WRC2に女性ドライバー登場
飛鳥 竜二
第1話 モンテカルロ
1月25日(木)モナコにWRCのレースカーが集まった。カジノ前のセレモニー広場は大にぎわいである。その中に、一人場違いの女性がいた。鍛冶屋ともえという。初の日本人女性ドライバーである。今までも女性がいなかったわけではないが、コ・ドライバーと言われる助手席に座るナビゲーターがほとんどだった。1980年代に活躍した女性ドライバーはいたが、年間通してのフル参戦は久しぶりなのである。
昨年の秋、WRCチャンピオンとなったT社は一般の人でも買えるWRC2車両の販売を始めた。スタイルはチャンピオンマシンとほぼ変わらないが、エンジン出力や足回りはおさえてある。このマシンが活躍すれば、T社のイメージアップになり他の販売車両の売り上げがあがると期待されたのである。そこで、ドライバー選定とスポンサー探しをしたところ、日本国内ラリーに参戦し、日本のTV中継レポートをしている鍛冶屋ともえに白羽の矢がたったのである。優勝した経験はないが、表彰台には何度か乗っている。一番の決め手は雪の北海道ラリーで2位に入賞しているということである。冬のラリーを苦にしていないことはWRCにとっては大事なことであった。それにルックスも悪くないし、中継をしている日本のTV局がメインスポンサーになってくれることになったことが大きな要因であった。TV局にしても有料会員が増えることが望めたからである。
問題はチームの本拠地である。T社のラリーの本拠地は北欧のF国にある。練習場所としては最高の地だが、チーム運営をするということでは大変だということで、D国のケルンにチームの本部をおくことにした。ここはT社のモータースポーツの本部が近くにあるし、グラベルやターマックの練習場所にも事欠かなかったからである。中央ヨーロッパラリーのステージの近くでもある。ラリー当日にはT社のサポートを受けられるということも大きかった。
スタートセレモニーが終わり、全車第1ステージに向かう。最初からナイトステージである。ともえのゼッケンは99。覚えやすいナンバーということで、一番重いものにした。チーム監督の田中の判断である。田中は国内ラリーのベテランでWRC2にもスポット参戦をしたことがある。今回、スポンサーから依頼を受けてチーム監督を引き受けた。スタッフのほとんどがT社からの出向である。ともえのコ・ドライバーはT社のマシンに乗っていたトム・キャシディをスカウトした。30才のイギリス人である。数々のラリー経験があり、優勝したこともある。彼の知識と経験はともえにプラスになると判断されたのである。ともえは父親の仕事でロンドンに3年間住んでいたことがあり、英会話に問題はなかったというのもトムを選んだ理由のひとつだった。
チームスタッフは8人である。
監督 田中 祐樹 50才 元全日本ラリーチャンピオン
チーフメカ 岡崎 慎太郎 45才 元T社ラリー部門メカニック(出向)
メカ 飯島 賢 30才 元T社販売店メカ(出向)
メカ アラン・ブロス 28才 元T社ラリー部門メカニック(ベルギー人)
広報 アイルトン・ソチ40才 元放送局社員
マネージャーアンナ・ブロス 26才 元T社ラリー部門社員(ベルギー人)
※アランの妹
コ・ドライバー トム・キャシディ 30才 元T社ラリー部門社員
ドライバー 鍛冶屋ともえ 27才 元全日本ラリードライバー年間3位
さて、WRC2の戦いは8台で行われる。メインのWRCも8台なので、16台で同じコースを走ることになる。TV中継もこの16台が放送される。WRC2は昨年までS社がダントツの速さだったが、今年T社が参戦することで、混戦となりそうな雰囲気だ。ラインナップは次のとおりである。
ゼッケン21 グリヤーニ(アイルランド) C社
22 オルベルグ(スェーデン) S社
23 バジル (フィンランド) T社
24 ラッセル (フランス) C社
26 グラム (イギリス) S社
27 ルーブル (フランス) T社
28 リー (韓国) H社
99 鍛冶屋 (日本) T社
ともえのライバルはT社の2人とH社のリーである。優勝候補はWRCで走ったこともあるオルベルグである。父親はかつて日本のS社のマシンを使って活躍したP・オルベルグである。経験豊富なので、新人の鍛冶屋にとっては大きな目標の対象である。まずはWRC2デビュー同期となるT社の2人とリーの3人に勝つことを念頭にしなければならない。とチーム監督の田中から言われている。
1日目はナイトステージで2つしかない。どちらも20kmほどのミドルステージである。今年は暖冬で雪が少ないというか、道路脇にはあるものの道は舗装路(ターマック)となっている。気温10度はあったかい。タイヤはほとんどのマシンがソフトタイヤを選択している。ただ峠の上には一部アイスバーンがあった。でも、レッキ(下見)でその場所は確認済みである。ともえのマシンはジャパニーズカラーの赤と白の塗装を基調とし、青いラインが入っている。23年までのT社のカラーリングに似ている。T社のマシンは今年から黒を基調としたカラーリングになっている。
「ともえ、初日は無理するなよ。順位は期待していない。トムのペースノートの読み上げを信じ、そのとおりに走れればOKだ。順位は3日目から目標設定するぞ」
