エピローグ

金目鯛と謎の空間

「ね、イツキ。私これ苦手だからお願いしていい?」

「別にいいけど。でも、ここのメインディッシュってそれだと思うよ」

「いいの。その分カニ食べるから」


 二皿分のキンメダイを平らげたあと、さらにデザートのミカンの親玉みたいなヤツ――ダイダイというらしい――を食べた俺は、完膚なきまでにオーバーイート状態に陥っていた。

「……ごめん舞。ちょっと横になってもいい?」

「うん。あ、じゃあ私、サウナ行ってくるね」

「……いってらっしゃい」

 三泊四日の旅行の初日にしてこの体たらくとは、我ながら情けないにも程がある。


 一時間後――。


「ただいま」

「おかえり。サウナはどうだった?」

「うん! もう最高! イツキも行ってきたら?」

 行きたいのは山々なのだが、明日以降の予定を考えるとまだもう少し動かないほうがいいような気がした。

「あと一時間したら……九時になったら行くよ」

「でもサウナ、九時までって書いてあったよ?」

 散々であった。


 さらに一時間後――。


「イツキお腹はどう? よくなった?」

「うん。おかげさまで何とか動けるようになったよ」

 本当はまだもう少し横になっていたかったが、それではあまりにあれなので口にはせずにおく。

「よかった! じゃあ、そろそろ寝よっか?」

 それは願ってもないことなのだが、こんなに早く寝てしまってはせっかく熱海まで来た甲斐がない。

 俺が言うことではない気もするが。

「その前に少し散歩でもしない? 女将が十時までに帰ってくればいいって言ってたし」

「ううん。今日はもう寝ましょうよ」

「舞がそういうならまあ、別にいいけど」


 二枚並べて敷かれた布団の窓側を彼女に譲り、もう一組のそれの上にパタリと倒れ込む。

「電気消すね」

 昔ながらの紐を引っ張るタイプのペンダントライトから光が失われると、窓際にあるテーブルと二脚の椅子と小型冷蔵庫が置かれた謎のスペースにある常夜灯の明かりだけが部屋を仄暗く照らす。


「お天気、晴れてくれてよかったね」

「そうだね」

 今朝の予報では色の濃い雲のマークが付いていたはずだが、どうやら完全に外れてくれたようだ。

「あのね、イツキ」

「うん?」

「昨日ね。念のために先生に聞いてみたんだけど」

 先生とはおそらくは主治医のことだろう。

 彼女は半年以上に渡るリハビリの結果、以前と同じかそれ以上に活発に動けるほどに身体を回復させていた。

 それから四年の月日が経った今になり病院に行ったとなれば、今さらどこかに悪い箇所が見つかったとでもいうのだろうか?

「大丈夫なの? 先生、なんだって?」

「うん。『もう何も問題はないから頑張って』って、お墨付きもらっちゃった」

「……そっか。よかった」

 別に心配して損をしたとまでは言わないが、もう少し順序立てて話してくれればいいのにと思った。

「うん。それで今日がね、ちょうどその日なの」

「その日? その日って何の日?」

「赤ちゃんができやすい時期」

「……ちょっとごめん確認してもいい? 先生にお墨付きを貰ったって……何の?」

「赤ちゃんを作っても大丈夫だよって」

 それは彼女が久しぶりに見せるエキセントリックであった。


 すぐ横から衣擦れの音が聞こえ、慌てて布団から顔をあげると横を見る。

 果たしてそこには、窓際の謎スペースの仄かな明かりの中でいそいそと浴衣を脱ぐ彼女の姿があった。

 ほどなくして生まれたままの姿になった彼女は、世のグラビアモデルが地団駄を踏み羨むほどの美しい裸体を惜しげもなくさらけ出したまま、アホ面で鎌首をもたげていた俺の正面に姿勢正しく座る。

「イツキは男の子と女の子だったら、どっちのほうがいい?」

「え?」

「私は女の子がいいかな。翠ちゃんみたいな可愛い子が欲しい」

 それはすなわち自分のような、と言っているようなものだと思ったが、そんなことにツッコミを入れるほどの余裕は今の俺にはなかった。

「……じゃあ、俺も女の子で」

 うっかり居酒屋で生中を頼むような調子で答えてしまう。

「だったら今夜は私が上になるね」

「上?」

「うん。その方が女の子になりやすいんだって」

 誰だ、舞にそんないい加減なことを吹き込んだ輩は。

「翠ちゃんがそう言ってたから」

 彼女の身内あねだった。

「初めてだね」

「初めて?」

 俺と彼女がそういった行為に及ぶのは初めてではないのだが、では初めてとは一体どういうことだろうか?

「……使わないでするの」

「それは……うん」

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