弐 ▣ 雀百まで恩讐忘れず

一、チーム紅芋洗い

 現場はきわめて厳重に封鎖されていた。建物の周囲をぐるりと覆う、暗灰色の隔壁の群れが物々しい。

 一見なんの変哲もない板に見えるが、これは音を吸収して小さくする消音壁。音念ノイズが漏れないよう封じ込めるものだ。


「コンチワ~♪」


 まずは明るい声音で葬憶隊ミューターの現着を告げる。現場の警備に努めてくれた、地域の消防団その他の各員へのねぎらいを込めて。

 しかし登場したのが胡散臭いチンピラまがいのグラサン男だったせいか、皆さんは安心するどころか、元から張り詰めていた顔をさらに不安そうに歪めた。


「遅れてすみません。入り口はどちらですか?」

「ああ今開けるよ。……あれ、あんたんとこの班長さん?」

「あ、はい。……あっ、大丈夫ですよ、見た目はアレですけど腕は確かですから。……たぶん」


 コハルちゃんがなんか消防団員さんとヒソヒソ話しているのが聞こえるが、よくあることなのでワカシはスルーした。


 実のところチームレッドの活動実績は少ないというか、萩森班や椿吹つばき班に比べて出動率は低い。理由は単に人数が足りないから。

 今朝の調査や後始末のような、戦闘の可能性が低い任務を回されることが多いので、消防団員と関わる機会もあまりなかった。

 加えてワカシは己の容貌が穏やかでないことは承知しているので、慣れていない人からの微妙な反応くらい織り込み済みだ。


 逆にモモくんは顔見知りがいたらしく「いつもと顔ぶれが違うじゃないか、異動?」と声を掛けられていた。

 そして「違う違う、臨時!」わりと強めに否定している。もう少し手心を加えてほしい。


 ともかくチームレッド+αは、満を持して消音壁の内側に踏み込んだ――。


「……ゔっわぁ……」


 思わず呻いたのは誰だったか、建物の中はバーゲン会場の如くごった返していた。もちろんヒトではないモノたちで。

 見渡すかぎり一面……というか、もはや視界が不明瞭なほどの大群だ。弱々しい漆黒のモヤモヤから、ぬるりとした肌色を浮かべる人間モドキまで、さながら低級音念よりどりセール。

 市内じゅうから大集結したかのごとき悲惨な光景に、三人はドン引きした。


 通報では中級音念ラウドノイズとあった。たとえ確認された個体が一つでも、そいつに惹かれて他の音念が集まること自体は珍しくない。

 とはいえ通報から出動にかかった十数分間で、ここまで増えるのは通常ありえないが。


「ほぇー、こりゃモモくんに来てもらってよかったなぁ。やっぱし大先輩サマの言うことは聞いておくもんだねーん」

「悠長なこと言ってる場合ですか……ワタシもうイヤになってきました」

「アハハ……だーいじょーぶコハルちゃん、キミならできるサ☆……~ってことでぇ、モモくんと手分けして、ここらへんお掃除してね」

「はい!?」


 コハルとモモスケがそろって『この数を二人でどうにかしろってか!?』という顔でワカシを見る。


「ボクチンは奥のほう見てくるから~。よっぽど大丈夫だと思うけど、もしヤバくなったら呼んでちょ。んじゃね」

「えっ、ちょ、待っ……」

「がんばぇ~、ぷぃきゅあ~♪」

「……誰が変身魔法少女ですかッ!!」


 とくにプリティでキュアな力など持っていない現役女子高生の怒りは、低級音念たちの聞き苦しい合唱によってかき消された。

 大きな声を出したものだから周辺の何体かが反応してうぞうぞと薄黒い腕を伸ばしてくる。これではワカシを追いかけられそうもない。

 当の班長はというと、いつの間にか抜いていた祓念刀の片方で自分の進路だけサクサク切り開きながら、闇色の怪物の群れの中に消えていった。


 溜息混じりにコハルも抜刀し、ひとまず手近な数体をまとめて薙ぎ払う。

 どれも一太刀で散り散りに霞んでいった。どうやら一体一体は大したこともなく、とくに大きさや攻撃性が異常な個体も見当たらないから、たしかにコハルたちだけでなんとかなりそうではあるが。


 ……無限にも思える数の暴力を前に、コハルはうんざり100%の気持ちを禁じ得ない。


「おい、ボーッとしてんな」

「してませんっ。……ちょぉぉっとげんなりしていただけで」

「……わかるけどよ。とにかくとっとと減らすぞ、この数で共食いしだしたら手に負えなくなる」


 さすがに歴の長い先輩はこういう事態に慣れているのか、とくに動揺したようすもなく祓念刀を振るっていた。

 コハルとモモスケの年齢差は五つだが、葬憶隊としての経験値は、じつにその倍近く開きがあるという。コハルは入隊が遅かったから今のところ一番の新人だし、モモスケも平隊員の中では古株だそうだ。


 今まで班員は自分一人だったから、コハルは誰かと共闘するのに慣れていない。班長のワカシがあのとおりだし、そもそも戦闘任務自体が少なかった。

 モモスケにしても、背を預けるのがいつも組んでいる悦哉エッサイではないのは、少なからずやりにくかろう。


(……そして班長は椿吹つばきさん……羨ましい……ッ)


 欲求不満を刃に乗せ、八つ当たりじみた一撃を怪物に食らわせる。もちろん音念は痛覚を持たないが、それは苦しむかのように身体をねじり、おどろおどろしい悲鳴を上げた。

 気味の悪い光景に思わずコハルもぞっとする。


「嫌だもう……っ!?」


 ほんの一瞬の隙をついて、肌色と紫のまだら模様になった触手が背後から伸びてきた。それも複数、まるで花が開く、あるいはコハルを包もうとするかのような放射状に。

 咄嗟に刀を返しても間に合わない――と焦った直後、ざらざらと音を立てて魔手は霧散していく。


「気ィ抜くなっての」

「あ、ありがとうございます……。でもこんな、前後左右囲まれるくらいの大群の相手なんて、ワタシ初めてでぇ……!」

「そーかい。……ならはよっぽどやべぇのか……?」

「へ?」


 コハルが疑問符を返すと、モモスケは別の音念を斬り払いながら言った。


照廈てるいえ班長、いつも片方しか抜かないだろ、祓念刀」

「え……ええまあ。というかそもそも普段は戦闘自体少ないし、半分はワタシ任せですけどっ」

「そりゃ知らん。……さっきな、久々に左手も柄を握ってたんだよ」


 それは気づかなかった。だいたい二刀流といっても普段は右しか使っていないから、コハルの中ではもうほぼポーズ同然の認識だ。

 しかし、どうやらモモスケはそうは思わないらしいと、斬り裂かれた音念越しに渋い表情を見て思う。


 先輩は剣戟の合間に呟いた。

 ――あれ結構、怖ぇんだよな、と。



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