11 -光熱神

「私の命令を届けたか?」


 1人の男が平伏する床より数段、高い位置にある椅子に座っている主が淡々と話しかけた。


 ここは一般国民使用人が主に謁見する部屋。


 特別な石を磨き上げた床と壁。天井には見事な絵。

 白く美しく広い部屋なのに奇妙な圧迫感があり、落ち着かない作りをしている。


 問われた質問に対し使用人奴隷は短く答えた。


「はい」


 頭を上げる事なく、ただ返事のみをする。


 ここでは主の命令があるまで頭を上げるのは許されない。

 また、質問に回答する以外の余計な言葉の発声も許されない。


「そうかそうか。で、返事を受け取ってきたか?」


 冷たい、見下したような声。

 返事を貰ってきていないのを知りつつ聞いているのだ。


「いいえ。後日届けて…」


 そこまで言った時点で、男は蹴られた小石のように吹っ飛んだ。


 殴ったわけではない。

 主が手を翳し、その先から出た何かの力が彼を吹き飛ばした。


 頭を垂れていた場所から数メートル離れた後方の壁に体を打ち付けられた全身に激痛が走る。


 男は声を出さないように耐えた。

 何かの力が当たったところは大きく焼け爛れているから相当な痛みだろう。


 しかしここで痛みの声を上げれば次は何をされるか解らない。


 男には家族がいる。

 妻と子供が2人、そして自分の4人家族だ。

 貰える賃金は極僅かだが、それで何とか食い繋いでいる。

 ここで声を上げれば少ない賃金すら支払われないかもしれない。

 それだけならまだしも、妻子に連帯責任が科せられる可能性すらある。


 主が求める声以外、如何なる声もあげてはならぬのだ。


 けれども先の問いかけに「いいえ」とだけ答えても恐らく結果は変わらない。


 それは主が求める回答ではないからだ。

「はい」という言葉とそれに見合った結果だけを期待している。

 その期待が叶っていない時点で主にとって奴隷に罰を与える理由としては充分だった。


 痛みを堪え、悲鳴を堪え。

 何とか立ち上がると先の場所まで戻り、再び平伏する。


「はい、いいえ。それ以外の言葉を発するな」

「はい」

「で、どうして返事をすぐに貰ってこなかったのだ?」

「……」


「はい」「いいえ」以外の言葉を発するなと命じられているので答えようがない。

 沈黙するしかないのだが…


 再び、同じ力が男の体を激しく打ち据えた。

 焼け爛れた所が更に焼かれ体は先と同様に吹っ飛ぶ。


 喉から溢れ出そうな悲鳴を何とか堪え同じ場所へ戻るしかない。

 重度の熱傷を負った皮膚と壁に打ち付けられ出来た傷から血液と半透明の体液が流れ出てきた。


 それをポタポタと床に垂らしながら元の場所に戻り何とか呼吸を整え平伏する。


「私との話が終わったらそこをさっさと掃除しろ。お前如きの汚らしい汁で謁見室の床を濡らすな」

「はい」

「では特別に説明を許してやろう。何故、すぐに返事を貰ってこなかった?」

「月光国の王に仕える者が後日、返事を届けると仰られたからです。王がご不在ですぐに返事をいただけませんでした」

「あの国の王は何故、城にいない?」

「私には解りません」


 床にはどんどん、血液と体液が溜まる。

 赤い血液と透明味のある薄黄の液体が混じった水溜りに平伏している男はだんだん、気が遠くなっていくのを感じていた。


 そこにまた、あの衝撃を与えられ壁にぶつかりベチャッという湿り気を含んだなんとも嫌な音が響く。


 平伏する床まで戻らねばならない、と頭で理解しているのにもう手足は動かなかった。

 焦っても体全体がゴソゴソとうねるように僅か、動くだけ。


「壁際でのんびり横になるとは偉い身分になったものだな」

 豪華な椅子から主が立ち上がるのを視界の端に捉えた。

 戻らなれけば、動かなければ、戻らなければ、動かなければ…意思が空回りする。


「王が居ない理由を何故、問わない?」

 何としてでもあの場所まで戻り平伏する必要が迫っている。


「居ないのなら、すぐ呼び戻させ、即時、私の、意の通りにする、旨の、返事を、言わせるか、書かせるか、何故しない?」


 イライラとした口調で1つ1つ文を区切り話す声が次第に近付いてくる。

 男は焦りを覚え這って戻ろうとするが、体はもう意思を反映しない。


 それもそのはず。手足を動かす主要な部分の肉は焦げていた。

 頭髪はなく赤黒く焼け裂けた肉の隙間から白いものが見えている。


「なんと醜い姿だ。掃除すら出来ないのではないか?」

「掃除は…します……お時間をくだ…」

「誰が言い訳を許した?」


 衝撃が体を打ち付ける。

 妻子の心配が脳内を埋め尽くした所で、その後は静かな暗闇に包まれ意識が途切れた。


