第四章:戦争と晩餐。
第43話:平和な『尋問』
『スパイさんの晩ごはん。』
第四章:戦争と晩餐。
第一話:平和な『尋問』
あらすじ:老将軍が行方不明になった。
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その日、私は取調室にした。
尋問をする方じゃない。される方だ。
容疑は老将軍、ブラッソウ・スプラウトの出奔の補助。失踪した老将軍と会った最後の外部の人間が私らしい。
あの日、私は秘密の通路を通らずに、うっかり屋敷を門から出てしまった。老将軍を見張っている誰かがいるのに。その後すぐに老将軍がいなくなったから、私が重要参考人になった。
門を通る時に門番のラディッキオから、『アンタは門から入ったんだ。忘れるなよ。』と念を押されるまで気が付かなかったのだ。『ツーク・ツワンク』の存在を隠すために、彼は念を入れたのだろう。
「本当に何も知らないのか?」
狭い取調室にドンと机を叩く音が響く。明かり取りの小さな窓しか無い部屋は暗く、音が良く響き風通しも悪く湿気ていて圧迫感がある。相手を委縮させて脅迫するのに必要にはもってこいだ。
しかし、幾度となく繰り返される同じ質問を聞き流しながら、私は考えに耽っていた。ずっと叩かれていたのだろう。彼の叩く場所だけ色が変わって艶が出ている。机としても叩かれる為に作られたわけではないだろうに、かわいそうな運命だ。
「聞いているのか?おい!」
ひときわ大きく机が叩かれるが、私の答えは変わらない。知らないものは知らないのだ。老将軍の考えなど、本当は私が教えてもらいたいくらいなのだ。だが、何度答えても私の前で机を叩く男は納得してくれない。まぁ、私が答えたのは三度だけで、その後は無言を貫いているのだが。
あの日、最後のゲームは一瞬で終わった。
ゲームが始まってすぐに私は右手にナイフを持って駆け出した。だが、歴戦の英雄に無策で飛び込んでも返り討ちにされているのは目に見えている。
私は半身になりながら塩の魔法陣を映し出した。右手のナイフで老将軍の喉を狙い、塩の魔法で目を狙う。同時に二種類の攻撃は避けにくいだろうと考えたのだ。
「甘い!」
古くから使われているこの手法は老将軍も知っていたのだろう。体を捻って塩を躱し左手で私の右手を絡め捕ると、私の体を引き込んで軽々と投げ上げる。綺麗な軌跡を描いて私の体が宙に舞う時に老将軍と目が合った。
すでに私は目に次の魔法陣が浮かべていた。
風の魔法を使い、老将軍の目を再び狙うのだ。
涼をとる程度の風しか起こせない魔法で傷は付けられないが、目を閉じさせるくらいの役には立つ。先ほどと同じように塩の魔法を使わなかったのは、風の魔法の方が老将軍に到達する時間が短いからだ。
永遠のように思える恐怖の空中散歩ではあるが、人間が宙を舞っていられる時間は短い。だが風の魔法が老将軍の顔に到達するのはさらに短い。その短い時間に右手で風を避けるのは難しいだろう。
狙い通り老将軍が目を瞑って風を躱す隙に、私は左手に掴んでいた砂を放つ。
砂はナイフを選ぶ時に魔法で作り出しておいた。砂なんて地面にいくらでも落ちているが掻き集めていれば老将軍に感づかれてしまっていただろうから、魔法陣を見られないように慎重に影の中に隠れて。ナイフを2本にしなかったのは左手を警戒されないため。
風の魔法が通り過ぎた一瞬後、老将軍が開けた目に私は砂を浴びせかけた。
「くっ!」
砂をまともに顔に浴びた老将軍は私の手を離すしかない。
放物線を描く私は老将軍の喉をめがけてナイフを投げる。わずかな間の後に着地した私は地面を蹴って体を沈め老将軍の股間を目掛け突進した。言わずもがな、股間は男にとって最大の急所。
視界を失った老将軍をナイフと私の体が二方面から狙っている。それも目前に迫ったナイフと視界外になる低位置から。彼が治癒の魔法で目を癒しても、一瞬のうちに両方に気が付くのは難しいだろう。
私は勝利を確信した。
私は最初から負けるつもりは無かった。
老将軍が最後のゲームに力比べを選んだことから、今までのゲームを無かったことにしたいという意思は明白だ。だが、私はどんなに難しくても真剣に取り組んでもらおうと考えていたのだ。
戦争を終わらせるという約束を。
だが、私の考えは甘かった。目に砂が入れば躊躇し、視界を取り戻すことを優先するだろうと考えていたのだが、老将軍は治癒の魔法を使う時間を放棄した。
「はぁあ!」
治癒の魔法陣を浮かべるためのたった一瞬の時間。その間に、目を傷めたままの老将軍はナイフを躱弾き、勝利を確信し油断した私を宙へと蹴り飛ばした。後一瞬遅ければ老将軍の股間を潰すことができたのに。
「ゴフッ。」
私の体は潰れて、すべて空気が押し出されたようだった。ゴロゴロと地面を転がり、息を吸えず藻掻く私を老将軍は的確に関節を極めて押さえる。やっと肺に新鮮な空気が吸えるようになった私が、ゼイゼイと息をし始めたころにようやく老将軍は言った。
