これでもし1ヶ月とかだったら、あのDVDをループで見せられてノイローゼになるところであった。




土日は勉強をしつつ五目並べもした。




もちろんお昼寝(午睡)も忘れない。




翌週月曜日。




2週間ぶりの工場なので少々身体が気だるい。




朝礼、体操が終わり作業開始。




やはり身体がダルい。




ノートをとる気力も起きないので、教科書の黙読に専念する事にした。




まだまだ何が何だかわからない。




とにかくボイラーの構造だけでも覚えなければ。




ボイラーでは覚える項目が4つある。




1は『ボイラーの構造に関する知識』

2は『ボイラーの取扱いに関する知識』

3は『燃料及び燃焼に関する知識』

4は『関係法令』




はい、覚えられる気がしません。




でも覚えるしかないのである。




とりあえずまずはボイラーの構造を覚えないと話にならないと思い、1のボイラーの構造のページを何度も読み返す。




何度見ても難しすぎて全く頭に入って来ないのは否めないが、さすがに不合格で自所に帰るのだけは僕のプライドが許さないので頑張ろうと思う。




今回はボイラーだけではなく、後に危険物の勉強と試験もあるのだ。




こんな所でつっかかっていてたまるか。




それからの僕は必死に勉強をした。




小学校中学校でもこんなに勉強した事はなかった。




外部講師の70代くらいのおじいさんの授業の時は正直眠気がやばかった。




おじいさんだけあって喋りがとてもゆったりしているので、子守唄に聴こえるのである。




訓練から約2ヶ月が経過した8月の真夏、また悪夢が再来した。




衛生さんがやってきて




「皆さん、作業をやめてください」




と。




ついに模擬試験が始まるのかと思っていると




「コロナ感染者が出たので工場停止になります。居室に帰る準備をお願いします」




おいおい嘘だろ…




木工や建築訓練の人達ともそれなりに仲良くなってきて勉強にも慣れてきたというのに。




まあどうせまた1週間2週間そこらで再開するであろう。




部屋に戻ると、前回と同じく矯正指導日の要領で自主学習をする。




余暇時間になったらまた愚痴大会が始まるかもしれない。




僕も愚痴りくてたまらない。




なんといってもまたあの恐怖のループDVDを見せられるのだ。




その日の夕食後に放送が流れた。




内容は、しばらくの間“全工場”を停止するというものだった。




全工場…つまり炊場や洗濯工場も停止となる(前回は炊場も洗濯も動いていた)




これは嫌な予感しかしない。




肝心のご飯はどうなるのだろうか?




ご飯についての説明はなかったが、洗濯に関しては毎朝職員さんが回収し、夕方に返すという事だ。




洗濯はおそらく外部の業者に頼むのかもしれない。




ご飯ももしかしたら外部からの仕出し弁当とかになるのだろうか?




だとしたらすごいお金がかかりそうである。




翌日。




朝から見慣れぬ光景が。




職員さんが白い防護服みたいな完全防備姿だった。




そこまでやばい事になっているのか!




こりゃ、1週間2週間そこらの話じゃないぞ!




気になっていた朝食だが、100円均一などに売っている使い捨ての白い食器にいつものご飯、味噌汁、おかず。




なるほど、そう来たか。




炊場が停止したからといってラインナップが変わる訳ではなかったらしい。




ただいつもの食器から使い捨ての食器に変わっただけであった。




まあ、予算もあるだろうからさすがに毎日外部からの弁当という訳にはいかないだろう。




そして、それからの生活だが…




結論からいうと、工場は約1ヶ月停止した。




それはそれは地獄の日々であった。




最悪だったのは入浴がない事だ。




入浴に関してはシャンプーと石鹸で洗面台の水道水を使って行う。




まだ夏だから良いが、冬だったら凍死するかもしれない(さすがにお湯は配られると思うが)




DVD視聴では前回見せられたものと同じものが数日置きに見せられたり、毎日のストレスが半端なかった。




息抜きといえば、おチビさんに教えてもらった将棋をする事だった。




教えてもらうと、意外とすぐに覚えられた。




ただ、駒の動かし方など基礎のルールがわかっただけでベテランのおチビさんに勝利する事はなかった。




他のメンバーとも対局させてもらい勝った時もあったが、どれも運よく勝てただけというものばかりである。




ちなみにおチビさんにはハンデとして“飛車”と“角行”を抜いてもらっても勝つことは出来なかった。




そして9月も中旬に差しかかったある日の夕食後、放送が流れる。




「明日より一部の工場を再開します。炊場工場、洗濯工場、第◯工場…」




まだなのか…と思っていたら




「…建築訓練工場」




ついにきた!




