合宿

熊出没注意

 俺と舞が付き合い始めたという噂は、それこそあっという間にクラス中――どころか学年中に広まった。

 それは舞の転校生でクラス委員長というネームバリューのせいでもあったが、それよりもやはりその容姿によるところが大きかったように思う。

 そのことで何らかのデメリットが生じるのではないかという懸念は杞憂だったようで、これまでと特段に変わったこともなければ、いつの間にか俺自身も彼女と特別な関係になったことを余り意識しなくなっていた。

 よくよく考えれば彼女とはもとより、クラス委員長として放課後の長い時間を二人で過ごしていたのだったし、俺も舞も人前でイチャついて喜ぶようなたちではなかったので、言ってしまえば肩書が一つ追加された程度のことなのかもしれない。


 そうこうしているうちに激動の一学期は終業式の日を迎え、そのままの勢いで部活三昧の夏休みが始まった。

 俺も彼女もテニス部に所属していたのだが、当然練習は男女別々に行われている。

 それでもコートが隣り合っていることもあり、休憩時間には大体彼女と喋って過ごしていたし、帰りも互いの部活動が終わるのを待って一緒に帰ることが多かった。

 それは、高校生カップルとしてあるべき清く正しい交際というべきか、恋人というよりは仲の良い友達のような関係性というべきか。

 そんな彼女との距離感を心地よく思っている反面、正直もうちょっとこう、少しくらいは恋人らしくありたいという気持ちも正直あった。


 夏休みも中盤に差し掛かると、恒例行事である『強化合宿』が行われることと相成った。

 強化合宿当日の早朝。

 大荷物を抱えて始発電車に乗り込むと、ガラ空きの座席に眠たそうに身体を預けている数人の部員に挨拶をしながら車内を見回す。

 すると先頭車両のそのまた前に探していた人物の姿を見つけた。

「……おはよう、舞」

「あ! イツキおはよう!」

 俺は本来、朝は弱い方ではなかった。

 だが、六時台の電車に乗るために五時前に起きた今日に関しては、もし許されるのであれば今この瞬間にでも座席に横たわって目を瞑りたいところであった。

 一方の舞はといえば、元気いっぱい夢いっぱいといったご様子で、これから始まるイベントに胸を躍らせてるように見えた。

 おっさんのように「どっこいしょ」と声を出して彼女の横に腰掛けると、早速舞が楽しそうに話しかけてくる。

「きのう先生に聞いたんだけど、合宿のキャンプ場ってすごい山の中にあるってほんと?」

「うん。でも、うちの学校ってそもそも田舎にあるじゃん? だから距離的には学校から三キロも離れていないんだけどね」

「え~! でもクマとか出るよね?」

「出ないよ。猪は出るらしいけど」

「え~! イノシシ見てみたい!」

「……出るといいね」

 完全に少女と化した舞の相手をしていると、電車はあっという間に学校の最寄駅に到着した。

 座席に身を投げ出しその躯を晒していたテニス部員たちは、まるで墓場から目覚めたばかりのソンビのような怠慢な動きで、ひとりまたひとりと電車から降りていく。


 学校に到着してしばらくすると、五十人からの男女テニス部員が校舎の正面にある駐輪場に集結した。

 そこに男子副部長の姿は見当たらなかった。

 どうせそのうちいつものように、大慌てで駆け込んでくるのだろう。

 もっとも俺の興味は、そこから少しだけ離れた場所にいるものにあった。


「ごめん、舞。さきのあれ嘘だった。やっぱいたわ、熊」

「えっ! どこ?」

 俺が指差す方向に目を向けた彼女は「あ! ほんとだ!」と言うと、口に手を当てて笑い出す。

 そこには、ふくよかな身体を大きな荷物に持たれ掛け、今まさに冬眠から目覚めようとしている小池先生の姿があった。

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