九、僧侶とバナナ
一度存在に気づいたら、不安の種は勝手にどんどん芽を伸ばしていく。
両親はどんな人たちだろう。優しい? それとも厳しい?
蛍が声を出せないことは知っているだろうか。驚いたり、嫌な顔をされないだろうか。
どんな仕事をしていて、どこに住んでいるのだろう。もし
何より、
誰だって戦うのには勇気がいるし、相応の報酬を求めもする。けれど葬憶隊員の給与が実情に見合った額ではないと感じる人は少なくない。
逆に、命がけで市民を守っているという自負が肥大して、一般人に対して傲慢な態度をとる人もいるらしい。そういう事例がネットで拡散されて悪いイメージが流布してもいる。
何より多くの親は、当たり前のことかもしれないけれど、我が子を危険に晒したがらない。
基礎訓練は小学生から参加できる。身体を鍛えさせるために、習い事として提携している道場に通わせる人はそれなりにいるらしいが、そのまま隊員になることは滅多にない。
子どもが入隊を希望しても、たいてい親が反対するから。
もしも『蛍の親』が葬憶隊を辞めろと言ってきたらどうしよう。
隊員でなくなるなんて想像もできない。祓念刀を手放して、今さら一般人として暮らすだなんて。
それに、時雨と離ればなれになったら、誰が蛍の『声』に耳を傾けてくれる?
「おい蛍? どった、ボーッとして」
「!」
気づいたら時雨の顔が思いのほか近くにあったので、びっくりして肩がびくっと跳ねた。普通の人だったら悲鳴を上げたかもしれない。
時雨が「なんでビビんだよ」とカラカラ笑うので、にわかに顔が熱くなる。
「なー、ちょい散歩がてらハゲワシくんの見舞い行こうぜ。ずっとゴロゴロしてんじゃ身体鈍るしさ。……ストレッチしてたん? ふーん……まぁ無理にとは言わんけど」
ここで留守番を決め込んだらまた小動物扱いされそうだな、と察した蛍はベッドを降りた。
思ったより痛くな……いこともない、けれど、我慢できないほどじゃない。すでに身体は充分ほぐしたし、無理ではないはずだ。
さすがに少しは表情に出たのか、時雨はごく自然に腕を差し出してきた。おとなしく掴まらせてもらう。
ちなみに『ハゲワシくん』というのはもちろんそういう名前の人物ではない。
正しくは
彼がなぜそんな不名誉な響きの渾名なのかというと。
「よーっす、調子どう?」
「おや、空蝉くんに清川さん、こんにちは。喋ると痛いんですよ~」
朗らかに苦笑いしているエッサイくんは、渾名どおりのスキンヘッドだ。
頭皮には何箇所かうっすら周りと色の違うところがある。なんでも小さい頃に怪我をした部分だけ毛が生えなくなってしまい、中途半端なのは潔くないと、全部剃り上げることにしたんだそうだ。
で、その髪型と『あげわし』という苗字の語感が悪魔合体した結果、ハゲワシと一部から呼び親しまれている。
稀に
なので蛍としては『僧侶』のほうがイメージに合うんだけどなぁ、と密かに思っている。
「そうだ。そこのテーブルのバナナ、よろしかったらお二人もどうぞ。
「バナナ? お、サンキュー。これ誰かの見舞い?」
「さっき
「……相変わらずだな~、モモくんの気持ちもわかるわ。まぁオレは食うけど。
蛍もせっかくだからもらっとけ。ほれ、なんか高級そーなシール貼ってあるし」
モモくんというのは、エッサイくんと同じ椿吹班に所属する先輩。干野さんは別の班の女の子だ。
歳の近い女子隊員は貴重なので、蛍としては親しくしておきたい。
とりあえずいただいたバナナをむぐむぐと貪った。
確かに普段食べているのより美味しい気がする。なんかこう味が濃密というか、果肉もぎゅっと詰まってる感じがする……のは先入観によるものだろうか。
そういえばお昼ごはんまだだったな、と、思いのほか食が進むのに気づいて思い出した。
時雨をつついて『おひるたべた?』と聞く。彼もバナナをもぐもぐしながら首を振り、端末のディスプレイに表示された時計を確かめて「そーいやもうそんな時間か」とモゴモゴしながら言った。お行儀悪いよ。
「うち帰るの面倒くせぇし食堂行くかー。ハゲワシくんの分も要る?」
「モモくんに頼んであるので大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます。……いたた」
そういえば喋ると痛むと言っていたような。結局見舞いといいながら、バナナをもらって食べただけだった。
*♪*
薫衣荘に到着した鳴虎と匡辰は、微妙な距離感と空気を保ちながら連れ立って歩く。お互い黙りこんでいるものだから、辺りは賑やかな真っ昼間だというのに、鍵を開ける音が妙に響いた。
思えば二ヶ月前に別れてから、彼がここに来るのは初めてだ。
「……で、確かめたいことって何よ」
「アルバムが見たい。子どもたちの幼い頃……とくに蛍が拾われた直後のものはあるか?」
「え? あ……それならそっちの棚だけど……写真が見たいだけ? だったら支部にも資料として残ってるだろうし、わざわざうちにくる必要あった?」
「……実を言うと僕もここに来る途中でそれに気づいた。どうも冷静さを欠いていたようだ」
「はは、なにそれ。まぁ好きに探したら。あたしはお昼の用意してるから」
軽く笑って受け流しながらも、心臓はどくどく波打っていた。
本当に単なる失念? それとも、そういうことにしておいて、この時間を作る口実……だったり、する?
(ったく、何考えてんのよ。……あたしも、この人も)
自嘲気味に台所へ向かう。
さて、汁物は朝の味噌汁を温め直すとして。白飯も充分あるが、おかずは夕飯の残りを二人で分け合うとなると足りないから、一品くらい作るべきだろう。
冷蔵庫の中身を確かめていたら、急に泣きたくなってきた。
――本当に嫌になる。材料を見ただけで、それを使って何を作れば匡辰が喜ぶか、いちいち考えてしまうんだから。
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