長かった…




お風呂に入れないのとDVD視聴は本当に苦痛だった。




再現ドラマのやつなんて、見すぎて台詞を覚えちゃったくらいである。




なにはともあれやっとストレスから解放される。




散髪もなかったので髪が伸びてしまって困る。




翌日。




身体は鈍っていたが久しぶりに運動時間に他の人達と喋れて、それとなく充実した1日を過ごせた。




ただその日、衛生さんから最悪な一言が告げられた。




それは




「ボイラーの試験日が延期になりました」




というものである。




元々ボイラーの試験日は9月中旬であった。




今は9月上旬で、試験日まで日もないので延期も仕方がないのかもしれない。




ただ延期となると、この先の危険物の訓練にも影響が出るのではなかろうか?




その点については衛生さんから説明があった。




工場停止がなければ予定通り9月中旬にボイラー試験を行い、その後に危険物の勉強。




その間にボイラーの実技講習を行い、11月下旬に危険物の試験という手筈であった。




だが工場停止により、ボイラーの試験が危険物試験と同じ11月に延期になった。




つまり、ボイラーと危険物と両方の勉強を同時進行で行わなければならなくなったのである。




これは痛かった。




2ヶ月経っているとはいえ、まだボイラーの勉強も完璧とはいえない。




そこから更に危険物の勉強も進めなければならないとは鬼畜である。




運動時間に衛生さんに不安を伝えると




「最悪、どちらか1つでも合格を目指しましょう」




と優しく言ってくれた。




確かに、両方不合格になるよりかは1つでも力を入れて頑張るのもありかもしれない。




衛生さんの優しい声がけで少しだけやる気がみなぎってきた。




そんなある日、ついに模擬試験が始まった。




模擬試験は全部で10回程度。




実際の試験に使われている回答用紙のコピーを使用して行う。




問題は全部で40問(4項目各10問で1問10点)




合格ラインは各項目40点以上を取り、かつ4項目の合計正解率が6割を超えること。




注意するのは、4項目の合計が6割以上を満たしているとしても、1項目の合計点数が4割以下だと不合格。




例として


1項目→30点

2項目→100点

3項目→100点

4項目→100点


=330点(400点中)




