蠱惑ノ星月夜
少年つづく
邂逅
僕はお城を持っていた。
そこは、僕が知る唯一の居場所であり、楽園だった。
何をしても叱られる事はない。
夢の中にいるようだった。
餓死してもいい、君が居れば寂しくなんかない。
ずっと此処にいたいと願うほどに幸せだった。
古びた時計の正時の鐘が響くあの時、僕が君を救えたら、
きっと今も
ドンドン…
「失礼しまーすっ」
「今日もやる事いっぱいあるんで、起きてくださーい! おーい」
聞き馴染みのあるエネルギーに満ち溢れた声が聞こえてくる。まだ目を開けるほどの元気はない。今日は特に目覚めの悪い朝である。
なんとか返事をしてやろうと思い声を出すが、向こうはすっかり呆れているようだ。
「俺、何度も起こしたんで、お説教は勘弁してくださいよ。失礼しました。」
何度も起こしてきたのにも関わらず、'失礼しました'だけはしっかり言うのが意地らしい。
いざ起きてみると、やはり体が重たい気がした。今日もまた、最悪な一日が始まる。
今日はよくある朝のニュース番組のちょっとしたゲストとして呼ばれた。
最近はホテル王とか言ういかにも人の目を惹くためのキラキラした呼び名で呼ばれたりする。
イケメンだの若いだの何だの言われる事も多く、正直うんざりはしているが、にこにこして、他愛もない話をするだけで駄賃が貰えるのなら容易いものだ。
生放送だが、何度か呼ばれた事はあるので今更特別な気はしない。
幼い頃はよく父の見せ物になっていて、その頃から何度かテレビに呼ばれるようになった。
時間がたってもいい思い出ではないのでなるべく思い出したくはない。
この仕事を引き受けている以上嫌でも思い出してしまう。
残念ながら、数少ない俺の記憶の中ではきっと印象的な出来事なのだろう。
撮影が始まり、俺が登場する時間になると、司会のタレントが、'俺'というイメージとはかけ離れた明るい声で俺を紹介してくる。
テレビではそんな芸能界の皆さんに合わせて、明るく対応し、多くの人が行きたいと思うようなホテルのイメージを崩さないようにと少しは気にかけている。
カメラの前でにこにこして、昔叩き込まれた要領の良さそうな仕草をしている俺は、まさに白馬の王子の様な人物だと思われているのだろう。
まあ、表情や仕草は気にせず見た目だけで判断する者もこの世には少なくないので、この容姿ではどちらにしろホテル王と呼ばれるのも仕方ないのかもしれない。
俺をこんなナルシストにしたのも間違いなくテレビのせいである。
司会はいつも通りイケメン、若い、社長、かっこいい、イケメンを連呼している。
正直容姿や歳を褒められても何も感じないのでどう反応すれば良いのかわからない。
まあ、こういう時は大体笑顔にしていて間違いはないだろう。
その後は事前に撮影していたホテルの紹介動画などが流れて、朝から相当疲れていた割には意外とすんなり時間が進んでいった。
新聞記者にインタビューされ、雑誌に載せられる写真を撮られ、気づけば夜になっていた。俺は、芸能人じゃ無い。
しかし、社長交代により、思想の強い中年社員たちから山のように退職状が出され、全く人手が足りていない今。
簡単に得られる収入を逃す訳にはいかないのだ。
今日はうちの社員の中では新人で、エネルギーのある前田がマネージャーの如く朝から頑張っている。
新人だからといって、最近入ってきたというわけではないのだが。
今日はこいつがホテルのプレミアムセダンを乗りこなす。
前田の運転は揺れが少ない割に早く到着するので、俺としても文句はない。
車内は、音楽もなくとても静かである。
俺は後部座席に乗り、長い橋を渡り始めた所で、きっちりと締めていたシルクのネクタイを緩め、スーツのボタンを開けはじめる。
紺色の内ポケットから、使い古された銀色のジッポと、仕入れたてのシガローネを一つ取り出す。
火をつけると、そっと咥えた冷たい銀色が熱くなってきたのを感じて。上がってきた煙を吸い込み、しばらく身体に留まらせてから、一気に吐き出す。
水面に映る都会の夜景を見ながら、吸いすぎず、吸わなすぎず。ふかしすぎずにじっくりと味わう。
前田も初めの頃はこの煙に咳き込んで、窓を開けようとしたりもしていたのだが。最近はもう慣れてきたのか、全く邪魔をしてこない。
この短い時間が、疲れを誤魔化すのに丁度いい。一日の楽しみにもなりつつある。
しばらくすると橋の向こう側に辿り着き、惜しみながらも味の残った煙草を灰皿に押し付け、ネクタイを締めると同時に、残業が思いやられた。
うちのホテルは都市から少し離れた島にある。海の方を向けば、ホテルだけが懸命に光を放っていて、その周りは夜でも見えやすくなっている。
なんて今まで考えてみた事はなかったが、この真夜中に怪しい人物がいるのを目撃すると、この灯りは防犯の役目も果たしていたのだという事が実感できる。
「何だあの人、、!」
