09

 



「──諸君! よくぞ参った! 初めての者も、そうでない者も、ここでは皆平等である! しかし、だからといって礼儀を欠いてしまってはいけない! 求めるものを手に入れるためには正しい行いをするべきだ!」


 大きなドラゴンのような生き物が描かれた巨大な絵画。真っ白な壁に飾られたそれを背にそう語るのは、キリッとした紫紺の瞳を持つ女性だ。背はスラリと高く、胸元が大きく開いた、紫と黒のコントラストが美しいドレスに包まれた細い体は豪奢である。

 女性の薄い紫色の髪は高く結い上げられており、ゴムで止められたそこでくるりと丸く纏められていた。解けば腰程までの長さはありそうだ。


 片手にレイピアを持ち、それを掲げて叫ぶ女性に目を輝かせるジルの隣、ミーリャが音をたてながら紙パックに入ったリンゴジュースを啜る。 その目はとてつもなくつまらない、と言いたげだ。


「さあ諸君! 列になるのだ! そうして整理券を引きたまえ! その券に記された番号が諸君らの順番となる! 団体で来た者は代表者が引くがいい!」


 さすがは市役所。流れがまんま市役所だ。


「代表だって。整理券誰が引く?」


「ミーリャはお断りなのね」


 即座に拒絶したミーリャに唇を尖らせ、ジルは後方の壁に寄りかかるオルラッドを見やった。代表といえば最強のオルラッドが良いのではないか。そう思ったからの行動である。


 不可思議な模様の掘られた柱に腕を組んで寄りかかる、赤い髪の彼。その顔は、どことなく不満気で、かつ儚げだ。若干距離をとりつつも群れている女性たちが、声を潜めながらも赤い顔で騒いでいる。


 さすがはイケメン。

 こんな場所でもモテるのか。


 ジルとミーリャはほぼ同時にケッ、と吐き捨て、あれは使えないとジト目のまま顔を逸らした。


 団体は代表者が引く、ということで、整理券はジルが引いた。番号は666番。かなり不吉である。

 思わず引き直させてくれと従業員に泣きついたジルを、ミーリャが引きずり待合席まで運ぶ。暗く項垂れながらも椅子に腰掛け沈んでいる彼に、漸く近づいてきたオルラッドは苦笑を浮かべた。


「まあ、そう落ち込まなくとも大丈夫さ。そんな番号が出てくること、よくあることだしね」


「……黒い紙が出てくることがよくあるのか?」


「紙の補充サインかなにかさ。気にする事はない」


「しかも文字色は赤だし……」


「インクが切れかかっていたのかもしれないね」


「なんか血みたいに垂れてるし……」


「それは……うん、まあ、うん……」


 さすがにどう言えば慰めとなるか分からなくなったようだ。必死に思考を回すオルラッドを尻目、ミーリャが空になった紙パックを潰しながら口を開く。


「ところでオルラッド。お前、何かあったの?」


 突然の問いかけに一瞬驚いたように目を見開いてから、彼は静かに笑んでみせる。


「何もないさ。いきなりどうしたんだい?」


「少し様子がおかしいと思って聞いてみただけなのね。何もないならどうでもいいのよ。……それにしても、ここはいつ来ても変わらないのよ。相変わらず悪代表も不在みたいだし……」


 ──悪代表が不在?


 ジルは伏せていた顔をあげてミーリャを見る。


「え? なに? 悪代表が、ってことは、正義代表とかいちゃったりするの? やっべ、俺すごいサイン欲しいんだけど」


 悪を目指す奴が何を言う。

 自分自身で自分の言葉にツッコミを入れれば、同時にミーリャがバカを見るような目をジルへと向けた。突き刺さるそれになぜだか悲しくなってくる。


「お前、本当に無知というかバカというか……」


 額に手を当てやれやれと首を振り、ミーリャはため息を一つ。それからすぐに左手をあげ、その人差し指で前方を指し示した。


 ──見ろ、ということだろうか?


 ジルはミーリャの指を追うように、示される方向へと顔を向ける。


 そこには女性がいた。レイピアを床に刺し、堂々たる態度で佇む彼女は先程の偉そうな……ああ、いや、美しい風貌をもつあの女性である。威厳ある凛々しい姿で佇む姿はひどく勇ましく、まるで騎士のように見えなくもない。