この場合、合計点数は6割以上を満たしているが、1項目が30点となっている為アウト。





ちなみに危険物の場合はもう少しハードルが上がるらしい。




今から不安である。




模擬試験は前半の方は正解率が悪く合格点に満たない事が多かったが、回を重ねるごとに合格ラインを叩き出していく事ができた。




そういえばメンバーに1人“バケモノ”がいた。




模擬試験の採点の後に衛生さんが来て模擬試験の結果を伝えに来るのだが、ほぼ満点を取る人がいた。




名前こそ出しはしないが




「今日の合格者は◯名、不合格が◯名でした」




といった感じに報告してくるのである。




この満点を取るのは、他施設からではなく等刑務所から来ているおじさんである。




毎回のように満点を取っているので、僕は個人的に”バケモノさん”と呼んでいる。




模擬試験10回全てを終えたが、僕は1度も満点を取ることはできなかった。




しかし合格ラインにはしっかり届いているので問題はないだろう。




ボイラーの勉強はこのくらいにしておいて危険物の勉強を始める事にした。




こちらも教科書や問題集を貰ったが、中身を見た瞬間…




「なんじゃこりゃあ!」




と心の中で叫んだ。




ボイラー以上に内容がちんぷんかんぷんすぎるではないか。




難しい用語が多すぎて頭が痛くなりそうだ。




これはさすがに合格はボイラーだけでもいいと思えた。




絶対無理な気がする。




ボイラーは4項目だったが、危険物は3項目。




3つだけに内容が難しすぎる。




ちなみに内容は




1は『危険物に関する法令』

2は『基礎的な物理学及び基礎的な化学』

3は『危険物の性質並びにその火災予防及び消火の方法』




見るからに無理そうである。




中でも特にお手上げだったのが、2つ目の物理学と化学。




ただでさえ数学はダメなのに化学式などの計算があり




「こんなのガリレオしか解けねぇだろ!」




と心の中でツッコんだ。




危険物訓練の講師は、これまた80代のおじいちゃんだった。




しかも授業はほぼせずに自作の模擬問題を配ってやらせるだけ。




その間講師は何をしているのかというと…




『寝てる』




である。




ふと見ると、目を瞑ってうなだれている事が多かった。




講師の必要性ある?と疑問に思ったが、まあボランティアで来ているらしいのでそこは追求しないでおこう。




そして11月に入り、ついに来た2級ボイラー技士試験。




試験は教室で行われる事になった。




コロナの影響で勉強を危険物と両立しなければならなくなったが、過去の問題集やノートを何度も見返したり、自分なりに頑張ったと思う。




そして試験開始。




勉強した甲斐があったというか、問題はスラスラと解けた。




所々でひっかけ問題らしきものも出たが、すぐ見抜く事ができた。




試験が無事終わり肩の力が抜けた。




あとは後日ボイラーの実技講習がある。




外で簡易ボイラーを使って実際に触る訳である。




これであとは危険物の勉強に専念する事ができる。




ほぼ諦めてはいるが、やはりここは合格しておきたい。




試験の合否は後日ハガキで届くらしい。




大丈夫、ボイラーは合格する自信がある。




最初は教科書を見ても「なんだコレ」とちんぷんかんぷんだったが、慣れというのは怖いものである。




さすがに危険物の化学式だけは僕の頭ではどうにもならないが。




数日後、ボイラーの実技講習が始まった。




簡易といってもそこそこ大きいボイラーを前に起動の仕方など説明を受け、それを1人ずつ体験していく。




皆に見られている中でやるのは緊張したが、起動の手順を間違えそうになっても講習の先生が助け舟を出してくれるので安心して出来た。




こういったボイラーを間近で見るのは初めてだったので良い経験をさせてもらった。




残すは危険物試験だけとなり、今月いっぱいで長かったようであっという間だった訓練も終わる。




部屋の皆も良い人で、将棋も覚える事が出来たし来てよかった。




11月の下旬、ついに鬼門の危険物試験が始まった。




ちなみにこの日は土曜日である。




なんでも、僕達だけではなく他の工場の自費で危険物試験を受ける人と合同でやるかららしい。




場所は体育館であった。




テーブルと椅子がズラリと用意されていて、なんともいえない緊張感が漂っている。




ちなみに危険物の試験は




法令が15問

物理化学が10問

性質消火が10問




各項目6割以上の正解率で合格ライン。




だがボイラー試験との違いは、ボイラーは1問40点以上は出せば良かったが、危険物は1問60点以上出さなければならないという事である。




例として




1項目→50点

2項目→100点

3項目→100点


=350点



こちらも合計350点と6割以上を満たしているが、1項目が50点となっている為アウト。




化学式の問題が少ない事を祈りながら席に着く。




ステージ前に座っている試験官から説明を受け、試験開始。




法令と性質消火についてはまあまあ出来たが、やはり鬼門の物理化学では化学式の問題が数個出て四苦八苦した。




全く計算できないので半分当てずっぽうでマークした。




おそらく不合格だろう。




コロナでボイラーと両立しなければならないのもあったが、それ以前の問題である。




とにかく試験は両方終わり、後は自所に戻るだけだ。




衛生さんによると、訓練が終わる11月30日までは工場へ出ていつも通り自主学習をして、12月1日に1人部屋に移り1、2週間ほど健康監察をして自所に移送との事。




それまでは将棋や五目並べをして楽しんだ。




おチビさんには結局1度も勝てなかった。




明日で部屋移動という最後の日の作業中、職員さんがハガキを持ってやってきた。




「皆さん手を止めてください。2級ボイラー技士試験の合格発表が届きました」




ついにきた。




ハガキが全員に配られたところで




「では開いて確認してください」




と職員さんに言われ、恐る恐るノリ付けされた部分を開く。




そこに見えた文字は




『合格』




心の中でガッツポーズ。




自信はあったけど、改めてこの“合格”の文字を見ると嬉しくてニヤニヤしてしまった。




職員さんが言う。




「無事ここにいる全員が合格です」




全員合格とはこれまたおめでたい事である。




職員さんが続けて




「ボイラーの免許の交付については、1ヶ月くらいに等施設に届く予定です。他施設から来ている者はその施設に郵便で送る事になります。危険物の合否に関しても同じくらいの時期になるでしょう。半年間お疲れ様ね」