前田が声をあげる。
はて、あの怪しい人物は誰であろうか。
荷物は無く、手に持っているのは一枚の紙。
服装は黒ずくめで、美しい金髪をあえてのノーセット。
私は不審人物ですと言わんばかりのビジュアルだ。
ホテルの周りをジロジロと観察して、手に持った紙と照らし合わせているように見える。
普通の生活をしていれば見ることのできない見本の様な犯人である。
そうだな、こんな奴は現行犯逮捕が効率的だろう。
俺は前田が呆然としている隙を見て車の鍵を開けた。こいつはだいぶ動揺しているようだ。
割と冷静に車から降りようとする俺を、焦って止めようとしたのだろうが、流石に運転席から後部座席まで手を伸ばすのには無理があったようで。
全力で振り向き、行くなという目線を向けるだけになってしまっていた。
「ちょっ危ないですよ!」
前田はいつも若干偉そうなのが短所であるが、自分の意思があるのは結構な事だ。
舐められにくいという点では長所と言ってもいいだろう。
さて、俺も不審者の前では傲慢な王らしい態度をとるとしよう。
まっすぐと不審者の方へ向かっていく。
集中しているのか油断しているのかこちらの気配に気づく様子はなかった。
すぐ背後に来てもまだ気づかないので、声を出すことにした。
「あのー、」
思ったより小さい声になってしまったが、まだ巻き返すチャンスはある。
「はい」
不審者が反応した。声は見た目より若々しかった。
「どうも」
今度は少し偉そうに言ってみる。
不審者は俺の顔を見ると目を丸くした。
まあ、それも無理ないだろう。いきなり王が声をかけてくるなんて誰も思いはしない。
遠くからだと見えなかったエメラルドの瞳が俺を見下ろしてくる。
俺は人の顔など気にしないタイプだが。
その顔を見て、不審者にしては整った顔だと思った。
不審者は驚いて力が抜けたのか、風が吹くと手に持っていた紙が逃げていき、俺の方に飛んできた。
拾って紙を見ようとすると、不審者が急いで寄ってきた。
何か如何わしいことが書いてあるのかもしれない。
表にむけてみると、まずその紙が写真であることがわかった。
白い煉瓦に、色褪せた紺色の屋根が崩れかけている。
崖の上にある洋風の城。
長年整備されず苔や蔦が生えっぱなしの混沌とした庭。
興味本意で近づいてはいけないとわかる、怪しい雰囲気。
俺は、その寂れた風景に見覚えがあるような気がした。
埃の被った画面越しからであっても輝いて映る君。
君に会えなかった日々、僕と君はそういう運命だったのだろうと自分に言い聞かせてきた。
そして味のない日々にもここまでまで耐えてこれた。正直、希望なんてものはもうとっくに無くなっているものだと。
そう思っていた。
唯一の救いは過ぎし日の記憶。進む未来は見えなくとも、歩んできた過去は確かで、ずっと形を残しているから、ここまで来た。
あゝ、君は今まで、何を希望に生きてきたのだろう。
君と出逢い、この大きな想いを呼び起こしてくれたおかげで、僕は今、此処にいる。
僕は、このままでは終われない。
この強い想いが僕の止まっていた時計を再び動かしてくれた。
走って、走って、走る。ただ昔の記憶を頼りに。橋を越え、森を抜けていく。考えるよりも先に身体が動き気づいた頃にはすっかり日も落ちていた。
暗闇の森から、光が漏れ出してきてようやく足取りを止めた。
恐る恐る近づくと、眩しい光が、僕の目を塞いできて、後ろに残る陰湿な樹木すらも、偽物のように思えた。
此処が、僕の居場所だと、そう思える様な面影はとっくに無くなっていた。
現代の建築家が計算し尽くした、美しい光を放つ高層ビル。
何階まであるだろう。ここからでは終わりが見えない。
敷地面積も、やけに広く、プールや観覧車もあって、夢に見たテーマパークのようにも見える。
此処に君がいれば、どんなに楽しいだろう。
「あのー、」
「はい。」
透き通る青年の声。
誰かと思い振り向いて、息を呑んだ。
そこには美しい王がいた。
吸い込まれてしまいそうな青い瞳、艶のある髪の毛、雪のように白く、透明感のある肌、昔より美しさが増していて、その分儚さは失われつつあった。
'星夜くん'というより、'ホテル王 長月 星夜さん'になったのだと思った。
そんなことを考えていると、手に持っていた写真が飛んで行ってしまった。
慌てて拾おうとすると、星夜さんは僕より先に写真を拾いあげた。
「あっ、すみませんっ!うっかり手を離してしまって」
「いえ」
星夜さんは立ち上がり、真剣に、眉を寄せてじっくりと見ている。
しばらくしていきなり、何かを悟ったように目を丸くした。
もう記憶は無いはずなのに。
「どうか、しましたか?」
「…」
それからやっぱり分からないといった表情になった。
どうやら記憶がさっぱり無くなったわけではないみたいだ。
思い出してくれるのは勿論嬉しいことだ。けれど、今になって、いきなり全てを思い出してしまうのは、心への負担が大き過ぎると思う。