という監督の言葉で、プレッシャーをあまり感じずに走ることができた。コースは長いストレートがほとんどない。常にステアリングをきっている状態だ。頼りは6連のライトだが、横はあまり見えない。むしろH社の横長LEDライトの方が横に広がっている感じがする。コースサイドにはサポーターがやたら多い。多くの人が発煙筒やライトをもち、花火をあげている。中には国旗を振っている人もいるがコースにまではみだして振られるのはドライバー泣かせである。道の幅は1.5車線しかない。対向車が来ることはないとわかっているからスピードがだせるが、普通のクルマなら30km道路である。結果は8位。最下位であった。救いは、トップのオルベルグと20秒差。ライバルの3人とは10秒以内ということだった。これならば挽回する余地はある。
ホテルにもどって、寝ることができたのは深夜0時をまわっていた。マネージャーのアンナと同室である。アンナは日本語は解しないが、英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語に堪能なベルギー人である。ベルギー人で4ケ国語を話す人は珍しくないという。さすがEU本部があるヨーロッパの中心地である。
1日目終了。
2日目は基本は舗装路(ターマック)なのだが、ところどころアイスバーンや泥がでているところがある。天気は良くて見晴らしはいいが、山を見ている余裕はない。トムの読み上げるペースノートを聞き、路面をみるので精いっぱいだった。路面の変化が激しい。メインのチームはスタッフが先取りして情報を仕入れることができるが、新参のWRC2チームにそんな余裕はない。でも、マネージャーのアンナが先行したT社の情報を仕入れてきた。やはりレッキ(下見)とはだいぶ違う。
サービスパークでレジェンドのセバスチャン・ロードと出会った。昨年のモンテカルロチャンピオンでもある。今年はダカールラリーに参戦していたので、こちらには参戦していない。サウジから戻ってきたばかりだということだ。スポット参戦でF社からでる可能性があるらしい。
2日目最終のSS8はナイトステージ。夜になって、アイスバーンが見にくい。でも、最後尾に走るので荒れているところはわかるようになってきた。先行したT社の情報もうれしかった。
順位は変わらなかったが、7位のマシンとのタイム差は5秒に縮んだ。
3日目も晴天。でも、朝一番のステージはアイスバーンがあった。基本は舗装(ターマック)なのだが、舗装部分を外すと泥の部分がある。路面状況が舗装・泥・水・アイスバーンと目まぐるしく変わる。SS13では、トンネルがあるのだが、そこを抜けると路面がガラッと変わり、アイスバーンがでてくる。7位とのマシンとはタイム差が7秒に広がってしまった。
4日目、最終日。今日も晴天。今年は天気がいいので、沿道には観客が多い。昼間なのに、発煙筒や花火をあげている。盛り上がりが並大抵ではない。モンテカルロの道はほとんどがセンターラインのない道で、がけ側には30cmほどのガードレールというか石の壁があり、山がわには岩が突出している。道のはじを走ったら危なくてしかたがない。ラインどりはとても大事だ。F社のマシンがコースから外れて木製ガードレールにはまってしまっていた。崖下に落ちないだけが救いだった。
最終17ステージ。パワーステージである。このステージだけでポイントがつくが、ともえにとっては最下位脱出が目的である。このステージは下位からのスタートなので、鍛冶屋がスタートドライバーである。ゴールの場所は有名なチュルニ峠。モンテカルロの有名スポットである。そこまでの登りの14kmの勝負である。最高スピードは3速で100km。ふつうのドライバーならば40kmでしか走れないところだ。きついカーブは2速で50km。ここで差をつけるのは難しい。だがともえはアクセルを踏んだ。チュルニ峠に到着。タイムは10分30秒だった。次のマシンの到着を待つ。27番のルーブルだ。このステージの前までは差が4秒だった。途中のチェックポイントではともえがリードしている。もしかしたら勝てるかもしれないと思いながら、手を合わせていた。ルーブルがゴール。10分35秒だった。1秒差でともえが逆転。チームは大喜びだ。
優勝候補のオルベルグがマシントラブルでリタイヤしたので、ともえは14位でフィニッシュした。T社のマシンだけでは3台中2位なので、初戦としては合格点だ。ちなみにWRC2の優勝はC社のグリヤーニであった。メインのWRCの優勝者はH社のヌーベルで、30Pと完全優勝であった。日本人ドライバーの勝山はアイスバーンで滑って、抜け出すのに時間がかかり7位に終わった。でも、最終パワーステージでは3位に食い込み、速さを示していた。
表彰式でともえはあこがれの人と会うことできた。1980年代に活躍した女性ドライバーミシェル・ノートンさんである。A社のクワトロを駆り、優勝したことがあるし、年間ランク2位にまでなった人である。今はFIAの役員をしている。ともえは自分からあいさつに言った。すると、
「Never give up . It's important to continue . Move forward step by step .」
(あきらめないで。続けることが大事。一歩一歩前進ね)
と言ってくれた。今回ビリ2だったが、この言葉で救われる気がした。
次戦は2月半ばのスウェーデン。スノーステージだ。一度ケルンにもどったら、フィンランドでの特訓が待っている。北海道の雪とは大違いだという。ともえは得意のスノーステージでポイント獲得を目標にした。
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