そう言って去っていった。




とりあえず一安心。




運動時間、衛生さんと木工と建築訓練の人達に最後の挨拶をした。




もう会えなくなると思うと少し寂しい気持ちになった。




特に衛生さんにはとてもお世話になった。




「なんでこんな良い人がこんな所にいるんだろう」と思うくらい良い人だった。




勉強の事だけではなく、苦手な人間関係などについても色々と相談にも乗ってくれたし、この事はずっと忘れない。




そして一番お世話になったのは担当さんだ。




声は低すぎるし、スゴむと迫力がある担当さんだったが、悩みなどきちんと聞いてくれる優しい人だった。




部屋のメンバーと最後の夜は、やはり五目並べと将棋をした。




コロナで工場停止などで色々とストレスなどもあったけど、なんだかんだで楽しかった半年であった。




のっぽさんとは出てからフェイスブックで連絡を取り合う事を約束した。




翌日。




朝食後に荷物をまとめて向かったのは、入所して考査工場に行く前に過ごした棟。




久しぶりの1人部屋である。




1人も1人で自由でいいのだが、少し寂しさもある。




でもみんな同じ棟にいるし運動で一緒になるかもしれない。




部屋では“紙折り”という作業をした。




大きな茶色の紙袋を線に合わせて綺麗に折るだけ。




考査工場にいた時に一般受刑者の人達がやっていた作業だ。





午前中、作業をしていると食器口が開いて




「午後から退所式があるから昼食べたらこれに着替えといて」




と職員さんに渡されたのは、入所式に着た時と同じ上下白のダサい服。




昼食後、すぐに出室して体育館へ。




入所式と同じくパイプ椅子が並べられていて、指定された席に座る。




席はまたしても前であった。




始まる前にお偉い職員さんから職業訓練の“終了証書”を配られる。




ちなみに退所式では優秀賞と努力賞の授与もあったのだが、優秀賞は言うまでもなく、あのバケモノさんだ。




そして努力賞は、部屋で一緒だったおメガネさんであった。




おメガネさんもアニメ“とっとこハム◯郎”に出てくるメ◯ネくんみたいで真面目だったし、優秀賞を貰ってもおかしくない感じであったのに。




なにはともあれ、これで後は自所の移送を待つばかり。




退所式が終わったその日の作業中、また食器口が開いて職員さんが




「作業中悪いな。ちょっと検温させて」




と体温計を手にやってきた。




検温は、すなわち移送が近いサインである。




拘置所でも、刑務所に移送される1週間前から検温が始まり、そこから1週間後に移送された。





正直、コロナとかもあって移送は長びくのではないかと予想していたのだが、意外にもすぐで拍子抜けした。




翌日の運動の時も皆に




「検温始まったやろ、いいな」

「俺はまだだから羨ましい」

「早く帰れていいな」




などと声をかけてくれた。




こんなに良い人達ともうすぐお別れなんだと思うとやっぱり寂しい。




この刑務所は自所の2倍くらいは厳しかったけれど、来て良かったと思える。




生まれて始めて国家資格を取ることが出来たし(危険物はおそらく不合格であるが)