今の星夜さんと昔の星夜くん。
見た目に関しての変化は少ないが、心の変化は相当大きなものだろう。
身体の負担が少なくなったのは勿論、生活リズムの変化や、人との関わりの変化など、少しの変化でも、人は変わってしまうのだと思う。
それに、僕の知っている星夜くんの事を、星夜さんは知らないのだ。
思えば僕も、今の星夜さんについてはあまり詳しくない。なんて、思うとなんだか今更もの悲しくなって仕方がなくなる。
沈黙が続き、冬の始まりを告げる冷たい風が星夜さんの髪を靡かせる。
星夜さんの表情はやはり険しく見えた。
僕は思い切って声をあげることにした。
「あのー、」
「宜しければ、少し中でお話ししませんか?」
全く予想しなかった返答が、やや食い気味に返ってきた。
「え…?」
思わず声が漏れる。
本当に、予想出来なかったのだ。
予測不能な幸運が突然、訪れた。
本当に夢なのではと疑ってしまう。
何故、出会ったばかりの自分と話をしようと思ったのだろう。
「突然すみません。聞きたいことがあるので。」
僕にとっては好都合でしかないので喜んで着いていく他ない。
「前田、すまんが、案内を頼めるか?」
「はいはーい」
前田と呼ばれた人が気怠げに返事をする。
髪型が印象的である。
こだわりがあるのか、自分で切って失敗したのか、前髪を細かく分けて階段の様にガタガタと切られている。色は赤味の強い茶色だ。
個性的ではあるが、変に見えることはなく、むしろおしゃれに感じさせてくる。
そういったオーラがある人だと思った。
着ているスーツはオーダーメイドなのだろう。
こちらも個性的でいて、品がある。赤茶色に濃い色のチェック柄が入ったスーツだ。
きっとこの人物も、ここに勤めているのだろう。
二人についていくと、ホテルとは違う棟に連れて行かれた。
社員専用の建物なのだろうか。オートロック式の大きな門が現れた。
前田はスーツからカードを取り出して、門の傍についているセンサーにかざした。
門は自動ドアのように控えめな音で、左右に開いた。時代は移り変わっていくものだと、改めて感じさせてくる。
門が開くと、社員専用とは思えない光景が広がっていた。別棟というだけで、こちらもホテルの一角なのだろうか。先程見た本館よりはやや簡素だが、それでも普通のビジネスホテルよりはるかに豪華で、広い。
入り口にはしっかりと見張っている門番がいた。
中へ入ると、広々としたエントランスがあった。瀟洒な形のソファーが何個か並んでいる。
テーブルと揃っているのも2セットほどあった。前田さんが、テーブルとセットになっいる椅子の前で立ち止まり、上品な振る舞いでこちらを向いた。
「どうぞ、お掛けになってください。」
少しだけ口角を上げ、ピシッと揃えた手をテーブルの方へ向けた。
こちらをお客様の様に扱ってくれるみたいだ。
前田さんはお辞儀をすると、奥の方へ去ってしまった。
二人きりになると、少し緊張感が増す。
目の前にいるのは星夜さん。
これから何が起こるかわからない。
「その…話というのは…」
恐る恐る声を発する。
「ホテルと写真を照らし合わせている様でしたが、一体どういったご用件でこちらへ?」
聞かれることは何となく察しがついていたが、思ったよりストレートにきたのでドキッとする。
こんな様子ではもっと怪しまれると、わかっているのに。
なんとか、表情には出ないようにと、笑顔を保つ。
「実は…家から追い出されてしまって…」
言ってから唐突すぎたことに気がついた。
星夜さんの表情が、やや固くなった気がする。
「と、言いますと?」
「今、実家で一緒に住んでいる親と、揉めてしまって。
とりあえずここに泊まろうと思ったのですが、いつ帰れるかも分からないのに、限りのあるお金を使うと思うと躊躇してしまって…。」
今はこう言うしか無い。
少々怪しまれようと、チャンスは逃せないものだ。
「なるほど…」
星夜さんがまた真剣な顔になった。
「すみません。迷惑をお掛けして。」
怪しさを軽減するために、迷惑なのであれば今すぐ帰るつもりだという意思表示をしておく。果たして、今の僕の回答で、星夜さんは納得してくれるのか。
明らかに変人だとは思われていそうな気がするが、実際のところ今の僕には見当がつかない。
「もし、良ければですが。此処で働いてみませんか?」
いきなりこの言葉が飛んで来て、驚きが隠せない。
こんな事は、夢でしか無いものだと考えていたのだ。
星夜さんの一言で、僕の運命はまた変わってゆくだろう。
狂わせ、踊らせ、従わせられる。
僕が渇望していた未来が、夢が、今、再び幕を開ける。
そう、きっと終わらない。
此処にしか無い、永遠の物語が。
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