20 -ボロボロの天井

 どれくらい、寝ていたのだろうか。

 目覚めると見慣れたボロボロの天井がそこある。

 雨漏りが酷いが修理する材料が買えないから水瓶でしのぐ。

 その水は飲用水になるから、雨漏りも便利だと笑って話したものだ。


 見慣れた家の天井だから、すぐに気付けたが視界がかなりぼやけている。


 寝過ぎてしまったのだろうか。


 …寝過ぎた?

 寝過ぎたのか?


 休暇はまだ先だったはず。

 このまま寝ていていいわけがない、大変な事になった。仕事をしなければ、食べるものがない。


 急いで起きあがろうとしたけど、体が動かない。働かなければ、労働をしなければ。食糧と引き換えになる手形が貰えず、家族が飢えてしまうのに。


 呼吸をすると、鼻の奥に血生臭さがある。手を動かそうにも動かない。足もまた、同様だ。舌は動いたので動かしてみたら、歯が何本か無くなっているようだ。身に何がおきたのだろう、身体中のどこもかしこも痛みがある。この痛みはなんだ?


 思い出そうとしたが思い出せない。

 記憶を辿ってみたものの、頭に霞がかかっているような感じがして思考が滑る。


 いくら動こうとしても、体は全く動かなかった。働かなければならない、という焦りで何度も試みてみたけど動かない。


 何度も起きあがろうと試し、やっと動かせたのは指先だけだった。


「お父さんの目が開いてる!」


 遠くから声が聞こえた。

 でも娘は真横に立っている。


「お父さん、大丈夫?」


 声がすごく小さい。


 娘の声が小さいのではなく自分の耳が遠くなっているのだと気づくのにそう、時間はかからなかった。


 大丈夫だよ、と言おうとしたけど言葉を発するのも無理だった。

 その代わりに喉からヒューヒューと空気の漏れる音が聞こえる。


 どうやら、大怪我をしているらしい。


「ちょっと待ってて、お母さんとお兄ちゃんを呼んでくる!」


 そう言うと娘はパタパタと駆けていった。


 自分が動けないとなれば、妻と息子が働いてなんとか食料を得ているのだろうか。どれくらい寝込んでいるか解らないが、体の具合から察するに、けっこうな時間を寝込んだのだと思う。


 どこまで呼びに行ったのか、娘はなかなか戻ってこない。

 きっと家族総出で労働をこなし、生活を繋いでいるのだろう。

 遠くの労働施設に行かされたのなら、戻ってくるのに時間がかかる。


 娘が妻と息子を呼びに行ったその間、なんとか記憶を戻そうとひたすら考えるうちに「手紙を届け、その返事を貰ってこい」と命令されたのを思い出す。


 そうだ。割の良い仕事があると仕事仲間から聞き、斡旋所に駆け込んだのだった。妻の誕生日が近く、プレゼントを買いたかったからだ。割が良い、というのは危険なのか重労働なのか、何か理由があるだろうけど提示されている金額は普段見る額ではない。破格だ。考えて使い生活費に回さなければ、娘と息子の次の誕生日にも何か買ってあげられそうな額がそこにある。


 こういう仕事は早い者勝ちだから急いで応募をした。


 そうするとすぐに城から迎えの兵士が来て「王から直接聞け」と連れて行かれたのだ。連れて行かれた、というよりもひっ捕えられ追い立てられるように歩かされたのだが、この国では日常的にあるので別に驚かなかない。


 謁見の間と呼ばれる場所があるのは知っていたが、行くのは初めてだった。


 周りを見渡したすと白を基調とした作りで、謁見の間は貴重な白曜石で建造されている。この石を採掘する仕事に従事した経験があるが、固いし重いし大変だ。この量を使って作られた謁見の間に、どれくらいの労力が注ぎ込まれたのだろう。


「なんて豪華な…」


 それが素直な感想。


 自分が家族と住む家や街とは比べられない程に豪華な作りだった。


 でも、同時に何か不安や胸騒ぎを覚える。

 それはまるで、その後に起きる惨事を無意識下に予見していたかのようだ。


 ここまで思い出すと、次から次へと記憶が蘇り出す。


 手紙を届けろと命令された事。

 手紙の返事を貰ってこいと命令された事。

 届けたら一切、休まず最低限の用意だけして帰国する事。


 仕事の結果を速やかに伝える事。


 そして、結果を伝えに行き…

 そうだ、何度も何度も目に見えぬ力で打ち据えられたのだった。


 意識が途切れる前、死を覚悟した。

 それくらい、酷い大怪我を負ったはず。


 これは死後の夢なのか?

 …あの怪我で生きられるとは思えない。


 しかし、夢ではないようだ。


 夢かどうかを確認するには頬をつねってみろ、と聞いた事がある。

 辛い労働場に送られた時、知り合った男がそう言っていた。


 しかし頬をつねるまでもなく、全身が痛い。激しく痛い。

 あの時、打ち据えられた怪我なのだろう。だから夢ではない。


 夢ではなく現実である、と認識したと同時に不安になった。


 自分と妻が朝から晩まで労働し、一家がやっと生きられる程度のものしか得られない。この家には怪我人を看病し続けられる余裕は全く無く、妻か自分が倒れた時点で生活は立ち行かず、強制労働施設での生活を余儀なくされる。


 けれども、ぼやけた視界にある天井は家の天井。

 強制労働施設ではない。


 娘と息子も働いて、どうにかしたのだろうか?


 やがて娘が2人を連れ戻ってきた。


「あなた、目が覚めたの!?」

「お父さん!僕がわかる?」


 声はやっぱり出ないが、瞬きで応じたところ意味は通じようだ。


 どうやって生きているのか、自分の体はどうなっているのか。

 色々と聞きたいのに声が出ないのが、もどかしい。


 何もかもが解らないが「家族が生きていた」という事実は何より嬉しいものだった。


 妻が何かを言っているが、声は殆ど聞こえない。

 どうやら小声で話をしているらしく、何を言っているのか解らない。


「あな@が仕@で行っ@@で@@て@@ものが私たちの生@@@…命@@@…」


 小声だと、外から家の中に向けて話をしているくらい遠くから聞こえている感じしかしない。理解を試みて耳を傾けてみたが、その声を追っている最中に抗えない眠気に包まれていった。


 体が眠りを欲しているのだろう。


 今は家族の今後の無事をを喜び、そして今後の無事を願いながら、眠りに落ちるしかできないようだ。


 目を閉じたら、スッと意識が途切れた。


 とても、心地よい…

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