第33話 嵐の前の静けさ、という事でしたか

 アリシアがマリーと共にロワイエに来てから、早いもので一カ月が過ぎようとしていた。

 表向きは「療養目的の滞在」なので、週に三日は療養施設でのんびりと過ごす。そして残りの四日は、ヨゼフや王室付の学者から歴史や語学などを教えて貰う。


(なんて贅沢な日々……)


 魔術実習を終え城の中庭でのんびりと昼食を取っていたアリシアは、よく晴れた青空を見上げた。

 衣食住に加えて、一流の学者達から学ぶことができる夢のような環境。


 全ては王妃のローゼが手配してくれているので、アリシアの懐は全く傷むことがない。

 せめて学費だけでも払いたいとローゼ妃に頼んだのだが、「レアーナの忘れ形見であるあなたに、必要な教育をしているだけです。これは血縁者として、当然のこと」とこれまたドレスを用意してもらった時と同じく拒絶された。


 これまでの言動から察するに魔術を使う国、特に王家絡みの人達は血縁者に対して特別な感情が強く出ようだ。


(……申し訳無く思うより、勉強して魔術や知識を身につける方が恩返しになるわよね)


 アリシアは気持ちを切り替える。

 以前の自分なら、確実に卑下するような思考に嵌まっていた。けれど最近では周囲の厚意を素直に受け止め、前向きな考えをするようになっていた。


「お嬢様!」


 魔術学院の制服に身を包んだマリーが、教科書を抱えて駆けてくる。深い緑色のワンピースに、同色のブレザー。深い緋色のマントには、金糸で刺繍が施されている。

 貴族の中でも特に優秀な者だけが入学できる魔術学院の制服だ。

 決して派手でではないが、落ち着いた格式のある制服はマリーにとても似合っていた。


「マリー、丁度良かったわ。一緒に昼食にしない?」

「よろしいのですか?」

「勿論よ」


 控えていたメイドがすぐにマリーの分の昼食を用意して、庭へと運んでくれる。


「すみません。本来なら自分で用意するべきですのに」

「その制服を身につけているという事は、貴方は特待生としての待遇を受ける資格があるという証明です。堂々となさい」


 メイド長が恐縮しているマリーに声をかける。

 マリーはヨゼフの推薦で中途入学したのだが、クラス分けのテストで高得点を叩き出し学費免除の特待生枠で学んでいた。


 どうやら特待生になると、学費免除の他にも様々な優遇が受けられるらしい。こうして公爵令嬢であるアリシアと食事を共にする事も、特権の一つだ。


「ねえマリー。あなたこのまま特待生を維持して主席で卒業すると、爵位がもらえるんですって。だから貴族に――」


 皆まで言わせず、マリーが食い気味に否定する。


「爵位なんていりません。私はアリシアお嬢様にメイドとしてお仕えできれば、それで十分なんですから」

「でもねえ……私はレンホルム家から出るつもりだし。そうなれば、公爵令嬢ではなくなるわ」

「関係ありません!」


 サンドイッチを頬張りながら、マリーがアリシアに詰め寄る。


「あの訳の分からない呪文や薬草学を勉強するのは、全てお嬢様の為なんです!」

「分かったわよマリー、だから落ち着いて。喉に詰まってしまうわ」


 二人は顔を見合わせ、くすくすと笑う。

 ロワイエに来てから、他愛ない会話で笑う事が増えた気がする。


「学院はどう?」

「大分慣れました。こちらの方は貴族でも気さくな人達ばかりで、気軽に話しかけてくれるんです。アリシア様はどうですか?」

「ええ、ヨゼフ先生のおかげで魔術の基礎は身についたわ。応用はエリアスに教わっているのだけど、最近は騎士としてのお仕事が忙しいらしくて顔を見ていないの」


 魔術の勉強を始めてから、エリアスはほぼつきっきりでアリシアの指導をしてくれた。けれどここ数日は国境付近に魔獣が出て、そちらの対処で忙くしており顔を合わせる機会がない。


「あの方、本当に騎士なのですね……失礼しました」

「マリーがそう言いたくなるのも仕方ないわよ。私だって、四六時中一緒にいるから本当に騎士団長なのかちょっと疑ってたし」


 そんな話をしていると、侍従長が中庭へとやってくる。


「アリシア様。お食事中、失礼致します」

「どうかしたのですか?」

「……それが……」


 普段は穏やかな侍従長が、珍しく焦っているのが分かる。どう伝えればよいのか迷っている侍従長に、アリシアは優しく声をかけた。


「何か私に関する事で、問題が起こったのですか? でしたら遠慮はいりません。見聞きしたそのままを、お伝えください」

「ありがとうございます、アリシア様。実は――」


 侍従長の話を聞き終えるとアリシアは無言で立ち上がり、国境へ向かう馬車を手配するよう彼に告げた。


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