明日で検温が始まってちょうど1週間になろうとする日の作業中、食器口が開いて




「これから領置品調べがあるから作業止めて準備だけしといて」




と職員さん。




お、今日領置調べがあるという事はついに明日自所に帰れるという事だ。





これも拘置所の時と一緒で、大体は領置品の調べがある翌日に移送される。




入所時に来た新入調室に連れて来られ、領置されていた物品を職員さんと一緒に確認する。




預けている荷物は少ないので30分くらいで終わった。




部屋に帰って、後は作業をして夕食を食べて余暇時間を過ごして寝るだけである。




職員さんには、明日朝早くに起こしに来ると言われた。




佐賀少年刑務所最後の夜が終わり、送還の日が来た。




朝6時前に新入調室に行き朝食を食べる。




朝はいつも食欲がないのだが、長旅になるのでしっかり食べた。




朝7時頃、出発。




とりあえずボイラーは合格したし、思い残す事はない。




危険物はもう諦めているのだ。




行きの時と同じく手錠をされて車で駅へ向かい、そこから新幹線に乗る。




自所に着いたのはお昼前。




ついに帰ってきたか。




1時間ほど領置調べをして、5寮工場へ。




またここの部屋で1週間くらいはひたすら折り鶴作業である。




佐賀刑務所でやった紙折りの方がまだ時間経つしマシであった。




久しぶりに食べるここでのご飯は美味しく感じた。




いや向こうも美味しかったけれど、まだこちらの方が多少なりとも上である。




翌週の水曜日…




矯正指導日が終わった所で5寮の担当さんがやってきて




「明日から工場やから、今日の内に荷物まとめたって」




と告知が。




やっと3工場に戻れる。




半年ぶりだから知らない人も増えている事だだろう。




一番仲良くしてくれているモーくんに早く会いたい。




翌日…




朝食後に荷物を台車に乗せて、3工場がある2寮へ。




寮の入口の所にホワイトボードがあり、工場の総員数などが書かれているのだが、通る時にチラリと見ると3工場は30人弱になっていた。




うわ、前は50人はいたのにすごい減ったなと心の中で驚く。




出所した人が多いのか、工場に人を入れていないのか…




部屋に荷物を置いて工場へ。




更衣室で着替えていると、工場へのドアの向こうから懐かしい金属の音がする。




担当さんに会うのも久しぶりである。




工場に入ると、人が少ない少ない。




前は1つの作業台に2人ずつ座っていたが、今は1つの作業台に1人であった。




担当さんに挨拶をして衛生くんに改めて工場の説明を受ける。




ちなみに衛生くんは変わっていた。




前にいた真面目な子は確か1月に出所だと聞いていたから、すでに仮釈放で出たのだろう。




新しい衛生くんは僕の後に入った子だった。




ここに移送される前の分類センターで衛生をやっていたらしいので抜擢されたのだろう。




説明が終わり作業へ。




初めて来た時と同じく、一番後ろの席の簡単な作業から開始。




立ち役の人も基本的に変わっていないが、1人だけ見知らぬ背の高い若い子が増えていた。




立ち役の班長(以後“ハンチョウ”)と、新しいこの子とは少し後に書く僕の生死に関わる“ある事件”で仲良く(?)なるので名前は“若のっぽくん”としておく。




年末を控えたある日の作業中、担当さんに食堂に行くように言われた。




向かうとお偉い金バッジの人が立っており、ボイラーの免許証と危険物の合否のハガキが届いたとの事。




さて、危険物の結果は…




『不合格』




やはり予想していた通りである。




成績を見ると、法令と性質消火については合格ラインに届いていたものの、やはり物理化学が届いていなかった。




でもせっかくここまで頑張ったのだから、いずれ外で通信教育でリベンジしてやろうと決めた。





それからは平凡な日々が過ぎていき、気づくと刑務所で2回目になる年明けを迎えていた。




ついに満期出所まで1年を切った所である。




そんな1月も後半に差しかかろうとしたある日の夕方、放送が入った。




「等施設でコロナ感染が広がっており、その対策としてしばらくの間工場への出役を停止します」




なんてこった。




佐賀刑務所での地獄絵図が蘇る。




工場停止中は入浴はなしで部屋の水道で身体拭きと洗髪を行うとのこと。




しかし今は1月という事で、入浴該当日は職員さんがお湯を入れに回ってくる。




お湯は部屋にあるバケツに注がれるのである。





お湯はバケツ半分くらいしか注がれないので調整が難しかった。




僕は地元が地元なので寒いのには慣れてはいるが、それでもこっちの寒さは地元とは全く違った寒さがある。




とりあえずお湯は洗髪メインに使って、身体拭きは冷たい水道で行う事にした。




工場停止中は佐賀刑務所と同じく矯正指導日と同じ扱いになるかと思いきや…




平日はいつも通り起床時間などが作業日と同じ動作時限になり、なんと嬉しい事に朝から自由チャンネルでテレビが見れるという事ではないか!




午後イチに1時間だけ作業と題して危険予知トレーニングのプリント学習があるだけで、後は基本的にテレビ視聴!




これほど嬉しい事はない。




佐賀刑務所みたいに毎回同じ内容のDVDを見せられるのとは雲泥の差である。




そんなステイホーム中、事件が。




昼食前、テレビを見ていたらなぜだか急に頭がボーッとしてきた。




身体もダルく節々も痛い。




気のせいだと思いたかったが、段々としんどくなってきた。




昼食は全然食べれず半分以上派残してしまった。




昼食後、我慢できなくなった僕は呼び出しボタンを押して職員さんを呼んだ。




少しして来たのは工場の担当さんである。




事情を説明すると「待っといて」と言われ、体温計を持って戻ってきた。




熱を測るとなんと…




39度!




一瞬目を疑った。




今まで生きてきてこんな度数は初めてだった。




担当さんが体温計を見て「おう…」みたいな顔をしていた。




再び「待っといて」と言われる。




その間はもう座っていられないくらいしんどかった。




やがて医務課の職員さんがやってきて、佐賀刑務所でも入所時にやったPCR検査をする事になった。




節々の痛みの方が勝っていたからか綿棒を鼻に突っ込んでもそれほど痛みは感じなかった。




結果は『陽性』であった。




そんな訳で、僕は別室で隔離される事になった。




職員さんが持ってきた車椅子に乗って隔離棟まで運んでくれた。




部屋はベッドが3つ置いてある場所に1人だった。




職員さんからここでの説明受ける。




部屋ではとにかく食事の時以外は1日中寝てろという事だ。




ラジオはあるがテレビはない。




その日はずっと頭がボーッとしていて寝るに寝られず生死の世界を彷徨っていた。




ご飯も全く食べられず「このまま死ぬのかな」と思ったくらいである。




解熱剤を貰ったが、全く効かない。




今まで「コロナなんかどうせたいした事ないだろ」と他人事のように思っていたが、今回初めてかかってみてその辛さがよくわかった。




それから3日くらい経って少しはマシになってきた頃、部屋に人が2人入ってきた。




それはなんと同じ工場の立ち役ハンチョウと若のっぽくんであった。




ハンチョウとは作業以外では全く話した事がなかったのだが、普通に話してみると意外に気さくな人だった。




しかも奇遇な事に、ハンチョウの下の名前が僕と一緒だった(漢字は違うが)




1人で退屈だったので、人が来てくれて助かった。




ハンチョウも若のっぽくんもとにかく優しくて面白かった。




ハンチョウとは、出所したらいつかご飯でも食べに行こうと約束した。




隔離棟には約2週間いた。




やっと工場に戻る当日、ハンチョウだけがまだ残り、僕と若のっぽくんの2人が部屋を出る事になった。




コロナにかかってこの棟に来ていなかったらこうしてハンチョウ達と仲良くなっていなかったと思うと、今はコロナにかかってよかったと思う今日この頃であった。




2月も最後という日、食堂で午後休憩をしていると

、担当さんから衝撃の一言が。




「俺は今日で最後になるからな。明日から新しい担当になるけど迷惑かけんように」




…は?そんな事こんなギリギリになって言う?