「おい!誰かコレの身内を呼びこの部屋を掃除させろ」

「はっ」


 主は周りの兵士にそう言いつけ部屋を後にする。

 今回の様なやりとりはこの部屋でよく見かける光景だ。


 この部屋の四隅に立ち部屋の番をしている兵士は主から寵愛を受ける精鋭。

 そして主と似たような価値観を持っている。


「あんなゴミがずっとあったら臭くてかなわん」

「そりゃそうだ。さっさと掃除させ半焼けのゴミを引き取ってもらわなきゃな」


 兵の1人が隅に倒れる男を軽く蹴り悪態をついた後、彼の家へ向かった。

 15分ほどで妻と幼さがまだまだ残る2人の子が追い立てられるように連れて来られる。


 連れてこられた家族のショックは計り知れない。


 しかし…


 変わり果てた夫や父を見ても駆け寄ってはいけない。

 大丈夫かと声をかけるなんてもっての外だ。

 当たり前だが泣いてもいけない。


 その時点で主にそれが伝えられ、厳しい刑罰が下される。


 焼けた皮膚から出たであろう血混じりのベタつく汁が床に溜まっている。

 それを綺麗に拭きあげ、何度も何度も水拭きをし一切の汚れがないように3人で掃除をした。


 そこだけを拭いたら床の艶が不自然になり、全ての床を拭き上げる必要が出てきて端から端まで丹念に磨く。


 肉塊のようになった家族を視界の端に見ながらの掃除は夜遅くまでかかった。


 全てを終えた後、家から持ってきたボロボロの布に倒ている男をくるみ、3人で何とか持ち上げ家に連れ帰る道のりは暗く長い。


 迎えが来る時は転移魔法であっという間に連れて行かれるが、そこから家へ帰るのは徒歩。


 静まり返った街を抜け、薄暗い道を通り。

 家族が住む家がある貧民街へ着いたのは空が明るくなり始めた頃。あの部屋を出て4時間以上が経っていた。


 家まで無事に戻れたのはまだ運がいい。

 主の気分次第では3人揃って同じ目に遭わされるか、それ以上の責苦を与えられる可能性があるからだ。


 それを免れても決して治安が良いとは言えない貧民街は日頃から物騒な地域であり深夜早朝の出歩きには向かない。家に入り無事、鍵をかけられたのは大きな幸運と言える。


 男が微かに息をしているのは家に連れ帰った後に知る事が出来たが、薬どころか食べ物さえも満足に買えない家族に助ける術はない。このまま息を引き取るのを見守るだけが唯一、この家族に出来る事だ。


「お母さん、国(ここ)を出て誰かに助けを求めようよ」

「このままじゃお父さんが死んじゃうよ」


 子供達はそう言うが母親は首を縦には振れなかった。


 助けてくれる存在は誰も居ない。

 たとえ他国に助けてくれる人が居たとしても国を出るのは事実上、不可能なのだ。


「国民を護るため」という名目で国の周りを高い高い壁で囲んでいる。


 壁には特殊な魔法がかけられていて普通に登るのは不可能。

 護る為ではない。壁は民が他国へ逃げ出すのを防ぎ国へ閉じ込めておく為の檻なのだ。


 外に出られる門は東西南北に4箇所あるが、そこは厳重に守られている。

 通行許可証が無ければ通れないし、厳重に護る者達は主直属の兵で強い。


 許可証も無い女子供がいくら頑張ったとしても、瀕死の大怪我を負った男を抱えて通り外へ逃げられる可能性は皆無。万が一、外に出たとして他国への道のりはとても遠く現実問題、外で家族揃って野垂れ死ぬ。


「私だってそうしたい。でも無理なのよ」


 藁を詰めただけの粗末な寝床に寝かせている夫の苦しそうな呼吸を見て、妻はやっと声を上げて泣いた。


 ずっと我慢していた感情が溢れてきて止まらない。


 この国の主は様々な世界で神として讃えられ祀られているという。

 神の国と外界からは見られているが、中身は主が全国民の生殺与奪を握っている独裁国家。


 旅行者へ開かれている一部はとても美しい街として有名だ。

 そこには上流国民が住み潤い街の民は王を心から敬愛し旅行者へもそのように語る。


 階級制が激しいこの国は、労働階級一般国民や貧民街に住まう者を奴隷として使い、それを他国の者から見られないよう隠していた。


 国主は宇宙に数多存在する「恒星系」を司る神だという。

 強大な光と熱は他の星々に住む生命体にとって絶対必要なエネルギーの源である。


 だからこそ古くから多くの者より信仰を捧げられてきた。


 それがいけないのか。

 誰よりも偉いと思っている。

 力が強いから誰も主を止められない。

 この国以外に住めれば、どれだけ幸せだろう。


 しかし、この国を出る術が一般階級民、ましてや貧民街に住む者にあるわけがない。

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