「惜しかったな。」
「ハァハァ…、まさか、心眼まで使えるとは。」
心眼とは伝説の技で、極めれば目に頼らずに周囲のすべてを見通すことができるらしい。目を傷めた老将軍では心眼でも使えなければ私の位置を確認できなかっただろう。
「ンなもん使えねえよ。どうせ狙ってくるのは急所と判断して適当に暴れただけだ。」
ニヤリと笑う老将軍を非力な私は払いのける事はできなかった。そもそも、基礎の体力からして違うのだ。私が体術で彼に勝てる可能性があるとすれば、奇襲めいた最初の一撃だけ。それ以上はただの文官であった私には荷が重い。
「反則は取られないだろう?」
多少、卑怯な手段を用いなければ勝てる相手では無い。『人儀』のゲームに於いても両人が納得していれば容認されている。そして、今回はその最初のルールの確認が無かっただけだ。老将軍が暗器を使ったのと同じだ。
「もちろんだ。」
私の手を取り引き起こしてくれた老将軍は屈託のない笑顔だった。たぶん、彼が負けていたとしても、私が卑怯な手段を用いて勝った事を責めないだろう。そう信じられる笑顔だった。
つまり、私は完膚なきまでに負けたのだ。
私が負けた以上は老将軍が戦争を止める必要は無くなるし、ましてや出奔して前線に赴く必要も無い。老将軍が居なくなったと言う報は私にも寝耳に水で、いつものように公爵閣下の下で働くために王宮に来て、拘束されてから初めて知った。
私の任務は老将軍の動向を探ることだった。
いったい老将軍はどこへ行ったのか、そしてそこで何を成そうとしているのか、彼らの知りたい情報は、私こそが知りたいのだ。
無意味な質問が途切れたのは、私があの日の事を思い出し終わったころだった。尋問官の上司が二つのドンブリを乗せたトレイを持ってやってきた。
「疲れただろう。そろそろ休憩にしないか?」
「また、カツ丼ですか?」
カツ丼とは聖女オヨネ様が伝えた芳飯を勇者アマネが改良したひとつである。カツサンドの中身にも使われる豚の揚げ物を卵でとじ、暖かく水の豊富な地域でしか栽培できない貴重な種をこれでもかと言うくらい大量に炊いた上に乗せる。なんとも贅沢な食べ物だ。
宮廷の食堂では時折、この料理を注文している者を見た。尋問間の言い方だと、注文していたのはこの上司の方なのかもしれない。特別注文でしか受け付けられることの無いこのカツ丼を食べてみたくて値段を聞いたことがあるが、この一杯で普通の食事の数日分だったのを覚えている。
「カツ丼を使うと尋問が上手くいくんだ。」
嘘か真かは知らないが、勇者アマネが尋問の度にカツ丼を用意させたと記録が残っているそうだ。尋問間の上司は自慢げに話しているが、何度も同じ話を聞かされているだろう尋問官は苦虫を噛み潰している。
確かに、この上なく美味そうな匂いのする見たことも無い料理を食べるためなら、嘘の罪でも吐いてしまうかもしれない。
小さな明り取りの窓から入る一筋の光に、2つのドンブリが宝物のように輝く。
尋問を中断した2人がドンブリのフタを開けると、湯気がホカホカと昇り出汁を利かせたタレと卵の絶妙な香りが強くなる。風通しの悪い取調室には人間が逃げる場所が無いのと同じように、カツ丼の匂いにも逃げ場がない密室だ。唯一逃げられるとしたら、私の鼻腔だろ。
尋問官の上司が懐から七味を出して赤黒い粉を振りかけると、爽やかな山椒の香りが漂う。
一口サイズに取り分けた白米に熱々のカツととろりと蕩ける半熟の卵を乗せる。ちょうど良い白米の大きさだったのに、同じくらい大きなカツと卵が乗ってしまえば、尋問官は更に大きな口を開くしかない。尋問官も頑張ったが、大口を開けた尋問官の口元から卵がこぼれてしまった。
私の前で二人がカツ丼を頬張る。
実に美味そうだ。
私はまだ容疑者であるから、手足を縛られているわけではない。しかし、この部屋からは逃げられない様にドアには鍵が掛けられているので逃げ出す事はできない。
「むぐむぐ、ごくん。素直に話せばオマエにも喰わせてやるぞ。」
素直に話せとは言うものの、私は最初から素直に話している。つまり、彼らの言う『素直』とは、実際にあった話ではなく彼らの望む答えを話せと言う事だ。
しかし、たった一杯のドンブリのために人生を棒に振る事もできない。私が老将軍の行方を知っていると話してしまったら、今のような平和な尋問では無く、暴力による尋問に切り替わる事は目に見えている。
腕力を使わない暴力。
この豊かな国の人間は、金に泣くことはあっても食べ物に泣くことはない。
私は生唾を飲み込みながら、顔も知らない勇者を呪った。
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次回:あの夜の『月』
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