普通もう少し前もって話す事では?




皆、当然のようにザワついていた。




この担当さんには出所まで見届けてほしかった。




色んな相談にも乗ってくれたし、職業訓練にも連れていってくれたしお世話になりまくったというのに。




次来るという担当さんは一体どういう人なのだろうか。




期待と不安が入り交じる。




そして翌日…




朝食が終わり出室用意の号令を待っていると、外からいきなり




「おら、出所用意かかるぞ!はよ座れ!」




とダミ声の怒号が。




聞き覚えのない声だ。




まさか…この声の人が新しい担当?




期待より不安が勝ったようだ。




出室の号令がかかり廊下に整列して、遠目からその新担当さんの様子を伺ってみる。




その人は背がこれまた高く、まだ30代くらいの若い感じの見た目温厚そうなお人であった。




その見た目からあんなダミ声を出すなんて、顔と声が全然合っていない。




前の担当さんよりも一回りくらい若いから新人教師のように情熱に溢れているのかもしれないが、朝からそのダミ声を聞くとテンションが下がる。




佐賀刑務所の考査工場の担当を彷彿とさせる。




満期まで残り9ヶ月、この担当さんの元でやっていかなければならないかと思うと憂鬱感が。




これは早いとこ仮釈放が欲しい所である。




その担当さんはとにかくやばかった。




工場での動作などを何度もやり直しをさせて、ガミガミクドクド言ってくる。




それも衛生や立ち役など真面目な人など全く関係なく誰にでも注意をする…というか“したがる”




運動の時間はその新担当さんの話題で持ち切りだった。




「まじうるさい」

「やばいの来たな」

「若いくせにイキっとる」




など悪口しか出てこない。




前の担当さんの時はこんな悪口が飛び交う事はなかったのに、それほどまでに今回の人はやばいのである。




仲良かったモーくんは2月の終わりごろに仮釈放で出ていった。




すごい良いタイミングで出て行ったなと羨ましく思う。




まあこれが普通の刑務所の刑務官の態度、対応なのだろう(前の担当さんが優しすぎただけだろう)




新担当さんに慣れぬまま月は4月に。




毎年4月と9月は僕達受刑者の昇格昇降の時期でもある。




半年毎にその人の受刑態度などを総悟的に評価して優遇区分が上がったり下がったり。




まあ僕は調査懲罰などの歴もなく職業訓練にも行ってはいるけれど、まだ服役期間も約1年半と短いので昇格はないだろう。




と思っていた矢先…




優遇区分の昇格昇降の言い渡しは作業中に呼ばれ、処遇部門のお偉い職員さんに告知されるのだが、その日なんと僕の名前が呼ばれた。




呼ばれたのは僕以外に5人くらいいた。




1人1人称呼番号と名前を言った後、職員さんから告知が。




「君達を本日より優遇区分“第2類”に指定します」




正直に嬉しかった。




思わずニヤけてしまいそうになるのを我慢。




職員さんに「気を引き締めて頑張るように」と訓示を受けて解散。




その後ついに第3類の黄色いバッジから、第2類の赤いバッジに変わった。




身が引き締まる思いだった。




4月も下旬に差しかかった水曜日の矯正指導の日、昼食を食べて午後のDVD視聴まで休憩をしていると、食器口が開いて




「もう少ししたら分類行くから準備しといて




と職員さんに言われた。




分類は、様は面接の事である。




内容は察しがついていた。




おそらく仮釈放に関する面接だ。




地方更生保護会の職員さんが来所して、今までの経歴や刑務所で更生する為にどういった事に努めてきたのか面接を行い、総合的に仮釈放を許すか否かを判断する重要な面接だ。




大体はその面接が終わってから最低でも1ヶ月くらいしてから、仮釈放が認められた人は、いわゆる“復帰寮”という所に移動してそこで2週間ほど生活してからやっと仮釈放らしい。




面接はとても緊張したけれど、今まで自分がしてきた非行を正直に話し、十分に反省している事を主張した。




30分くらいで面接は終了した。




手応えはあるのかないのかはよくわからなかった。




面接官は人の良さそうなおじさんだったが、答えづらい厳しい質問をされる事もあったし、正直仮釈放が認められるのかはわからない。




でもモーくんも仮釈放通ったし、僕も大丈夫だと信じたい。




信じる者は救われるのである。




それからちょうど4週間(1ヶ月)経った金曜日の朝、ついにその時が来た。




朝食を終えた後、担当さんがやってきて




「今日で終わりや。部屋変わるから荷物まとめとけ」




と。




待ってました、復帰寮への移動!