 ──まさか……。


 何かを言いたげにミーリャを見るジル。

 ミーリャは無表情のまま、彼の考えに同意するように頷いた。


「あの女が正義代表、ベルディアーナ・フローネなのね」


 正義代表に、市役所で整理券配りの見張りなんてさせんなよ、とジルは思った。




「──666番の整理券をお持ちの方! いらっしゃいましたら3.21番窓口までお越しください!」


「なぜそこに点を挟んだ」


 不吉ともいえる番号が呼ばれ、ジルは席から立ち上がる。その際窓口番号に対し意見するも、誰も彼の話を聞きはしない。

 オルラッドが「俺はあっちにいるよ」とそそくさと立ち去るのを尻目、ジルは視線をミーリャへ。ミーリャは彼の視線に気づいたのか、黙って肩を竦めて窓口の方へ向かい歩き出す。


「……どうしたんだろ、オルラッド」


 呟きながら、ミーリャの後を追いかけた。


 3.21番窓口という看板が下げられたそこには、小さな扉が存在していた。その扉の右隣には3.22番、左隣には3.20番窓口の扉が存在している。大きさも形も色も、ジルの目の前にある扉となんら変わりはない。

 呆けながらも辺りを真剣に見やるジルを背に、ミーリャは目の前の扉を叩く。それからノブに手を当て、目の前の無機質なそれを押し開けた。ノックはするのに返事は待たないのか。疑問に思うも何も言わず、さっさと入室するミーリャに続くように、ジルも未知なる部屋の中へと足を踏み入れる。


 室内はなんら変哲のない部屋であった。こじんまりとした小さな個室だ。部屋のど真ん中には二つの黒いソファーと、それに挟まれるようにカップが置かれたテーブルが設置されている。カップの中身は淹れたてのようで、まだあたたかな湯気がゆっくりと天井へ向かい伸びていた。


「いらっしゃいませ、客人よ」


 テーブルに置かれたカップを一つ手に取りながらそう言ったのは、この部屋に最初から居座っていた者だ。

 性別は男。短い黒髪と赤い瞳が印象的な彼は、真っ黒な神父服に身を包んでいる。汚れるのが嫌なのか手には白手袋を着け、首からは金色の十字架を下げており、顔にはオシャレな片眼鏡が一つ。


 ──こいつ、絶対性格悪い奴だ。


 優雅にカップを傾ける男を前、ジルのゲーマーの勘が働いた。


「さあ、おかけくださいませ」


 男が言う。ジルはそんな男を警戒しつつ、勢いをつけてソファーに腰掛けた。その隣に、ゆっくりとした動作でミーリャが座る。


「今宵はどういったご要件でお越しに?」


「はい! 査定をしてもらいに来ました!」


「査定……それはつまり、悪か正義かの査定、ですかね?」


「はい!」


「そうですか。では、こちらの書類に記入を……む」


 男は一口啜ったカップの中身を凝視。少し考え、どこからか取り出した、小さな、白い長方形の袋をブチリと破る。そして、その中身をカップの中へと注ぎ入れはじめた。

 サラサラと、音もなく落ちて行く白い粒たち。それを警戒するように見るジルを前、これまたどこからか取り出した小さなスプーンでカップの中身をかき混ぜる男。彼が再びカップに口をつけた瞬間、ジルは軽く瞳を細める。


 ──これは、まさか……。


 ジルの片眉がピクリと動いた。


「……良い味だ」


「砂糖かよ!!」


 警戒して損をした。

 軽く浮いた腰を落ち着かせるように椅子に座り直す。


「砂糖は良い。甘く、甘く、甘い」


 甘いしか言ってませんが。

 ツッコミの言葉を口内でモゴモゴとさせるジルなど露知らず、男は一度手にしたカップを机上へ。それから傍らに置いていた真っ白な書類を一枚、ジルの目の前へと差し出した。


「どうぞ。肩書きをお求めであるならばこちらの書類の必須事項には必ずご記入をお願いします」


「あ、はい……」


 受け取った書類。中身に目をやる。


 真っ白な紙の上には、いくつかの円といくつかの細い線が描かれていた。円の中には短い文章で質問が書かれており、円の周りに存在する線にはyes、noの文字が確認できる。いずれも記入するような箇所は見受けられず、男の言う必須事項たる場所は見当たらない。というかそもそも……


「……これ、巷で良くある診断じゃね?」


 手の中に存在する、書類なるものを指差す。

 ミーリャがこくりと頷いたのを横目で確認した。


「……査定とは、その人にあったものを選ばなければいけません。その人の今までの生き様や夢見る未来。目指すものから、その人にあった肩書きを導き出す。それがその書類の役目です」


「……なるほど。つまり正義になる可能性もあるってことか」


 男からの淡々とした説明を受け、ジルは冷や汗をひとつ。悪にならねばならないのだと己に言い聞かせ、再び視線を書類へ向けた。そして、まず一つ目の質問へと目を向ける。


 ──Q、あなたは女ですか?


「見りゃわかんじゃん!」


「診断ですので」


 返す言葉もなかった。

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