無事に仮釈放が認められたのだ。




つまりあと2週間で出られるという事だ。




テンションが上がりそうになったがそこは堪えて




「短い間でしたがお世話になりました」




と挨拶をした。




そこまでお世話になったかと聞かれると疑問だが、まあ社交辞令という事で。




工場の皆が出室した後、連行の職員さんがやってきて荷物を台車に乗せて復帰寮に向かった。




着いたのは『あけぼの寮』と呼ばれる場所だった。




“あけぼの”という割に造りは普通である。




ホールにはテレビやテーブルが置かれており、その先が部屋になっている。




荷物を部屋に置いてから、復帰寮の担当さんだという私服のおじさんから寮の説明を受けた。




寮には2週間いて、1週間目がここ『あけぼの寮』で2週間目が『光明寮』という場所で過ごすとの事。




この復帰寮では主にDVD教育や講師による話を聞くなど、矯正指導日のような日課となっている。




あけぼの寮ではホールに監視カメラがあり、基本的に職員は在中していない。




たまにちょこちょこ巡回に来るだけで、工場の寮と比べると少し開放的になった程度。




それに部屋の扉も随時開放中で出入りが自由である(就寝時だけは閉める)




食事についてであるが、炊場の人達が持ってきたものを僕達自身で配食する事になっている。




配食は日替わり交代で担当と副担当の2人で行う。




担当は配食以外にも仕事があって、朝点検は普通に職員さんが部屋を回って点呼を取るのだが、夕点検の場合だけは「点検用意」の号令がかかったら部屋から出てホールに整列





そして全員が番号を唱えた後、担当が





「あけぼの寮総員◯名、現在◯名。異常ありません!」




と点検の職員さんに報告しなければならない。




しかもそんな大役である担当を初日から僕がする事になった。




今まで職員さんがそういった人員報告をするのを幾度となく聞いていたが、まさか受刑者である僕達が報告する側になるとは。




初日はとにかく担当さんの話を聞いたりDVD視聴したりと、とにかく眠くなる1日であった。




これが2週間も続くとなると、少し厳しい。




更には考査工場の時に毎日つけた日記を今回も書かなければならない。




日記以外にも書くものがあって、本2冊の読書感想文や、その日の日課(講師の講話、DVD視聴)に対する感想文など、とにかく書き物が多い。




書き物は好きな方だけれど、これほどのものを毎日書くとなると徐々にネタ切れになって文の行数も減っていく事だろう。




ちなみに読書感想文の課題図書は『メアリーへの手紙』と『続・獄中記』




獄中記は“続”とついているので1作目があると思うのだが、どうして1作目ではなく2作目なのだろう。




前作がわからないとあらすじなどがわからないではないか。




『メアリーへの手紙』は感動系の話みたいだが、難しくてよくわからない。




読書感想文は中学生の頃に『火垂るの墓』で書いて以来だ。




火垂るの墓はアニメ映画も見ていたから内容もわかるし、ジブリの中でも5本の指に入るくらい好きな作品である。




余談であるが僕が好きなジブリ作品No.5は




No.1『平成狸合戦ぽんぽこ』

No.2『千と千尋の神隠し』

No.3『もののけ姫』

No.4『火垂るの墓』

No.5『猫の恩返し』




である。




日課では1時間くらい外部講師による講話があるが、それがまた眠たい。




でも講話の感想文も書かなくてはならないので話を聞いていないと内容がわからなくて書くのに困ってしまう。




これならまだ5寮工場みたいに折り鶴をしている方がいいかもしれない。




ちなみにあけぼの寮のメンバーだが、僕を入れて9人で皆、とても良い人達である。




余暇時間は主にホールに集まって雑談をしていた。




佐賀刑務所の雑居部屋を思い出して楽しかった。




そして1週間後、あけぼの寮の生活を終え僕達は最後に過ごす事になる『光明寮』に移動となった。




光明寮はあけぼの寮とはまた違った造りで、なんというか病院みたいな感じだった。




ホールは大きく、部屋もスライド式のドア、そしてきちんとしたテーブルにベッドが置いてある。




まさに病院の病室である。




光明寮での生活も基本的にあけぼの寮とは変わらないが、大きな違いといえばホールにカメラがない事と、お風呂(掃除含む)や洗濯は自分達で行うという事だ。




お風呂は平日は毎日入れるが、お風呂掃除は日替わりで自分達で行い、洗濯も自分達で行う。




まさに娑婆での普通の生活である。




職員さんも1時間に1回くらいの頻度でしか巡回に来ないので自由すぎる。




あとここで1週間過ごせば外に出られるんだと思うと、ワクワクするのと同時に不安もある。




約2年半であるが、久しぶりの社会。




仕事はちゃんと出来るだろうか、人間関係は大丈夫だろうかなど考える事がいっぱいである。




ちなみに僕は正式な身元引受人はいないので、出た後の引受け先は“更生保護施設”となっている。




場所は住んでいた所と同じく愛知県だ。




「家族の所は?」と思われるかもしれないが、家族とはある事情ですでに離縁している。




現在僕は30代前半であるが、20代前半の頃に実家が嫌になって飛び出してきたのだ。




警察の取り調べでも、面倒くさいのでこの辺の事については話したくないと黙秘していた。




話を戻して、光明寮での生活はある程度充実していた。




講話やDVD視聴があるのは相変わらずではあるが、職員さんに常に見られているというのがないので思わず気を抜きそうになってしまうが、ここで違反したのが見つかってしまうとせっかくの仮釈放が取り消されてしまうので、細心の注意を払った。




そして光明寮での生活も、2年半過ごした刑務所での生活も今日で最後となった日の午前中、お偉い職員さんが来て




「今から仮釈放式の練習するから」




と。




仮釈放式ではセンター長による訓示や、仮釈放中に厳守する事項などをまとめた書類を渡す大事な式との事。




佐賀刑務所の入退所式のように、一礼や書類を貰う時の動作の仕方を何度か練習した。




その後に、明日刑務所を出てからについての説明も受けた。




ありがたい事に引受け先場所への最寄り駅の交通費は出してくれるとの事で、明日出所の手続きの際に、工場で働いた分の作業報奨金と一緒に渡してくれるという。




そして今日最終日は、午後からもう一つイベントがあった。




それは




“社会奉仕活動”である。




これは、外に出て近所の神社などの掃除(主に草むしり)を行う活動で、仮釈放前の恒例行事らしい。




明日には出られるが、その前に外に出て気持ち良い空気が吸えるのだ。




昼食後、整列して外に出る。




一緒に行く私服姿の職員さんが前と後ろについて神社へと向かう。




ふと後ろについていた上下ジャージ姿の職員さんを見ると…




「(あれ、どこかで見た事あるような…)」




すぐに思い出した。




考査工場でお世話になった色黒の担当さんではないか!




制服ではないし帽子も被っていなくて、しかもジャージ姿だったので、全くわからなかった。




まさかまた会えるとは思ってもみなかった。




僕は声をかけた。




「あの、考査工場の時はお世話になりました」




これは本心である。




めっちゃ良い人だったし、3月からの3工場の担当さんがこの人に変わっていたら仮釈放なんかいらなかったかもと思えるくらい、とにかく良い人だった。




考査担当さんは




「久しぶりやな。出ても頑張れよ」




と笑顔で言ってくれた。




この時僕は変な事を思った。




僕は男だが…




「この人になら抱かれてもいい!」




と。




まあそれは冗談として、10分くらい歩いた所に大きな神社があり、ビニール袋を持って草むしりを開始。




15分くらいやって、とても良い汗をかいた気がする。




もう少し外の空気吸っていたかったけれど、その場を退散。




寮に戻ってからは社会奉仕活動をした感想文と読書感想文を書いた。




夜は最後の日記を書いて、長いようで短かった2週間が終わり、2年半過ごした刑務所生活ともおサラバである。




復帰寮の一部のメンバーとは出所後にフェイスブックで連絡をとる約束をした。




そして出所の日ー




朝食後に全体で大掃除をしてから、荷物をまとめて新入調べ室へ。




荷物の確認をして、作業報奨金を貰った。




報奨金は約5万円ほどだった。




2年半働いて5万円か…




でも久しぶりに諭吉が見れて嬉しかった。




出所手続きが終わった所で久しぶりの私服に着替える。




服を着替えてもまだ「出られるんだ」という実感が湧かない。




夢なのではないかとも思えてくる。




新入調べ室を出ると、仮釈放式が行われる会場へ。




こじんまりとした部屋にパイプイスが人数分と、メンバーの引受け人であろう家族達が集まっていた。




仮釈放式は練習した通りに、仮釈放を認める旨の書類などをセンター長から授与された。




その後、訓示があり仮釈放は幕を閉じた。




刑務所からは近くの駅まで職員さんが送ってくれるという。




そこで電車に乗って更生保護施設へ行くのだが、その前に1箇所向かう所がある。




それは“保護観察所”である。




そこで保護観察官と簡単な面接をしてから保護施設へと向かう事になる。





兵庫から愛知までは長旅だったが、数時間後にようやく保護観察所に到着。




保護観察官は若い女性の方で、検察官みたいに厳しい感じの男性かと想像していたので安心した。




面接では仮釈放中に守るべき遵守事項を声に出して読んだり、再犯しない為に何をどうしたらいいかなど質疑応答が主だった。




30分くらいで面接は終わり、またここから施設まで行かなければならないのかと思っていると保護観察官から




「施設の方が迎えに来てくださるそうなので、お待ちください」




と。




これは助かる。




久しぶりの娑婆であり、しかも6月でもすでに暑くてバテそうになっていた所であった。





30分かからないくらいで、施設の方は来た。




顔は少し厳ついけれど話してみると気さくなおっちゃんだった。




仮釈放期間中、お世話になります。







【初めての刑務所・完】



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